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既刊「千代見草」に収録




 チクタク、チクタク──時計の音を寝るときにうるさいと思っちゃいけない。なぜだか、知りたいか? どうなんだ? ううん(僕のせきばらい)。あれは世界に意味を与えている音なんだよ。チクタク、チクタク。無を有にしている。もっとも、僕らはこの世界のことなんてなにひとつ理解していないばかりか、認識さえあやしい。冬の山道を歩いたことがあるか?(僕は返答を待たない)。落ち葉──あれがどういう角度でひねっていて、それがどういう数式で表されるのか。どういう角度で他と重なり、風速何メートルでそのカオスが脈動するのか。その下には何があって、何が身をひそめていて、何を思いながら過ごしているのか。そいつの表面はざらついているのか、それともなめらかで、塵が付いているのをどういう色形の何番目の足で、どういうタイミングで払い落とすのか。その塵は何でできていて、なんという鉱石が風化したものなのか。草木の生えている位置は何が決めているのか。枯れたものは円周率でもって解釈できない弧を描いて、落ち葉と接触しており、その落ち葉もまたどんな科学にもあてはまらないほどの比率で朽ちてゆき、腐葉土となり、草木の栄養分となり、あるいは節足動物の食物となり、線虫のすみかとなる。そいつらはどういう法則を持って、どの座標に位置し、日々どの方向へと移動するのか。
 僕が今言ったことは、自然のほんの一部に謎をかけてみただけだ。それでさえも人間には理解できない。だから、そういうものにはフタをし、忘れようとするのさ。区画整理、団地造成、すべてコンクリートという単純なもので覆い隠し、単純な世界をつくろうとする。これは言わばひとつの現象なんだよ。僕らはなにも理解したくないわけだ。わかっていることは実は間違いで、その誤解すら認めたくない。要するに僕らは、ともすると無に帰ろうとしているんだ。
 睡眠は無に心を預けることで、時計の音はそれを邪魔しようとしている、ありがたい音なんだ。(確かこれを言うのは二度目だが)無を有にしている。有は意味であり、理由であり、生そのものだ。だとしたら、我々の求めているもの──無とは矛盾している。それがすべての軋轢(あつれき)の根源なんだな。
 僕たちは時計の音を邪魔なものだと思っちゃいけない、なぜなら、自分たちの生を否定することになるからだ。ここで言いたいのは、時計は人間がつくったものということ。無を求めて、つくった。なのに有を生じさせてしまった。これは認めるべき大きな誤解なんだよ。我々は本当は無を求めてはいなんだよ。わかる?(例によって返答を待たない)。だから、時計の音を寝るときにうるさいと思っちゃいけないんだ。生を否定することになるからね。
 結論として、僕たちは誤解や矛盾をかかえたまま生きてるわけだ。さっきも言ったが、それはひとつの現象であって、意味や理由などない。じゃあ、どうすればいいか?──答えは、ただ楽しめばいいってこと。

 そこまで言って、珍しく手があがった。
「はい、きみ」
「じゃあ、眠る巨人の細胞はお楽しみってわけですか?」
「そう」
「せいぜい余命を楽しめと?」
「そういうことになる」
「ぼうこうガン、胃ガン、くも膜下動脈瘤、その他もろもろの巨人の細胞は、俺たち全員にひそんでるわけでしょう? それでも、とにかく楽しめと?」
「そうだ」
「じゃあ、いいんですね?」
「ああ」

 講堂には誰も居なくなった。
 科学にはなんの魅力もないんだろう。
 あるのは、無数のなんの鉱石が風化したものかわからない塵だけだった。
 ここもほうっておけば、じきに自然に帰る。
 無と誤解された世界へ。
 ──だが、眠る巨人の細胞は本当に自然のものなんだろうか?
 だとしたら、楽しむしかないだろ?



この物語はフィクションです。
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