寂しい次元の狭間で一人の男が俺を待っていたのは偶然ではなかったが今はもう少し現実的な話をしよう。俺に気づいたその男は右手の人差し指を一瞬上げてこう言った。「遅かったな。よし、仕事だ。まずその光の中へ入れ。説明は追い追いする」「ちょっと待って。休みたい。ベンチに座っていいか?」空間を照らす外灯の下におあつらえ向きのベンチがあった。俺はもうへとへとに疲れていた。なんでって、わかるだろ生きていれば。ようやく俺は死ねたんだ。男は言う。「駄目だ、休んでる時間なんてない」「光ってこれか?」ずらりといくつかの光の柱が一隅にならんでいるのを指差し俺は言った。「ああそうだ。早くしろ」「ここは時間の概念がないんじゃないのか?」「いちいち余計な質問をするな」「おい、俺は流れ作業が大嫌いなんだ。あんな理不尽な仕事が他にあるか?」「お前の嗜好はこの仕事に無関係だ。やりさえすればそれでいい。どれでもいいから早く入れ!」「わかったよ、ちゃんと指示してくれよ。それでなくてもこういうことには慣れてないんだから──」俺はぶつぶつ言いながら光の柱の一つの中に立った。俺は現世に転送された。
うるさいなんだここは? カラオケボックス? 一人の若い女が爆音で熱唱している。その時声がした。その女は霊媒体質だ。治せ。あの次元の狭間の男の声だった。「どうやって?」声に出すな。気づかれる。どうやって? 握手しろ。それだけか? ああ。俺は女の空いてるほうの手を握ろうとしたがつかめなかった。だめだ。俺幽霊なんだろ? おい! 言い忘れていた。握手するのはマイクを持ってるほうの手だ。そっちの手が霊媒になってる。右手だ。俺は曲が終わるのを待った。しかし女はマイクを離さない。俺は無理やり手を重ねた。その手から光の輪が俺の全身に広がる。目の前に急に現れた男に女は驚きもせず迫ってくる。酔っ払ってキスか? 早いなクライマックスが。いい感じになってると気づくとあの次元の狭間のベンチに座っていた。
「え? 戻った?」男が冷めた目を向け言う。「さ、次だ」「ちょっと待てって。俺こういうのが一番嫌いなんだ」「何度も言わせる野郎だな、お前の嗜好はどうでもいいんだ。行け!」「ちょっと待て、これを訊くのを忘れてた、見返りは?」「今は言えない。ただ──」「ただ?」「これだけは言える、呪いが解けると」その時俺の機能していないはずの脳裏に母の遺影が一瞬現われ消えた。「そういうことか」俺は大きく鼻息を吐き、腰を上げた。男に言う。「信じていいんだな?」「ああ、もちろん」俺は光の柱の中に立った。俺はそのことに気づいた。「隣のやつ消えたな?」「ここはお前専用の次元の狭間だ。高待遇だろ?」「どうだか」
気づくと海辺に居た。海の向こうを見ると──は? 津波? 「おい、どうすりゃいいんだ、おい!」何度も言わせる野郎だな、声を出すな。そこに女の子が居る。助けろ。どうやって? 実体がないんだぜ。さっきと一緒だ、抱きかかえりゃいい。俺は女の子をお姫様だっこし走り出した。しかしあることに気づいた。だめだ高台まで間に合わない! ばかやろ、飛びゃいい。早く言えよ! 俺は間一髪のところで津波から逃げることに成功した。女の子に言う。「大丈夫だよ」俺は遠くの高台に女の子とともに降りた。これからどうすりゃいい? その女の子は登山者に発見されることになる。もういい。
気づくと次元の狭間に居た。
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