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既刊「千代見草」に収録




「ちょっと来てくれる?」
 と、俺はいつもやさしく声をかける。要するに俺は保安員なのだ。本屋の中を巡回し、商品をレジに持っていかずに持ち出さそうとするかわいそうなやつらを職員用の狭い休憩室に連れて行き、店長を呼び、問いただし、専用の用紙に名前や住所、連絡先を書かせ、家族を呼び、場合によっては警察を呼び、もう二度とするなよと言って帰す。この仕事を続けてもう二、三年になる。社会の悪を正しているのだから、そりゃ、気分がいいさ。万引きをするやつってのは間違いなく心に闇があるんだ。暗黒面がね。それを完全に浄化させているかどうかはわからないが、とにかく俺はこの仕事に誇りを持っていると言っても誰もとがめはしないだろう。
「二度とするなよ」

 ある日、いつものように巡回をしていると店長に呼び出された。
「がんばってくれてるんだけどね、必ずいくつかの商品が消えてるんだよ。煙のようにね」
「すみません、もっとがんばります」と俺。
「ちょっと、これを見てくれる?」
「はい」
 店長は小さなモニターの電源を入れる。そして、ビデオを再生した。要するに防犯カメラの映像だ。
「これ、こいつ」
 モニターには若い男がうしろ向きに映っていた。
「よく見て、もうすぐだ。──ほら」
「ほらって、何がですか?」
「よく見てよ」
 店長はビデオを巻き戻し、さっきのシーンを再生した。
 その若い男は棚から取った本を右手で顔のところに持っていき、次の瞬間には右手には何もなかった。
「え?」
「ね? 変だろ? よく見るとほっぺたが本の大きさに膨れてるんだよ」
「ってことは?」
「食べたんだよ」
「──て、店長、冗談は──」
「じゃ、この映像をどう見ればいいんだ? 私だってばかげてると思うよ。しかし、これは──」
「わかりました。常習犯ならいずれ捕まりますよ」
「商品が消えてるのは絶対こいつのせいだ。幽霊とか妖怪のたぐいだったら、いいところを知ってる。とにかく、こいつを捕まえてくれ」
「了解」

 それから数日後のことだった。俺はある若い男をマークしていた。万引きするやつってのは、一種のにおいを発している。俺はそれをかぎわける優秀な犬ってわけだ。そして、本を手に取るところまでは確実に見た。すると、若い男はちょうど俺とは反対の方向へ、つまり、うしろ向きになった。バッグは持ってないから、服の中に入れるのだと思った。
 その若い男は顔の前に本を持っていった。まさかな。もしそうだったら、しゃしゃり出るのは今だ。
「おい、おまえ!」
 若い男はすばやく、爬虫類的な身のこなしでこちらを向いた。ちょうど、ごくりとやったところだった。
「おまえは──」
 その若い男はきびすをかえすと逃げ出した。
「おい、待て!」
 俺は本屋を出て、街にくりだし、そいつを追った。
 そいつは高い建物の間にはさまれた薄暗い路地に入り、その先にある薄汚いぼろいアパートの階段を上がり、二階のとある部屋に入った。別にここまで追う必要はなかったのだが、俺は何かを察知していた。動物的超自然的第六感的な勘が働いたのかもしれない。
 俺はノックして言う。
「こんにちは」
「はい」
 戸を開けて出てきたのは、こんなところに似つかわしくない、美人の若い娘だった。物腰からして真面目そうだ。長い黒髪がそれを物語っている。いかん、俺は犬ではないのだ。さっき、優秀な犬と言ったのは撤回する。優秀な人間。
「男が居ますよね?」と俺。
「失礼ですね。私にはボーイフレンドは居ませんよ」と若い娘は少しも頬を紅潮させることなく言った。
 この娘、真面目そうだがユーモアのセンスはあるらしい。
「いや、その、さっき本を盗んだ男がここに入ったのを見たもので。俺、保安員なんです」
「そうですか。見間違いじゃないですか? なんだったら、部屋の中を調べてもらってもかまいませんよ」
「いや、失礼しました。そういう意味じゃないんですよ。お邪魔しました」
 バカか俺は。心臓がドキドキ言っていやがる。だから、犬じゃないんだよ、俺は。

 それから、数日して、またあいつが本屋に現れた。デジャブかと思うほどの追跡劇。俺はまた、あのぼろアパートのあの娘の部屋の前に来た。俺は少し躊躇した。なんて説明すればいい? しかし、俺は確かに見たんだ。あの若い男がこの部屋に入るのを。俺はノックし言った。
「こんにちは」
「はい」
 こないだの美人の若い娘。何も変わっちゃいない。
「あ、この前の。なんですか今度は?」
「やっぱり、部屋の中を見させてください」
「いいですよ。どうぞ」
 例の俺は犬かもしれないという疑問を、俺は押し殺していた。俺は優秀な人間なんだ。若い女の部屋に入ったからって、それがどうかしたか? 犯人が居るかもしれないんだ。それを確かめるためなんだ。他に目的はない。
 この美人の若い娘の部屋はいたって整頓されていた。几帳面らしい。押入れを開けてみたが、あいつの姿はなかったし、他に隠れられるようなところはなかった。俺の目にとまったのは、机の上の書きかけの原稿だった。
「小説でも書いていらっしゃるんですか?」
「ええ」
「どんなジャンルの?」
「ジャンルはとくに決まってないんです。子供たちに夢や希望を与えられるような、そんな物語が書ければいいなって思ってるんです。だから、まあ、しいて言えばSFとか、ファンタジーってことになりますね」
「へえ。──目的の男は居ないみたいですね。やっぱり勘違いだったのかな。とにかく、お邪魔して申し訳ありませんでした」
「したいことはそれだけかい、保安員のコマイヌさん?」
 突然、男の声がした。この娘が言ったように聞こえた。
「え?」
「アハ、何か聞こえました? って、聞こえましたよね」と娘。
「まさか──」
「そう、男は私の中に居るんです。頭の中に」
「そんなバカな」
「ときどき街に出て悪さをするんです。そのう、物語を食べるんですよ。たぶん、私の嫉妬する心が生み出した幻だと思います」
「幻って、現に本がなくなってる」
「そうなんですか? 私にはどうしようもありません。もう、帰ってくれます?」

 数日後、本屋にまたあの若い男が現れた。俺は知らんふりを決めこみ、店長に相談した。
「そうなのか。──よし、あれを君にあげるよ。その娘さんに持っていってあげるといい。たしかここに、あ、あったあった。はい」
 店長がポケットから出したのは、何の変哲もない石だった。
「なんですか、これ?」と言って俺はそれを受け取る。
「仏の涙と言ってね、すごい力がある。お守りみたいなものだよ」
「ほとけの? これをどうすればいいんですか?」
「そうだな、その娘さんの部屋の中のどこでもいいから置いておけばいい。私もどうなるかわからない」
「わかりました」

俺はまたあの美人の若い娘の部屋に行った。外はざあざあ雨が降っていた。
「また、あなたですか?」と娘。
「惚れたって言ってよ、保安員のコマイヌさん」とあの男の声。
「あ、また。とにかく私はひとりになりたいんです。そう、文字通りひとりに」
「どうなるかわからないけど、何かの解決になるんじゃないかと思って」と俺はポケットから例の石を取り出して娘に見せた。
「なんですか、それ?」
「仏の涙です」
「ほとけの?」
「お守りみたいなものです」

 俺は娘の部屋に入り、部屋の中心に石を置き、見守った。どこかから、ぱちんぱちんという音がしていた。まだ雨が降っているらしい。俺たちは石を真ん中に向かい合わせに体操座りをして、石を見ていた。
「何が起こるんですか?」と娘。
「わからない」と俺。
「私、怖い」
 俺は娘の隣に座り、肩に手をそっとかけた。自然にそうしただけだ。下心ではない。言わば、他を思いやる気持ちが自然にあらわれただけだ。冗談でも、美談でもない。ごく自然に。
「大丈夫。この石が守ってくれる」
 俺は俺も君を守ってあげるという気持ちを言葉にしなかった。安っぽい恋愛ドラマの見過ぎだろ、と言われはしないかという恐怖があったからではない。内に秘めたほうが力が強くなる気がしたんだ。何かえたいのしれない怪物を打ち負かす力がね。
「もっと強く抱いてよ。保安員のコマイヌさん」とあの男の声。
「闘うんだ。あんな男に負けるな」と俺。
 突然、娘はせきこみだし、四つん這いになったかと思うと、口からタールのように黒いものを吐き出した。それは動いている。
「なんだこれは?」
 それはみるみる成長して、あの若い男の姿になった。黒いままだ。俺はうつぶせに倒れた娘を抱き起こし、上体を起こしてやった。
「大丈夫?」と俺は娘に言い、次にその黒い若い男に向かって言った。「おまえはなんなんだ?」
「オレか? オレは物語を食らう。おまえらガキの頃に読んだ物語を憶えてるか? 忘れただろ? なんでか教えてやろうか? オレが食っちまったからだよ、フヘヘ。一つ残らずな」と黒い若い男。
「なんでそんなことをする?」と俺。
「なんでかって? そりゃ、ガキどもの夢や希望がこの上なくおいしいからだ。そして、おまえらはくだらない大人になる。フヘヘ、そして世界は混沌へ帰る。オレたちの世界にな」と黒い若い男。
「そんなことはさせない!」と娘は言って、仏の涙──例のなんの変哲もない石を拾い上げ、その黒い若い男に向かって投げつけた。
 黒い若い男に石は輝きながらめりこんでいった。黒い若い男はものすごいうめき声をあげている。黒い若い男には黒い翼がはえ、ヤギのような角がはえ、体は妖獣のように醜くなったように見えた。そのとたん、体の中にめりこんでいたあの石がはじけたのだと思う。光の粒子と黒い粒子が混ざり合ったものが部屋じゅうに飛び散って消えたように見えた。あの黒い若い男はあとかたもなく消え去った。そのかわり、本の山が現れた。
 雨はやんだらしい。

 俺はいまだに保安員の仕事を続けている。あんなことがあってから、俺の中で仕事に対する情熱みたいなものの意味が変わったように思う。子供の頃に読んだ物語の記憶はすでにない。でも、いつだって読むことができるじゃないか。それに、俺はあの美人の若い娘のつくる物語の最初の読者になることになったんだ。



この物語はフィクションです。
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