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既刊「千代見草」に収録




 なぜ、僕は山に行こうと思ったのか? はっきりした理由はみつからない。上着の必要になったこの時期になんで外の空気を吸おうと思ったのか。僕はリュックに熱いお茶の入った小さな水筒と、コンビニのおにぎりを二つ、絆創膏、ポケットティッシュといったものを詰め込み、電車で山のふもとへ向かう。山は海沿いにあるちょっと名の知れた山で、たしか小学生のときだったか、ハイキングか何かで一度登ったことがあるし、何回か車で登ったこともある。言わば、この山は僕の心の山と言っていい。最後に登ったのはいつだったか憶えていない。かなり昔のことだと思う。
 あれは母親と親戚のおばさんと弟と僕というメンバーで、車で登ったときのことだった。帰り道、僕はどんよりとした黒い雲間にこの世のものとは思えない、光を見た。青白く、マグネシウムのような強い光。実は、この山にはUFOが現れるというウワサがあった。僕はそれを知っていた。
「あれ見て! ユーホー!」
他のみんなが見るとちょうど木のトンネルにさしかかったところで、ぬけたときにはもうそれは見えなかった。
僕は友達に話したが、「バカか、おまえ」とか言われただけで、相手にしてもらえなかった。
「ほんとに見たんだ」
 あれから何年経ったか知らないが、僕はまたこのいわくつきの山に登ることを思いたったわけだ。しかも、徒歩で。
数少ない友達はみな、遠くの知らない街で働いてる。要するに僕だけ、社会の鼻つまみ者になっちまったんだ。だから、何かを成し遂げたいという気持ちがわいてきたからかもしれない。何かを求めているんだ。そう、何かを。それが何かは山に登ってみないとわからない。ただ、疲労感にさいなまれるだけかもしれない。でも、僕は自分の力を試す前にしりごみする生活にはもううんざりなんだ。山道で心筋梗塞か何かになって、誰も知らずに死んだってかまわない。それが、やったぶんの対価だとしたら、僕は文句を言わないつもりだ。
そうだ、僕は死にに来たのかもしれない。この山に。僕が見たあの光は、銀色の円盤ではなく、僕と同じようにこの山でのたれ死んだ人の魂かもしれない。僕は死のうとしているんだ。
僕は駅を出て、道路を渡り、登山道に入った。緑はすでに紅色になり、常緑樹だけが、パズルのように見える。僕は小さな小川を渡った。憶えてる。小学生のときに来たときもあった。あとはものさびしい細い山道をひたすら歩くのみだ。どうかなるまで。頂上に着くまでに何かが起こればいい。山に登る人は多かれ少なかれ、そんなことを考えているのではあるまいか? いや、もちろん、僕だけだろう。誰しも頂上からの眺望を見るためにだけ登るのではないということを言いたいだけだ。もちろん、それはウィットでもなんでもない、ただのひねくれてしまった僕の脳内のシナプスがそういう命令を無駄に発しているだけだろう。
登山道に入ってすぐの斜面を僕は立ち止まって何気なく見た。そこにはえたいのしれないゴミが無造作に転がっていた。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、他には戸棚のようなもの、ダンボール、ビニール、要するに、不法投棄ってやつだ。僕はそれを見て、ゴミたちはまるで僕のようだと思った。鼻つまみ者、役立たず、でくのぼう、できそこない、くそったれ、最低のクソ野郎、それから──実はその手のボキャブラリーは僕にはない。人を嘲弄するような言葉を憶えてたって、ろくなことはない。小説でも書くんなら別だが。僕がそんな言葉をあまり憶えてないのは、ほら、よく言うじゃないか、自分が言われて気分が悪いことは人にも言うなって。そういう概念を聞き憶えているからじゃない、しみついちまってるんだ。長いこと洗濯しなかったおかげで、茶色くなっちまった汗じみのように。もし、言うとしたら、冗談で言う。あるいは愛情を込めて。
 そんなことはどうだっていい。とにかくこいつらゴミどもは僕の仲間なんだ。なんだったら、一緒に添い寝してやろうか? 僕はその光景を思い浮かべ、少しほくそ笑んだ。
「おい、たのむ。オレたちと一緒に眠ってくれ」
「ああ、いいぜ。変な気を起こすなよ。僕にはそのけはないんだから」
「もちろんだ。さあ、こっちに来て」
「あせるなよ、眠るにはまだ早い」
「なあに、言ってやがるんだ。ここはパラダイスだ。いつ眠ったっていいんだ」
「眠くなったらだろ? 僕はまだ眠くない」
「横になれば、そのうち眠くなるよ。さあ」
「今はいやだって言ってるだろ。先に夢でも見てろ。あとで添い寝してやるから」
「どうしてそんなに冷たいんだ?」
「今から山に登るんだ。だから──」
「おい、お兄さん。おい、おい!」
 僕はその声で我に返り、その方向を振り向いた。そこにはちょっとした岩に、じいさんがちょこっと腰をかけていた。帽子をかぶり、リュックを背負い、杖を持ち、いかにも私は登山をしていますと言わんばかりの格好だった。
「あんた、登山の格好じゃないな」とじいさん。「登山するんじゃったら、わしのような格好をせんと、自殺しに来たと思われるぞ」
「おじいさんこそ、その歳で山に登るのは自殺行為だぜ」
「ハッハッハ。見た目で判断されては困る。せめて、おじさんと呼べ」
「一緒に登る? おじさん」
「もちろん、そのつもりで声をかけたんじゃ」
 僕とそのじいさんは一緒に山を登ることにした。僕は何をするにも一人のほうがいい。でも、このときはなぜか仲間が居てもいい気がした。ゴミの仲間ではなく、人間の仲間が。もちろん、死の道連れでもない。ちょっとした、話し相手さ。
「わしはな、この山が好きなんじゃ」と、じいさんはゆっくり歩きながら言う。
「あっそう」と、僕はじいさんのうしろについていきながら言う。
じいさんの歩調は僕のとちょっとずれている。もうちょっと早く歩けよ、おじいさん。僕は心の中で嘲弄した。
「じゃから、おじさんと呼べと言うておろう」とじいさん。
「何も言ってませんけど」と僕。
「顔に書いてある」とじいさん。「──おまえさんは、なんで山に登ろうと思ったんじゃ?」
「顔に書いてあるんなら読めるでしょ?」と僕。
「その部分だけ消しゴムで消してある」
「──そうだな、なんでって言われても。急に登りたくなったんだよ。おじさんは?」と僕は死ぬためだとは言えなかった。
「わしもじゃ。わしも急に登りたくなった」
「ふーん、一緒だね」
「一緒じゃない。わしには理由がある」
「なに?」と僕は気軽に訊いた。
「死んだばあさんに会うためじゃ」
 僕はすぐに勘ぐった。「それって、死ぬってことじゃん」と僕はもう少しで言いそうになったが、言わなかった。
「ふーん」と僕は言った。
 道は険しくなり、斜面が急になり、岩がゴロゴロしている危険な道にさしかかったときのことだ。じいさんが足をすべらした。
「じいさん!」と言って、僕はじいさんの手をつかんだ。
「おじさんと呼べ!」
「しっかり、ばあさんのとこへ行っちゃいけない!」
「ばかもの。わしはばあさんにどうしても会いに行くんじゃ!」
 じいさんはむっくりと体を起こし、服を払った。
「ふう、危なかった。ありがとな。行こうか」とじいさん。
 死んだばあさんに会うって、死ぬってことじゃないのか?
 僕らは無事に頂上へたどり着いた。
「ああ、いい眺めじゃ!」とじいさん。
「そうだね」と僕はタオルを持ってくるべきだったと思いながら言った。
「さて」とじいさんは言い、リュックからひとつの小さな水晶を取り出した。
「それ、水晶でしょ?」と僕。
「よく知っておるな。さ、ばあさんを呼ぶか」
「え?」
 じいさんはどんよりとした黒い空に向かって、水晶をかかげた。すると、雲間に光が現れた。青白く、マグネシウムのように強い光。それはだんだんこちらに近づいてきた。
「な、なんだ、あれは?」
それはやたら大きいものなのか、僕とじいさんを包み込んだ。
「うわあああああああ!」僕は叫んだが、音は光に吸収された。
「ばあさん」とじいさんは言う。
 そのじいさんの目の向いている方向から、人が歩いてくる。それはばあさんだった。にこにこしている。
「おじいさん」とばあさんは言った。
 次の瞬間、ばあさんと光は消えてしまった。
「ばあさんは生きろと言った。まだまだ死ねんぞ! おおおお!」とじいさんは天に向かって両手をかかげて言う。
「いったい──」と僕は少し放心状態だった。
「あんたもやってみるか? せっかく来たんじゃから」とじいさんは言って、水晶を差し出した。
 僕は半信半疑でそれを受け取った。そして、じいさんがやったようにどんよりとした黒い空に向かって、水晶をかかげた。雲間に青白く、マグネシウムのように強い光が現れ、こちらにやって来た。僕らは光に包まれる。
向こうから誰かがやって来る。それは死んだはずの母さんだった。
「母さん」と僕は震える声で言った。
「生きるのよ」と母さんは言う。
「──わかった。僕、生きる!」と僕は言った。
 次の瞬間、母さんと光は消えてしまった。
「よかったな、会えて」とじいさんは言った。
 それから、僕らは食事をとった。じいさんも弁当を持ってきており、僕はコンビニのおにぎりだったが、この上なくおいしい気がした。いや、実際においしいのだろうが、今までの僕はそんなことを感じることがなかったんだ。登ってよかった。この山に。
 僕とじいさんは下山した。
 僕らが登山道の出口近くのあのゴミ捨て場と化した斜面にさしかかったときだった。
 僕はふとうしろを振り返ってみた。そこにあのじいさんは居なかった。しまった、どこかで休んでいるに違いないと僕は思った。僕が先頭を歩くべきではなかった。僕はもと来た道を引き返そうとした。そのとき、どこからともなくこんな声が聞こえてきた。
「おまえさんは、ここで眠るにはまだ早い」
 僕はとっさに、じいさんにもらった水晶をポケットから取り出して見た。
 それは弱い燐光を放っているように見えた。色は青白い。



この物語はフィクションです。
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