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目次(1000字小説集 -2-)

オリジナル1000字小説を私的ランキングとして選出した作品たちです。
ごゆっくりどうぞ♪

【感動不可避のベスト10】

第1位 川の薬効
第2位 あなた
第3位 セキレイの恩返し
第4位 意味の探求
第5位 幸運の100円玉
第6位 契約
第7位 真面目な友達
第8位 ヨブの物語
第9位 泣くじいさん
第10位 仲間


川の薬効

「なに川見てやがる、入水する気か? この寒い中ひでえ土左衛門を処理する人のことを考えてもみろよ、最悪だぜ」コンビニの駐車場にとめた軽の中で野菜たっぷりサンドイッチとホットコーヒーを交互にやる行為を一瞬やめて、向こうに見えるステッキを持って家から出て来た白いマスクと紫のニット帽をつけたババア──まあ待て、そう親しげに呼んでいい理由はこれから話す──が川をのぞいているのを見て私はつぶやいた。ババアは手持ち無沙汰そうに辺りをきょろきょろ見回し始めたがまさかと思った瞬間、私と目が合った。ババアは右手に持っていたステッキの先を私に向けた。目をそらす私。しかし遅かった。もう一度そっちを見た時にはババアが助手席側の窓の真横に居て少しかがんで私の顔を親しげな微笑みを浮かべてのぞきこんでいた。“関係ない”一瞬驚いた私は心の中でそうつぶやいて、見ないようにした。するとコツコツと窓を軽く叩く音。まさかババアが? そっちを見るとババアが左手の中指の第二関節でコツコツ窓をやっている。さてどうしたものか? 無視するか? どうせたいしたことじゃない。私は無視を決め込み、ぼうっと前を向いたままコーヒーをすする行為を続けた。コツコツ音がやんだのでそっちを見るとまだババアが私の顔をのぞきこんでいた。“なに見てやがる?”私は正面を向き、また心の中でつぶやいた。「あなたと一緒よ、川を見ているの」こんな時にお決まりの幻聴か。私がまたそっちを見た時、ババアはまた川のたもとでガードレールを挟んだ向こうの川を見ていた。私がその時おかしいと感じたのはババアの足の速さでも、なぜ自分なのかといったことでもなかった。私は最初から川面を見ていた。ここからは見えない。しかし、ババアの目を通せば、見えた。とうとうと流れる川面が。“入水する気か? ──最悪だぜ”誰かが私の頭の中でそう言って嘲笑した。断じて自分じゃない! 私は自分にそう言い聞かせたが無駄だった。“入水? 最悪!”私の頭の中で繰り返しそう聞こえた。真っ昼間っから幻聴かよ、勘弁してくれ。私はいつものように手慣れた手法でその声を振り払おうとした。なんのことはない。あの川を思い出すだけでいい。水の流れる音を。川底に映った光の波紋を。飛び込むカメを、泳ぐ魚を、立ちんぼしている鳥を、ゆっくり歩く貝を、いじましい虫を。川を見ていたババアが一瞬こっちを見て親しげに微笑んで会釈したように見えた。


あなた

あなたにとってこの世界がどんなものか私はとてもよく知っています。なぜなら私はあなたになることができるからです。あなたは晴れた日には大空を舞い、おなかがすけばときに苦い虫を食し、雨の日には大樹の葉の陰で翼を休め、春になればここで異性を求め、子を育て、冬になれば南国に渡ってゆく。こないだあなたが電線にとまって気のいい友達たちとおしゃべりしているのを見かけましたよ。とてもうらやましかった。でも心配しないでください。私はいつでもあなたになれる。気のいい友達たちといつでもおしゃべりできる。私は晴れた日には大空を舞い、おなかがすけばときに苦い虫を食し、雨の日には大樹の葉の陰で翼を休め、春になればここで異性を求め、子を育て、冬になれば南国に渡ってゆく。──あれは私がまだ子供だった頃のことです。あなたは私の家の納屋の梁に田んぼの泥で巣を作った。父の正気なところを見たのはあれっきりかもしれません。父はあなたのために巣の下に糞受けを作りました。それだけでなく、あなたがいつでも出入りできるように木の引き戸の上部の一隅をわざわざのこぎりで切って穴をこしらえたのです。一番の難関は子供たちの巣立ちのときでしたね。私は今でも鮮明に憶えています。子供たちはうまく飛べず巣の下に落ちて土間を逃げまどっていました。私はもちろん捕まえて外へ逃がしてやろうとしました。一羽捕まえたとき、その瞬間に、私はあなたになることができました。あなたに触れた手から何かが私に入りました。それは確実です。何度も言うようですがあのときから私はあなたになることができるようになったのです。たぶんこれは幸運だったと言えると思います。いえ、まぎれもない幸運です。あれから月日が流れ、当然のように私も歳をとりました。親しかった人たちはみんな居なくなり、独り身になりました。私はあなたのように子をもうけませんでした。それは別にいいのです。私があなたにいつでもなれることが何よりの幸福です。ありがとう。また先日、コンビニへの道中、電線にとまって気のいい友達たちとおしゃべりするあなたを見かけました。私も同じように気のいい友達たちとおしゃべりしました。とても楽しかったです。私はあなたと同じように晴れた日には大空を舞い、おなかがすけばときに苦い虫を食し、雨の日には大樹の葉の陰で翼を休め、春になればここで異性を求め、子を育て、冬になれば南国に渡ってゆく。


セキレイの恩返し

セグロセキレイは私の心の鳥だった。子供の頃まだ父方の実家に住んでいた時、駐車場の波板屋根を支える鉄骨の直角に交わるところの補強板の隙間に彼らが巣を作り卵を産んだ。そして無事雛が孵り巣立っていった。私はその一部始終を何度もはしごをのぼっては見守っていた。うろ覚えだが卵はまるでウズラのとよく似ていた。雛は最初グロテスクだったが羽が生えてくるにつれ可愛くなった。これは後で人間のにおいが付いたら子育てしなくなるからいけないことだと知ったが雛を手で抱いてみた。雛の感触はやけに熱かったのを憶えている。そっと巣に戻し、手を見るとダニの類だと思うが小虫がわらわらと逃げ惑っていた。それは少々呪わしいことだったが私は秘密を知った気になった。とっておきのワクワクする秘密。私は母に逐一報告した。考えてみればあの頃は何もかもが幸せだった。酒乱の暴力親父を除けば。あれから30年ばかり経ち両親も亡くなり、ただ呪わしいだけの毎日を送るようになったある日、私はスーパーに行くためトートバッグをひっさげて家を──事情があって今は母方の実家に住んでいるが──出てそうだな5歩くらい歩いた時だろうか、小路にセキレイが居てまるで手招きするようにご機嫌で前を歩くではないか。私は飛び立つだろう? そうとも飛び立て! と自分もついていくからと言わんばかりにその姿を追っていた。次の瞬間向かいの家の波板のひさしの上に飛んでいって尾を動かした。ほうらな、飛んだだろう。私はしばらくほんの数秒立ち止まって上を見上げていた。もちろんその間に小路を出たところで飲酒運転の暴走車がありえない猛スピードで通り過ぎたことなんか知るはずがない。いつものように静かな道路を渡り駐車場の車のキーを開け乗り込みスーパーに向けて出発した。セキレイはなぜかよく目につく鳥だった。ちょっとスピードを上げて車を運転している時もパッと前を横切ったりする。それは鳥の世界に知れ渡ったのかツバメやスズメ、ゴイサギにシラサギ、メジロやウグイス、ヒヨドリにトンビ、カラスに至るまであらゆる鳥が目についた。もちろん悪徳セールスマンやボヤ騒ぎに発展する恐れのあった玄関前で喫煙する不良たちなどが二度と来ないのも、この国に核ミサイルが落ちて来ないのも、巨大隕石が地球に直撃しないのも、みんな彼らのおかげであることを私が知るわけないのである。もっともたぶん誰も知らないだろう。その幸せを。


意味の探求

土砂降りの日に庭に出て傘もささずカッパも着ず雨に打たれるままに天に向かって「消えたい!」と叫んだらアジサイの葉の上に居たカエルが言った。「いずれ必ず消えるから心配ない。だが私はお前より確実に先に消える。消えるまでにその意味を探求しろ。少なくとも暇つぶしにはなる」俺は答えた。「そんなこと言ってんじゃねえんだよ。今すぐこの場から消えたいんだ!」カエルは鼻で笑って言った。「そうやってお前はすぐ世界のせいにしたがるがよく考えてみろ、世界は何もお前に求めちゃいない。最初から何もないんだ。だが私は今この刹那にこうして存在している。意味が隠れているとは思わんか? だってもうお前の中に私は居るのだ。お前は幸運なことにそれを感じ取れる能力を持っている。あの日あの時の私を思い出すことができる。材料は潤沢にそろってる。あとはお前のやる気次第だ」俺は言う。「何をやれって言うんだ?」「何度も言わせるな、意味の探求だよ」「笑わせるな。誰でも知ってるぞ、意味なんかないことくらい」「ほう、なぜそう言える? やる前から尻込みした連中の意見を鵜呑みにするのか? 私だったらあんなくそったれどもの言うことなんか唾棄するがね。それに第一お前には素質がある。意味を探求しろ」「意味ってなんなんだよ! 知ったところでああそうですかで終わりだろうが!」「落ち着け。そんなことはないぞ、他のやつより賢くなれる。もちろんそれだけじゃない、あくどい連中の勧誘に引っかからなくて済むし、何より相手がマヌケかどうかの判断もつくようになる」「俺はそういうのがすべて嫌になったんだよ! ああ、すべて消えればいい!」「おいおい話がすりかわっているではないか。世界のほうを消す気か? 世界はどのみち滅びるようになってる。我々が消えるのと同じように。お前はその意味を探求し自分なりの答えを出せ。だが言っとくがやっぱり意味なんかなかったじゃないかという答えだけは絶対に避けろ。それはお前の負けになるからだ。お前は生きている限り何事も全力を尽くさねばならない。己に負けるわけにはいかんのだよ。先に消えた私のことを思い出せ。そしてその意味を探求するのだ」俺は部屋の中に居ながらにして体を打つ強い雨を感じ、カエルのはっきりした声を聞くことができた。俺はその意味を探求することにした。たとえ意味なんかないのにと嘲笑されようとも、消えるまでに自分なりの答えは必ず出すと誓った。


幸運の100円玉

私はいつものようにショッピングモールの裏口へ続く非常階段の踊り場で時間を潰していることを認識した。今、母さんが買い物をしていて、私はここで待ち合わせしているところだ。ここには子供の心を文字通り躍らせるゲーム機の類が所狭しと置いてあった。だが、私はそれらで遊ぶことができなかった。いや厳密に言って、1回限りなら母さんにもらったこの100円玉で遊べる。コインゲームなんかに使っちゃいけない。ガチャも駄目だ。ビデオゲームはもってのほか。私は騒がしい音を出すそれらを順に見た。一声甲高く「ポップコーン! ポップコーン!」と外国人訛りでしきりに息巻くポップコーンマシーンにだけは近寄らなかった。一人の勇者がビデオゲームをやっていた。後ろで高みの見物といこうじゃないか。見ているうちに自分もやりたくてたまらなくなった。こんなことに母さんにもらった大切なおカネを使うなんて馬鹿げている。そうは思ったが使ってしまった。堪能する間もなくすぐにゲームオーバーになった。私は大学生になってもよくゲーセンに通ったものだ。母さんに仕送りしてもらったカネでビデオゲームをやりまくった。病気とか中毒みたいなものだった。特に対戦格闘ものにハマった。気分は格闘家そのものだった。しかし、それが何だと言うのだ? 母親が汗水たらして稼いだカネを湯水のように使って何が格闘家だと罪悪感を抱いた。もしもこの現象がなければ、私は人間ではない。私が人の子であると自覚できたのは母さんがあの時くれた100円玉のおかげ。私は幸運だった。罪悪感が罪悪感のままなら、それは本当に不幸だ。だが、罪悪感は人間らしい感情の一つではないか。そう思えたなら完全ではないにせよ多かれ少なかれ救われる。だから私は幸運だった。重そうな金属製の格子状の板の向こうの暗がりに100円玉が一つキラリと光った。あの映像は何なのだろう? 思うに私があの頃にタイムスリップを何度もできるキッカケなのかもしれない。あれがゲートなのだろう。そこを越えれば私はいつでもあの頃に戻れる。何かの力であの板がいとも簡単に吹き飛び、輝きながらくるくる回っている100円玉を右手で確実につかんだ時、私はまたショッピングモールの裏口へ続く非常階段の踊り場で時間を潰していることを認識する。そう、私は何度も認識する。あの罪悪感が私が紛れもなく人の子である証拠だと。そして、母さんを心の底から愛していたことを。


契約

ある老人施設。「君が僕を愛すれば、僕は君を愛する。これは契約だ。彼がそう言うからわたしはくちづけしたの。そしたら彼なんて言ったと思う? こんなのじゃない! って言って、怒って帰っていったの。なんて気難しい人なんだろって思ったけど、余計好きになった。胸が張り裂けそうだった。それがわたしの初恋よ。あ、あら? どうしたの?」「な、なんでもない」「どうして? 泣いてるじゃない」「昔のことを思い出したんだ、ほっといてくれ!」私はあまのじゃくだった。好きと言われれば嫌いと言い、人のことを本当に愛したことなどなかった。でも、わかったんだ。本当は愛していたと。それに気付いたときは何もかも手遅れだった。もう終わったんだ。「さ、これで拭いて」「ありがとう。すまんな、取り乱したりして」「気にしないで、よくあることよ」「コーヒーでもやりに行かないか?」「まあよろこんで」──「あれは私が中学二年生の頃だったと思う。いや確かだ。私のことが好きだという女子が居た。なんでそれがわかったと思う?」「告白されたの?」「いいや、椅子を取られたんだ」「椅子?」「私が座るべき理科室の椅子を、机の上から降ろそうとしたら、ぱっと取ったやつが居た。それがあの娘だった」「好きな人に意地悪するタイプね」「いやそうじゃない。意地悪していたのは私のほうなんだ。彼女のことを無視した」「あらひどい」「そうさ、私は人の心なんてわからない、どうしようもないやつだった」「でもわかったのよね? だって今わたしとこうしておしゃべりしてるんですもの」「そうだな、もしあと四十歳ばかり若けりゃ、君に告白するのに」「今からでも遅くないわよ」「冗談だろ、私を見ろ、こんなに老いている」「若ければいいの?」「そう、若かったら」「じゃあわたしを愛して、そしたら若返ることができる。これは契約よ」「そんなみっともないまねが──」「くちづけすればいいの」私は正直この老婆が正気とは思えなかった。そう、よくあることだ。「さ、こっちにいらっしゃい」「本気なのか?」「わたしはいつだって本気よ」私はもう契約がどうのと考えちゃいなかった。ただこの老婆の妄想につきあってやればいい。私は彼女と捨て鉢にキスした。その後どうなったかは言わないほうがいい。とにかくどういうわけか私はあの愛の言葉を彼女に告げて契約を取り付けることに成功した。「君が僕を愛すれば、僕は君を愛する。これは契約だ」


真面目な友達

「現実がウザ過ぎる、こんな世界なんか消えてしまえ!」例えば、誰かが一時的な癇癪とはいえ、そう願ったとする。そしてそいつが本当に世界を消す能力を持っていたとする。誰がそんな最悪なやつを止めることができるというのだ? 警察か? 兵隊か? それとも核兵器か? 不良どもの格好の餌食だった、殴る蹴るの暴行を日常的に受けていたいじめられっ子がそういう力を持っていたとは誰も気付いていないだろう。そのうちの一人を私は知っている。そいつは動物と会話することができた。超能力少年の常識だ。あるとき、やつはこう言った。「犬が消してくれって言うけど、僕はそんなことしたくないんだ。だって僕は真面目だもの」私は言った。「この世界は捨てたもんじゃないぜ。犬なんかの言うことを聞かなくて正解だ。ありゃ結局畜生だからすぐそういう破滅的な考え方をするんだよ」またあるとき、やつはこう言った。「猫がね、消してくれって言うんだ。でも僕は真面目だからね」私は言った。「そうとも、お前は真面目なんだ。猫なんか畜生の言うことを聞いちゃだめだ」ある日やつは不良どもにボコボコにされ、鼻血をきれいにアイロンがけしてある傘のマークの付いたグレーのハンカチで拭きながら私にこう言った。「声がね、世界を消せって言うんだ」私は訊いた。「声? また犬か猫か、それとも鳥か?」「僕の頭の中に聞こえてくる声だよ。でも僕は真面目なんだ。世界を消したりなんかしない」──あれから数十年経った。私は軽度ではあるが精神病を患い、離脱症状を繰り返してはやつの言ったことを反芻していた。頭の中に聞こえてくる声は確かに世界を消させようとしていた。やつの言ったことは本当だった。しかし、私には世界を消す能力はなかった。母の死、経済的困窮、幸いなことに自然災害に見舞われることはなかったが、その他にも様々な理由で現実が嫌になった。そんなときだった。街でコンビニ帰りにたまたまやつを見たのだ。青いジャージを着て足元のおぼつかない歩き方。数十年経っているのになぜか中学のあの頃のままの容姿だった。だからわかったのだ。私はそいつの肩に手を置き「よお、久しぶりだな!」と言って呼び止めて顔をのぞき込んだ。やつだった。またどつかれたのかあのハンカチで鼻血を拭いていた。私は言った。「もういい消していいぞ!」「そんなことはしない。だって僕は真面目だもの」私は言う。「じゃあ、友達のたのみは聞けよ!」


ヨブの物語

この世の中には気に食わないやつが必ず一人は居るものだ。そのたった一人のおかげで人生が暗鬱なものになり、また台無しにされる。小学生の時、いつものサッカーの時間が終わって引き上げる時だった。「足が汚れるよりもけがをするほうが大変なことだよね」そういう嫌味を言ったやつを憶えている。中学生の時、理科の時間に顕微鏡でいろんなものを見てみようというおふざけで髪の毛を引っこ抜かれたことに激怒した私はやつの頭をひっつかんでぶん回してやった。そして仕返しされないよう逃げた。悠然と追いかけてきながらやつは言った。「まあええわ」高校生の時、なにかと私のことを“師匠”と呼ぶやつがいた。それはまだよかった。中学の頃から“じいさん”というあだ名だったやつが体育の時間のマラソンでうめきながらラストスパートをかけてきた私にこう言った。「ばけもんか!」それもまだよかった。「“すけこまし”ってどういう意味?」そう私が訊いた時、やつは近くに居た不良風を吹かしているやつにこう言った。「先生が意味を教えてくれってよ」結局教えてくれなかったが、後で辞書を引いた時の私の吠え面を想像してせせら笑っている連中の頭を金属バットで順に叩き割ってやりたくなった。大学生の時、私にノートを見せろと脅したやつは数知れない。その中でも時間に縛られるのが嫌だから腕時計を持たないのだというくだらんポリシーを振りかざしているやつに腕時計を見せろと脅された時にはさすがにキレそうになった。そこそこの大人になり母が亡くなった年の冬のことだった。私のブログを無断転載したやつが居た。激怒した私はそいつに抗議した。何を言っても聞き入れないやつだったので通報してやった。やつの当該記事は規約違反で削除された。先日たまたま検索しているとやつのブログを発見した。まだ続いていることに苛立ちを覚えた。しかも恐らく私が見たことはやっこさんに知られてしまったに違いない。──人生を最高につまらないものにしてくれるご親切きわまりない連中は残念なことに確かに存在する。なぜ私が連中を嫌うのか、理由がわからないとでも? それにまだ他にもたくさんお下劣エピソードがあり、ここには書ききれないほどの連中の膨大な瘴気が私を死ぬほど苦しめる。なぜなのだ? それを考える時、決まって黒雲がわき、雷鳴がとどろいてこういう声が聞こえてくる。「ヨブよ、私はお前のことが気に入らなかっただけなのだ」


泣くじいさん

玄関ベルのボタンを押すとやけにでかい電子音が家の中で響いているのが聞こえた。しばらくすると玄関わきの窓の裏のカーテンがさっと開き、続いてその窓の鍵が開けられ、がらがらと小窓が開く。いつも通りだ。年金暮らしらしい独居老人が禿げた頭とともに顔をのぞかせる。これもいつも通りだ。「はい?」「代引きでお荷物が届いてます」「ああ、はい、ちょっと待ってくださいね」滞りなくいつも通りだ。しばらくして財布を持ったそのじいさんが再び窓口に来る。「あんた、優しいんだな。それに真面目だ。汗まみれの腕と顔を見りゃすぐわかる。テキトー好きのアホどもよりずっとマシだ」カネを差し出すじいさん。俺はそれを受け取り、サイン用の小さい紙切れとペン、それから荷物を渡す。「お名前の横にサインしてください」「はい」しばらくののち、サインされた紙を受け取ると同時に領収書を渡す。「がんばれよ」「ありがとうございました」「こちらこそ」立ち去ろうとした俺はそれに気付いた。じいさんの頬に涙が伝い落ちていることに。なんでもない。俺はそう自分に言い聞かせた。いつもと違っていたことはあのじいさんが必要以上に口達者だったことと涙。あの認知症気味の頭の中で何かが起こっていることは間違いなかった。ある日またあのじいさんちに配達する機会があった。今回はやたらでかくて重い荷物だったが外装からミネラルウォーターであることがわかった。玄関ベルを鳴らし、いつものじいさんが玄関わきの小窓を開ける。「水が届いてます」「ああ、はい、玄関開けるよ」古めかしい玄関の鍵ががちゃっと開く音がして重々しい音を響かせながら玄関の戸が開く。「いつもありがとう。上気を付けて、低いから」そう言って奥へ行こうとするじいさんの後ろ姿を見た俺は何かおかしいなと思った。いつも通りサインしてもらって、ありがとうございましたと言おうとしたら、じいさんがまた語り始めた。「あんた優しいんじゃろ? それに真面目ときてる。テキトー好きのアホどもよりずっとマシだ」内容がこないだとほぼ変わらないことに気付いた俺はじいさんもとうとうもうろくしたのかと思い、少し悲しくなった。「ありがとうございました」「ちょっと待って。あんたに見てほしいものがある」「はい?」「ちょっと上がってくれないか」「はい」言われるがままついていくと階段下で同じじいさんが倒れていた。「わしだよ」そう言うとじいさんは泣いた。


仲間

母屋と離れの間の板場にそいつは居た。大雨が降ったあと海が近いのでカニがよく丘に登ってくる。よくこんなところまで来たなと思うほどの距離だがその顛末は野垂れ死にであることを俺が知らないはずがない。かなり大きい赤いハサミを持ったそいつは意味深な歩調でゆっくり行き止まりに向かっていた。「おい、そっちに行くんじゃない、ったく!」俺は右手でとおせんぼした。するとそれを感知したそいつはハサミを向けてぶくぶく泡まで吐いて反対方向に歩き出した。大事なことなので繰り返すが俺の右手を感知しやがったのだ。この下等生物がだ。しかもしゃべりだしやがった。「大昔に町医者だったところが葬儀場になってた。また誰かが死んだってこった」俺は答えた。「恵まれてるなあ、梅雨の晴れ間に葬式だなんて」「そっちにうまいもんがあることは知ってる。あっち行け」「お前のためを思ってこうしてやってるんだぞ? こっちには何もない。行き止まりだ」そいつはにやつきながら言った。「どこもかしこも墓場だらけか。お前らよく墓場の上で暮らしてられるな」「知らないだけだよ。知らぬが仏。さ、お前があっち行け」俺は右手でどんどんそいつの歩調を速めてやった。するとそいつは余計おかしな方向に入り込んでいってしまった。「そっち行くなバカ!」そいつは高笑いしながら屋根と板場の隙間のほうへ入っていった。静寂。いや厳密に言って、風の吹く音や葉擦れの音や鳥の鳴き声が聞こえていたはずだった。それに郵便屋さんのバイクの音も。俺はとても悪いことをしてしまったと思った。本当だ、嘘じゃない。しかしなんとかあそこから抜け出したあいつのことを想像した。そうとも、あいつは馬鹿じゃない。だって、俺の右手を感知しやがったんだぞ。簡単に陥穽に引っかかるようなやつじゃない。俺はコンビニへの道中、確かにあの大昔に町医者だったところで葬式をやったらしいことに気付いた。でかでかとした葬儀場との看板となかをのぞくと受付と掲示された長机と白黒縦縞の垂れ幕が見えた。でも、なんであいつが? そしてその近くの路上で車に轢かれてぺしゃんこになったカニの亡骸を見て俺はそういうことかと思った。あいつらは思念でみんなつながってる。情報を常に共有してる。どこに居ようが関係ないんだ。俺があいつのことを思って逃がしてやったこともあいつらはちゃんと知っている。みんな全部知られている。だって俺たちは仲間じゃないか。


これらの物語はフィクションです。
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