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既刊「千代見草」に収録
─ 次の世界 ─




 僕はいつも損な役をさせられた。その日も母さんに隣の家に回覧板を持っていくよう言われたんだ。隣といっても田舎だから100メートルかそこらは離れてる。僕は石ころを蹴飛ばしながらその家に行った。そこにはばあさんが一人住んでいたんだ。魔女だよ。あのときの僕からしたらね。なぜだか、いやだった。そのばあさんに回覧板を持っていくのが。

 僕はちょっと田舎にしては近代的なつくりの家の玄関の前へ立ち、呼び鈴のボタンを押す。鳴ったのか鳴らないのかわからない。何も音がしない。「回覧板です!」とかなんとか僕は声を張って言ったと思う。それもつくづくいやだった。なにも反応がない。この前は「はいはい」と言ってばあさんが出てきたが、今回は留守らしい。玄関の外壁に回覧板を立てかけておくという芸当があるのは知らなかった。そうだ、僕は何も知らない。今だって、世界の半分すら知らないでいる。知ることを拒否しているのだから、知るわけがない。そして、そのままこの世から消えていく。あのときばあさんと世間話でもできたら、どんなに世界がひろがっただろう。でも、世間話をするにはいろんなことを知っておく必要がある。僕は知ることを拒否する。ばあさんと世間話などもってのほかだし、あいさつをかわすことすら、いやなんだ。

 どうしてか教えてほしいかい? 僕はもう知ってるんだよ。すべてをね。同じことを繰り返したくないんだよ。牛乳がこぼれたら、雑巾でふかなきゃならない、その雑巾は一生くさいにおいを放つんだ。そして、ゴミ箱へ入り、焼かれ、煙と灰になって畑の肥やしになる。そこで育った草は牛に食われ、牛乳となる。牛乳を飲んだらどうなるか、牛はどうなるか、雑巾はどう作られるか、また牛乳はこぼれ、雑巾でふかれる。材料や作る過程を知っているんじゃない。そいつがどういう世界に居たかを知ってるんだ。見えるんだよ、僕には。すべて、すべてがね。

 だから、同じものを何回も見たくないんだよ。映画やテレビと一緒だよ。僕が回覧板を持っていきたくない理由はそれだったんだと思う。でも、あのときは違った。「回覧板です、こんにちは」とか何度も声を張ってみたけど、家の中からは物音ひとつしない。そして、僕は戸の閉まった玄関前に居ながらにして見たんだ。居間でばあさんが倒れているのを。僕はそのばあさんの頭の中に入ってみた。そこには青白い光があった。これが次の世界なのか!

 回覧板は玄関の外壁に立てかけておいた。母さんには留守だったと言ったと思う。あれ以来、石ころを蹴飛ばしてそれがどういう方向に飛ぶかという世界にいささかうんざりしながらも、僕は次の世界にいきたい気持ちを抑えながら毎日を過ごしている。僕は本当に何も知らなかった。ここがその世界だということも。



この物語はフィクションです。
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