「ママもじきにオレたちと同じめにあうぞ? ウフハハハ!」私は自分に言い聞かせた、”そんなこと、あるわけがない”、しかし、それは間違いなく、放置していた、バケツのなかから聞こえてきた。そして私は、異臭を放ち禍々しく白くなって浮いている川魚たちの死体がそう言っているのだと強烈に認識した。「ジャコウの香りを嗅ぐようにそれをはっきり嗅ぎとっているくせに、いちいち訊いて、確認しないと気が済まないようだな、だが、墓穴を掘る行為にはちがいない、クソつまらん人生とおさらばしなよ、マザコン坊や! オレたちをこんなめにあわせた罰として、ママはじきにオレたちと同じめにあうぞ? そして、おまえも死ぬんだ、必ずな! ウフハハハ!」私は怖くなって、川へ行き、バケツのなかのものを川へ帰してやったんだ。とりつかれたように”ごめんなさい”と連呼しながら──それは40年近く昔のことだったのだからなんていう甘ったれた理由なんかで、本当にその通りになってしまった憎たらしい予言を、私が忘れるはずがない。
つい先日のこと、母屋から離れとの間の板場に出て、ふとそっちを見ると、若い男が、窓を開けて、私の家に押し入ろうとしていた。私は自分に言い聞かせた、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない──だって、ここからではそんなにはっきりと見えるわけがない、ガラス窓のガラスが透明度の低い型板ガラスなんだから、開いた状態でないと、そんなにはっきりと見えるわけがない、いつも鍵をして、閉めてあるのだから、なか側から、そんなにはっきりと見えるわけがない。見知らぬ若い男が挨拶もなしに母屋と離れの間の板場の窓から私の家に押し入ってくることよりも、その光景がはっきりと見えたことのほうが、おかしなことに思えた。しかし、入ってこられても困る、だって、もしも、そのたぐいの輩であれば、武器の置き場所を死にもの狂いで思い出し、そこへ死にもの狂いで行き、汗だくになりながらも、その武器を手に取り、その糞ムカつく野郎のドタマか土手っ腹に何発もこと切れるまで食らわせてやらねばならなくなるからな。そりゃ、しんどいぞ。過剰防衛など知ったことか、ヤらないとヤられる、他人の家に勝手に上がり込む輩は十中八九どころか100パーそのたぐいの輩なんだから。私は、そのシークエンスの一部始終を見たのと同時に、キラッと銀色に光る刃も見たのだ、そして、同じことを何度も自分に言い聞かせた、そんなこと、あるわけがない、と。
あるとき、外回りで、会社の車をすっ転がしていたとき、ふと、幅が広め、そうだな、2、3メートルくらいの幅の用水路を隔てた向こうに、ちょっとした畑があり、その隅に黄色いビールケースを逆さに置いて椅子にして、そこに腰かけて、超デカい4リットルの焼酎のペットボトルを傾けて、陽光に照らされ、一人で花見(畑見?)を楽しんでいるふうで、一杯やっているステテコ姿の年配のオヤジが見えた。私はもう少しで吹き出しそうになりながら、通り過ぎたあと、あんなこと、あるか? そんなこと、あるわけがない、と、自分でも変に思うほどの質問を自分に投げかけ、そして、自分で答えた。そのあと、しばらくして、またそこを通る機会があり、見ると、あの例の年配のオヤジともう一人、頬かむりをした年配のオバサンが、二人で畑仕事をしていた。私はなるほど、こないだの一人宴会(?)の光景はありうることかもしれん、と、ひとまず留飲を下げておくことにしたんだ。
とある夜のこと、それほど、遅い時間でもなかったが、私は、ある有名動画サイトで見つけた”松果体を活性化させる”という超強力なのでご注意をと注意書きまでしてあるBGMを聴いていて、なるほど、イイ感じだと思い、ループ再生にして横になった。自然に眠気がきて、眠ったらしいが、どういうわけか、眠っているのに、起きている感じがする。目を開けようとしたが、開かないし、体も動かそうとしても、まったく動かせない。このいま聞こえているBGMのせいかと思い、止めようとしたが、繰り返すが、目が開かないし、体が動かないのだ。そして、それを待っていたかのように、まるで、近くで観察しているかのように、騒がしい複数の人(?)の声が勢い良くわっとする。「やっと寝たか」「どうするんだ、コイツ? このままじゃヤベエぞ、もうかなり、わかりかけてやがる」「黙っておけばいい、いいか、あのことについては、絶対に、なにもしゃべるな、わかったな?」「しかしもう時間がない、我々の活動限界を考えてもみろ」「もちろん、それも計算にいれてある、とにかく、しゃべらなければいい」私はその会話を聴いていて、何か不穏な感じ、不安感や、焦燥感のようなものを感じた。ソワソワして、じっとしていられない感じ。何かわからないが私の何かを誰かがコントロールしようとしているのではないか? 私の知らない何かの目的に向かって、何かを遂行しようとしているのではないか? 私の大切な何かを奪おうとしているのではないか? 私は声をふり絞るように出した。「──お゛い゛、お゛ま゛え゛ら゛!」そいつらはうろたえている様子をわざとらしく演じているふうで、口々に言った。「ヤバい、気づかれた」「寝ていたハズでは?」「この変な能力開発させる音のせいだろ」「どうする?」「適当に応答しておけ、わかりゃしない」「どうした? ションベンなら夢のなかではまずい、起きて、トイレに行くんだ」私は憤慨して言った。「やかましい! ふざけやがって! おまえらの魂胆はすべてお見通しなんだよ!」そいつらのうちの一人(いや、全員か?)が、なあなあした薄ら笑いをしながら言った。「ふん、言ってみろや」「具体的にはわからん、だが、私から何かを奪おうとしているんだろ? でなけりゃ、とにかく、何か良からぬことをおっぱじめやがる気なんだろ?」「だったら、なんだって言うんだ? おまえなど、搾取され、奸計の餌食となってナンボでは? それに、おまえにはもうイイモノを与えてやってる、”足るを知る者は富む”、つまり、足りていることがわからなければ、貧しいままだ、しかし、貧しいことを足りているのだと言いはったところで、結局それは、貧しいままなんだよ、ウフハハハ! わかったら、とっとと、ガキの頃みてえに布団に世界地図ができる前に、起きて、トイレに行くんだよ!」そいつらは、嘲笑をやめない。私はさらに憤慨する。「ち゛く゛し゛ょお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛、お゛ま゛え゛ら゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」そのとき、私の目は運良くパッと開いた。上体を起こし、瞬時に状況把握をし、壁掛け時計の針があれから何分経っていることを示しているか、それだけを意識しようと努力はした、ちゃんと努力はしたんだ。だが私のなかには、誰も居ないのを確認する必要がない自分の部屋のなかに居るのに、どこにも居ないはずのあいつらの気配がまだ間近に強く残っていた。だから、重度の強迫神経症なみの切迫感をともなって、”そんなこと、あるわけがない、しかし、ありうることかもしれん”、そう小声で唱えたあと、コーヒーを淹れる朝の日課を流れ作業のように黙々としているうちに、いつもの感覚(?)に戻っていった。
──思うに、現実とは、現実に対する人間の認識とは、もともとあいまいなものであると仮定した場合、例えば、言葉などで確定した現実は、本当の現実ではない。逆に言えば、たとえそれが、幻覚であっても、本当ではないにせよ、現実なのだ。どっちみち、記憶は、現実に体験したことだけであるとは、言えないらしい。そのたぐいの記憶を、お医者さんとかなら、”おかしな記憶”と呼ぶだろう。だが、”そんなこと、あるわけがない、しかし、ありうることかもしれん”だ──あの川魚たちの死体が言っていたことも、半分が確定したのだから、原初の体験は、たとえそれが、幻覚だったとしても、”おかしな記憶”なんかじゃないのだと、彼らは認めざるを得ないだろう。そうやって、良くも悪くも、これまで、いくつ確定されてきたのか知らないが、それが私の半生だったし、これから先、いくつ確定されてゆくのか、ワクワクが止まらないのが、これからの私の半生だ。概して、心の風邪というものは、この世界の不確実さに対する、ちょっとしたリアクションに過ぎない。
コンビニ帰りに懐かしさに誘われて川面をのぞくと、たくさんの川魚たちの魚影が見える。岩に生えた苔を食んでいるのか、ときどき、キラッと銀色に光る。だから私は、いつもまるで水中のような夢のなかで会っていることを想い、ぼそっとつぶやくのだ。
「──なんだよ、みんな生きてるじゃないか、ウフハハハ!」
|