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既刊「千代見草」に収録
 




 あなたたちに超能力がなくてよかった。世の中がめちゃめちゃになってしまうからだ。だが、やつらは気付いていない。自分たちがどんなに厄介な能力を持っているのかということを。私はそれを恐れ、知らないうちにその力が発動するのを恐れる。私たちは狩られる草食動物ではない。言うとするなら、“罪人(つみびと)”なのだ。草食動物には罪はないが、私たちには大いなる罪がある。それは神が決めたもうた基準にもとづいていなくもないが、多くはやつらが決めたことなんだ。やつらがそれは罪だと言えば、それは罪であり、死をもって贖(あがな)わなければならない。だから、私は恐れるのだ。もっとも、その恐怖にさえ、気付かない連中が居るが、それは論外だ。起こってしまったあとで、恐怖にさいなまれても、すでに何もかも遅いのだ。この世の中は、いつから鈍感な連中ばかりになってしまったのだろう。いや、逆にやつらのほうが鋭くなってしまったからかもしれない。ドーパミン、アドレナリン、セロトニンといった脳内物質が過剰に作用し、神経がとぎすまされ、あの力が発動するわけだが、要はあなたたちにも可能なんだよ。あの力は特別なものじゃない。ただ、今言えるのは、知っておいたほうがいいということ。──自分が罪人であると。


小説家志望、フリーターDの場合──

Dはこの歳でも、お年玉をもらった。それを持って、正月の雰囲気の漂う、大型電気店にやってきた。車は母親の軽で、キーを置いたまま旅行に出かけたのをいいことに、一人で、片道三十分かそこらの道のりを転がしてきたわけだ。頭はとうにハゲており、最近では揶揄されることになれて、帽子をかぶったりすることを覚えた。
電気店でいつものように何者かから監視されているような感覚にはならなかったが、どうにも責められているような感覚はあった。手早く買い物を終えたDは、ウィンドウショッピングなどというものにはまるで興味がなかった。いや、しちゃいけない気がしたと言ったほうが的確だ。そそくさと店を出る。
さて、どこへ行ったものか? カネはまだある。Dはこの前、インターネットで見た金魚の雑誌を買いたいと思った。通販ではなく、この機会に買えればいいと思った。知っている本屋は人が多そうだと判断したDは前に行ったことがある別の店に行ってみることにした。行くとそこはリサイクル店になっていて、新品は置いてなかった。Dはせっかく来たのだからと、ちょっと題名を物色してみることにした。あの感覚は続いていた。誰かに責められているような感覚。そのとき、声がした。
「ハゲ」
 それは本を物色しているDを見た小学生らしい少年が店を出る間際に発した声だった。
 その瞬間、Dのあの力が発動したんだ。青白い思念体とここでは仮に言っておこうか、それがDの頭から四方にあふれ出したと思うと、閉まったガラスの自動ドアをすりぬけて、店の外に出た少年に向かってものすごい勢いで収束し、少年の頭をこっぱみじんに吹き飛ばした。まるでスイカにダイナマイトを仕込んで爆発させたみたいに。「ギャー!」という母親か誰かの声がした。
Dはなにくわぬ顔で店を出た。そこには倒れた少年の首の上に割れた赤いスイカのある光景が見えた。人だかり。Dは年の始めにいやなものを見たと思った。車のエンジンをかけ、家路についた。ただ、ぼんやり思ったのは、近所のばあさんが正月に死んだって母さんが言ってたなあ、である。そのとき、責められているような感覚はもうなかった。
あの青白い思念体は誰にも見えない。


精神病院勤務、中堅看護婦Eの場合──

 夜は遅く朝は早い。なぜこんなことをしなければならないのか? 答えは、仕事だからだ。しかし、それは酷な理由だ。とくに、治る見込みのない者の世話をするのは、よどんだ側溝に吐き捨てられた唾液になった気分だ。もっとも、楽しみはある。診察に来た外来患者の名前を呼んだときに、元気に屈託なく「はい」と返事をしてくれたときのうれしさと言ったら、いかに性格粗暴な人物と言えども笑顔になるに違いないと思われるほどのものなのだ。それは普通のことかもしれないが、相手が精神病者の場合は違う。挨拶や返事をするのが、相手のことを思いやってする場合と、単に自分の気分を晴らすためにする場合にわかれているとしたら、元気な返事の場合は前者の場合だと思いませんか? Eの場合もそうだった。中には声すら出さないやつも居る。そういうやつはそうとういかれていやがるのだと、Eに思わせるだけだった。意味もなく返事をするやつもいかれているし、意味もなくにやにやしているやつもいかれている。要するにここに居る連中はみんないかれているのだから、まともな返事を期待することのほうがおかしいのだと、Eが思っていなかったと言えば、うそになる。しかし、患者の名前を呼ぶのだけは相変わらず単調に呼ぶほかなかった。だって、それは仕事なんだから。
 今日もEはせわしなく働いていた。よどんだ側溝に吐き捨てられた唾液になった気分で。「──さん」それはいつもと違って、なにかの書類を見ながら呼んだのだった。返事がない。「──さん」二回呼んだ。
待合室でテレビを見ていたその三十路の青年は、あれは自分を呼んだのではないと思っていた。いつもの幻聴なのだと。しかし、二回目にははっきりわかった。Eがこちらを向いていたからだ。その青年は黙って診察室に入った。
「としま」
 それはEにはっきりと聞こえた。青年の通り過ぎざまに。
 その瞬間、青白い思念体とここでは仮に言っておこうか、それがEの頭からわっと四方にあふれて、閉まりかけたドアをすりぬけ、診察室に入った青年の頭にものすごい勢いで収束した。それ以上は何も起こらなかった。
 数時間後、待合室横の洋式トイレの便器に割れたスイカを突っ込んだまま、事切れている青年が発見された。あたりには甘いスイカの果汁が飛び散っていた。
 Eはそれを知っても、なんとも思わなかったらしい。ただ、よどんだ側溝に吐き捨てられた唾液になった気分は消えなかった。


土木作業員Mの場合──

 この街は今、空前の下水道工事ブームで、そこらじゅうの道路で交通規制がされており、普段見られない、アスファルトの道に大穴の開いた光景を見ることができた。
 Mはいたって真面目で、土木作業員には野卑な性格の人が多いと思っている人々にとっては、思考にコペルニクス的大変革を引き起こすのは間違いないと言えるほどだった。もっとも、土木作業員の中にはそうじゃない連中がたくさん居るのも間違いない。何がそうさせるのか? 何が多くの土木作業員を野卑にさせるのか? 給料が安いからか、それとも仕事内容が野卑だからか? 答えは、“土”に違いない。土が人を野卑にさせる。しかしそれは、いかにコンクリートが人を人たらしめているという先入観が我々にあるか、その裏返しなのだ。つまり、人は自然の中でも人であることができる。それをMが証明しているだけのことなのだ。
 Mはヘルメットをかぶり、竹ぼうきを使って石ころや砂を大穴のほうへはき戻す作業をしていた。道路には徒歩や自転車なら通りぬけられるスペースがあり、そこを人が通るたびにMは「ご迷惑をおかけします」と声をかけていた。頭をさげる人も居れば、一瞥(いちべつ)するだけの人も居た。第一、道端で言葉をかけるのは、顔見知りか、変質者のどちらかだ。あかの他人が言葉を交わす習慣はここでは疎(うと)んじられている。だから、Mが通りすがりの人に声をかけるのはタブーに近いものだった。別の言い方をすれば、Mには使命感があると言えるのかもしれない。それはもう、正義とさえ言える。たとえ、野卑だと思われていることを知らなかったとしても、Mのしていることは正しいのだ。
 ある小太りのメガネをかけた神経質そうな青年が通りかかったときのことだった。Mはいつものように「ご迷惑をおかけします」と一礼しながら丁重に言った。そいつはMを無視して通り過ぎた。
「カス」
 と、Mにははっきりと聞こえた。その瞬間、青白い思念体とここでは仮に言っておこうか、それがMの頭からわっと四方にあふれて、ものすごい勢いでその小太りメガネの青年の頭に向かって収束した。そして、例によってスイカにダイナマイトを仕込んで爆発させたみたいに、小太りメガネの青年の頭はこっぱみじんに吹き飛んだ。あたりにはスイカの果汁。
 しばらく、そのことに誰も気付かなかった。おばさんが通りかかり、どこから出したのか、怪物のような悲鳴をあげた。誰かが警察や救急車を呼んだが、その道路は交通規制がされていたこともあって、到着が遅れたようだ。もっとも、何もかも手遅れには違いなかった。
 このときから、Mの正義感はなくなった。残ったのは捨て鉢な気分だけだった。どうせ俺は土木作業員なんだという。


郵便局員Oの場合──

 郵便局員はあらゆる業務に対応できるよう、マルチな才能を持っていなければならない。そう、どんな人間に対しても同じように丁寧な対応をする能力を。もっとも、郵便局員に個性がないと思われているのはあながち誤解とは言えないが、前述の土木作業員なみの野卑な野郎がまったく居ないというのは確実に誤解だ。あきらかにこいつはそんなタマじゃないと言えるやつに出くわしたことはないかい? あきらかに猫をかぶっていやがるという。それがわかるようになったら、ちょっといかれた歳の取りかたをしていると自覚することだ。そして、そのことに慣れなければいけない。一人の郵便局員が野卑だと思ったら、そこに居る全員が野卑だと思うようになる。それは一種の病気で、慢性症状であるから、病院にぶちこまれるのを待つくらいなら、自分から医師にかかったほうが身のためだ。第一こんなことを教えてくれる人なんか居ませんよ。他人がいかれてると思ったら、まず自分がいかれてると思ったほうがいいという訓戒は誰も教えてくれない。自分を信じることが良いことだと思われている世界ではいつも惨劇が起きているんだ。要するに多面的にものを見ることが重要だということなのだろう。だから、迷って当然なのだ。常に迷っていなくてはいけない、と言ってもいいだろう。だが、我々はそんな不安な状態はなるべく避けたいものだ。そこで必要なのが、神という存在なのだ。
 Oが神を信じているかどうかは別にして、客は信じていた。つまり、書類を書いて、カネを出し、おつりを受け取って、「どうも」と言う客を。そしてその通りになったお礼の意味を込めて「ありがとうございました」とOは言う。迷わず、必ず言う。Oにとって客は神であり、不安を解消してくれる存在なのだ。マヌケなことに客のほうも郵便局員Oを神だと信じこんでいる。Oと客の関係は、人間と神の関係と違って、可逆的であり、相互に作用している。それは性善説を信じているからではなく、条件反射に近い。パブロフの犬だ。我々は普段、犬なみの回路しか使っていない。Oもまた、ご多聞に漏れず、優秀な犬だった。
 ある日の犬と犬の会話。
「これ、お願いします」と言って書類を差し出す犬。
「かけてお待ちください」と言うO、または犬。
「ちっ」と舌打ちする犬。
 その瞬間、青白い思念体とここでは仮に言っておこうか、それがOの頭からわっと四方にあふれて、その客の頭に向かってものすごい勢いで収束した。そして、客の頭は爆発した。それは、ちょっと趣向を変えて言うなら、たっぷりと唐辛子が入って赤くなった、よく煮えた激辛の麻婆豆腐の大きな鍋の中に、やっぱりダイナマイトを仕込んで爆発させたみたいだった。あたりには激辛の赤い煮汁が飛び散った。
 Oは元気だった。だから仕事ができる。客が神であるというのは誤解だったと思っていいだろう。ただ、今のところOはまだそうは思っていないようだ。なぜなら、Oにとってあれは客ではなく犬だったのだから。そう思うことこそが、マルチな才能というものだ。


「──わかりましたか? 私たちが罪人である理由は特にないんですよ。むしろ、罪人だったのはあなたたちのほうだったのです。その見返りとして、命を奪うことのどこに責められるいわれがあるんです? 死刑がいまだに行われているのは、罪を許せない連中が居るからなんでしょう? そして、それは良いこととは言えないかもしれないが、別に悪いことじゃない。だから、やってる。それと同じことなんですよ」
 煙草の煙が充満した殺風景な取調室の簡易椅子に座っている老人は、仙人のような肩まである豊かな白髪を微塵も動かすことなくそう言った。
二人の刑事は黙って一部始終を聞いていた。一方の刑事は組んだ腕を解いて頭をぼりぼりかきむしり、もう一方の刑事は灰皿の上に山盛りになった吸殻に短くなった煙草をぞんざいに押し付けた。
「──あんたが言ったアルファベットには何か意味があるのか?」と一方の刑事。
「もちろん、あります。デーモン、つまり悪魔です」と老人。
「D、E、M、O、までしか言ってないぜ」ともう一方の刑事。
「そう、最後のNは私です」と老人。
「だから、なんだって言うんだ? あの殺人が悪魔の仕業(しわざ)とでも言うつもりか?」と一方の刑事は少しいらつきながら言った。
「んっふふ、超能力か、魔法か、そんなことはどうだっていいんですよ。罪を許せなかった、それだけです」と老人。
「つまり、殺された連中は何か罪を犯したっていうことなんだな?」ともう一方の刑事。
 老人は黙ってうなずいた。
「なに? 中傷? 悪口? そんなものが罪だって言うのか?」と一方の刑事。
「──他人を思いやることができないのはもはや罪です」と老人。
「だったら、あんたがやったことも罪じゃないか」ともう一方の刑事。
「では、死刑をするのも罪なんですね?」と老人。
「ああ、そうだ。そりゃ罪だとも! マヌケなことに仕方なくやってるんだよ」と一方の刑事。
「では、失礼します。仕事ができましたので──」
 老人はそう言うと、青白い思念体となり、どこへともなく飛んでいった。


 まもなく、世界中で赤いスイカが割れたのや唐辛子がたっぷり入って赤くなった麻婆豆腐をぶちまけた光景が見られるだろう。もちろん、あの二人の刑事も甘い果汁や激辛の煮汁をぶちまけることになる。死んだ連中は本当に自分が罪人であると知っていたのだろうか? だとしたら、なにがしかの対処法はあったのではあるまいか? お得意の条件反射で──。
 とにかくもし、間に合うのなら、あなたたちに知っておいてほしいことがある。それは、あの人たちは、いや悪魔たちは──やさしい人間に会っていたということです。
フリーターDは電気店で品物を見ていたとき、表示価格と商品名が一致していないことに気付き、近くに居た店員に声をかけた。それはたまたま女性の店員で、思いのほか親身に対応してくれた。たとえそれが仕事上の態度だったとしても、Dをまるで母親と会話しているような気分にさせてくれた。
看護婦Eは、もう何年もおなじみの顔になにか得体の知れない親近感のようなものを感じていた。いくら仕事に疲れていても、その顔を見るたびに肩のこりがとれるほどだった。それは、白髪まじりの頭の薄いじいさんであったり、でくのぼうのような体の大きい青年であったり、昔風の髪型で声のかわいいおばさんだったりした。たとえ、みんないかれ野郎だとしても、その顔を見るたびによどんだ側溝に吐き捨てられた唾液になった気分はどこかへ吹き飛んでいた。
土木作業員Mは道行く人に「ご迷惑をおかけします」と声をかけていたときに、「お疲れ様!」と笑いながら言い返してきたおじさんに出会っていた。それは一瞬のことだったが、Mに、真面目にしていて損なことはひとつもないと思わせる前に、一陣の風のような陽気な気分を生じさせた。当然Mも笑顔になった。
郵便局員Oは犬ではなかった。なぜなら、対応に困ったことがあったからだ。一枚の書類と二枚のカネを黙って出した客が、しばらく経って、自分はカネを三枚出したのではないかと言ってきたことがある。Oは一瞬わけがわからなくなって、カネを数えた。二枚あると伝える。Oはこの客がつりをだまし取ろうとしているのではないかとは思わなかった。自分の数え間違いかもしれないという疑念だけが支配しており、表面上は客を疑っているような顔になっていた。そう思われてはいけないと思ったOはすぐに笑顔をつくった。その行為はまさに不安から逃れるために神を信じることと同じことだった。Oは神である客を信じている。
そして、老人N──これまでに幾多の荒廃した人心に触れてきた。その度にNは憎しみを抱いた。しかし、それは一種の病気みたいなもので、自分の心がかき乱されるだけの低次元の作用であることにある日Nは気付いた。そして、Nの脳にひとつの回路を作り上げた。死んでもいいやつはいくらでも居るが、自分が手をくだすまでもなく、必ず天罰がくだるのだから、ほうっておけばいい。それにいちいちとりあっていては自分が下卑てしまうだけだという回路を。
そんなときだった。Nが死出の旅に出て何日目かのこと、荒涼とした次元の狭間の分かれ道にさしかかったとき、一人の童子が大岩の上に腰かけていた。Nは黙って通り過ぎようとした。童子が声をかける。
「そのほう、世のなんたるかを知りたいのじゃな?」
「おまえは?」とN。
「余は次元の狭間に住む者じゃ。おうおう、死してもなお、世に問うのか? おのれの浅ましさを」
「私は憎しみから逃れたいのです」
「ふっはっは、では選ぶがよい。右に行けば地獄、左に行っても地獄。どちらに進もうが違いはない。さあ──」
「私には地獄の業火に耐える覚悟があります。それが報(むく)いと知っていたのですから」
「そうか。──それならこの道をゆけ!」童子が天に手をかざすと、分かれ道の真ん中に道が現れた。「中庸(ちゅうよう)の道をゆくのじゃ。そして、またどこかで会おう。余は待っておるぞ」
 Nは真ん中の道を歩いていった。Nは半信半疑だった。このときの選択が後にどのような影響を及ぼしたか知らない。しかし、Nはうれしかった。道を教えてくれたことが。


 ──私はまだNと再会していない。でも、今日は会える気がする。東の空が青白くなってきているからだ。もうすぐだ。──会って、何を話すのかって? そうだな──シーチキンの缶詰めはなぜ小さいのか? ふかしたサツマイモの皮は一緒に食べていいのか? 玉子かけご飯には白身も一緒に入れたほうがいいのか? ラーメンに入れるネギはできるだけ小さく刻んだほうがいいのか? コーヒーカップは何回使った後に洗えばいいのか? トイレ掃除はかなり汚くなってからするほうが気持ちがいいのか? ナイトキャップのゴムはゆるいほうがいいのか? 蛍光灯は二本あれば一本だけ使えればいいのか? メモ帳はスプリングでとめてあるやつのほうが使い勝手がいいのか? 茶色くなった汗染みは漂白剤を使っても取れないのか? 布団はやっぱり定期的に干したほうがいいのか? 甘酒の缶をコレクションするなら中身は飲まなきゃいけないのか? 北に山があり南に海があるところに住んでいる人と、南に山があり北に海があるところに住んでいる人とは土地勘がどう違うのか? なぜ空気は地球から逃げていかないのか? 宇宙空間は寒いのか? ──とかについて話してみようか。
 あなたたちにも同じ質問を。
 これで少しは救われる。
 無知は悪だが、自分が無知だと知ることは悪いことじゃない。まず、そこから始めようじゃないか。一度も読んだことのない本を開くように、あなたたちはいつでも出発点に戻らなくてはいけない。それが物事を知るための正しい姿勢なのだとしたら、あなたたちは死なない。出発点には思いやりがあるから。あなたたちは知らなかったんだね? 思いやりがそこに必ずあると。



この物語はフィクションです。
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