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目次(あとがき)
※下記の文章は「あとがき」ですので、小説本文のほうを先にお読みください。
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※小説本文の最後に「あとがき」へのリンクが載せてありますので、ご利用ください。
「クランブリング・ホーム」あとがき
「嵐の一夜」あとがき
「バードマン」あとがき
「ふるさとファンタジー」あとがき
「ウォラナイト」あとがき
「ファンタジーのはじまり」あとがき
「テーマパーク・ハイスクール」あとがき
「石のこころ」あとがき
「明日です!」あとがき
「ナリッジ」あとがき
「西方の絵師」あとがき
「妄想商人」あとがき
「海外旅行幻想」あとがき
「ムカデの話」あとがき
「THE NEXT WORLD」あとがき
「ゴミ捨て場はパラダイス」あとがき
「ストーリー・イーター」あとがき
「メテオ」あとがき
「スリーピング・ジャイアント」あとがき

「クランブリング・ホーム」あとがき

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共通一意試験

映画好きであれば、「暗黒面」という言葉をご存知だろう。言わずもがな、映画「スターウォーズ」にて、言及されているフレーズである。拙作「クランブリング・ホーム」は、もはや、ひと昔前と言っていい頃に出来上がったものだが、何度か、再読した結果、コレは暗黒面とのけりのつけかたの一つではないかと思うようになった。

心持ちの悪い部分、法律が悪いと決めているものとは限らず、自分自身が悪いことだと決めていること、そういうものを人間誰しもが、意識しているものだとは言えないかもしれないが、ああコレは、悪いことだと直感的に思い、自制する。これすなわち、性善説の根拠であり、まさに、人は「善」という作り話を自分に語り聞かせて、生きる苦しみをやわらげようとしているのである。(出典:「悪魔の嵐」)この、概して、「善」というものは幻想である、という物語を信奉しているのであれば、この作品の主人公のように、自分がかけた呪いを、自分で解くという行為そのものによって、「善」が単なる幻想に過ぎないのだと、理解することになる。きっと、そのことに気づくハズである。

善と悪は一意ではない。

善人は悪人になることがあり、悪人であっても、善人になることができる。善悪を決めているのは、自他問わず、人間なのであり、「宇宙」という概念を持ち出した場合、善悪というものは、何の意味もなしていないのである。繰り返すようで恐縮だが、それらを決定しているのは、人間だけである。人間だけが理解できる概念なのである。したがって、人間社会で生きるためには、必ず守らねばならない、大切なことである、という論理となろう。

しかし、人心は理性だけで出来ているわけではない。たいていの人間は、本能や無意識といった、十中八九が「悪」で出来たシロモノと、常に戦っているか、スルーしているか、ただの不感症か、のいずれかである。

そう思ったとき、「やさしさ」の意味と価値を、心の底から、思い知ることになるだろう。
2021/11/20 【更新日:2021/11/20】

「嵐の一夜」あとがき

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人間不信の克服

まず最初に、必ず言及しておかねばならないと思うのは、この作品に説得力がない理由が、改稿前のいったん完成した時点で、著者がその人生において、一度も結婚したことがない点にあることだろう。おそらく、この事実を知らされた読者のかたは、「はぁ?」と思われるに違いない。自分でも、よくこのような作品が書けたなと思うほど、他人の畑を荒らしたような罪悪感が、なきにしもあらずである...。しかしながら、それで言うと、隣の芝生は青く見えるとゆー法則どおり、逆にそのほうが、大切さ、価値などといったものがよくわかるパティーンでもあるのだ。

前述したとおり、この作品をホームページに掲載するにあたり、再読した際に、ラストの文言に違和感のようなものを感じたため、ほぼ即興的に、改稿を施した。それにしては、うまい具合におさまったものだと、我ながら思っている。

何度か、全体を通して、読み返してみたが、よろしい出来であると、親ヴぁかな感想を抱くほどの作品に仕上がっていると言っていい。というのも、取り扱っているテーマが、短い言葉で言うと、「人間不信の克服」だからである。この自賛できる理由は、言い換えると、昨今、有識者のかたがたが口をそろえて唱えておられる、よりよく生きようと思うなら、他よりも、まず、自を変えることが大切であるという訓戒が、明示されているからだ、とも言える。

死んだ者の喜びのためにという意識を持った、生きている者のこれから...。現実世界において、死者は二度と生き返らないがしかし、きっと、あの人は喜んでくれるだろうという心がけをすることで、生きる苦しみは、多少は、やわらぐのではないだろうか?
2021/11/16 【更新日:2021/11/16】

「バードマン」あとがき

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自己犠牲

あとがきを書くために読み返したとき、おもしろいと思うことはあまりないのだが、どういうワケか、この作品はぐいぐい引き込まれた。自分が書いた作品ながら、おもしろさを感じた。学生どうしの会話のテンポが良い点や、そういう設定に安心感がある点に、ワタクシ的高ポイントをつけたい。ベタではあるが、完成してから、長い年月が経過していることも、そう思う一因だろう。今読むと、へえ、よくそういうところに気づいたな、と、新鮮に思える表現が散見される。やはり、若い頃の感受性には脱帽してしまう。このことは、私だけでなく、一般的にも言えることで、よく子供たちのことを「多感」と表現することからも、昔から是認されていることのようだ。

とまれ、題材が「自己犠牲」にスポットをあてている。書いた当時、それがこの世界で一番大切なことだと思っていた。流行りの言葉で言えば、「尊い」ことだと思っていた。その思いを作品にしたかった意図がうかがえる。今現在も、そういう思いでいるかどうか? たしかにそれは尊いことだとは思っている。しかしながら、実生活で実際に実行実践しているような実感はほとんどない。客観的に見て、自己犠牲だったとしても、私はそう思って、なにかをやっているワケではない。なぜ、やるのか? それは捨て鉢ぎみに、え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛ーい!! と、ほぼ気合いのみで動いている(笑)。これはどう考えても、自己犠牲とは言えないだろう。

冗談はさておき、タイトルが少々失敗だったかなと思っている。作中に登場する名称だから、こうするしかなかったらしい。楽しめる内容ではあると思うのだが、いかがだっただろうか。
2020/12/15 【更新日:2020/12/19】

「ふるさとファンタジー」あとがき

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希望の源泉

過ぎ去ってしまった子供時代を思い返すと、なぜか光輝いて見える。つらいこともそれなりにあったが、あの頃はあの頃で、幸せに満ちていたように思う。この作品を書くことは、それを思い出す作業だった。

今となっては、ずいぶん昔に書いた作品だから、強い思いはうすれている。しかしながら、ざっと目を通してみたところ、当時、どういう思いで書いたかが、なんとなく、実感できた。ただ現在もそういった思いがあるかと問われると、たしかに、幸せだったなあとは思うものの、過去には絶対にもどれないという絶望感しかない。

ただ、子供時代に起こった現象たちが、無意味で、無価値なものだったとは思いたくない。体験したことが無意味で無価値だと思いながら、生きてゆくことができるとはとうてい思えない。もしも、それでも生きていられるとしたら、それはそれは、つまらない、とるにたらない人生になっているに違いない。なにかわからないが、意味があり、価値があると思うからこそ、まっとうに生きていられるのではあるまいか。そういう思いこそが「希望の源泉」なのではあるまいか。

2020年現在は世界的にコロナ禍に見舞われているが、自分が感染してしまうのではないかという恐怖よりも、こういう考え方が瓦解してしまうことのほうがはるかに恐ろしい。実のところ、私はもうすでに生きる気力がほとんどない。なぜかと思うに、やはり、生きることに意味や価値がないのではないかと疑うようになったからにほかならない。それらがないと思ったら、なにかをやってやろうという気力は出てこないと思うのだが、私だけだろうか。ホームページをこだわって作り込んでいるということは、多少の生きる気力は残っているようだ。

とまれ、繰り返すようだが、なにかわからないが、体験してきた現象には意味や価値がある。その「希望の源泉」を、この作品では表現しようと思ったらしい。「希望」は、人間が生きていくうえで、共通して、必要不可欠な要素ではないだろうか。
2020/12/13 【更新日:2020/12/14】

「ウォラナイト」あとがき

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希望

この作品の冒頭にかかげている三人の女性たち、それから、主人公が忌み嫌っている女性たち、また登場人物の多くは、何を隠そう、実在している人物をモデルにしたと正直に白状しておく。私の場合だけではないと思うが、小説を創作する行為はたいていリアルをフィクションに置き換える作業である。当然と言えば当然かもしれないが、やはり材料がなければ何もつくれない。何もない空間に何かを出現させるのはまず無理だろう。現実という材料がなければ、物語は生まれようがない。

内容としては、私の実体験と想像したことをこねくりまわした結果である。それも物語の創作においてはごく当然のことと思う。ただこの作品は、言いたいことや、したいこと、あるいはしたくないことを自由に書きたかった。本当に自由に表現したかった。その片鱗がそこかしこに散見されよう。だから、我ながらかなり危険な描写が多い。この作家の思考は危険だなと思われるかもしれない。

一つの物語としてはうまくまとまった感が自分でもあるものの、最初と最後では語り口が、画面の角度と言ったらよいか、そのあたりが異なっているので、おかしな感じになっているのは否めない。その点が力量不足であったと思っている。

娯楽作品と見れば多少は面白い作品に仕上がっているとは思う。

一番最後の言葉「おはよ!」は生前の母が倒れた日の夏の朝、私に言った言葉であることは作品中に書いたと思うが、なぜフィーチャーしたのか理由を言えば、もちろん、残念で仕方がないからだ。なぜあのとき母を無視したのか? それは単に機嫌が悪かっただけだから、余計に残念に思っている。非常に後悔している。

母が亡くなって七年目の夏の朝が来ようとしている。私はいかに生きてゆけばよいのか? そう立ち止まって深く考えることが最近はほとんどできていない。ただただ毎日、不安との闘いがあるだけである。だから少なくとも、あたたかい春に早く来てほしいのだ。そして、後悔の念を払拭してくれるような夏が、いつの日か来てくれることを、私は心の底から待ち望んでいる。

それがこの作品に込められた「希望」である。
2020/01/20 【更新日:2020/12/12】

「ファンタジーのはじまり」あとがき

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二つの物語

当時、二つの物語が並行して進み、最終的に一つの物語になるという作品をどうしても創りたかった。というのも、そうした既知の作品が、具体的には失念しているものの、面白いと強烈に思ったからである。自分も創ってみたいと思ったのが創作の動機だった。

このあとがきを書くにあたって、ざっと目を通してみたが、自分でもいいことを書いているなとハッとする文章などもあり、なかなか面白い作品だと思う。狙い通りに二つの物語が最終的に一つの結末になっている。

ただ、このタイトルについてだが、当初は「Fのはじまり」としていた。インターネットは便利なもので、検索すると、この「F」というアルファベットを使った作品がすでにあることがわかった。これはまずいと思った私は「F」ではなく、「ファンタジー」とした。今ではそれはいい判断だったと思っている。パクっただろうと揶揄されるのは作家として致命的であるからだ。

なんでもそうだが、テクニックは優秀なものをパクっていいのだ。聞こえは悪いかもしれないが、技術を盗み、その技術を使って、独自のものを創る行為はたいていどの世界でもなされている常識ではないか。
2020/01/20 【更新日:2020/12/10】

「テーマパーク・ハイスクール」あとがき

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リフレイン

かなり昔に書いた作品で今更あとがきを書けと言われても土台ムリな話である。だが作品を掲載した以上書かねばならない。そう思ったのでキーを打っている。

読み返してみた感想は、自分で言うのもなんだが、おもしろい作品ではないかと思う。ただ、タイトルの通り、高校生が主人公なので、青春要素が多くて、ご老体には少々こたえる作品かと...(汗)。こんな作品を今書けと言われたら、絶対確実にムリである。いやまず書こうとは思わない。まさに一瞬の閃光に等しい作品である。

作品中の「光の間」の光は、「永遠の存在」という謎めいた設定のつもりである。すべてのエネルギーの源泉だ。背景画像はその光をイメージできるものを選んだ。

この作品では、「リフレイン」という手法をあからさまに採用している。要するに、「繰り返し」である。それが有効にはたらいているかどうかは、やはり読者の恣意に一任されているということになろう。
2016/08/20 【更新日:2020/12/27】

「石のこころ」あとがき

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オマージュ

10年近く前に書いた作品だが、我ながら面白かったというのが再読してみた正直な感想である。調子のいいときに書いたのか、今ではあまりお目にかかれないユーモアも散見される。ただ一番の手抜き工事は八正石の一つ正見を除いた他の七つがどのようにして覚醒したのかを書いていないことだろう。それを一つ一つ書いていたら相当な長編になったに違いない。書いた当時何を思っていたか思い出せないがたぶんこのネタはあの有名な「八犬伝」に着想を得たことは容易にお解りいただけるだろう。しかし断固としてこれを二次創作とは呼びたくない。さしずめオマージュ、インスパイア、トリビュートなどと呼んでいただければまずまず溜飲が下がるというものだ。ワードの原稿を見ると設定らしきことが細かく書かれており、なかなか考えて創られた作品だということが解る。ここまでガチガチに設定を決めて書くのは体力勝負の世界だから老いた今となっては同じような作品を創るのはもう無理な気がしている。いやそれは、季節的な感慨なのかもしれないと、気分屋は思うのである。
2016/01/12 【更新日:2020/12/10】

「明日です!」あとがき

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千里眼

とある年末に突発的に生じた作品である。私の小説作品は実際に体験したことを元に物語を編むことが多い。この作品もそうなのだが自分的に無理やりこじつけた感が半端ない。しかし、面白い作品にはなっているかと思う。超能力、千里眼などを題材にするとすぐ眉唾かと思う人もいらっしゃるだろうが、こちらとしては面白おかしくしようと思って書いているワケだから、どうかそこは解ってほしい。

内容を詳しく見るまでもないかと思うが(読者が規則正しく小説本文を読んだ後にあとがきを読んでいるものと仮定しての見解だが)、“私”の超能力に気づいてほしかったわけではない。テレビ局に電話をしたのはただ作品中でやってみたかっただけだ。もちろん、それは実体験ではない。私が電話をするのはもっぱら架空請求まがいの引き落としがあった場合と、共用止水栓を止めた時に限られる。超能力云々ももしあれば今頃totoで大当たりして先立つものに困らない生活をしていることだろう。また、プライバシーに配慮して、どれが実体験かはココでは詳述しないことにする。

最近の作品では言いたいことがタイトルにある場合が多い。あの女性がラストで言った「ごめんなさい」も候補に挙がっていた。深い意味がありそうなところを味わっていただけただろうか?
2015/12/31 【更新日:2020/12/06】

「ナリッジ」あとがき

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人の優しさ

この作品は自分的に納得できなかったのでお蔵入りにしたかった。しかし、今読み返してみるとけっこうおもしろいかもと思い直した。素材が素材だけに万人ウケはしないだろうとは思うものの、まずまず一応まとまっていていいのではないかと思っている。

当初は納得していなかったのに、今読んでみての感想が、我ながらギャップがひどい。いずれにせよ、良い作品とは言えないのではないかという懸念はあるものの、こんなのもアリかなと、可能性を感じさせてくれる作品ではあると思う。

書いた当時のことを思い返すに、"DEMON"という設定を思いついたのは、何もないところに生じたわけではなく、アルファベットを使った言葉遊び、並び変えて一つの言葉になるとかいった、よくありがちな作法から着想を得たようだ。その点からいうと、手練れの読者はおもしろみを感じないだろう。

内容としては、「人の優しさ」にスポットを当てているようだが、途中までは、救いようのない話で、書いた本人も、どういうハッピーエンド的な結びにするか、相当苦労したに違いない。初めから、そういう意図をもって書き始めた作品ではないことがうかがえる。
2007/03/11 【更新日:2020/12/18】

「西方の絵師」あとがき

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この作品に限ったことではないが、「あとがき」は作品ができあがったあと、しばらく間を置いて書く場合が多いので、今さら書こうと思っても何も浮かばない。しかも当時はアルコールをやりすぎて、自分は脳の細胞がおおかた死滅してボケ始めているのではないかと思っていた。こんなことでは新たな作品は生まれそうになかった。昔書いた、と言っても1年か2年くらい前の作品の場合だが、自分で自分の書いたモノを読むと、なんだか恥をさらしているようで、いてもたってもいられない変な気分になる。だから、今この作品を隅から隅まで読もうとは思わない。ただ、最初と最後だけは読んだ。したがって、詳しいコメントはできない。

当初、野卑でどうしようもない野郎が改心するという話を書こうと思った。今思い出したが、書いている最中、3分の2くらいの時点で最後のオチを思いついた。だから、最初から最後のオチを書こうと思って書き出したのではない。こういうこともあるのだなと思った。オチを思いついたときはとても興奮したのを憶えている。

なかなか良い作品じゃないかと思い、賞にも応募してみたが、応募規定の枚数に足りないので、最初から結果はわかっていた。私はそれなのに応募したのだ。マヌケである。

この作品は、「母」は、いずれこの世からいなくなるのだという慢性的な絶望感から生まれた。当時、まだ健在だった母に読んでもらったとき、母は、母が死んでしまうところから物語が始まる点に憤慨していた(笑)。現在、それは現実となっているわけだが、千枚の母の絵を描くかわりに、母の生前の写真をフォトフレームに入れて飾っている。だから、母は生き返らないのだ。
2007/02/19 【更新日:2020/12/19】

「妄想商人」あとがき

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好きな人

この作品はたしか2、3日かそこらで突貫工事的にできあがった。もちろん、手直しを含めるともっとかかっている。ほとんど勢いだけで書いたが、計画的に書くより、意外とすんなりできあがる好例と言っていい。狙っていたのは「サイバーパンク・ハードボイルド・ファンタジー」である。であるって、なんだそれは? と、自分でもよくわからないものの、どこかできそこないの感がある。弟に読ませたら、「イモっぽい」と言われた。仕事と私生活のギャップがあって、それが賛否の分水嶺となっているのは自分でもわかる。ただ、最後の部分は感動したと言っていた。それを聞いて、書き手としてはなんとなく救われた。実は、ネタ的にはこの作品のエンディングは使いまわしである。私の中では「ありがち」な終わりかただ。雑記にも書いたが、「繰り返し」は別に悪いことではないと思っている。この手法は効果的に使えば、「ベートーヴェン」になるのだから。

「中学生のときに好きな人がいたのか?」と、弟に訊かれたときに言葉に詰まってしまった。「別に自分のことを書いたわけじゃない」と言ってごまかしたが、弟よ、そうとも、そのとおりだ。

もっと手直ししようと思えばいくらでもおかしな部分が見つかる。例を挙げればよいのだがやめておく。いろいろとつじつまの合わない部分が多い作品とは思うが、多少のおかしな設定でも許容できる物語という、都合のいいシロモノに仕上がっているのではないか?

私は短編しか書けないことを自覚している。一編ほど賞に応募した作品が長いと言えば長いが、要するに、自分には根気がないと言える。学生時代に夏休みの宿題をさぼっていた常習犯だったのだからさもありなんだ。書くにしても読むにしても短絡的なのだ。ただ私は、作品づくりから逃げているワケではない。その証拠に、当時、長編の執筆にとりかかっていた。その作品はライフワークにしようと思っていたのだが案の定中断してしまっている。

この作品の重要な(?)キーワードを挙げるとするなら、「男の願望」である。父親が登場しないのは単に父親が嫌いなだけである。この作品に浄化(カタルシス)があるか? と問われたら、私はあると答える。ただそれは、いつでも読者の恣意である。
2005/12/31 【更新日:2020/12/06】

「海外旅行幻想」あとがき

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自然

このネタは以前からあたためていたのですんなりと書けた。どの時点で「石」を出そうか、途中まで気にせず書き進めていた。だから、石の登場の仕方が不自然かもしれないという多少の懸念がある。

作品中の「肌色の肉片」とは、実際に、母校である田万里小学校の校庭の隅で、小学生の私は発見した。たいていの子供が興味本位でそうやるように、当時の私も木の棒でつっついてみた記憶がある。今思えば、誰かが吐き捨てたチューインガムだったのかもしれない。ただ、ガムにしては大きかったような気がする。その思い出を海外旅行とからめてみたというワケである。

本当のところ、私は海外に行ったら、そこに生えている草を観てみたい。よもぎ、せいたかあわだちそう、なずな、くろーばー、たんぽぽ、おおいぬのふぐり、ふき。子供の頃はもっといっぱい知っていたような気がするが、今ではそれらの輪郭がややぼやけてしまっている。情けない。

とまれ、気に入っている作品である。
2006/02/19 【更新日:2020/12/11】

「ムカデの話」あとがき

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「ネ申」との電話

伏線としては、安易なことに時事ネタである。最近の世の中の風潮に意義を申し立てるかたちになったかと思う。なんでも逆のことをするのはとても簡単だ。その作用を利用して、一つの物語として完成させたワケである。

夏になると部屋の中に出没するムカデ。何度もかまれた。あの痛みは独特のものがある。逃げるのが早いがあんなに脚がたくさんあるのによくもつれないなとか、馬鹿なことを考える。普通に言って、おぞましさを感じるであろう虫(?)をネタにしてみた。

お察しがつくと思うが、青年が話している電話の相手は「ネ申」的な存在、いや、ずばりそのものかもしれない存在である。あからさまに表現していないのは、謎にしておいたほうがおもしろいと思ったかららしい。

この作品に登場する石と言えるモノは「銀」である。ご賢察の通り、これまでの作品にはすべて「石」が登場している。
2006/01/01 【更新日:2020/12/19】

「THE NEXT WORLD」あとがき

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不安感からの逃避

思いつきだけで書くと、尺が短くなってしまう好例である。しかし、自分的には内容に納得している。短編小説なのだから、コレでいいのだ。ラストは当初、次の世界に行きたい気持ちを抑えながら暮らしているというだけだった。それではあまりにも不親切な終わりかただなと思い直し、少しひねってみた次第。このアイデアも単なる思いつきであって、一概に思いつきが悪いとは言えないのではあるまいか? ただ、材料はもちろん現実世界から拝借してきたものだ。子供の頃、回覧板をとある独り暮らしのおばあさんちに持っていっていた経験や、こぼした牛乳を雑巾でふいたときの感想とかもそうである。今までの体験が役に立つことは、別に物書きでなくとも、確実にあるハズ。この作品では、わかっていることよりも、未知のこと(未知の世界)に触れたい願望を描いたつもりだ。人間はわからない状態にあると、たいてい、不安にさいなまれる。いや、人間はと言ったが、もしかして自分だけ? ...などと、人生の折り返し地点を過ぎたというのに、これは、いまだに何もわかっていないような不安な気分しかない自分を嘆いた作品かもしれないと、ふと思った。
2006/12/13 【更新日:2020/12/18】

「ゴミ捨て場はパラダイス」あとがき

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出不精野郎

このネタは実際にある日突然、山へ行こうと思いたったものの、出不精のせいで結局行かないことにしたため、その思いを小説作品にしたらいいのではないかという不純な(?)動機で書かれたものである。要するに小説にすることによって、山に行った気分になろうというワケである。これを仮想現実と呼んでいいのかわからないが、私にとってはどんな優秀なテレビゲームよりもリアルにとても近い作業であった。

しかし、この作品のように山に死にに行こうと思ったワケではない。ネタ探しに行こうと、とにかく外に出ねばと思っただけである。当時の私は本当に出不精野郎だった。自分の部屋にこもって、ウンウンうなってたって、いいネタが浮かぶハズがないと思ったのだ。

そして、こうなった。

郵便局に歩いて行くたびに小ネタが浮かぶ、なんと悲しき出不精野郎。土木工事をしているおっさんを見て小ネタが浮かぶ、なんとマヌケな出不精野郎。カワイコちゃんと道ですれ違ったときに小ネタが浮かぶ、なんと愛しき出不精野郎。ボットン便所の奈落をのぞいて小ネタが浮かぶ、なんと卑しき出不精野郎。

この作品には一つ謎がある。あのじいさんはいったい何者だったのだろうか? その点については、読者のご想像におまかせしている。
2005/12/31 【更新日:2020/12/06】

「ストーリー・イーター」あとがき

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恋愛

「物語を食べる」という概念を視覚化できないかとずっと考えていた。映像作品をつくるワケではないが、いったん頭の中に映像としてシークエンスを思い浮かべないと文章にできない。この作品はそういう過程を経て、極短の小説に仕上がった。このネタはもっと壮大なものになるハズだったが、思いのほか短い作品となった。

今後、このネタをもっと掘り下げて、長い作品にしてみようと思っていたが、思い半ば道半ば、いまだ成らずである。

とまれ、書き始めた当初は恋愛話にする気は正直なところまったくなかったと言っていい。しかし、そのほうが明るいかな、未来があるかな、と思い直し、このような作品になったのである。
2006/01/01 【更新日:2020/12/06】

「メテオ」あとがき

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復讐

今読み返してみたが我ながら暗いダークな作品だと思った。因果応報ということなのだろうか? しかし、ちょっと待ってほしいと思う箇所がある。弟が死んだのはなぜなのかという点である。最後に生き返らせればよかったのかもしれない。悪によって抹殺されることは避けられないと言いたいのか? それは少々深読みしすぎかもしれないが、唯一の救いは「あの女」が生きていて、幸せに暮らしているという設定だろう。

お気づきかもしれないが、これまでの私の小説には必ず「石」が登場している。こだわりだったが、ネタ切れ必至の感。

作品中の回想のエピソードは何を隠そうほぼ実話、自分が体験したことである。昔考えていたことをふと思い出して、なんとか作品にしたい、作品にせねば! という使命感につき動かされて書いた。そうなれば、作品づくりは順風満帆なのである。これはしめたと思いながらできあがった作品は内容は別にして気分がいいものだ。もちろん、そういう場合ばかりではないが。

この作品をお読みいただいた方々の中に、差別をしていた側の人たちがいらっしゃるなら、これはまぎれもなく、私のほんのささやかな復讐である。

隕石が落ちる確率が、しかも人間に衝突するなどという確率が、天文学的数値であるから、誰もがこの作品にうさん臭さを感じるであろうと想像している。二個もそろって当たるワケがないと。しかし、そこがミソでもあるのだ。
2005/12/31 【更新日:2020/12/06】

「スリーピング・ジャイアント」あとがき

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誤解

正月の元旦にごちそうをたらふく食したあと(当時、生前の母が腕によりをかけて料理をふるまってくれた)に散歩しようということになり、山道を歩いていたときに思いついたネタである。もちろん、それだけではない。帰省していた生前の伯父と病気の話をしたことや、テレビでハワイにスリーピング・ジャイアントという山があることを知ったことなど、ごった煮である。時計は見ていなかったが、おそらく数時間もしくは数十分で勢いで書いた。したがって、内容そのものはそれほど深くないとは思う。おまえの作品はそういうモノばかりではないかという声が聞こえてきそうだ。

尺が短いため、深読みしようと思えば、いくらでもできる作品でもある。自然が無だと誤解しているのなら、楽しめばいいというのも誤解だということなのだな、とか。もちろん、書いた当時はそこまで考えていなかった。

しかし、山のそこかしこに落ちている落ち葉や、生えている雑草や、木などを観ているとクラクラしてこないだろうか? あの複雑さは誰にも理解できないのではないか? 別に、理解しなくてもいいのかもしれないが。
2006/01/02 【更新日:2020/12/06】

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