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第一章 宇宙海賊の娘
第二章 浮かばれない作家
第三章 再会
第四章 快適な場所
第五章 冒険の旅へ
第六章 白い蝶
第七章 月での話
第八章 私の過去

第九章 物語と現実の狭間




第一章 宇宙海賊の娘

 僕は受験生。学校が用意した巨大で豪華なシャトル宇宙船で、受験地である火星へ向かっている最中なんだ。船内はじつに快適だった。旅も順調。ただひとつ、気がかりなのは、仲のいい二人の友人たちと今険悪な関係になってしまっているということ。船内でその二人を見かけるが、二人とも僕を一見するだけで、声をかけてこないばかりか笑顔さえ見せない。二人が志望している学校を僕が嘲笑したというかどで、僕は仲間はずれにされているのだ。言っておくが、僕がそんなことをしたことは絶対にないと断言できるし、友達を嘲弄し、誹謗中傷するなんて習慣は憎んでさえいる。要するに、いわれのない誤解なんだ。いや、いわれがないと言うのは僕のほうの誤解かもしれない。“仲良し三人組”とか、“三羽がらす”とか、“荒野の三人”、“三匹が斬る”とかいろいろと他の連中から揶揄されるくらい、仲が良かったというのに。どうしてなんだ? ──僕は受験を憎み、そこに追いこんだ学校を憎み、それをつくった社会を憎んだ。僕らの友情を壊したあらゆるものを憎んだ。本末転倒もいいとこだ。つまり、学校は友情を育むところであり、けっして友情の“ゆ”の字のかけらもない、くだらない社会人を製造する工場ではないはずだ。
 僕は自分の部屋の大きな窓から、ひじを窓枠に、あごに手を当て、天の川を眺めていた。鬼ごっこをしているような二つの動く星も見えた。他の宇宙船らしい。たしかに、天の川はミルクが流れたあとに見えなくもない。誰も銀河を横から見ているのだとは、想像できないのではないだろうか? それは難しい意味の単語、例えば“止揚”などという言葉の意味が辞書を引かないと想像すらできないのと、たぶん同じことなのだろう。いや、僕は私はできると言う人が居たら、その人は意識力のある人だ。想像力が強いと言い換えることもできる。将来、学者になれるかもしれない。ただ、大人になってもまだそんな意識力だの、想像力だのといったものが重要だと考えるのはやめたほうがいいだろう。この世界では、大人はロボットなんだから。せっせとカネを稼ぐロボット。僕はそんな大人になりたくない。心底、カネを憎んでる。まあ、それも今のうちだろうな。状況が変われば、考えも変わる。どうせ、そういうもんだよ、人間って。
 にしても、やかましいな。さっきから、わいわいがやがやとトランプ遊びで盛り上がっていやがる。連中とは仲が悪いわけでもいいわけでもない。ただのクラスメイトであり、今はルームメイトなんだ。「トランプは黙ってやるもんだろうが」と言いはしないが、僕はそういう目で連中を一見してやった。すると、そのうちの一人、リーダー格のラーが目ざとくそれを見つけて言いやがった。
「おやおや、ヨアヒム先生が仲間に入れてくれって、おっしゃってるぜ」
 そう、僕の名前はヨアヒム。そのあとに“先生”と付けているのはもちろん僕を嘲弄して言っているのだ。他の連中は僕に気を使っているのか、あまり大仰には笑わない。それが一番僕の胸をしめつけた。僕は黙ってその部屋を出た。
「いづこへ? ウヒャヒャ、クォ、ヴァディスってか!」と言うラーの声がうしろで聞こえた。
 僕は船内を見学することにした。
 ある大きな部屋の前を通りかかると女子が風呂上りのシャンプーのにおいをぷんぷんさせて、なにやらやっている。ここは洗濯室のようだ。「いっけねえ」と僕は思い、少し顔を紅潮させて、そそくさとそこを通り過ぎようとした。
「あら、ヨアヒム君。男子のシャワーの時間はまだよ。それとも、私たちの裸が見たいの?」
 と、言ったのは僕によく声をかけてくる眼鏡の女子、カデリだった。他の女子はひそひそと笑ったりしている。僕は黙って、いっそう顔を紅潮させてしまった。僕は、鏡があるわけではないのにみるみる顔が赤くなっているであろうことが手に取るようにわかった。
「ごめん、冗談よ。あなたも、冗談がわかる人になりなさいよ」とカデリ。
 それはもっともだった。冗談を冗談と認識するか、それとも自分に対する敵意なのかを判断することは重要だ。後者を選択した場合、僕は呪いをかけられたような人生を歩むことになる。僕は手でわかったという合図をして、今度こそそそくさと通り過ぎた。
 通路で、僕と同じにおいのするやつら──つまり、心に影のあるやつら──と二人ほどすれ違った。目的は僕と同じだろう。要するに部屋の中に居たくないのだ。
 僕はホールに降りるエスカレーターに乗った。エスカレーターって上に上がる場合の名称であって、下に下りる場合は違うんじゃないのか? と、バカな疑問で頭がいっぱいの、そのときだった。
《ドーン!》という衝撃。
 僕は手すりにつかまった。小惑星にでもぶつかったのか? 僕はエスカレーターを下まで下り、上を見上げた。見たことのないやつ──ぼろを着た娘──が、旧世紀のペルシャという国の戦士が使っていたという湾曲した片刃の剣シャムシールに似たものを持ち、ものすごい勢いでエスカレーターをどたどたと下りてきた。そのうしろに六、七人の、これまたわけのわからない服装の怪しいやつらが、手に西洋の両刃の剣に似たものを持って追いかけてきている。
「へ?」と僕は目を疑った。
 そいつはエスカレーターを半分まで下りると、ジャンプして空中で一回転して僕の上にけつから落ちてきやがったんだ。とんだ災難だ。剣を持ってるから危ないのなんの。下をよく見て跳べ! ──と、僕はまたバカなことを考えた。そんなことを言ってる場合か?
「なに、あんた?」とその娘。
「君こそ、なんだよ!」と僕。
「まあ、いいわ。これを」とその娘は美しい金属の装飾の付いた小さな石ころを僕の胸ポケットに入れた。
 ほどなく、その怪しいやつらがエスカレーターをどたどたと下りてくる。娘はそちらのほうを一見して、ホールにある簡易転送装置に入り、スイッチを入れた。瞬時にその娘の姿は消えてしまった。
「どけ!」と言って、その怪しいやつらの一人が上体を起こしてぼうっとしている僕を蹴飛ばした。二次災害ってやつ?
 それから僕は──



第二章 浮かばれない作家

「だめだ!」と私はつい声に出し、マウスを画面に投げつけた。これと同じ物語を本か映画で見たことがある。要するにパクリだ。パクリとはつまり、盗作のことだ。言い方を換えれば、「犯罪」。そんな物語が実際にあることを知らないで、偶然同じような物語が出来上がるってことはないんだろうか? 物語は想像やひらめきによって、つくられる。想像は連想という言葉があるように、何か記憶していることを素になされるものだろ? だとしたら、想像にもとづいて作られた物語はすべて盗作ということになる。ひらめきの場合はどうか? ひらめきは完全なるオリジナルと言っていいのではないだろうか? しかし、ひらめいたからって、それがまったく記憶にもとづいていないと言い切れるか? ちょっと、意味が違うかもしれないが、神が天地を創造なさったのは記憶にもとづいていたのか? とすると、この地球と同じ星が他にもあったということになる。これも何かのSF小説で読んだことがあるから思いついたのかもしれないが──ご存知のとおり、生命の居る地球のような惑星はいまだ見つかっていない。将来、見つかるかもしれない。だが、今のところ言えるのは、神は想像によって天地を創造されたのではなく、文字通り、“創造”なさったのだ。
その意味で、私は神にならねばならない。物書きで食っていきたければだ。私はファンタジー系の話が好きだ。不思議なことが好きなのだ。だから、自分もそういうものを書きたい。しかし、小説や映画のワンシーンが頭から離れないのだ。何か思いついたとしたら、必ずそれは模倣であり、何かの二番煎じ。物書きは小説を読んだり、映画を観たりしてはいけないのだろうか? 必ずその記憶が頭の中に残っていて、創作を邪魔する。
いっそ、そういうものがまったくない所へ行ってしまおうか? そして、何もかも忘れて──。そうしないと、このままでは食いっぱぐれて、路頭に迷うことになる。私は拝金主義では決してないし、経済とかいうものにも嫌悪感を抱いている。考えてみたまえ、世の中で起こっていることのすべてが、カネのためなんだと。──歯ぎしりしたくならないかい? もし、そうであれば、あなたの精神は健全で、まともな心を持っていると言える。いや、断言できる。──はは、しかし、浮かばれない無名で貧乏な自称作家にそんなことを言われても、うれしくもなんともないことだろう。そういうことは容易に想像できるのだ。
 私は心が無になれる場所を探した。



第三章 再会

 僕とその宇宙海賊の娘が再会するのは時間の問題だった。空間的な隔たりはまったくなかったかのようだ。
僕は受験旅行を終えて、地球に帰ってきた。学校では投げやりな空気が漂っていた。もうすぐこの学校を卒業するのだから、という理由だろう。僕も試験の結果よりも、この空気の中でいかに身を処すかということだけに意識が集中されていた。例の二人とも、いまだに言葉を交わすことができないでいた。
そんなつかの間の時間が流れていた、ある日のこと。転校生がうちのクラスに入ってきたのだ。それが例の宇宙海賊の娘だったというわけ。
 僕は先生に連れられて教室に入ってきた女子を見て、目を大きく見開き、口をぽかんと開けてしまった。
「えー、ティアナさんです。短い間ですが、皆さん仲良くしてあげてください。さ、ティアナさん自己紹介を」と先生。
「名前はティアナ。どうせすぐ別れるんだから、仲良くしなくていいよ」とティアナ。
 教室全体がざわついた。テレビの砂嵐よりも耳障りだ。ティアナは僕の顔を見て、軽くウィンクした。おいおい、できてると思われたらどうしてくれるんだ。さいわい、それは誰にも気付かれなかった。
「席はそうだな──ヨアヒム君、ちょっとティアナさんと一緒に物置に言って、机と椅子を持ってきてくれませんか? 授業はあなたたちが帰ってきてから始めますから」と先生。
「あ、はい」と僕は返事して席を立ったが、なんでまたどうして僕なんだ?
 僕は物置まで、ティアナを連れて行った。道中、ティアナは一言もしゃべらない。僕も別に話すほどのことはなかったと言えばうそだが、こっちから話しかけるのもなんだしとか、ほとんどパニックに近い精神状態だった。物置の戸がうしろでばたんと閉まる音がしたので、振り向くと、ティアナが戸によっかかって僕をじろじろと眺めている。
「なに?」と僕。
「なにじゃない。出しな」とティアナ。
「なんのこと?」と僕。
「てめえ、とぼける気かよ」とティアナは顔に似合わず、ドスの効いた言葉を。「早く出せ」
「もしかして、あの石ころ?」と僕。
「てめえ、カマトトぶるんじゃねえよ。あれはエネルギー結晶体だ。全宇宙の半分くらいのエネルギーのな。どこへやった?」
「あれはたしか、便器に流したような」と僕は実際カマトトぶってみた。
 ティアナは僕の前までつかつかと来て、僕の襟首をつかんだ。
「てめえ、うそだったらチンポむしり取るぞ」とティアナ。
「わかったよ、そんなに大事なものなの?」
「なんにも知らないんだな。ま、当然か。あれはあたしがミュルミドン人からかっぱらってやったお宝なんだよ。あのときは仕方なく、おまえのポケットに隠した。あれはあたしのもんなんだ。返せ」
「わかった。カバンにキーホルダーにして付けてるんだ。教室にあるよ」
 ティアナは僕の襟首から手を離した。
 僕は机を、ティアナは椅子をそれぞれ持って、教室に戻った。先生は職員室に戻っているようだ。ざわついている。
「やけに遅かったじゃねえか。物置でいちゃついてたのか?」とラーがにやつきながら言う。
 僕はちょっと顔を紅潮させてしまった。また、それが自分でもわかった。鏡がないのに。
「おおっと、図星らしいぜ、ハッハッハ」
 そのとき、ティアナがラーの机の前に行き、思い切り机を蹴飛ばした。
「てめえ、出遅れた新入りのくせにやりやがるじゃねえか!」とラーは立ち上がる。
 そこへ、先生が再び登場。
「はいはい、皆さんお静かに、席について。授業を始めます」
 僕は授業が始まって、気付いた。あのキーホルダーが所定の位置にない。


 授業が終わり、ティアナが僕の席の前に来て、無言で手を差し出した。僕も無言でお手上げのポーズをした。ティアナはその手で僕の机を「バン!」と音が出るくらいの勢いで叩いた。僕は──



第四章 快適な場所

 私は原稿用紙を前に、鉛筆を持った手を止めて、ひとりでほくそえんだ。いいぞ、この調子だ。私はトイレに立つ。この部屋の中にはすべてがそろっている。トイレ、洗面台、それからシャワー室への扉、洗濯機に、冷蔵庫にちょっとしたキッチン。食糧は一日分が毎日ポストに投函される。雑音もほとんど聞こえてこないし、あらゆるメディアとの接点も一切ない。私が心から望んでいた場所だ。何も不自由はないし、何より小説の創作ができる。何かに影響されることのない、純粋な小説が書ける。
 私は用を足し、手を洗って、タオルで手をぬぐった。
 環境がいいからと言って、焦ってはいけない。自分のペースで書くのが一番だ。ライフワークという言葉があるが、私は小説を書くことをまさにライフワークだと思っている。歴史から見て、当人が死んでから、世に認められるということがままある。私は生きているうちに世に認められることがどんなに幸せなことか想像できるけれども、死んでからでも別にいいという気持ちがないわけではない。要は、後世に名前を残すことができればいいのだ。それがどんなに卑しい望みかというのも想像できる。しかし、今生きている以上、その生の証を残そうとするのは悪いことだろうか? 一顧だにせず、当たり前のように踏み潰して殺す虫ケラのように、生きた証を残さないことはどんなにか潔いだろう。いや、厳密に言えば、虫ケラは私に「許してくれ」という贖罪の気持ちを生じさせている。それに、体液で床を汚し、しみを作り、私が事切れるまで執拗にその気持ちを押し付けてきやがるのだ。それが言わば、虫ケラの生の証なのだ。
 私はどっかりと席に腰を下ろし、後頭部に手枕をして左を向いた。左手には窓があり、穏やかな日和の緑の庭が見えている。私は外の空気を吸うことが嫌いではない。森の中で腐葉土と青葉のにおいをかぐのも。しかし、そんな感覚は必要ないのだ、この世界にとっては。ヨアヒムが思ったことは、私が思ったことでもある。つまり、我々はロボットなのだ。ご存知のとおり、ロボットには、夜空にまたたく星々を見て、憧れのような気持ちを感じる機能はないし、青空を見て、うきうきする機能もない。まあ、将来そんなロボットが開発されるかもしれない。しかし、そうなれば人間の生きている価値などなくなってしまうではないか。人間が居なくても、ロボットがすべて人間のかわりにうまくやってくれるのだから。様々な精神作用の価値はわからない。ただ言えるのは、それができるのは今のところ人間だけということ。
 私はさっき、外の空気を吸うのが嫌いではないと言った。しかし、本当は心底、外の空気が吸いたい。森のほうから漂ってくる、なんとも言えない、かぐわしい空気を。私はこの世界では自分がロボットなのだという現実におぼれてしまっているのかもしれない。だから、蚊が居れば自動的にぱちんとやるし、一回鼻をかんだちり紙は自動的にゴミ箱にぶち込むし、のどが渇けばグラスに水をついでごくごくやるし、夜空を見上げて月を眺めるのはくだらないと思っているし、そんな自分になってしまっていることを別になんとも思っていないのだ。それに、それらのことに気付いてもなんとも思わない。ただ、ただ外の空気が吸いたいという気持ちだけがある。なぜなのだ? 窓を開ければよいではないか。いや、そういう意味ではないのだよ。つまり──ああ、神仏よ、なぜこんなことを私に言わせるのですか? 何かの呪いだとしたら、どうすれば解けるのですか?
 私は自分が生きていることを否定したくない。しかし、そうせざるをえないことを私はやってしまったのか? いったい、何を?
 私はしばらく目をつむり、瞑想していた。何も頭の中に浮かんでこない。それはそうだ、何もかも忘れて、外界から隔絶されたところに居るのだからな。あるのは、物語を追う、いや、追われているような感覚だけ。



第五章 冒険の旅へ

 僕はティアナとともに、あの石ころ──全宇宙の半分くらいのエネルギーを持つ石──を持ってゆくえをくらましたラーを追って、冒険の旅に出た。もう学校は行っても行かなくてもいい状態だからちょうどよかった。もし、あの石ころがミュルミドン人の手に渡ると大変なことになる、とティアナは言った。
 まず、ラーの家に行ってみた。出てきたラーの父親にラーがどこへ行ったのか訊いた。ラーの父親は無愛想に「知らん」と言った。あの子にして、この親ありだ。
僕らは念のため、僕の家の中を探してみることにした。もちろん、なかった。
ティアナは一晩僕の家に泊まることになった。僕の家は父さんも母さんも夜遅くまで帰ってこない。だからと言って、僕が下心を出したと世間の人に、いや神仏に、そう思われるのは死ぬほどいやなことだ。当然、僕はティアナにカネを渡すからカプセルホテルに泊まれと提案した。いや、命令した。
「それじゃ、おもしろくないじゃん」とティアナは言う。
「頼むから、うちには泊まらないでくれ」と僕はいつものように顔を紅潮させて言った。
 それはつまり、自分に下心があるという証拠なのだ。言わせてもらうが、下心の微塵もない男というのは存在するのだろうか? 神でさえあるのだから、人間ならさもありなんだろ? しかし、僕は自分の下心を憎んでいる。少子化を招くからとか、バカな憶測でそれに従うなんてもってのほかだ。下心は悪だ。例の映画でも、頭と体が分裂する神が出てくるではないか。下心とは忌むべきものなのだ。少なくとも、今の僕の中では。
 結局、僕はいつものように二階の自分の部屋で寝ることにした。いつもと違うのは一階のリビングのソファーでティアナが寝ているということ。僕はどこででも寝られるたちではない。夏に卒業旅行と称して、ちょっとした一人旅をしたときも、安ビジネスホテルの硬いベッドの上に横になって、明るくなるまで寝られなかったという経験をしたくらいなのだから。その点では、クリアしている。見慣れた部屋に、見慣れたベッドに、見慣れた枕に、見慣れたふとん。
 僕らは何事もなく、朝を迎えた。父さんと母さんは結局帰ってこなかった。よくあることだ。慣れている。
 台所に行くと、ティアナがコーヒーとトーストを一人でやっていた。おいおい、ここはティアナの家なのかと、僕は一瞬ドキッとしたくらいだ。
「おはよ」とティアナ。
「おはよじゃないよ、なに勝手にやってんだよ」と僕はちょっと憤慨してみせた。
「だって、腹減ったんだから仕方ないだろ。おまえのぶんも作ってやったから、ほら」と言って、ティアナはテーブルの上のオーブントースターをぱかりとやった。
 そこには半分に切られたトーストが入っていた。こんがりと焼けている。
 コーヒーメーカーにはたっぷりとコーヒーができている。いい香りだ。
「おまえもやれ」とティアナ。
「はあ」と僕はため息をついた。それとは裏腹に実はうれしかったのだ。
 夫婦とはこういうものかもしれない。──と、僕はちらっと思った。朝起きると台所で妻が僕の朝めしを作ってくれている。悪くない。──いや、この上なく、すばらしい。
 ──いかんいかん。何を妄想しているんだ僕は。そういうのがいいと思うということは、いかに僕の生活がすさんでいるかということの裏返しなのだ。でも、これだけは言える。それは奇跡なのだと。
 僕はティアナと向かい合わせの位置の席に座り、黙ってコーヒーとトーストを交互にやった。
済んだティアナが口を開く。
「どうする?」
「え?」
「こんなの見つけたんだけど」
 ティアナの差し出された手には鉛筆ですり出したような模様のある、一枚の紙切れがあった。
「なにそれ?」
「《月の第二宇宙港、五番出口前の広場》って書いたあとがある」
「まさか、ラーの家で見つけたの?」
「そう」


僕らは朝食を済ませたあと、旅行の支度をして、月へ向かう便のある宇宙港へ急いだ。僕はそれが冒険行のはじまりだとは思わなかった、と言うのは半分当たっている。持って行った荷物──簡易旅行セット──がゴミ同然になると、半分は予想していたわけだ。僕らは──



第六章 白い蝶

 私は鉛筆を止め、にやにやしながら用を足しに行った。じょおおおお、という音を聴きながら、私は我ながらうまい文章が書けていると自画自賛の気持ちでいっぱいだった。ヨアヒムがティアナと一緒に朝食を食べながら、夫婦のなんでもない所作を想像し、奇跡に気付くあたりは、なかなかいいくだりだと思う。もっとも、そう思うのは当の本人──私だけかもしれない。その私が思ったことに読者が共感してくれれば、それこそ奇跡だろう。活字が、文章が、読者になにがしかの作用を及ぼす、それが私の狙いなわけだ。おもしろいと思ってくれる、あるいは逆に、くだらないと思ってくれる、それでいいのだ。虫ケラを潰したしみのように、読者の心にいつまでも作用を及ぼすのは難しいかもしれない。でも、一瞬でもいいんだ。一瞬でも、読者の脳内のシナプスで物質がやりとりされるだけで。ボケ防止になる。──はは、それは冗談だが。
 私は手を洗い、タオルでぬぐった。少し、湿り過ぎている。窓を開けて、風を入れよう。私は窓を開けたが、その窓は少ししか開かないようになっているらしい。がたりと止まる。私はその少し開いた窓から鼻を出して、一回深呼吸した。キンモクセイの香りがした。いいにおいだ。ということは、外界は十月の半ばくらいなのだろうか? 私は“時”というものも忘れかけていた。いや、もう忘れているという状態などではない。今日が何年何月何日何曜日の何時くらいなのかさえわからない。明るいから昼間だということはわかる。人間には体内時計というものがあって、朝には起き、夜には眠るというふうにできているらしいのだ。いくら何もかも忘れているからと言っても、それだけは健在のようだ。
 私はキンモクセイのにおいを堪能したあと、席につき、鉛筆を電動の鉛筆削りで尖らせ、原稿用紙に向かった。
 そのときだった。一匹の季節はずれのモンシロチョウがひらひらと少し開いた窓から部屋に入り込んできた。私はハエが入ってきたときのように、うっとうしさを感じた。いや、待てよ。この蝶を作品の中に登場させてみたらどうだろう? と、私は思った。モンシロチョウというのは、紋が白いという意味ではなくて、紋のある白い蝶という意味なのだろう? という疑問が湧いてきた。いいぞ、これはいいネタになる。
──私は鉛筆を動かした。



第七章 月での話

 僕はティアナと月の第二宇宙港、五番出口前の広場できょろきょろしていた。ラーは居ない。それはそうだ。あの紙切れには時刻は書いてなかったのだから。しかし、僕らは手がかりを探した。なんでもいい、ラーのゆくえがわかるものだったら、いや、ものと言わず、情報でもいい。こんなこともあろうかと、僕は受験旅行のときに撮った集合写真の一部──ラーの顔──をコンピュータで拡大したものを持ってきたのだ。「用意がいいだろ?」と僕はティアナにご機嫌で言った。「当然だろ」という答え。
 僕らは露店の店主にかたっぱしから聞き込みをしていった。「見なかった」、「知らん」、「買わないのなら、どっかいけ」などの返答しか返ってこなかった。
「まったく、どいつもこいつも万年貧乏の偏屈野郎どもが!」と、僕が思ったのではない。ティアナが言ったのだ。しかし、僕がそんなひどいことを思ったり、言ったりするはずがないとお思いになるのは、早計ですよ。──と、僕はみんなに言いたい。ティアナの性格がうつったのかもしれないという言い訳はしない。僕の中に邪気があるというのは否定できない事実なのだから。しかし、僕はティアナにも邪気があるとは思えなかった。悪口を言うやつを非難する理由は、顔や性別にもよるということなのか? いや、違う。僕がティアナに邪気がないと思うのはうまく言えないが、つまり、初めて会ったときから僕がティアナを好きだから、と言えるのかもしれない。とすると、要は第一印象? ──話がくだらない方向に行きそうだから、このへんで内面を吐露するのはやめよう。
 僕らは広場のベンチに腰を下ろした。
「はあ」と僕はため息をついて、うつむいた。
 頭にバンっという衝撃。ティアナが僕の頭をぶったんだ。
「おまえ、もうあきらめたって言うんじゃないだろうな?」とティアナは僕の顔を見ながら言う。
「違うよ」と僕。
「じゃあ、男なんだから、ため息なんかつくんじゃねえよ」とティアナ。
 そのときだった。
「こっちよ」
 僕らは振り向くが、そこには誰も居ない。
 空中でホバリングしている一匹のモンシロチョウが居るだけ。
 僕らは前を向きかけた。
「そう、私よ」
 僕らはそろって、その蝶を二度見した。
「あれの場所はわかってる。こっちよ」と、その蝶は僕らを誘導するかのように広場の茂みの中へ飛んでいく。
 僕らは顔を見合わせたが、すぐにそんな気持ちに浸ってる場合じゃないと我に返り、立ち上がって、その蝶のあとを追った。
 茂みを抜けると、再開発地区らしい、薄汚れた路地に──いや、風情のある路地に──入った。途中三叉路をいくつか通り過ぎたが、蝶はまっすぐ飛んでいく。その先にはキンモクセイの垣根があった。あたりにいいにおいが立ち込めている。その前まで来ると蝶はまたホバリングを。
「ここ?」とティアナ。
「悪いけど、このキンモクセイの花を取って、私にふりかけてくれる?」とその蝶は言う。
「いいけど」と僕は言って、キンモクセイの小さな花を適量手のひらに集めると、そのホバリングしている蝶にふりかけてやった。キンモクセイの花は蝶に当たると金色の粉になって地面に落ちていった。
 その瞬間、そのモンシロチョウは人間の娘の姿に変わった。
 僕らはあっけにとられた。マヌケのように、口をあんぐりと開けて。
 その娘は足を曲げたまま、地面に落ちた。
「いてて」
そして、立ち上がり、ズボンについた金色の粉をはらった。
「ふう──」
 こちらを向く。
「ありがとね。じゃ」と、その娘は立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょっと!」と僕。
「なによ」
「なによじゃねえだろ。例のブツの場所は?」とティアナ。
「ああ、ダークマターのこと?」とその娘──蝶から変身した娘──は言う。
「ダークマター?」と僕。
「おまえ、人を誘っといて質問する気か?」とティアナ。
「まあまあ。君、知ってるの?」と僕。
「まあね。でも、ただじゃ教えてあげない」とその娘。
「てめえ、もうありがたいことをしてやっただろうが」とティアナ。
「あなた、姉御肌なの? ま、いいわ、助けてくれたお礼にあなたたちに仕事をあげる」
《はあ?》と僕とティアナは言う。


そこはぼろいアパートだった。道中、僕らはお互いに名前を名乗った。その蝶から変身した女の子の名前はリアスというそうだ。玄関の戸を開けると、ビニール袋に入ったゴミが山から転がり落ちてきた。
「なんだこりゃ?」と僕。
「ゴミよ」とリアス。「さあ、向こうの路地の角のゴミステーションへレッツゴーよ」
「おまえ、人をおちょくってるのか?」とティアナ。
「あなたたちの寝る場所を作るためよ。さっさと動きなさい」とリアス。
「やれば教えてくれるんだね? その、ダークマターのありかを」と僕。
「もちろん」
「また、だましやがったら、その長い髪をバリカンで剃るからな」とティアナ。
 言い忘れていたが、ティアナの髪はショートだ。
 僕らは何回もぼろアパートとゴミステーションの間を往復した。リアスは見てるだけ。ちょっとしたSMプレイじゃないか。おおっと、出てしまった。汚い言葉が。もちろん、ギャグだ。そんな言葉も出るよ、無駄働きしてれば。だが、これは無駄ではないのだ。あのキーホルダー、いや、リアスの言によればダークマターであり、ティアナの言によればお宝であり例のブツの、そうあれのことだが、あれを見つけるための何かの手がかりをリアスは持っているのだから。たぶん。
 僕とティアナは最後のゴミを出し終わって、ぼろアパートのリアスの部屋に戻った。きれいになった部屋のテーブルの上にはこぎれいなカップに入ったコーヒーと、これまたこぎれいな小皿に乗ったカステラが二人分用意されていた。
 僕はそれを見て思わず「え?」と言ってしまった。
「なにが『え?』なの?」とリアス。
「おまえ、気が利くな」とティアナ。
「そうでしょ。あなたたちのために、この機械のボタンをポンと一回押すっていう気づかいがね」とリアス。
「はは」と僕は一笑。
「おまえ、信用していいのか悪いのかわかんないやつだな」とティアナ。
「もちろん、どっちでもいいわよ。でも、それはこれをやってからにして」とリアス。
「いただきます」と言って僕は席につき、それらをやった。
 ティアナも席につき、フォークでカステラを注意深く分解しながらやった。
 無表情で、無言でそれを見るリアス。
「──それで、あなたたちはダークマターを追ってるんでしょ?」とリアス。
「うん、そう」と僕はもぐもぐやりながらうなずく。
「あたしのお宝だよ」とティアナ。
「ダークマターはねえ──」



第八章 私の過去

 私は暗くなったので眠ることにした。照明をつけてやったっていい。けど、夜中に文章を書くとろくでもないものになってしまうというのを何かで読んだことがある。実際、本当にそうだ。夜中は書かないほうがいい。夜中にアイデアが浮かんだら、メモを取り、昼間に見直して、正しい文章にすればいい。
 私はベッドに仰向けに寝転がり、左手を枕に、右手であるものをもて遊んでいた。ここで、下の話を連想されたかたは間違いなくユーモアのセンスがある。──はは、冗談はよそう。あるものというのは昼間に少し開いた窓から部屋に入り込んできた、あのモンシロチョウのことだ。昆虫が人になつくというのは、ありうることなんだろうか? 今現に、目の前でモンシロチョウは私の指先に止まったまま、じっとして動かない。最初、ときおり、羽を悠然と開いたり、閉じたりしていたが、今はじっと私を見つめているかのように動かない。もう季節的に遅いから、弱っているのかもしれない。しかし、昼間は元気に部屋の中をひらひらと飛んでいた。遊び疲れたのか? 眠いのか? 昆虫も、夜になったら眠るのか?
月明かりでそのモンシロチョウは銀色に光って見える。
ふいにその蝶は飛び立った。やっぱり、私のかいかぶりだったのか?
その蝶は部屋の真ん中まで来ると、銀色の少女の姿になった。
私は目を疑った。夢を見ているのか? 安っぽい小説でもあるまいし。私は上体を起こした。少女は私に語りかける。
「あなたは神々の名前を憶えていましたね」
「神々の?」と私。
 少女はこくりとうなずいた。
「私を両手のひらで包んでください」
と、少女は言ったかと思うと再び小さなモンシロチョウの姿に戻り、私の手に飛んできて止まった。私はそうした。両手のひらで空間を作って、モンシロチョウを優しく包んだ。
その瞬間だった。私の頭の中に激しく、あるシークエンスが流れ込んできたのだ。
私は燃えさかる炎の中で、少女の首を絞めていた。私は少女を殺した。そして、ほどなく当局に捕まり、裁判を経て、ここにぶち込まれた。ここはつまり、M級受刑者がぶち込まれるところ、医療刑務所の独房の中なのだ。
 私はここへ来た経緯をそのシークエンスから思い出した。
 私はゆっくりと両手を開いた。そこには少量の銀色の鱗粉があるだけで、あのモンシロチョウは居なかった。私はなんということをしたのだという自責の念で頭の中がいっぱいになった。いくら心を無にできる場所に行きたいからと言って、少女の命を奪うなど、ああ、神よ、仏よ、私はどうやって罪をつぐなえばいいのでしょうか?
「書いてください」
 天井のほうから、そう聞こえた気がした。幻聴まで聞こえるようになるとは、私の頭はいよいよいかれているのかもしれない。いや、確実にそうだ。自分の利益のために、少女の命を奪うなんて、正気じゃない。しかし、それさえもネタにしろと言うのか?
 私はこのとき、あるネタがひらめいた。私はベッドから出て、机のデスクスタンドの灯りをつけると、鉛筆を削り、席に着いた。そして、原稿の続きの部分へ筆を走らせた。



第九章 物語と現実の狭間

「ダークマターはねえ、私なの」とリアスは言った。
《!》
 僕は口元にもっていこうとしたカップを止め、リアスを見た。
 ティアナももぐもぐするのをやめ、無理に飲み込んだ。
《なんだって?》僕とティアナは少し間を置いてから、この言葉を口にした。
「ラーは私が殺した。あのゴミの中にばらばらにした死体が入っていたの。捨ててもらってせいせいしたわ。私を悪用しようとしてるミュルミドン人も同じ目にあうのよ。じきにね」とリアス。
「どうして、どうしてラーを殺したんだ?」と僕。
「あいつも悪の心を持っていた。それだけよ」とリアスはすました顔で言う。
「おまえはエネルギーの結晶体だろ?」とティアナ。
「そう。みんながこぞって私を奪おうとする。でもね、私にだって客を選ぶ権利はある。この強大な力を誰が使うかによって、この宇宙の運命は決まるの。だから、重要なのよ、客選びって。あなたたちはどうかしら? 私を善に使うことができる?」とリアス。
「フフ、フハハハハハ!」とティアナは笑うと立ち上がり、柄(つか)を腰からはずして両手で持ち、スイッチを入れた。それは瞬時にあのシャムシールに似た湾曲した片刃の剣になった。ティアナはリアスにその刃先を向けた。「あたしの本当の仕事はダークマターを抹消すること。消えな!」
「やめろ、ティアナ! そんなことをしてなんになるんだ?」と僕は立ち上がって、リアスとティアナの間の位置に立った。
「おまえは何も知らねえんだろ? こいつ自身が悪の権化だということを!」とティアナ。
「なんだって?」
「どけ! ヨアヒム」
「フフフ、いいわ、見せてあげる。あなたたちの悪意の姿をね」
 リアスはそう言ったと思うと、まるで水の入った風船に針を刺したときのように、瞬時に黒い液体のようなものに変わり、床にべちゃっと落ちた。そして、沸騰するかのようにもこもこと体積が増えていった。
「ちくしょう!」とティアナは言って僕をわきに押しやると、その液体ともなんとも言えないものに向かって、剣を何回か振り下ろした。が、何も起こらず、どんどんその物体の体積は増えていく。「やばい、逃げろ!」
 僕とティアナはそのぼろアパートの部屋を出た。
「うるせえぞ、コラ!」と言って、ひょっこり顔を出したのはぼろアパートの住人だった。
 その黒い物体は体積を増しながら廊下に流れ出し、僕らを追いかけてくるように見えた。
「な、なんじゃ、こりゃあ!」と言ったそのぼろアパートの住人である青年の足に、黒い物体がじゅうっと音を出しながらまとわりついた。次の瞬間、ボンっという音とともに、その青年はこっぱみじんに爆発した。
 それを見ていた僕らに血しぶきがかかる。
「やべえぞ。ヨアヒム。ほら、逃げるぞ!」
 そのぼろアパートを出ると、ミュルミドン人たちがわらわらと僕らを取り囲んだ。僕にはただの人だかりにしか見えなかったと言うのは完全に間違いだ。例のわけのわからない服装。ティアナが剣をかまえると、ミュルミドン人たちはシャキンっと両刃の剣を出した。
「ちきしょう、てめえら、こんなときに」とティアナ。
「あれを返せ、小娘。そうすれば、命は取らない」とミュルミドン人のリーダーらしい者が言う。
「そうしてやってもいいが、あれならドロドロになっちまってるぜ」とティアナ。
 そこへ、体積を増した黒い物体がアパートの穴という穴からあふれ出してきた。
「ほら、来た」とティアナは言って、ミュルミドン人たちの間を通り抜けようとした。
 そのとき、凶刃がティアナの胸をつらぬいた。ティアナは地面にうつぶせに倒れる。
 時が止まったかのように、僕には見えた。
「ティアナ!」
 僕はティアナを仰向けにして上体を起こした。僕の両手にはティアナの温かい血がべっとりとついた。
「ティアナ、死ぬな。らしくないぜ。ため息をつくなって僕の頭をぶってくれ。僕には君が必要なんだ」と僕は心からそう言った。テレビドラマか何かのセリフだと思わないでくれ。本当にそう思ったんだから。
 ティアナは少し鼻で笑ったように僕には見えた。そして、事切れた。そこへ、意志を持った黒い物体──ダークマターの波が押しよせてきた。ミュルミドン人たちはざわつきながら退却した。ティアナの死体とその上体を抱きかかえている僕のまわりをダークマターは取り囲んだ。
 僕は言った。
「強大な力があるなら、ティアナを生き返らせてくれ!」
 一斉にダークマターは僕らに襲いかかった。


 ──長い間、何もない空間を漂っていた。そして、見つけたんだ。──希望を。


「おい、ヨアヒム。一緒にメシ食おうぜ」
 そう言ったのは、あの仲良し三人組のうちの一人だった。もう一人も笑顔で僕を見ている。
「ああ、食おう」と僕。
「あたしも混ぜてくんない」
 振り向くと、ティアナが居た。
「そうか、ヨアヒムにはティアナお嬢様がいらっしゃるんだったな。じゃああとでな、ヨアヒム」
「うらやましいよ、ヨアヒム。じゃあな」
「ちょ、ちょっと!」と僕。
 僕はティアナの顔を見て「はあ」とため息をついた。頭にバンっという衝撃。
「だから、男がため息なんかつくんじゃねえよ」とティアナ。
「これでよかったのかな?」と僕。
「なにが?」とティアナ。
「いや、なんでもない」
 僕らは卒業までの短い間、気分よく過ごした。もちろん、卒業した後も。


 ティアナは生き返った。
 少女は生き返った。
 私が殺した少女は生き返った。
 少女は生き返った。
 少女は生き返った。
 少女は生き返った。
 少女は生き返った──。
 私はうなり声をあげながら、原稿を両手で強く持ち、その言葉を一心に念じた。
 しばらくの後、私は玄関の戸が開く音で我に返った。玄関の戸が開くなんて、ここはなんでもそろった精神障害犯罪者のための牢獄なのだから、ありえないはずだ。私は玄関のほうを向いた。開いた戸から入ってきたのは、白い光とあの少女だった。
 そして、その少女は私にこう言った。
「さあ、行きましょう」
「──ど、どこへ?」と私。
「ファンタジーのはじまりへ」と少女。「──あなたは物語を作ることが本当は虚しいことなんだと思ってるんでしょ? いくら物語を作っても、それは結局、人間が作ったものでしかない。人間が作ったものは魅力がないゴミ同然。そう思ってるんでしょ? でも、あなたが物語を作りながら望んだことは、現実よりも現実に近くなる。あなたが私を生き返らせてくれたように──。最初の読者はあなたなの。さあ」
 少女は私に手を差し出した。私は立ち上がって、少女の手を取り、開いた玄関の戸のほうから来る白い光の中へ入った。


 あとで知ったのだが、ダークマターとは、見えない物質とも呼ばれており、どこにでも存在するそうだ。そう、あなたの目の前にも。──あれは私の妄想だったのか、夢だったのか、それとも勘違いだったのか? たしかに言えるのは、今も私は物語を書き続けているということ。



この物語はフィクションです。
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