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目次(雑記)

※このページは活字中毒の方にオススメです。

2021/01/02 -「反出生主義よ、散れ」
2020/12/20 -「人心は進歩するのか」
2020/01/17 -「ド根性」
2016/08/08 -「文章を書く楽しみ」
2015/12/28 -「名前を呼んでくれる人」
2015/10/20 -「いい加減にして」
2007/02/20 -「不安との闘い」
2005/12/30 -「脳内作用」

2021年1月2日(土)

反出生主義よ、散れ

「反出生主義」についての詳細は、ググるなりしていただきたい。人間は、本能的な欲望の克服という、生きる意志の否定により、本心とは違う倫理的な世界をつくりあげた。それが原因で思考停止した、害悪をたれ流すだけの存在には、生きる意味も価値もないから、子供をつくらずにゆるやかに絶滅したまえ──こう言われると私は、いやいや、ちょっと待て、と思ってしまう。現状を政府や社会のせいにしてしまえば、それらを変えることによって、人間には存在意義があるのだと主張する哲学者が増えるかもしれない。一見豊かになったように見えるこの現代において、なぜか、私も含めて、生きづらい、生きることが苦しいと思う人が後を絶たない。ご賢察の通り、今から言えば大昔の人である仏教の開祖ブッダは、生きることは「苦」の一つと説いている。自分のことを言えば、現在はたしかに苦しい。しかし、子供の頃のことを思い返すと、貧乏で、父は酒乱の暴力オヤジだったものの、楽しいことや、喜びや、その他もろもろの「幸福」だったと言えることがたくさんあった。つらいこともあったが、よかったと思えることもあったのだ。人間は、いやだったことのほうが強烈に記憶に残るそうだが、私の場合は、あれは幸せなことだったなと思えることも記憶に残っている。何か説明はできなくとも、感覚として、生きることには意味や価値があると期待している以上、まっとうに生きてゆくことができるハズだ。しかし、意識をもつ人間であるがゆえに、期待によって生じた「生きたい」という欲求と、「死」が運命づけられているという認識との板ばさみになり、思考停止の状態で存在し続けている。何度も言うようだが、本心に反していると知りながら、生きることを無理やり正当化するのはやめて、人間が「生物学的逆理(二律背反)」であることを認めて、さっさと絶滅したほうがいい──いやいや、論理の理解はできるし、実際の現状も生きづらさを感じる。しかし、だからといって、人間が生きることは矛盾だらけで無意味・無価値だから滅びよ、とは思わない。子供の頃、捕まえた虫や釣った魚などの生き物の死に接したとき、母方のおばあちゃんが亡くなったとき、大人になって、親戚の人や母が亡くなったとき、あの憎むべき父が亡くなったときでさえ、とても残念な気持ちになった。身内だけでなく、とくにまだ若い人が亡くなったニュースを聞くと暗うつな気分になる。人間以外の生き物についてはまた話が違うかもしれないが、意味や価値が何か、具体的に言葉では言えないものの、生きていたからこそ、それらがあったとは言えるのではなかろうか。天皇陛下が新年のビデオメッセージでおっしゃられた「将来への確固たる希望」は、私個人はない。今あるのは「ぼんやりとした希望」だけである。まったくないよりはマシだと思うが、私は、このような厳しい状況に置かれていても、生まれてきたこと、生むこと、さらには生きることまでをも否定的、悲観的、後ろ向きにとらえている反出生主義にはどうも賛同できない。その理由としては、それらに対して肯定的、楽観的、前向きのほうが万人ウケするから、そう言っているのではなく、今までの人生を総括してみると、客観的に見て自分が不幸だったとしても、人間の生がネガティブなものだとは思えないからだ。理由になっていないかもしれないが、人間の生のポジティブな側面は、愛や希望、思いやりなど、他にもあるハズだ。人間がそういうものを大切にする存在であり続けるなら、絶滅してしまうのは惜しまれる。
【更新日:2021/01/28】

2020年12月20日(日)

人心は進歩するのか

「コロナ禍」により、いろいろとしんどいことが増えた方々が大多数と思われるが、来年はワクチンが普及して、平常運転に戻るだろうか? この非常事態にありながら、景気のいい方もいらっしゃるようだ。私はそういう人をうらやましいとはあまり思わない。しかし、具体的には言わないでおくが、なぜ、そのようなことが多くの人の共感をえているのか、理解できないことがあり、悶々としている。そして、苦しまぎれに出した答えは、「コレは、差別やイジメがいつまでたってもなくならないのと同じ現象なのだ」である。ある人が苦心のすえに至高の境地に至ったとしよう。その人は生きている人である限り、必ず死ぬ。そうすると、誰かがその至高の境地に至るには、また一から始めなければいけない。私は、テクノロジーがどんどん進歩する一方で、肝心の「人心」については、まったく進歩しないのではないかという絶望的な仮説をずっと抱いている。あまりに浅薄な考えとは思うが、人心は進歩しないから、生きることには意味も価値もないのか? 否と、生きることには意味や価値があると、声高に唱えているのは、人心に進歩してほしいからにほかならない。差別やイジメがなくなってほしいからにほかならない。──インプットをしなくなって久しい。だから、アウトプットはできない。なにかをリスペクトすることがバカバカしいと思うようになった。誰かがなにかを褒めちぎって、これいいよと推していても、憤慨するだけの人間になった。しかし、いつも会う、心やさしいお年寄りの方々がもうすぐ天に召されてしまうことを思うと、それだけは正直なところ、残念で仕方がないのだ。私は、本や映画などからではなく、実際に体験した現象から、あますところなく、インプットしていたようだ。今、アウトプットしたい、伝えたいことは、この世界から「やさしさ」が失われてしまうことがくやしくてたまらない気持ちである。これは、やさしさ(至高の境地)に至るために、また一から始めなければいけないのか? ...という、人間(私自身)への疑念が、ない頭による間違った思い込みでしかないことを証明したいからかもしれない。一からなどと、そんなことはないハズだと。私は、少なくとも、テクノロジーと同様に、人心も進歩するものだと思いたいらしい。
【更新日:2020/12/24】

2020年1月17日(金)

ド根性

今年は東京オリンピックが開催されるがその終了とともに日本が終了するのではないかとの見方がなされている。過去の例からそう考えられているらしい。何が終了するのか、たぶん、経済的にということだろう。私個人のお財布事情と言えば、まったくもって芳しくない状態が続いている。もう節約生活に慣れてしまった。危機的な状況はすでに過ぎ去ったし、真綿で首を絞められているような感覚もそれほどない。どうやら、あまりに苦しい状態が続くものだから、麻痺してしまったようだ。少々状況が悪化したくらいでは動じない精神力が備わったとも言える。ただ、知人に笑っているかと訊かれて、そう言えば笑っていない、笑えることがない、笑ったとしてもそれはつくり笑いでしかないという今の自分に気づいた。言い訳としては母が亡くなっているのだから笑えるはずがないではないかと言いたいが、すでに亡くなって7年目なのにまだそんなことを言っているのか? この弱虫! と、お叱りを受けそうだ。世間の人たちにはいまだにひとりもんでやせ我慢しているように見えるかもしれないし、人生を放棄しているのかと思われるかもしれない。あれだけカネより愛が世界で最も大切と言っておきながら、ついカネがあればという理由をつけて投げ出してしまう。そういうウソツキがやるような人生の道の選択の仕方は正直なところ今すぐにやめてしまいたいのだ。具体的に何をどうすればいいかなんて目に見えた明らかな答えが経済的に豊かになるためだけだったら、そんな世界は滅びよ! 経済的な豊かさは結果であって、何か行動すること、実行すること、それが先だと誰もがわかっているハズだ。いや、少なくとも、私はわかっていたつもりだった。しかし、今まで何をしてきたかと問われるとほとんど何もしてこなかったと答えるかもしれない。なぜなら何も結果が出ていないからだ。母が亡くなるまで引きこもっていたのは自分で言うのもなんだが人生の大きな損失だったと言っていい。大失敗だったと。だが、私はこんなことでは引き下がらない。無駄に失われた時間を取り返すことはできないが幸運なことに私はまだ生きている。体は動くし、頭もまだボケてはいないようだ。だったら、行動できる、実行できる。何かをやらないと何も得ることはできない。誰でも知っているその法則を今から実践してゆきたい。令和2年は私が何か行動する元年となる...ハズだ。いつか、心の底から笑えるようになりたい。
【更新日:2020/01/19】

2016年8月8日(月)

文章を書く楽しみ

このサイトに閑古鳥が鳴いているのは別に今に始まったことではないのであまり気にはしていない。先日、と言っても早くも三年が経過しているが、死ぬほどつらい経験をしたせいか、若干放心状態になっているのを律しようと思いキーを打っている。デジタル活字を読む文化はまだあまり普及していないのではないかという多少の危惧をよそに、私は執筆という行為に全生命を賭けていると言っていい。鬼のように繰り返し何度も読み返して誤字脱字を見つけては修正する。この行為自体は当たり前の習慣化してしまったことなので意外と苦にはならない。一番の最重要懸念はそれで食い扶持が稼げていない点だ。しかし、私はそのことを別に悲観しているわけではない。悲観しているヒマはなく、とにかく書くことが楽しいのだ。こんなに幸福なことが他にあろうか? 私はそうやってマイペースで散歩しているだけの極めて善良なる人間である。だからどうか、書くのを今すぐやめろとは言わないでほしい。ただの憂さ晴らしで非難するつもりなら、独りで筋トレでもやってくれ。と、思った出来事が最近あった。私は師匠の教えを忠実に守って、文章を書く行為にこの上ない楽しみを感じながら、ただただ綴るだけだと割り切った。
【更新日:2020/01/19】

2015年12月28日(月)

名前を呼んでくれる人

名前(著者名)があれこれバラバラで私自身も混乱をきたす始末。しかし、ちゃんと出版するなら本名でと当初から決めていたので、Kindle本を出す際に本名で登録した。特にこだわりがあるわけでもないし、なにかと危険かもしれないとは思ったが、いろいろと一応考えた末の決断である。ただ、逃げ場の確保は必要だと思ったので、筆名とか、ハンドルネームとかを駆使して、ブログ等を書いている。第一、どこかで書いた憶えがあるが、名前なんてたいした意味あいはないではないかと思うようになった。とくに私の名前を呼んでくれる人がいない今となっては、もはや自分の名前に何の価値も見いだせない。通販や諸々の手続きなどに必要なだけなのだから、そのうちのひとつである著者名に使ったところでバチはあたらないだろう。そういう親がつけてくれた自分の名前の意味や価値が私の中で変容していったのがこの時期だった。
【更新日:2020/01/19】

2015年10月20日(火)

いい加減にして

「石をめぐる短編小説」から「水面文庫」にサイト名を変更した。深夜2時半過ぎに焼酎のシャワーをさんざん浴びたあとの感慨は特になかったが、過去にいろいろと罪深いことを実行していることに対しては、さすがにいささかの恥ずかしさを感じてはいた。いや、実際は自分の罪などどうでもいいと思っていたのかもしれない。ただ、これが過去の自分だったのかと思うとなぜだか虫唾が走るのだ。若かったのだと自嘲するほかないようだ。別に大人であることを盾に若者をどうこう言うつもりはないが、今は、ああ、そういうことだったんだなと理解はできるつもりだ。この何年かで人生にいろいろあったが、これから先もいろいろあるのかと考えると、もういい加減にしてほしいとしか思えなかった。それが当時の正直な気持ちだった。単にそれを作品に反映させているだけだったので、万民ウケするとは思わなかったが、しかし理解してくださる方々もきっとこの世界にはいらっしゃるだろう、そう信じて筆を走らせている。新しいタイトルの当サイトをどうぞよろしく。
【更新日:2020/01/19】

2007年2月20日(火)

不安との闘い

「TMの短編小説のページ」から「石をめぐる短編小説」にサイト名を変更した。前者はあまりにも我の強いタイトルだが、イニシャルを冠したところで売名行為にはならないから意味がないと思った。それよりも純粋に作品たちが生きてくるタイトルがいい。そうするともう石を前面に出すしかないと。

とはいえ、作品の中で純粋に石を巡っているかというと怪しいところがある。石が作品のネックになっているものは一応あるが、ほとんど脇役的にしか出てこない作品もある。

結局のところ、この新しいタイトルは私の努力目標として、しばらく稼働することになった。作品を創るときは必ず石を使うことを念頭に置いていた。しかし、これからそのような作品ができるかどうかは正直不安だった。その当時、一番新しい作品が「THE NEXT WORLD」だったので、超極短しか書けていなかった。考えてみると、いつだって不安との闘いだった。常に初心のままだったので、「初心に帰れ」という言葉を、そのときの私に言うのはナンセンスであった。
【更新日:2020/01/19】

2005年12月30日(金)

脳内作用

私は小説には浄化(カタルシス)がないと小説ではないと思っている。かっこつけでもなんでもなく、冗談でもない。読む者になにがしかの脳内作用を起こすこと、それが多くの書き手の、少なくとも私の、もくろみなのである。「わあ、おもしろかった」とか、「なんだこれ、つまらんな」でもいい。そのことが良くも悪くも書き手にとっての幸福と言えるハズだ。だから、書くことはただの自己満足では終わらない。

最近、夢見ているのは、「この小説はまるでベートーベンではないか」と評されることである。私の小説を評する際のキーワードが、「反復と回帰」であるなら、何度も何度も同じメロディーが繰り返される、かの大作曲家の曲と同じだ。人間の脳は、いや、私の脳だけかもしれないが、「繰り返し」に多大なる魅力を感じてしまうのではないかという仮説が正しいなら、私の小説作品は高評価を得るに違いない。

ホームページに小説を載せるか、それとも自費出版をするかは、作品が10編以上できたため、インターネット上に流してもいいかなという心境になり、このサイトを作った次第である。しかし、当初は小出しにしようと思っていた。今後、あの手塚治虫のように膨大な数の作品ができあがる保障はどこにもない。しかし、よし書いてやろうという意欲だけは当時はあった。このサイトに掲載している無料の小説作品では当然のごとく対価が発生しないうえに、逆に維持費として取られてしまうわけで、私にとっての幸福があるとするなら、何度も言うようだがこのサイトを訪れた人がなにがしかの脳内作用を起こすこと、その一点のみであろう。えらく自信家のように聞こえるかもしれないが、あれこれと苦しんで生み出した作品たちだから、「自信はもちろんある」と答えておく。
【更新日:2020/01/19】


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