1000字小説集  / 目次
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オリジナル1000字小説を私的ランキングとして選出した作品たちです!
ごゆっくりどうぞ


忘れじのベスト10
第1位 冒険ドライブ
第2位 焉道
第3位 木を切った男
第4位 先生
第5位 40億年の約束
第6位 赦しと救い
第7位 誰かが使った部屋
第8位 尾行
第9位 邪神の夏
第10位 螺旋の彼方


不可抗力のベスト5 
第1位 愛を与える男
第2位 何かあるもの
第3位 冷蔵庫を思い切りぶっ叩く!
第4位 念獄
第5位 カラスの目

冒険ドライブ

雲間に一隻の飛行船が悠然と航行していた。飛行船と言っても大仰なものではなく小さな漁船程度の舟の上に婦人用下着で作った布張りのバルーンが付いていた。突貫工事にしては機能は十分果たしていた。その飛行船に乗っている一組の男女──お、ときめくわくわくする展開かと思いきや老いぼれジジイと小さな女の子じゃないか。これから冒険をするにはいささか退屈だな。私は停止ボタンをクリックした。「バロン」か。何回か観たが何と言ったらいいか話としては面白いんだが私にはもうそれらを感じ取る感性というものが抜け落ちていた。もとからなかったわけじゃない。忘れたかどこかに落っことして失くしたかしたのだろう。退屈な人生だった。それが大人というものだと知ってはいたがこれほどまでとはと自分でも残念に思えて仕方なかった。玄関ベルが鳴り戸を乱暴に叩く音。また借金取りか? 私みたいな者にカネを貸すのが悪いんだろうが。私はいつもの野球帽をまぶかにかぶり車のキーと財布の入ったセカンドバッグを持ち裏口から忍び出た。しかしそのT字路を通らないと駐車場には行けない。小走りで通り過ぎる。しばらく行ったところで帰りがけの借金取りに気付かれた。「あ! 待て!」私は急いで車に乗り込みエンジンをかけ走り去る。はあ、危なかった。「どこに行くの?」私はぎょっとした。後部座席にシートベルトをし終えた小学生くらいの女の子がちょこんと座っていた。「は? いつの間に乗った?」「それよりどうすんの? これから」「え? うちどこ? 送ってあげるから」「あたしたち街を救うために冒険するの。仲間を探しながら」「は? 何言ってるんだ」≪止まりなさい≫警察だ。ついてない。車を降りる。警官が言う。「あの子は?」女の子がウインドウを開けて言う。「娘よ、む、す、め!」警官によれば不審な事件が続いているので職質したとのこと。免許証を見て言う。「え? あなた、師匠じゃないですか!」「は?」「ほら私ですよ」「知らないよあんたなんか。もう行くから、さいなら」その警官は私の車の後部座席の女の子の隣に乗り込み「さ、出発だ」と言う。わけわからん。先が思いやられる。私はあてどなく車を走らせた。「街のみんなを救うのよ」「そうだ我々には使命がある、ね? 師匠」勝手に言ってろよ。──気付くと丸い照明の付いた白い天井を見ていた。夢か。何もかもかなぐり捨てて冒険したいと思うことがある。ほんのたまにだが。

焉道

「彼を止めろ!」私は沿道から叫んだ。彼は今自暴自棄で捨て鉢になってる。私だって最も過酷で自分との否応ない対決をせねばならないことは十分知ってる。しかし彼にはもうそんな生ぬるいことは関係ない。ただ身の破滅を、自分の犠牲を、犬死にを完遂させようとしてる。何よりも彼の中にはダイナマイトが仕掛けられている。心疾患という名の。「誰か彼を止めてくれ!」私は彼のうしろ姿を見ながら叫んだが無駄だった。──病室で彼は言った。「こんな世界のどこに価値がある? 言ってみろよ!」私は少し返答に困った。「そんなこと言うなよ。みんな頑張ってるじゃないか。お前も頑張れよ、な?」「うるさい! 俺に命令すんな。ああ、こんなもの必要ない!」彼はべそをかきながら生命維持装置の管をもぎ取ろうとした。ブザーが鳴る。看護師の人が飛んで来た。ひと段落して彼の涙が乾いた頃テレビをつけるとマラソン中継をやっていた。彼は何を思ったかむっくりと上体を起こすとベッドから降りようとした。「おい、なにしてる?」「走るんだよ」「馬鹿か」私は彼をおさえつけようとした。彼は暴れて抵抗する。ボタンを押し看護師さんを呼ぶ。インターホンから声がする。「どうされました?」「がたいのいい看護師さんをお願い! 早く!」また彼の気分が落ち着いた頃、彼は横で監視しているがたいのいい若い男性の看護師に話しかけた。「お前何かやってたのか?」「陸上」「種目は?」「砲丸投げ」「お、ほほう。間違って自分のタマ投げんなよ」その看護師は黙ってむすっとした顔を向けた。「おい、怒るなよ。冗談だ。はーあ、俺はマラソンの選手だった。中坊の頃だけどな。将来有望だった。しかしなぜか俺は女神に見放された。こんな殺風景なところに閉じ込められて。だが俺はここから抜け出す方法を一つだけ知ってる。頭のほうはいかれちゃいない」彼はテレビの佳境に迫ったマラソン選手を凝視した。ブザーが鳴る。彼は突然こと切れた。ゴールした選手にテレビカメラが寄る。「よお、砲丸野郎、ここだよ! アハハ。おりゃまだ走れるぞ」そいつは今来た道を逆走しだした。私は街に躍り出た。まだマラソンは続いている。沿道にも旗を振る人。どうしたのあの人と言う声。居た! 「おい、止まれ!」私は道路に出て前をふさぐ。「どけ馬鹿野郎! 邪魔すんな!」彼は、いや彼の魂ののりうつった奴は私を振り切って走り続けた。「彼を止めろ! 誰か彼を止めてくれ!」

木を切った男

セミはあの木にとまったがあの木はもうないから今後羽化するセミはもうあの木にとまることはない。あの木の木漏れ日は母を映し出したが何度も言うようだがあの木はもうないから、母はもう木漏れ日の中に映ることはない。──「殺されるよ!」母方の年甲斐もなく異常に外見を気にしてめかし込む悪癖を持つ伯母が叫んだ。息子が親父に殺されるわけない。そう信じていたが親父が母を殺すことはあり得ることだと悟ったのは間もなくのことだった。いやもう前後関係は定かではない。とにかく私と母は運よく親父に殺されることはなかった。数十年後あの化粧狂いの伯母は母が死んだことにかこつけて母が私を甘やかしていたから私の病気が治るとぬかしやがった。「見ようてみんさい、治るけん」これほどあの方言が気持ち悪く憎たらしく思えた言葉はない。あの馬鹿伯母を馬鹿伯母と呼ぶ根拠は他にもある。馬鹿伯母はその姉の一周忌の法要のときにお坊さんのお経を唱える声に対抗して某悪名高い宗教のわけのわからんお経をしかも声を出して唱えやがったんだぞ。これを馬鹿と言わずして──いやなんだったら頭がおかしいとかいかれてるとか言ってもいいが──他に何と表現できようか。私はあの伯母の像が木漏れ日で映し出されないようにあの木を切った。もちろん母の死後だ。木漏れ日が母を映し出さなくなった後のことだ。他にも理由らしい理由もあるにはあったが一番はあの伯母に呪いでもかけてやろうという意図がまったくなかったと言えば嘘になる。結果論的にそうなったと言えなくもないが何か理由を、しかも大きな理由、根拠を作らねば木だって一生懸命生きているのだ、むやみにその命を奪うことはできない。そう、ちょうどいい、あの伯母の像が二度とここに映らないようにしたのだと思えばいい。もちろん伯母は木漏れ日の中に映ったことがある。私は電動ノコでその木を切り倒した。手を取られそうになりながらもなんとか切り倒した。切った木は防砂壁の鈍角に接する隙間から崖の下の部分に投げ捨てた。なあに他の植物の栄養や魑魅魍魎の食糧になりやがて跡形もなく朽ち果てるだろう。二度と、金輪際、未来永劫、あの馬鹿伯母の像が木漏れ日の中に映し出されることはない。ただ休憩場所を奪ってしまったことだけはセミに心から謝るよ。セミだけじゃない、葉を食っていた虫や散歩コースにしていたトカゲ、遊び場にしていた鳥などに。あの木を切って申し訳ない。

先生

「“誰もが”って軽々しく言うなよと思います、少なくとも僕は違うぞって。あと“世帯”とか“会社”“学校”“チーム”などという言い方も嫌ですね。とにかく何でもまとめてしまおうって魂胆が見え見えなんですよ。僕は一人でいるのが好きってわけじゃないけどなんだか落ち着いて過ごせるんです。だからそれを否定されるような言葉が一番嫌いなんです」先生はペンを右手に持ち机に紙を広げいつでもメモできる体勢を取りながらもこれが見せかけだけだということを悟られまいと必死だったんだろう。何か抜け落ちてるのが髪の毛だけじゃないことがなんとなく伝わってきた。「ああ、なんかわかる気がする。私にもありますよ、そんな言葉。例えば──カメラ」「はっ! 受ける。カメたちがなんだお前らってそろいもそろって頭を持ち上げている絵。カメラだよって? アハハ」先生も笑ってらっしゃったような気がする。もちろん気がするってだけで僕はどこか別の方向に目をやっていた。僕が笑い終わった時先生の顔を一瞥するとにやついておられた。しめしめうまくいったという表情。しかし害意はない。少なくとも僕の読み取った限りでは。「他に何があるかな、ええと──」「先生無理しなくていいですよ。僕は先生が解ってくださったので満足です」「そう? 次の時までに考えとくよ。頓服はなかったね、ちゃんと飲んでます?」「はい」「お通じのほうは?」「はい、大丈夫です」「それじゃ今まで通り出しときますんで、お大事に」「ありがとうございました」「はい」──彼は通称“先生”といいこの特別閉鎖病棟じゃかなりの古株になる。精神病院じゃ動物園並みのにぎやかな毎日が展開されている。我々は別に彼らを動物並みの扱いにしているつもりはない。確かにそんな野卑な連中が居るのも事実だが。しかし先生は違った。言葉遣いは丁寧だし物腰も落ち着いている。ただ発作が起きた時だけは手に負えなかった。自分が先生ではなく殺人者だと言い張った時は厄介だった。発作はだいたい明け方に起こる。突然電話のベルが鳴る。「先生またです、先生が──」「あの鎮静剤を打って。暴れるようだったらいつもの隔離室に」「はい」このネタが古いことは知ってる。しかし先生が本当に犯罪者だったという話は? もっとも彼の妄想なのかどうかを確かめる術がない。物証もなかったし、目撃者も居ない。まさか虫ケラを殺したくらいで大騒ぎする人が居るとは思えないし──。

40億年の約束

アイロンをかけた後の布の蒸したにおいがすればまさかとほんの一瞬思うがすぐに思い直し母が居ないことを思う。あれからかなりの時間が経過したことに驚きや恐怖さえ感じていたが今思うのは長い時間の流れのうちの一地点に生きている自分の存在の不思議さだった。しかも病んでいる。アノマロカリスや三葉虫たちの生きていた古生代カンブリア紀も過ぎ、恐竜の跋扈していた中生代も過ぎた。彼らとは姿かたちは違えど同じだった。“孤独”であることが──。裏山の開発途上の──レジャー施設ができるといううわさだが──土の地面がむき出しの空き地に一隻の宇宙船が降りてきた。ばらすとそれはもちろん今日の朝方見た夢だったが夢の世界がもし理想世界そのものだったら、そして実はこの大宇宙のどこかにあるもう一つの世界と何かの手違いでつながってしまう現象だったら、誰でももう一度見たいと思うのではないか? 少なくとも私はそのうちの一人だった。裏山は開発途上ではあるが宇宙船などという非現実的なものが降りてくるわけなかった。夢の中以外では。“友達”は私を一瞥するなり笑顔でこう言った。「やあ、久しぶり。調子はどう?」私は言う。「はじめましてでしょ?」彼は言う。「え? あのとき約束したじゃない、必ずまた来るよって」「知らないよそんなこと」「あ、そうか。君はまだ覚醒してないんだな。こっち来て。大丈夫、すべて思い出すから」私は宇宙船に連れ込まれ何かの装置にかけられたが痛みを感じるどころかとてもよい気分になった。彼は言う。「思い出した?」「うん、君と友達だったことくらいかな」「じきに思い出すさ。さて、このことをみんなに知らせなきゃいけない。手伝ってくれ」「いいよ」──両親や伯父や伯母が亡くなったことは悲しいことだったけれど、本当に残念で思い出すたびにいつも「ちくしょう!」って癇癪を起こすくらいだったけれど、あの夢を見て以来なんとなく、ほんとになんとなくだけどさみしくなくなった気がする。それはなぜかと理由を考えると約束をしたからだ。「また会おう」って。次に彼が来たときはもう私はとっくの昔に死んでいるだろうし、今だって「人類? なんだそりゃ」ってなぐあいだもの。でも約束を必ず守るのが友達ってもんだろう? 裏山の空き地に宇宙船が降りてきた。彼は降りてきた友達に言った。「やあ、久しぶり。調子はどう?」「憶えててくれたんだね。君も調子が良さそうで何よりだ」

赦しと救い

玄関ベルが鳴る。玄関わきの小窓からのぞくと二人の年配の女性。彼がベルが鳴った瞬間に抱いた嫌な予感は当たった。見た瞬間思った、“宗教だ”と。一応「はい?」と言ってみる。「こんにちは。今度また集会があるので──」と言いながら片方の人が小さなチラシを取り出したところを目ざとく見ると“イエス”の文字。彼はとっさにこう言った。「あ、結構です」すると食い下がる勧誘員。「え? 何かご理由でもおありですか?」今更理由もクソもない。彼はそう思ったが「いえ、とくに理由はないんですがお断りしてるんですよ」と。ビラ一枚もらうことの意味はよく知っていた。“また来るぞ”のしるしだ。そして断ることの意味も知っていた。“うしろに気を付けろ”もしくは“消防車を呼ぶ準備はいいか?”だ。もちろんそれは彼の妄想上の話だったが連中に何をされるかわかったもんじゃないという恐怖を全く感じていないわけがなかった。それに今消されたらそれに気付かれるのは墓地清掃に参加すると言っておいて来なかったと訝しがる人が仮に居たとしたら早くて三日後。それと月末に講金を集金に来る民生委員のおばさんが運良く気付けば約1週間後。さらに駐車場代金が振り込まれていないことにあの金持ちのおばさんが気付けば約2週間後になる。これは望み薄だがこのブログの更新が滞ったことを不審に思って通報する人がもし居れば約1ヶ月後には一人の人間がこの世から消えたことが発覚するだろう。連中に危害を加えられたことは今まで一度もない。神仏を心底信じている人というのは本当に良い人ばかりなのだろう。はぶられさえしなければ。今彼は重大な過ちを犯したのかもしれない。もし神仏が本当に存在するなら彼らが多くの人にそうするようにその罪は赦されるだろう。たとえ彼が彼らのことを信じていなくても。しかし彼に危害を加える者は何人たりとも彼らは赦さないだろう。もちろん連中はそのことを知っているから彼が想像しているような恐ろしいことは絶対に起こらない。彼は神仏を信じる信じないは別としてそれだけは信じようと、心底信じようと誓った。ほら、よく言うじゃない、“信じる者は救われる”って。あの勧誘員の年配の女性たちが「貴重なお時間いただきました」とか言ったか言わなかったか、おそらく言わなかったほうに賭けるがそのくらいビラを受け取らなかったことはもうどうでもいいことだった。赦され、そして救われたのだから。

誰かが使った部屋

「ふざけやがって!」彼はぽきぽき指の関節を鳴らしながら言った。「当事者でもないのに病気ネタで遊びやがって。しかもまた言葉を盗まれた。ちくしょう!」もちろんそれは独り言でしかなかったが部屋にあるあらゆるものにそれは染み付いた。それとは言うとするなら“怨念”だった。マツコが言ってた、他人の家に泊まるのは絶対イヤだと。あらゆるものに怨念がこもっているからだと。風呂にも入りたくないし、布団も使いたくない。においとか汗とかいうものだったらあるいは──いやそれも含めてだ。彼女いや彼は自分を卑下していたが自分の場合と考えてもみたまえ、弟の残していった煙草や香水の残り香や枕カバー代わりに使っている黄色いタオルに染み付いた母の病床の微弱なにおいでさえ敏感に察知し嫌な思いをするのだからそれらがもし他人の物だったらと想像しただけで背筋に悪寒が走る。彼の部屋には主に怒りが染み付いていたが若干の悲しみや喜びもあった。それらもひっくるめて怨念なのだ。彼の死後ここに住むことになった不運な人のケースを見てみよう。その人は部屋を入念に掃除した。まるで怨念をはらい拭い取ろうとするかのように。風呂やトイレ、キッチンも同様。布団はもちろん自分のものだ。その人は怨念などないと自分に言い聞かせたが駄目だった。引っ越してきて間もなく原因不明の体調不良に見舞われた。やっぱりだとその人は思った。部屋を紙垂の付いたしめ縄で取り囲みお札を置き四隅に盛り塩もした。よしこれで大丈夫だと思った矢先階段下の廊下の電球の交換をしていると脚立がぐらついた。すんでのところで体勢を立て直すことに成功したが手が滑って電球を床に落としてしまった。散らばるガラス片。床に下りると足裏に痛みが走った。スリッパを突き抜けてガラス片が飛び出していた。不吉だ。その人は病気を発症することになる。精神病。それでも原因をつきとめようとしたが怨念のせいとしか言いようがなかった。夜中の静寂の中で聞こえてくる人のかすかな話し声。それはこう言っているように聞こえた。「ふざけやがって! 当事者でもないのに病気ネタで──」そしてありとあらゆる悪口雑言が聞こえてきた。「もうやめて!」彼女は言いながら理由のわからない涙が頬をつたうのを感じた。「あいつはくたばったか?」「ええ、もちろんとっくにくたばってる!」「そうか。邪魔したな」あの夜以来、彼女の病気は快方に向かっている。

尾行

「歳は40前後、職業は──こりゃ見るからにペーペーだな。平日の昼間にあんな格好で出歩いてるのはたいがい年金受給者くらいだ。スーパーで2千円ほどの買い物をしたにもかかわらずその足でコンビニにもより昼飯を購入。駐車場で周りを確認するふりをしながら隣の普通車の運転席でスマホを弄っているいい女をガン見。帰路、路地で厄介な向かいのババアに遭遇しなんで騒いでやがるのかと思ったら電気メーターの検針の人が自宅の前に居ることを確認。それぞれ適当に挨拶をした後自宅へ入った。以上だ」「了解」私は連中に尾行されていることは知っていた。しかしいつも気付かれないようにしているからまだその行為は続いている。玄関のドアの上に明かり取りのガラスがはめ込んである。そこから連中がこちらの様子をうかがっているのが丸見えだ。私は家の中に缶詰めになるのだけは極力避けていた。なぜなら連中に気付かれたと思われたらアウトだからだ。慎重に行動する必要はない。普段通り買い物に行き、まっすぐ帰る。今日なんかゴミ袋を買いにホームセンターに行ったらやつらがそこかしこに居た。とくにメダカをくれと言い出したおっさんが居たがそいつもその対応にあたっている女性スタッフも連中の仲間であることは間違いない。うまく私を騙したつもりらしいが私はわざとその横を通ってやった。通路をふさぐおっさん。その後ろで「すみません」と声をかける。女性スタッフが「通してあげてください」とわざとらしく言ったのに反応したと見せかけておっさんが「ああ、すみません」と言ってどいたので私も「すみません」と言って横を通った。うむ、気付かれちゃいない。しかし金魚でなくメダカをくれと言った時点で私にはピンときた。やつらだ。店内を適当にぶらついたあとレジに行きいつものようにポイントカードを出した。「すみません、ゴミ袋はポイントが付かないんですよ」なぬ? そんなルールは聞いてない。まさかばれちまったのか? 私は必死に動揺を隠し何食わぬ顔で店を出た。外の苗置き場で水をやっていた男性スタッフが「ありがとうございました」と確かに言った。私の疑念は確信に変わった。ばれてる。しかし私はまだ大丈夫だろうというかすかな望みをたよりにやっとの思いで自宅にたどり着きまたあの玄関ドアの上の明かり取りから外をうかがってみた。居る。ふう。とりあえず非常事態は免れたようだ。危ういが何とか均衡は保たれている。

邪神の夏

彼は太陽に延々と罵声を浴びせられながらコンビニへの道をぼんやり歩いていた。昼飯を買いに行くのだという他に一切の雑念はなかったが普請をしている家から聞こえる大工仕事の音や行き交う車のエンジン音などが視界に入っていた。「こんにちは」注意深く左右を見て交差点を渡ったところでふいに声をかけられた。私に言ったのか? 後ろを振り向くと誰も居ない。確かに私に向かって言ったのだ。見ると看板が立っている。記憶にとどめるのは不可能だったが何かのイベントらしい。彼は言ったのか言わないのかわからないくらいのかぼそい声でこんにちはと返し会釈してそそくさと通り過ぎる。コンビニでは野菜ジュース、おにぎり、サンドイッチを買い、「明日からまたおにぎり100円セールです」と言う声を聞いてああ今日からじゃないのかと内心自嘲した。駐車場を横切ると歩いてきた二人の青年の威勢のいい声が聞こえた。「あっつー何これ?」と。たぶん夏だと思うよ。夏だからだと思うよ。あの交差点に差し掛かると自転車に乗ったキレイなおねえさんがこっちをじろじろ見ながら通り過ぎた。やっぱり股間に圧を感じてるのかな? 右左右左とペダルをこぐ足の動きに合わせて圧を感じてるのかな? 彼はちょっと卑猥な妄想をしたことを右手のタクシーの待機所の連中に悟られることはないことに安堵しまた自嘲した。夏だと思うよ。注意深く左右を見て一台の車が去っていくのを確認してから交差点を渡る。車というものはなんだな、独り身にはどう考えても無用だよな。クリニックとスーパーへ行く以外なんの役にも立ってない。毎月高い駐車場料金をぼられているだけだ。そういう定型文しか言えない野郎になっていることを釘打ち機の耳障りな音を聞きながら彼は思いまた自嘲した。夏──だと思うけどなあ。自宅にたどり着き郵便受けを見るとやっぱりだ。行きしに配達員がバイクで通ったのを見た。封筒に入ったちょっと厚いもの──文庫本だ。そう、この暑さこそ夏である証拠なのだ。アツはナツい。あ、うわついたやつの真似はやめろ。開封する。「クトゥルー神話事典」。邪神の力が最も高まる季節──夏。彼はその世界を知らなかったが知らないほうがいいことだってある。特に自転車に乗ったおねえさんがどうのとかいったことなんか。夏に知った死とかも。でも今はやっぱり夏なんだと思うよ。だってサンドイッチから腐臭が──すでに腐臭は全身から放たれていた。

螺旋の彼方

もうかなり遅い時間にラーメンをこさえた。向かいの電灯ももう消えている。3分経ったことを告げるタイマーがけたたましく鳴ったのを制し火を止め片手鍋を文字通り片手で持ち上げたその時、らせんを描きながら一匹の蛾が鍋の中の熱湯──すでに麺と渾然一体になっている湯──に気違いじみた感じで飛び込んできた。一瞬で死んだ。その一瞬、私は母の声を聞いた。それは自暴自棄になったはちゃめちゃな感じでこう叫んでいた。「こんな理不尽な生はいやじゃ、はよ殺して! 殺して! 殺して! ころ──」お望み通り死んだ蛾を私は箸でつまみ取り鍋の外に出した。そしてティッシュペーパーでくるみゴミ箱に投げ入れた。らせん状に飛ぶ蛾を母が手でつかみ取ろうと何回か手を前に出す仕草をするところを私は思い出していた。蛾はなぜらせん状に飛ぶのか? 光に目がくらんでしかもなぜ死にたいと思いながら飛んでいるのだろうか? だからあんなに自暴自棄に見えるのだろうか? 母が輪廻の中に居るのは間違いなかった。たまたまさっきは蛾だったのだろう。再び人間になる時はもう母ではない。しかしどうして天国に行っているはずの母が地獄みたいな体験をせねばならないのだろう? おかしいよ、こんなこと。息子が犯した罪の責め苦を母が背負っているとでも? 私は罪をつくりたくなかったが、いや心底つくりたくなかったがなぜかいつの間にかできてるんだなこれが。何かをすることはすべて罪だったし、ただ妄想することでさえ罪だった。今ラーメンをすすっているこちらの様子をうかがいながら寝たふりをしている一家を叩き起こしてやろうかという妄想も、そして夜中に吠える癖のある犬を飼ってやがるねえちゃんに入れられることが気持ちいいと思う女は絶対に居ないと思うと言ってやろうかという妄想も。さらに言えばその一家の中学生の坊やがそのねえちゃんのあそこに自分のおっ立ったブツをぶち込みたくてうずうずしてるという妄想も。すべて罪だった。私は昼間になればケロッとしてる。一番怖いのは布団に横になってから意識が遠のくまでのほんの小一時間くらいの間だ。私の脳は今やった処方通りの薬に抗うかのごとく活発に動き回る。まあ、活動範囲は旅行でもしない限りこの街を出ることはない。私はいつも祈ってる。母が後世で幸せであるように、そして妄想がこの界隈を滅ぼさないようにと。ああ、またあの時間が来る。今日もやるのかね、坊やとねえちゃんは?

愛を与える男

誰からも愛されてない男は生きる価値がない。私がそう思ったのは3年前の夏のことだ。その時は言葉にできなかったが似たようなことを考えていたのは確かだ。唯一愛してくれていたであろう母親がみまかるということの意味をもう一度よく考えろ。私にはもう生きる価値がないのだ。ちょっと待て。追っ払っても追っ払ってもやってくる野良猫は一体なんなんだ? まさか私を愛しているとでも? そこらじゅうをトイレにしているだけじゃないか。くそいまいましい。しかし私が他の生き物を愛してきたことは自信を持って言える。クワガタ、カブトムシ、スズムシに始まり、セミやトンボ、昆虫だけじゃない、川の魚たちやカニ、犬や鳥まで。いろんな生き物を愛していた。彼らには生きる価値があった。私に愛されているという点で。それなのに私自身には生きる価値がなくなった。それが3年前の夏に始まった呪いだった。しばらくして私はあることに気付いた。愛されはしないが愛することはまだできるということに。あらゆる生き物に生きる価値を与えてやることができる。しかしいちいちそんなことを考えながら過ごしていたら神様気取りもいいとこだ。生き物を愛すると逆に愛されているような錯覚にとらわれて、それが面白くて今唯一メダカを飼育している。いいや、自分なんか愛されなくたっていい。無償の愛を与えてやるのだ。それが私の生きる価値になった。愛は執着。ネットスラングでは“粘着”とか言って蔑んでいるがそういう気質のある人はもともと私と同じ愛を与える人だ。自分に生きる価値がないのを知っている人だ。愛すると逆に愛されているような錯覚にとらわれて、愛を与えたがる。それが執着の私の考える意味だ。執着は人間の心の自然な発露。それがない人間は人間ではないと言っていい。誰でも多かれ少なかれ執着心は持っているものだ。それを捨てれば苦しみから逃れられると言っているのが原始仏教の教えである。仏教に限らず宗教というのはやたら苦しみから逃れたがるが、苦しんでこその歓びというものもある。数々の名作と呼ばれる小説や映画などではたいていそういうことを謳っているではないか。自分に生きる価値がないと思っても、あるのが当然と思ってるやつよりずっとよりよく成長できる可能性があることに気付いたほうがいい。それに何度も言うようだがこれは大勢の人前で大声で叫んだっていい。私は愛されているのではない。愛しているのだ。

何かあるもの

存在がなくなるということを心底理解できるまで私にはかなりの時間が必要だった。そう今も半分も理解できていない。それどころか今もそれが存在しているのだと、錯覚というのかなあ、とにかく存在はしていると思っていた。感情移入というのは別に映画の主人公だけにするものではない。コンビニの店員がなぜトイレに入ろうとして引き返したのか? それはおそらく禿げ隠しのために帽子をかぶった気取った眼鏡のおっさんがしゃがんでゴミ箱からあふれて散乱した湿ったくしゃくしゃのタオルペーパーを拾い集めている現場に遭遇したからに他ならない。なぜそんなことをしているのか? 単なる親切心でゴミを片付けているだけなのにその店員は何かよからぬことを想像した。もうやってるな? 感情移入だよ。母親の葬式の最中いきなり慟哭しだしたおっさんに感情移入できるか? おそらくお前らにはできないだろう。そんな経験をしたこともないお前らにはなあ。しかしさっきのコンビニ店員はどうだ? しかもそれが女性だったら。女ならもちろんわかるだろうが男だってわかるんだぜ。ああ、余計なのが居るなって。おっさんがそう思ってないと思うのは勝手だが感情移入はちゃんとしてる。たとえゴミクズみたいなおっさんでも。それももちろんわかってるから避けるんだろ? どんな思いで勘付かれないように知らんぷりで適当に商品を弄るふりをしていたのかさえわかる。そしておっさんがいい塩梅でトイレから出てくるのを認めたあとで心置きなくトイレに入れると思っていることもわかる。なにも隠す必要はないのさ。「よお、おっさん、なにやってる」くらい声をかけてくれたっていい。しかし誰もやらない。とくに休憩時間の来たコンビニの店員は。そんなこと馬鹿がやることだとでも思ってやがるんだろうだって? あんた筋がいいな。しかしその答えはちょっと間違ってる。余計なことをしない、それがあいつらの金科玉条なのさ。それが本当の感情移入ってもんさ。感情があるって思うだろ? しかしそんなものないどころか否定してるんだよ。感情を否定することによって自分を牛耳ってる気になってるんだよ。何も不思議なことはない俺たちが普段やってることなんだから。何かがあるとしたら感情しかない。それは理性でコントロールすべきだという偉い人も居るようだが見てみろ世界を。理性ってあるか? あるのは感情だろ。もっとも俺たちはそれもちゃんとわかってる。そうだろ?

冷蔵庫を思い切りぶっ叩く!

冷凍室の扉を何度も開けごまかしていたがあまりにしつこいので私は大きく振りかぶってそのどてっぱらを思い切り平手打ちした。多少のそれなりにでかい音が一発したが手が痛かっただけで何も変化がない。うんうんうなっている冷蔵庫を黙らせるにはコンセントを抜くしかなかった。そう、もう寿命だ。今年で7、8年目になるか。それにこのメーカーの冷蔵庫は音がうるさいので定評がある。さらに言えば、独り身には大き過ぎた。現に主に使うのは焼酎をロックでやるために自動製氷機能が欠かせないくらいで、冷凍食品をたまに買うのとお茶を冷やすため、夏などはアイスコーヒーにも恩恵が与えられた。他はマヨネーズやドレッシング、めんつゆなどの保管庫として、それからビールや要冷蔵の食品の一時避難場所として活躍した。引き取りに来た顔なじみの業者に冷蔵庫って重たいのかという世間知らずな質問をしたため、かもいが低いから気をつけろという忠告を二度も忘れられて「痛っ」という世にも外連味のある言葉を三度聞くハメになったのはつい数時間前のことだ。博物的な観点からずっと台所に飾っておくという考えも多少はあった。思い出深い冷蔵庫だった証拠に今でもありありと思い出せる母や伯母、伯父と共有していた貴重な時間のこと。“目に見えないと心から消えていく”という有名な諺を私は半分信用していない。あの叩いた時に感じた痛みは母親が子を産むのと同じくらい心に刻まれたし、別れの挨拶にするにはちょうどいい景気づけになった。忘れるとしたら若年性認知症のせいだろう。この家に来た時も、そして去ってゆく時も、私はずっと見守っていた。一人の人間の一生を見るようにずっと。新しい冷蔵庫はまだ買わない。中古の小型が健在だからしばらくはそれで事足りるだろう。それにまず先立つものがない。ほら、冷蔵庫って物入りじゃない? しかし今度もし買う時はあのメーカーは避けることにする。今時うるさい冷蔵庫なんて流行らないし、重たいのもどうかと思うがね。あと水漏れするのもどうにかしろよ。うち木造だから床や柱が腐って仕方ない。普請した時、柱をついでもらったがあの冷蔵庫にして以来水は漏れてなかったようだ。引き取り料金は千円引いてくれた。善意なのか裏があるのか、卑俗なリサイクル業者に頼めば約三分の一で済むことはもちろん知っていたが思い出作りにも先立つものは必要だろう? だが消えるのはカネだけにしてくれ。

念獄

“はあ終わったろ”じゃねえんだよ、クソガキ! 私が掃除機のスイッチを切った時そう聞こえたので腹が立ったのだ。ぎりぎりまで切り詰めて節約せねばならないって時に車の12ヶ月点検だ? しかも任意保険まで満期が近付いている。まただ。うるせえ! 布団を叩くな! 俺は叩くぜ、当たり前じゃないか。私と俺が行ったり来たり、正直どっちだっていい、あのガキにとっては。風俗は摘発するがキャバクラなどは野放しか。彼らも結局のところお楽しみはとっておきたいんだろう。人間様、さまさまだな。私がしけこんでることを知ったところで連中に何か利益があるのか? 損ばかりさせられてこっちゃもういい加減キレそうだってのに。そうやってキレちまったやつを次々に豚箱にぶち込んで自分の尊厳を保ってやがるのを俺は気に食わなかった。そしてそれに甘んじてガキまでこさえて自分は真面目なんだと自分に言い聞かせている連中を俺は気に食わなかった。だから俺は反抗した。それは反抗期なみのそれだった。私はただあのガキに知らせたかった。こんな大人になるなよと。しかしその希望はかなわなかった。あのガキは結局人並みの──人というものがどういうものかいい加減お解りのことと思うが──大人になった。私は責任を感じずにはいられなかった。毎度言ってくる悪口などなんのことはなかったことに早く気付いてやるべきだった。結局、結局だ。何も変わらない。あのガキがどこにでも居るような平々凡々とした貧乏人になったように世界のあちこちで同じ現象が繰り返されているのだろう。そして豚箱にぶち込まれる。ぶち込んだほうはまたガキをこさえ自分は真面目なんだと自分に言い聞かせる。いいことを教えてやろう。私は真面目だった。少なくとも自分は真面目なんだと自分に言い聞かせていた。環境のせいにするつもりはないがしかし、環境も一因には違いなかった。私が俺になったのも、僕がオレになったのも、もっと言えばあの子がガキになりクソガキになり、そしてくそったれになったのも。止めようがなかったんだ解ってくれ、私は悪くない。ここにはそういう思念が働いてるんだ仕方ない。聞こえてくる鳥や虫の声、車のエンジン音、葉擦れの音、布団叩きの音もそうだし、どこかで家の普請をする音もそうだ。あらゆる現象が必然を生み出してるんだ。彼らはここを“念獄”と呼び封印した。それなのに今や人が住んでる。仲良しでいいねと、風が通り過ぎた。

カラスの目

私はコンビニを出たところでふと視線を感じたので上を見た。顔に鳥の糞らしき物が降ってきた。ちくしょう! カラスが嘲笑するように鳴いていた。それは運の悪いことに左目に入った。すぐ自分の車に戻り、こないだ郵便局でもらったポケットティッシュをセカンドバックからまさぐり出し、ああ、ちくしょうと言いながら左目を拭いた。目はすぐ見えるようになった。しかしどうもイライラがおさまらないどころか私の心の中のすべてを支配した。帰宅した私は買ってきた物をおっぽり出して今にも爆発しそうな気分で鏡を見た。左目がまるで悪魔の目のように白目がなく真っ黒だった。本当に吸い込まれそうになるほど黒かった。くそっ! 何かの成分が白目に浸透したのかもしれない。私は目薬を探した。すぐに見つかった。いいぞ。私は目薬を差した後ティッシュで拭いまた鏡を見た。変化がない真っ黒のままだ。シャワーを浴びよう。私はシャワーで左目を丁寧に洗った。鏡を見ると何も変化がない。どうしよう? 眼科に行ったほうがいいだろうか? 厄介なことになってきたなと一瞬思ったが何のことはないと思い直して次の日眼科を訪れた。左目は依然として変化がなく全体が黒いままだった。診察室に入って医者に自分の左目を見せた。医者は見るなり一言「ああ、カラスの目ですね」と手慣れた口調で言った。「な、なんです、カラスの目って?」こんな返答をして当然だと私は思った。「え? ご存知ないのですか? 今テレビでも流行ってますよ」「すいません、テレビをあまり見ないもので。で、なんなんですか?」私は恐る恐る訊いた。「ご安心ください。別に病気とかじゃありません。ただ──」「ただ?」私はもったいぶる医者を促した。「治りません。言い方が難しいのですが慢性病みたいなものですよ。病気じゃありませんが」私は不安になった。「どうなるんですか?」「ご心配なく。何かやらかしそうなずるがしこく卑しい目つきになっただけですから、あはは」「あははじゃありませんよ、どうにかしてくださいよ」「一応痛み止め出しときますんで。ほんとに今流行ってるんですよ」それ以来街で人と目が合う度に「あの人カラスの目よ」とヒソヒソ話されるようになった。今では私は影になるように帽子をまぶかにかぶりサングラスをして外出するようになった。そう言えば最近私と同じような格好の人をよく見る。流行ってるのは間違いない。良いのやら悪いのやらわからない。


これらの物語はフィクションです。
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