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目次(1000字小説集 -3-)

オリジナル1000字小説を私的ランキングとして選出した作品たちです。
ごゆっくりどうぞ♪

【抉られる心ベスト5】

第1位 辞める理由
第2位 粗品
第3位 彼女を救え
第4位 月曜の夢
第5位 ターザンごっこ


【涙活に役立つベスト5】

第1位 残された者
第2位 時は過ぎ、心の中でまた──
第3位 時空を超えたネズミ
第4位 一人旅
第5位 散歩の記憶


【夏に読むベスト5】

第1位 知らせ虫(短編)
第2位 お盆の夜
第3位 盆踊り
第4位 彼の弱み
第5位 潮風


辞める理由

「煙草スパスパやって缶ビールかっくらってるやつぁアマちゃんだ」「そうだ、ガキんちょだ。本当の大人ってのは煙草や酒なんぞやらない」「かと言って違法なこともしない」「そうだ、バカなことは絶対やらない。日が昇れば起きて畑を耕し、雨の日は読書をし、夜になったら早めに布団に入る。それが大人ってもんよ」「よっ、大将!」いつものように介護施設ではこんな会話が聞こえていた。彼らは声に出してしゃべっているわけではない。歳を取ると声に出さなくても会話ができるようになるのだ。俺は就職してまだ3ヶ月のペーペーでやっと仕事にも人間関係にも慣れてきたところだった。ただ一番気苦労を覚えるのは彼らの会話を無防備な耳で嫌でも聞かなければならないことだった。「おい、お若いの! 背中がかゆい。けりをつけてくれ。おい、どうしたお若いの、ここだよここ」俺は黙って背中をさする。「ああ、気持ちいい。気持ちいいつったってあっちがおっ立ってるわけじゃねえぞ、お若いの。安心しろよ、オレにはそんな趣味はねえから」「よかったな、お若いの。施設じゃあ何が起こるかわからんからな。務所と違うのは軽い罪でも一生出られないってことだ」「そうだ、メシをこぼしたくらいがなんだって言うんだ。あんな残飯みてえなメシ。誰だ給食当番は。そろそろメシの時間だろうが!」俺はいつも黙って仕事をこなした。彼らに話しかけたって無駄だ。俺にはそんな能力はまだない。仮に話しかけたところで声で返事が返ってくるわけでもなし。ただただ聞こえるだけだった。俺はとうとう先輩に相談してみることにした。「え? 聞こえる? 何が?」たしかそんな返答だった。先輩には何も聞こえてないらしい。「彼らの声ですよ」「まさか冗談よせよ。それより今日亡くなったKさんの当番はおまえだったよな?」「あ、はい」「やり方はもう覚えてるだろ?」今日は葬儀屋に遺体を引き渡すための準備をしなくてはならない。準備と言っても顔を拭いてあげるくらいだが。俺は部屋に入り湿らせたタオルで遺体の顔を拭いていた。やっとお釈迦になりやがったかポンコツ。それはふと頭の中に浮かんだ言葉だった。「でかい口をたたくな、お若いの!」俺は手を止めた。確かにそう聞こえた。そしてするするとしゃべり出す。「てめえにはさんざ手こずらせてもらったな。まだあったかいうちにオレのうんこほじくり出して食えや。オレの最後のプレゼントだ、遠慮すんな!」


粗品

進歩する事が良い事だと思ってるやつは必ず挫折を経験する。「ああ女であってくれえ!」バカ工務店の低能の下っ端がでかい声でそうぬかしたのを俺が聞き逃すはずがない。俺は一人しかいない──それは十中八九そういうものだとは思うが──親友にこう言われたんだ、「人と交われ」と。俺はこう言いたかった、「人と交わる事が大事なのはわかった。だが、それを俺に強要するな」と。“粗品”と印刷されたのし紙の付いた食器用洗剤をそこの家の屋根の工事をするから通り道になるんでと言われながら名刺とともに手渡されたくらいで俺がタダで済ませると思ったら大間違いだぜ。まず俺は昨夜開けておいた風呂の窓を朝一で閉めた。風呂に入った次の日は必ずそうした。女だったらいいのにと男である事を侮辱されたのを根に持っているわけじゃない。根に持ってるのは安く見られた事だ。もちろん粗品云々の話じゃない。俺が平日にもかかわらず、連中の都合通りに、ここに存在していた事を、もっと言えばこの家の最高責任者と世帯主と全構成員を俺ただ一人で兼任している事を知られ、貶された事がどんなに屈辱であったか。まあいい。窓は閉める。ある日鉢物に水をやっているとあの低能の下っ端野郎が通り一輪車を押しながら言う。「こんちは」私が根に持ってる感情を声音に乗せるわけがない。若干微笑みさえ浮かべながら言う。「こんにちは」またある日などスーパーからの帰りに小路を歩いていると前方から例の一輪車を押すタコとすれ違う。「こんちは」私はまた作り笑いで言う。「こんにちは」さらに上の離れの軒下のメダカ池にひやひやしながらエサをまいていると、屋根に上がっている連中のうちの一人のジジイが言っている。「ありゃ何の音?──はあはあ金魚のぶくぶくか。えらい近所迷惑じゃのう!」もしかして俺に聞こえるようにわざとでかい声で言いやがったのか? 金魚じゃないメダカだし、第一、屋根の上でエアポンプの音を聴くのはお前らしか居ねえわ。工事は一週間もかかっちゃいない。屋根の葺き替えか、物置部分だけとはいえ儲かってるらしいな。しかしあんな卑俗な連中を雇ったのが運の尽きだ。ここにその粗品が──いまいましいのでのしと名刺はすでに破り捨てたが──まだある。実に有用な食器用洗剤だ。その物置わきの古い側溝はしばらくの間きれいでいい香りがするだろう。床に続く亀裂があったなんて初耳だが、とにかく、人と交わらないとな。


彼女を救え

「人を憎んでいる人を憎んで、結局あなたも人を憎んでいるのです」多くの声が私に言ったので反論した。「そんなことはない。憎むことを憎むのは、そうじゃない世界に行きたがっている証拠だ。現に彼女は前向きに人生を歩もうとしている」「罪深さを認めるのを恐れることこそが前向きでない証拠ですよ。罪を犯していないと言い張ってはぐらかすのは自由だが全部見ているお方がいらっしゃる。それは自分です。自分からは逃れられない」私はなおも反論した。「罪など犯してはいない。少なくとも法に触れるような罪は──」「“嘘つきは泥棒のはじまり”という言葉を知っておいででしょう? 盗みは立派な罪です」「彼女は嘘なんかついてない!」「ほう、共謀罪というのを聞いたことは? 彼女も、そして加担したあなたも同罪です。つながっていた理由が情けであれただの悪ふざけであれ同じこと」「だから罪なんか犯していない!」「いいや、よく聞くでしょう表と裏という概念を。表では罪は犯していないと言い張り、裏ではうまくやり過ごせたことに安堵している。それにたとえ表裏がなくても自覚のあるなしで決まるものです。そう、あなたがそれを罪と認めていないだけ」私はかぶりを振った。「彼女は前向きに生きようとしてる、それのどこがいけないんだ!」「我々が言いたいのはつまり、あなたのこよなく愛している“道”などないということです。前にもないし後ろにもできない。たとえこの世界が決めている“前向きな”人生があってその道を歩んだとしてもそれはもはや幻覚の類です。それともう一つ重要なことはすでに彼女が憎しみを抱いていることです。対象が何であれ、憎しみは憎しみなのです」私は涙ぐみながら問うた。「どうすりゃ、いいんだ?」「手遅れになる前に我々とともに歩む道もありますがしかし、その道ももはや彼女にとって幻覚の類でしょう。すべてを投げ出す覚悟があればあるいは──無理強いはしません。ただ憎しみの感情は未来永劫消えることはないでしょう。たとえ身が滅んでも」「たのむ、何でもする、彼女を救ってくれ!」「あなたには何もできません。我々が何もできないのと同じように」気付くと天井を見ていた。涙が出ていた。布団をはぐり、起き、着替え、洗面所に行き、顔を洗う。それからパソコンの電源を入れ、トイレで用を足した後、コーヒーを入れる。母が死んだ日なみの嫌な朝だったが私は信じていた。必ず救えると。


月曜の夢

私はやっとの思いで紙とペンにありつけたことに心底安堵した。今朝明け方に見た夢のことを書かなきゃならない。なのになんだお前らは? ぼうっとしながらもゴミ出しの日であることを思い出した。くそっ! 部屋のゴミ、台所のゴミ、トイレのゴミを順に黄色い指定ゴミ袋に詰め込む。なんてやぼったいんだこのゴミ袋というやつは。口を結び、つっかけを履き、玄関の鍵を開け、戸を引く。鉢物たちが一斉に私に期待の目を向ける。待て待て。長い小路を抜けてゴミ集積所へゴミを置き引き返す。向かいの家の前を通った時その異臭に気付いた。何か動物が死んで腐ったような鼻をつくにおい。そんなこと知ったことか。じょうろに水を汲んで鉢物に水をやる行為を二回繰り返したあと玄関の鍵を閉め手を洗う。ようやくだ。部屋に戻ると昨日のお茶が入っていたコップの汗。くっそ! それを処理したあとマグカップを持って台所に引き返す。アイスコーヒーを注ぎ、よし! パソコンの電源はさっき入れておいた。すぐソフトを立ち上げる。そして書き始めた。鼻にあの死臭がまとわりついていたがかまわずキーを打った──私がトイレに続く廊下を通ると懐かしい野球部のNとKが何か話し込んでいる。私はそれにかまっているヒマはなかった。膀胱がもうすぐ破裂しますよと訴えていたからだ。トイレに入り用を足そうとブツを引っ張り出したところでNとKが入ってきてNがこう言った。「生徒がいじめを苦に自殺」私は言う。「うちの学校?」「そんなこと関係ない」私は小便が尿道を通る心地よい感覚を感じながらも運よくそれが夢であることに気付いた──小便はいつものように漏れてはいなかったが私はこのことを書くべきだという信念にとらわれたからこうして書いた。ああ! 死臭がまだする。しつこいにおいだった。アイスコーヒーの香りを嗅いでも、カロリーメイトをやっても、その死臭はまとわりついたままだった。私はもしかして私自身が死んでいるのかもと一瞬思った。そんなはずはない、今ゴミ出しをしてきたばかりだし、パソコンのキーを打ってる。なんなんだ、この死臭は? 私は思った。誰かが死んだのだろうと。世界のどこかで誰かが死んだのだろうと。そして祈った。仲の良かった連中じゃありませんようにと。死臭はしばらく鼻の奥に居座ったままだった。それを感じながら私はアイスコーヒーをごくりとやった。冷たくていい味だったが吐き気に負け洗面台にぶちまけた。


ターザンごっこ

大通りを通ればいいのにわざわざ裏道を怪しげな人が原付に乗ってうろついていた。背中に“POLICE”という文字の書かれたチョッキを着ている。なぜ横文字なのかはこの際どうでもいい。川をのぞくと魚影が見えた。所詮水の中からは出られない。出たら死んでしまう。もちろん出る気はなかったがしかしと彼は思い直す。彼らの存在を意識し続けるなんて耐えられない。あくまで自然に、意識しているなんて思わずとも、ご厄介にならないような生き方をすればいい。そうとも、俺は少なくとも魚じゃない。人間だ。しかも賢く真面目で謙虚な人間だ。処方通りの服薬はしているがそれがどうした? 人間誰しも一つや二つ疾患をかかえているものだろう? たとえ健常者でも俺はまともなやつを見たことがない。何かしらおかしい。おかしいのが俺だけじゃないのは確かだ。なぜ態度を急変させたかそんなことこっちの知ったこっちゃない。いや最初から疑われていた。そう、信用されてなかった。ああ、あいつは駄目だってなぐあいに。俺はあの時やけに大きな音が──お寺の鐘のような音だったが──したので怖くなって逃げ帰った。後のことは知らない。あいつはけろっとして学校に来たから大事には至らなかったのだろう。記憶が定かでないが包帯巻いてたっけ? もしそうなら観念していただろう。俺があのことから学んだのは“親しくもないやつに遊び方を教えるな”だった。もっとも俺も遊び方をマスターしていたわけじゃない。ほらよくあるじゃない公園に作られた遊具。子供たちは決して遊び方を心得ているわけじゃない。そうだな、水の中を泳ぐのと一緒だ。いつまで泳いでも水の中では生きられない。それと一緒。常に危険と隣り合わせだし、事後責任を問うたところで失われたものは絶対に返ってこない。危うい所だったなしかし。あいつは知ってたんだろう。“親しくもないやつに遊び方を教わるな”というルールを。だから、だからか、あいつの目が厄介で臭くて汚いものでも見ているかのように死んでいたのは。教えてやってるのになんだよと思ったがまさか金属の電柱に頭を強打するという失態を演じられるとはこっちゃ微塵も想定してなかったもんでね。痛かったろう? その点は謝るよ。彼は川面を見ながら思った。しかしあれでわかったろう? いかれてるのが自分だけじゃないってことが。挨拶もしなければ痛いと言って泣きもしない。俺だって知ってたぜ、お前がいかれてることを。


残された者

秋の夜長、コオロギの鳴く声がうっとうしいと思うようになったのはつい2、3日前からだった。昔、“コオロギ”という苗字の先輩が居た。私はそんな名前あるわけないだろとそのつい2、3日前まで思っていたのだ。パソコンで検索してみると珍しいがれっきとした日本人の姓とのこと。“立派な家”という意味があるらしい。私の記憶が正しければその先輩は山の北側のふもとの日陰に建った家というより納屋みたいな所に住んでいた。誰もが見れば本当にここに人が住んでいるのかと目を疑っただろう。私も中学生の頃そんな家に住んだことがある。日当たりは良かったが半分崩れかけた家だった。あれは初夏だったろうか? 良く晴れた日に軒下に母が植えたアサガオが咲いていて、その根方にカワイイ子犬がたたずんでいるところを本当に幸運にも写真に収めることができた。私が撮った。なぜ撮ったのか今それを考えるとあの時悟っていたのだ、この時は二度と戻らないと。今と同じようなもう晩秋と言っていい頃だった。コオロギのもうじき死ぬからと言わんばかりの元気のない鳴き声が聞こえていたはずだった。しかしその記憶はない。毎年コオロギの鳴き声を聞くとその記憶がないことを思い出す。つまり、私はその時間をおざなりに過ごしていたことになる。初夏には写真に撮るほど大切にしていたのに晩秋にはいい加減にしている。この現象はなぜか私につきまとい破滅へといざなう。それを避けるかのように冬眠をし、そしてまた春を迎える。あのすべてが終わっているにもかかわらず希望を与えてくれる春という季節を。何回目で本当の終わりが来るか、私はそのことを最近よく感じるのだ。溜め息しか出ない。「コオロギよ、どうせ死ぬなら早く死ね」という声が聞こえるようになって、いや正確には聞こえているのではなく世界のあらゆるものから感じ取っているのだが、もう終わっていいのかなと他人事とは思えず弱気になる。あの声さえ聞こえなければと気を強く持とうと思っても聞こえる。どうしようもない。そして私はどうしてもコオロギに責任転嫁してしまうのだ。「黙れ!」夜中にそう叫びたいのをこらえる。犬、猫、ガキ、ババア、ジジイ、それから屋根裏の住人、全員黙れ! そうすれば聞こえる、正しい言葉が。この世界で最も大切で慈愛のこもったかけがえのない尊く清らかな言葉が。愛が残ればいい。アサガオが咲き、子犬が生まれ、彼らを慈しむ存在が残ればいい。


時は過ぎ、心の中でまた──

虫やメダカなどの小さな生き物の命がこんなに無意味だと思ったことはかつてなかった。悪口を言うことが卑しいことだと思うのはお前はそれをしたことがあるのだ。罪悪感にさいなまれ、結局、同類を非難することで自分を赦そうとしている。私がやつらの命を蔑ろにしていることに罪悪感を抱いているか? それこそ無意味な質問だ。誰もがそうすると思いたいが私も最初はご多聞に漏れず小さな命をかわいがった。そう、心の底から。しかしある時点から──出発点は何度も訪れたがその意味はご想像通りだ──私は命というものがどうしてもそんなに重要だとは思えなくなった。卒中で死のうが踏み潰されて死のうが大差ない、そう思うようになった。決して殺人を犯したいわけじゃないが頭の糸が切れているのは確かだった。ただ怖かった。何もかもが死活問題であることに今更気付いたマヌケみたいな気分だった。毎日を捨て鉢な気持ちで過ごした。言い訳したいんじゃない、我が思考過程をよく聞きたまえ。昔、美人が二人居た。いいやことによると三人か四人くらいは居たかもしれないが私はおかずにした。ある時を境にその仲の良かった美人二人が口をきかなくなった。何があったかはまったく知らないがこれだけは言える、お互いに気に食わなかったのだと。私は行為をやめたし、どちらか一方を追いかけることももちろんしなかった。このことから言えることはたった一つ、風呂の湯が出る理由をもう一度よく考えろだ。よく考えてみてほしい。水ではない、“湯”なのだ。考えつくのはせいぜい湯沸かし器のおかげだの、母親が働きに出ていたおかげだのくらいではないか? “命が続いているおかげ”だった。ここでなんだそんなことかと思った野郎はたいてい小さい命なんぞ屁とも思っちゃいないはずだ。私と連中が違うのは命が平等だと信じているかいないかの違いだった。私は生まれてこのかたもちろん前者だったが何度も言ってるようにそうじゃないことに気付いた。命にはサイズや重さがあるばかりか価値のあるなしさえある。自分の命に何の価値もないことにようやく気付いた。いや正確には薄々勘付いてはいたし、この世界のあらゆるものがそう示していることも知ってはいた。だがもし神仏などというもはや滑稽でしかない存在が実在するのなら、その全能の力で母を生き返らせてみろよ! 幸せだった頃に戻してくれよ! ──時は過ぎ、心の中でまたささやく、“愛している”と。


時空を超えたネズミ

腹痛に見舞われるのは明らかだった。私の誕生日に母がパーティー寿司を買ってきてくれた。四人前くらいのセットで実際はチェーン店の安い寿司だから量的に言ってそうでもなかった。私が食べたいと言ったので母はカレンダーにメモまでしてわざわざ買ってきてくれた。当時私には引きこもり癖があり、せっかくの誕生日なら馴染みの回転寿司屋に行ったほうがよっぽどいい思いができたろうに、私は自宅での食事にこだわった。母と二人きりでの誕生日のディナーはそうして決まった。誕生日は──悪用するわけのわからないゲス野郎が存在するというウワサを知っている──暑いと感じる季節の初め頃だったとだけ言っておこう。母と二人で食事をするのは別に初めてのことじゃない。蕎麦屋、うどん屋、例の回転寿司、焼き肉などいろいろ行ったが味の良し悪しはさておき、自宅での食事が一番だった。しかし私はよく原因不明の腹痛そして吐き気に見舞われることが多く、なぜなのかといつも不思議に思っていた。そして原因らしきことをついにつきとめた。ネズミが出るのだ。そこらじゅうをあの不潔極まりない手足で歩き回るのだから。家は古かった。侵入経路がだいたいわかりすべてふさいだ。それが母が亡くなった翌年の初春だった。ネズミとの戦いは壮絶だった。すでに侵入しているやつらを始末せねばならなかった。ある一匹は母のベッドの下で、またある一匹は粘着シートの上でそれぞれ永遠の眠りについていた。いずれも大きいクマネズミだった。しかしあと一匹居るはずだった。気配がするし実際に見た。小さいやつだった。仕留めることができなかったがいつの間にか気配がなくなった。どこかシンクの裏にでも干からびた死体があるのだろう。そう思っていた。ある日車でスーパーに行く途中かつて寿司のチェーン店だった建物の前で信号待ちをしていた時ふとそっちを見ると一匹の小さいネズミの死骸──私がそう断定するのはパーティー寿司を食べた結果が物語っている──が床に転がっていた。上には“テナント募集”の文字。間違いないやつだ。ネズミならどこにでも居るとお考えの方はちょっと考えてみてほしい。私は今でも原因不明の腹痛並びに吐き気に襲われることがある。確かにそれも一理ある。しかし私が最初に発症したのはここに住むようになった頃だからかれこれ十五年くらい経つ。時空を超えたと思うほうが救いがある。とくに母が亡くなった今となっては。


一人旅

何という名前だったか忘れたが──観光案内のパンフレットを見さえすれば必ず思い出せる自信はある──車で行ける橋のかかった島に料理屋があった。当時私は4ストニーハンでツーリングを楽しめるほどの身分だったがその期間は約一年ほどの短いものだった。しかしその間のいろんなところに行った経験はまるで夢のようだった。その店に行ったのもそのうちの一つに過ぎなかった。地図で入念に道順を調べて行った。駐車場にバイクを停め店に入り「こんちは」と私は二度言った。二度目は大きめで。カウンターの向こうで魚をさばいている若旦那が「いらっしゃいませ」と私に挨拶を返して若い女房らしき人に「ほら、お客さんだよ、お茶をお出しして」と言うのが聞こえた。格子状の木に囲まれた席に通される。代わって注文を取りに来たのは年配の女性だった。「じゃあ、名物の穴子重を──」なんでも数量限定らしい。「穴子重ですね」しばらくして若女房らしき人がお重を置く。「写真撮っていいですか?」一応礼儀として私は訊いた。「あ、どうぞ、皆さん撮られますよ」蓋を開けるとご飯の上に焼いた穴子が所狭し。撮り終えた私はぱくつくことに専念した。美味しい。精算を終えトイレを借りたあと、土産物屋の場所を訊く。駐車場のわきだった。二人のおっさんが談笑しながら店番をしていた。粗末な造りだったが一応店の体をなしていてレジも置いてある。私は物色したあと母の喜びそうなジャムだとかハチミツなどを購入した。どこから来たかと訊かれたので正直に答えると聞いたことがないという顔をされた。確かに私の住んでいるのはそれほど有名な町じゃない。駐車場の防波堤の海の向こうに大橋が見えた。また写真を撮った。晩春の陽光に輝く穏やかな海だった。何もかもが私の脳裏に焼き付いた。写真を撮るまでもない。撮る理由があるとしたら誰かにそれを見せる場合だけだ。今ではそれが母のためだったことを今更のように思い返す。母は確かに穴子重を見た。それからあの海と大橋の遠景も。なぜ母の写真を撮らなかったのか? 何もかもが私の脳裏に焼き付いているから十分だとでも? 何年後かにそこに再び行った時、あの人たちが健在であるかどうかはわからない。ただあの晩春の陽光に輝く穏やかな海はあるに違いない。そう思う時、ほんの一瞬だが、みんながそして自分も、まだ元気なのだと感じる。そして、お土産を買わねばならないことを必ず思い出すだろう。


散歩の記憶

まどろみの中で犬が吠えたのを知っていた。近所の無駄吠えするバカ犬どもじゃない。三匹くらいは飼ってる、一匹じゃないのは確か。「禿げてる、カツラだった」「うふふ、あはは!」カツラじゃない当時髪の毛はあった。それにそんなこと関係ないね。とくに心の中で犬が吠えないやつには。星々がどんどん遠ざかっているのを知らないんだろう。あらゆる物質の密度が希薄になっているのも。煙や蒸気のように空気に溶けるように消える。それが死ぬということ。地下のプレートが反発して地震が起こるようにある日突然それが起こるとしたら? 同時に全員が空気に溶けるように消えるとしたら? その時はその時だと、どこまでも生きるはずがないのだと、もう一度確かめることになる。それでもわからないのなら、無意識の中で犬が吠えたことに気付かないのなら、もうどうしようもない。木曜。月曜日にゴミを出し忘れた。朝ゴミ集積所に向かう途中の小路で彼女らに遭遇する。「おはようございます」私は右手から左手に持ち替えたゴミの入った黄色い袋の重みを感じながら律儀に挨拶をする。言ったのか言わなかったのかわからないくらいの曖昧な言葉が返ってきたが通り過ぎた後に彼女らが言った言葉ははっきりしていた。「やっぱり禿げてた」「うふふ、あはは!」私はゴミ集積所にその袋を置くまで我慢したが置いた瞬間爆発した。「そんなこと関係ないじゃないか!」叫んだ声も空気に溶ける。そして希薄になり消える。犬が吠えたのは知ってるんだ、あのバカ犬どもじゃないのも。ある日の朝方また吠え声が聞こえた。横たわって目をつむったまま頭の中で言う。「ボンだろ?」風呂に続く通り道の部屋の使わない水屋の上にある犬の写真──“ボン”だ。それを昨日ちらっと見たのを憶えていた。その前の日も、その前も。「ようし散歩に行こうな」早く行こうと急きたてるボンをリードにつなぎダッシュする。私たちはふわりと空中に浮かび空を駆けた。私たちは朝日にあたるとすうっと空気に溶けるように消えた。何もかもが希薄になり消える。しかしボンと散歩した記憶だけは濃密で空気に溶けることはなかった。ボンの吠え声、あの写真──しばらくはまだ私の中に留まり消えることはない。でも必ず消える。一緒に見た冬の大三角さえもいずれ消える。その時はその時だ、どこまでも生きるはずがない。希薄になりゆく世界で元気な産声が上がる。私も、貴方も、そうして生まれた。


知らせ虫

「本当に賢い人というのは必ず謙遜しますから。それは相手のことを慮っている優しい証拠です」そう、私は今回のことではっきりと悟ったのだ。しかしあの言葉までが謙遜であるはずがない。ただ知らせてくれただけだと思う。私の見聞きしたことは脳内物質がほんのちょっとイタズラをしただけだとでも? 本当に? じゃあ小説か何かだと思えばいいじゃないか。そうすれば冷房の効いた部屋のソファーに寝転んだまま体験することができるし、紫外線の降りそそぐ炎天下にわざわざ家の外に出なくてもいい。でも、あの知らせを聴かないのは人類の損失だ。そう思ったからここに誰かが読んでくれるように書いておくことにしたんだ。

──セミがメダカ池のしばらく水換えしてない緑色の水の中で溺死していた。力尽きて落ちたのか、水の中に落ちたから力尽きたのか、どちらかはわからなかったがとにかく死んでいた。私はその死体の処理をした。網ですくい土の上に落とす。すると蟻がやって来て持っていく。それが必ず蟻の仕業だとは限らなかったが経験上私は何かが死体を持っていくことだけは知っていた。若い女に群がる蟻、いや蟻以下かもしれないが次から次に言い寄ってくる男をさばく若い女の声を聴いていた私は突然舌打ちした。そしてこうつぶやいた。「うるさい女だな」セミはオスが鳴くものと決まっている。求愛の歌。かたやセミなみの人間の女。その亡骸に群がるのは確かに蟻に違いない。たとえそれが蟻じゃなくても持っていかれるのも確かだ。私は自分もその魑魅魍魎の一員であることを知ってはいたが絶対に認めなかった。だって連中とは違うから。どこが違うってまず話しかけない。セミみたいに求愛行動を軽々しく実行しない。いやセミを馬鹿にしているのではない。七年も土の中に居てやっと地上に出て空も飛べるようになったことを一緒に祝ってやりたいくらいだ。バカ騒ぎしたい気持ちもよくわかっているつもりだ。しかし私は違うだろと。人生の折り返し地点に来たおっさんがすることではない。静かに生きることがそんなにいけないことなのか? 全員が全員騒ぎたい低能野郎だと決めつけたいのは企業とかいう利益を上げたいだけの組織の一部の偉い、本当に偉い人たちの考えていることであって私は違う。男のゲベ声なんか聴きたくないんじゃボケ! 「おい女、しゃべり続けろ。まだましだ」静かに大人しく若い女の声をただ聴いているこの私。死にたい。こんなことをしていることを他人に知られるという恥辱を味わうくらいなら自ら入水してやる。真冬、年が明けた2月初旬頃がいい。

あれはちょっと遅過ぎた。葉桜が紅葉を始めるのもまだ先かなという時期にその暗い影を見ながらベンチに仰向けになったところで死ねるはずないじゃないか。そりゃようやく涼しくなってきた時期ではあった。南に向かう飛行機の明滅する赤いランプが星々のまたたきに紛れて見えたのもよく憶えている。あの飛行機の中に搭乗している人たちのことも想像してみた。確かに気は遠くに持っていかれたが夏がとっくに過ぎたはずなのにその山の香りの中でせわしなく鳴く無数のセミの残響と春のうららのたくさんの花見客の残像に叩き起こされた。気付くと静かだった。これはどこかの作家大先生がすでに使っている表現かもしれないが──星のまたたく音が聞こえてきそうなほどだった。そのとき帰ろうと思ったんだ。帰って正解だった。くだらない日常と呪わしい未来が待っていたとしても帰って正解だった。いや正確には正解だったと思いたいだけだ。相変わらずの毎日と呪わしい未来は健在だったし、今や呪いは現実になった。本当に散髪屋に行ってきたみたいにさっぱりキレイになった。生きているからといって、あいつが死んだからといって、素直に喜べない。思うに生きる喜びを感じ取ることができるのは今まさに死に直面している人だけなのではないか? しかもそれはほんのわずかな時間だ。私は死の淵まで行った気になっていたがそれはまったく手ぬるいことだった。本当の死がどういうものかは誰にもわからない。少なくとも生きている者には。

確かにたくさんの死には接してきた。植物、虫、魚、鳥、動物、そして人間。しかし何か学べたかと問われたら私が学んだのは“人前で泣くな”という無味乾燥なルールだけだったと答えるし、実際人の死に接して泣いた人を見たのは母が最後だった。だから、だからこそ私が思う唯一の人間らしい人間が死んでしまったことを私は心の底から悔やんだ。電話口だったが私ははっきり聞いたんだ。母が涙声で「よしおばちゃんが亡くなったんよ」と言ったのを。伯母は子供の頃ふざけ半分の警備員に階段の上から突き落とされたせいで身長が伸びず背が異常に低くていかり肩になってて胸の骨が不自然に突き出ているいわゆる身体障害者だったが障害年金は一切もらっていなかった。そのかわり神仏は存在したと言えるのだろう、かなりの高額の宝くじが当たったらしいといううわさがあった。実際屋根瓦の葺き替えや二階部分の普請をした。ある夏、電力会社の人が領収書の送付先住所を確認しに来たことがあってそれをするには伯母に訊かなければまったくわからないことだったので私は寝たきりになっている伯母を叩き起こして認知症ぎみの脳ミソに向かってがみがみと問い詰めたことがある。ほとんど叱責していたと言っていい。私の罪はまだある。私の部屋にしている離れの普請は伯母の宝くじ云々とはまた別の話だったが母があまりにもうれしそうにするのでつい「まるで自分の部屋みたいに」と私は母に言ってしまった。それは完全に間違いだったし、事実その離れはもともと母が建てたものだった。何十年か経って息子にそう言われるとは思いもしなかっただろう。私が伯母や母への罪悪感にさいなまれるのは当然のことだった。

セミたちが毎年なぜそれを知らせるために鳴くのか、決して求愛の歌などではない、「それは罪だよ」と言っているのだ。伯母の死も母の死もお前のせいだと知らせている。夏だけじゃない冬にも聞こえた。夏ははっきり聞こえるという点では特別だったし、私の頭がいかれていないことを確認できる点でも安堵できたが、「それは罪だよ」と鳴いているように聞こえるのは病気のせいなんかじゃなかった。断じてだ。確かに処方通りの薬をやってはいたがあんなもの気休めに過ぎないし、罪悪感という病気が治るわけでもない。ニイニイゼミはニイニイと鳴く。ツクツクボウシはツクツクボウシと鳴く。ミンミンゼミはミンミンと鳴く。クマゼミはシャアシャアと鳴く。ヒグラシはツツツツと鳴く。アブラゼミは──「それは罪だよ」と鳴く。セミたちの大合唱を聴いていると結局全部「それは罪だよ」に聞こえる。断じて病気のせいなんかじゃないんだ。

私はそれを確かめたかったのか理由ははっきりさせたくないがとにかくまた山へ行った。お盆の頃だったな。山へ行かずとも裏山ではひっきりなしにセミが鳴いていた。しかしどこか遠かった。もっと近くで聴きたいのだ。通販で買ったまだ新品同然の黒いつっかけ、ベージュのチノパン、よれよれのグレーのTシャツにまたベージュのいい感じに汗染みの付いた野球帽、それから仕事で使うからという今では店員に嘘をついたことになるいわくつきの安物の黒縁眼鏡といういでたちで山道を登る。山と言ってもそんなに高い山じゃなく、桜の名所だから道は舗装されている。小石がつっかけと素足の間に入り込んで靴擦れみたいになって血が出たようだ。痛みを感じたがそんなことどうでもいいと言い張れるほどの精神力はまだ保たれていた。さっきからどんどん近づいてくるセミの声。それは例によって「それは罪だよ」としきりに言っていた。緑に囲まれた石敷きの駐車場の中心付近に来た時その声は最高潮に達したように思えた。殴りつける太陽の熱気に流れる汗と足の痛み、それとセミの声がいっしょくたになった時、ふっと恐ろしいくらいに静かになった。さっきまで煩わしかったことがいっぺんに吹き飛んだ。目の前に暗い谷底があるにもかかわらず中空を人が歩いているのだ。ぼんやりした、あれは坂になっているのか、光の道がずうっと上まで続いていた。そこを何人かが連れ立って上を目指して悠然と歩いてゆく。そのうちの一人が振り返ってこちらを向く。母だった。あの見慣れた優しい笑顔で会釈する母。他の人たちもこちらに気付き立ち止まって振り向いた。遠くの地で卒中で亡くなった伯父に、インフルエンザみたいな原因不明の症状で亡くなった伯母、心臓の弁が馬鹿になって亡くなった身体障害者だった伯母、それからもっと向こうを歩いているのは癌で夭折した伯父と八人の子を育て上げた祖父母ではないか? 伯父はいつものように手術痕を隠すために新調した格好のよいカツラをかぶっていてあの人懐っこい笑顔でたぶん私の名前を呼んだのだろう両手を挙げて勢いよく振った。伯母二人も笑顔でこちらを見ている。そしてまたみんな他の人の大きい流れに紛れてどんどん上を目指して歩いてゆく。時は止まっていなかった。止まっているのは煩わしかったこととセミの声だけだったと思う。とにかく静かだった。私はそうする前に裸足になるのが常識だった頃のことをなぜか思い出し、使わないせいで新しく見えるつっかけを脱ぎ捨て、そこを目指して走り出した。石敷きの地面にはさすがに苦汁を飲まされるかと思われたが新しく張り替えられたフローリング床みたいに足裏の感触はむしろ快適だった。そして叫ぶ。「待ってみんな!」かつてビリではあったが陸上部の短距離走者だったのだ。追いつける自信はあった。「待って!」私の体は意に反してゆるやかな斜面を転げ落ちた。煩わしいこともセミの声もいっぺんに戻ってきた。セミたちはなおもこう言っている。「それは罪だよ」と。──私は汗か鼻水か涙か区別のつかないものが顔にまとわりつくのを感じながら今落ちてきた斜面を上がった。ズボンには緑色の跡が付いていたし、腕には擦り傷ができていた。眼鏡は店員に言った通り仕事で使ったみたいにレンズに土が付いていたが外れなかったし、運よくあの野球帽も草むらの中でバッタの束の間の休憩所になっているところを発見することができた。つっかけはそこがスタート地点だとわかるところに転がっていた。

思い出はこうして作るもんだ。もう少しで行けそうなところまで行ってみなきゃなあ。たとえそれで命が失われようとも誰も文句は言わねえさ。その可能性は限りなく低かったが、いやまったくないと言ってもいいがもし私に子供ができたらそう教えてやるつもりだ。私は思い直す。なあに、別に自分の子供じゃなくたっていい。少なくとも私があの坂の上に行ってもまだしばらくは人間の世は続くはずだから。


お盆の夜

私はコンビニに行くことにした。夜8時。外は真っ暗だったが何のことはない。今日がお盆であることを除いて。そしてあれ以来幽霊的なものを今まで以上に、いや今までなんて比べ物にならないくらいに強く信じたかった。道筋の右手に墓場があった。ほらほら何か見えるはずだ。期待を込めて見たが触ったらひんやりしそうな墓石が見えただけだった。帰りにまたよく見たが同じだった。ただ線香のにおいだけがぷうんと漂っていた。少しは不思議なものでも見えたらどうなんだ! 前から背広を着たサラリーマンふうの男が歩いてくる。お、幽霊か? 足元を見ろ。幽霊なら影がない。え? まさか! 影がない。私はすれ違った男を振り返って見る勇気はなかった。その男の居た地方銀行の明るい外灯の前を通る。路面を見ると自分にも影がなかった。なあんだ、光が強過ぎたんだ。他に見た人と言えば後ろから来た3台のバイクで明らかにヤンキーふうのやつら、コンビニ前で母と息子なのか車のタイヤを訝しげにあれこれ言いながら見ている二人、コンビニの店員二人。あとはコンビニの駐車場に止まっている車があの一台だけだったのを横切りながら「けっ、どうにかしろよ、このど田舎」と私がつぶやいた声が夜風とともに消え入ったくらいだ。幽霊と結びつきそうなものは何一つなかった。しかしあの線香のにおいだけはどうしても好きになれない。死を連想させるからだ。しかもけっこう強くて服に付く。私が死ぬ前には線香だけはあげるなよと忠告するだろう。家に帰りつくと玄関灯がついてない。出入り口に花束やら缶ビールやらが置いてある。誰だこんな悪戯をするのは? 鍵を開け部屋に入る。買ってきたビールと枝豆をやる。何気にテレビを付けたが見る気はなかった。小説の続きに取りかかる。片手で一つずつパソコンのキーを打つのがもどかしかったが枝豆をやっとの思いで食べ終わり、両手が自由になって勢いよく打ち始める。でもなんかおかしかった。キーボードに手の影が落ちてない。私は立ち上がって見た。後ろに伸びるはずの影がない。この現象はさっきもあったじゃないか、光が強過ぎるんだ。この部屋の電灯は最新式でLEDなんだ。普通の電灯より光が強い。光が強いから影が映らない。どこかでそんな法則習ったっけとちょっと疑問に思ったがそんなことどうでもいい。線香のにおいがする。シャワーでも浴びてこよう。さっき見た人たちが幽霊なわけない。そして自分も。


盆踊り

「ああ、とおくに田植えが済んだで、盆来た、ジジババ帰るで、秋には稲刈るでえ、ちょいやさあのせえ、ええ、ちょいやさのせ!」──あの盆踊りの歌の歌詞がこうだったかどうかは今となっては想像することしかできない。盆踊りか──自立という言葉の英訳がインディペンデンスだという余計なことを教えてくれたのは卒中で死んだ母方の伯父だったがそれよりもずっと前にあのたくさん並んだぼんやり光る提灯と太鼓の心地よくてかっこいいリズム、それからじっちゃんの渋い声に心酔していた頃に学んだことのほうがはるかに重要だと私は思う。そうとも、当然だ。ちょこまかとあちこち走り回るガキどもがまともに踊りを憶えるわけない。そんなことを当時の大人たちが思っていなかったから私は今でもちょちょんがちょんくらいはできるのだ。それにあのメロディーもはっきり憶えてる。あの渋い声のじっちゃんとっくに死んでるよな──。帰ってくるのは間違いなかった。憶えている者が居る限り。私も憶えてるし、身内の人が忘れているはずがない。なぜか数少ない同級生が踊っていなかった記憶があるが私は踊りたかった。私は女子供に紛れて踊るのがそんなに下卑たことだとは思わなかった。とにかく踊りたかった。それに祖父母が見ていたんだぜ。孫の元気な姿を見せてあげないと。うちの祖父母だけじゃなかった。Sちゃんのおばあちゃん、Aくんのおじいちゃん、ジジババだけじゃない、今水から上がってきたらしい人や、なぜか知らないが黒焦げの人、軍服の人も居たな、みんな楽しそうに私たちが踊るのを見てたっけ。私はまるでミュージカルの舞台俳優やフィギュアスケートの選手みたいにみんなの注目する前で踊れるのがとても光栄だった。あれはまさに「となりのトトロ」の歌詞にあるように子供の時にだけ訪れる魔法の時間だった。今? 今盆踊りになんか行ったって面白いわけないだろう。観衆が見えないんだから。心臓疾患で入院していた母方の伯母が死ぬ直前にそこに人が居るだろうと言い出したことがあった。つまり私が言いたいのは私が次に観衆を見ることになるのは死ぬ直前ということだ。私は歓喜して踊りだすだろうし、メロディーだけじゃなくちゃんとした歌詞もあの渋い声のじっちゃんに教えてもらえる。子供たちよ、その時になって踊り方を憶えてないなんて大人として恥ずかしいことだ。今のうちに憶えておくんだぞ。それが自立というものなんだから。


彼の弱み

ワイパーの反復運動に負けじと彼の頭の中ではこのフレーズが繰り返されていた。“男にとって女に弱みを握られるほど屈辱的なことはない”「見えない!」見えるはずがない、ないのだから。彼が沢に向かって小便をした後、同じく沢に向かって──この場合“向かって”と言っていいのか判断しかねるが──小便をする彼女の顔は紅潮していた。「僕は見せたのに卑怯だぞ」あのせいかどうか、いや確実にあのせいだと思うが卒業式の日に彼女は恒例の握手をしてくれなかった。あれは小学生の時だぞ。なぜ今更思い出す? 彼は採血ルームで差し出した右手から針の感覚がなくなったのを見計らって女性看護師さんに言った。「食生活が偏ってるから結果が悪いでしょうね」「結果はいいでしょうけど他の所が心配ですね」他の所って? まさか! 彼はその提案を却下した。薬局で薬の入ったビニール袋を手にしながら女性薬剤師さんの話を丹念に聴いていると「──お薬飲み忘れとか余ってませんか?」と言われた。「余ってると言うか予備はありますね」彼女は言う。「たまってませんか?」彼は一瞬いやほんの瞬きをするよりも短い間脳裏を変な妄想がよぎったが「たまってません」ととっさに言ってありがとうと言うのを忘れていたことに運よく気付き後ろ手にそう言って自動ドアをくぐった。もうみんなやめてくれ、たのむ! 業務用スーパーに入りパスタ周辺を物色しようと奥に行く途上、ケツを突き出して品出しをする若い女性店員の後ろを彼はそっちの方向の側の顔に片手の手のひらを衝立のように当て頭の中で何度もこう唱えた。“見てない!”そう言えばさっき診察室の横を通った時彼は彼が通り過ぎるのを「お大事になさいませ」と言いながら待っている若い受付嬢の下半身しか見てなかったことを思い出した。断じて黒い靴下の膝下しか見えなかった。それと靴。そのことに気付かれたか? いや大丈夫だ、たぶん。今度はビールを買うために自宅近くのスーパーによった時レジの若い女性店員にカード払いの旨を伝えると「入ってません」と言われ、彼はまただと思った。ちくしょう! 何度も何度も! ここはうろたえず冷静に。「じゃあ、これチャージで」彼はけしからん妄想をしながら3千円を差し出す。もう! 彼が多くの女性に弱みを握られているのは間違いなかった。たのむ、やめてくれ、お願いだ。世の中にはもっと卑劣な男が居るはずだ。それに比べれば俺なんて──だからお願いだ。


潮風

彼は火曜のスーパーの特売日の帰りに駐車場で涙が──今のところ原因は定かでないが──じんわりと目に滲むのを感じたことがすんでのところでどこかへ吹っ飛びそうになるのを何とか持ちこたえた。突然の来訪者。電気メーターの交換とのこと。思うにあの涙はレジで「箸はどうされますか?」と訊かれて準備していた通り「一膳ください」と言ったのが自分が言ったにもかかわらず「一善ください」に聞こえたからなのか? 他に理由を挙げれば墓地清掃だの、家の老朽化だの、下水道工事だのといったことらしいがどれも的を射ていない。言うとすれば何とも言えない“虚しさ”その一語に尽きるのではないか? 帰りの車中カーステレオはかけなかったし、車体のあちこちにクモの巣が張り巡らされていることにも無関心だったし、駐車場を吹きすさぶやや磯の香りのする生暖かい風を何とも思わなかった。それなのに自分の目を気遣ってサプリメントを試しに購入し読書を快適にしたいと思っていることがなんだか虚しく思えて仕方なかった。だだっぴろい家の中に美女をはべらせるとかいう馬鹿げた妄想を抱いては却下し、コンビニか薬局のねえちゃんにとにかく声をかけて仲良くなろうという妄想も却下した。「前にも来ちゃった思うんですが古いですか?」「あれは向こうの棟だと思いますよ、30年になってるから」「ああそうですか、はい」「もう電気止めてもいいですか?」「はい、どうぞ」──おそらく5分もかかってない。「終わりました、これ控えになりますんで。どうもありがとうございました」「こちらこそ、ありがとうございました」必要以上に礼を言う必要はないがだって律儀なのは真面目な人の常じゃないですか。真面目だと思われたいんじゃない真面目だと思いたいんだ、自分が自分のことを。そのことが彼をこの世につなぎとめている唯一の理由だと言ってもいい。そりゃ虚しいもんさ。誰も気付いてくれないし顧みない。だから涙の一滴や二滴出てもおかしくないのさ。しかし彼はやめる気はなかった。彼を彼たらしめているのはまぎれもなく自分が真面目であるという認識であり、スーパーの特売日に潜入することは誰もがやっていることで卑しくなんかない。彼は何気ない街の風景に溶け込みながら潮風を感じた。たとえそれが車の送風口から出るクーラーの無臭の風だったとしても懐かしい磯の香りを感じた。それがついさっきのことだったのももちろん忘れなかった。


これらの物語はフィクションです。
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