ショート・ショート・ストーリー  / 目次
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最高に面白いかどうかはさておき、SSS - 第2章 - はっじまるヨォ~っ!
ごゆっくりどうぞ
「魚の知らせ」 ── おかしな記憶の果て 
「ゼネラル」 ── 宇宙からの帰還
「紀元三千年紀」 ── より良い未来のために
「いーいーいー」 ── 生きる道とは?
「不可抗力」 ── 言葉にできない何か
「虹の約束」 ── 彼女が待ってるから

魚の知らせ

「ママもじきにオレたちと同じめにあうぞ? ウフハハハ!」私は自分に言い聞かせた、”そんなこと、あるわけがない”、しかし、それは間違いなく、放置していた、バケツのなかから聞こえてきた。そして私は、異臭を放ち禍々しく白くなって浮いている川魚たちの死体がそう言っているのだと強烈に認識した。「ジャコウの香りを嗅ぐようにそれをはっきり嗅ぎとっているくせに、いちいち訊いて、確認しないと気が済まないようだな、だが、墓穴を掘る行為にはちがいない、クソつまらん人生とおさらばしなよ、マザコン坊や! オレたちをこんなめにあわせた罰として、ママはじきにオレたちと同じめにあうぞ? そして、おまえも死ぬんだ、必ずな! ウフハハハ!」私は怖くなって、川へ行き、バケツのなかのものを川へ帰してやったんだ。とりつかれたように”ごめんなさい”と連呼しながら──それは40年近く昔のことだったのだからなんていう甘ったれた理由なんかで、本当にその通りになってしまった憎たらしい予言を、私が忘れるはずがない。

つい先日のこと、母屋から離れとの間の板場に出て、ふとそっちを見ると、若い男が、窓を開けて、私の家に押し入ろうとしていた。私は自分に言い聞かせた、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない、そんなこと、あるわけがない──だって、ここからではそんなにはっきりと見えるわけがない、ガラス窓のガラスが透明度の低い型板ガラスなんだから、開いた状態でないと、そんなにはっきりと見えるわけがない、いつも鍵をして、閉めてあるのだから、なか側から、そんなにはっきりと見えるわけがない。見知らぬ若い男が挨拶もなしに母屋と離れの間の板場の窓から私の家に押し入ってくることよりも、その光景がはっきりと見えたことのほうが、おかしなことに思えた。しかし、入ってこられても困る、だって、もしも、そのたぐいの輩であれば、武器の置き場所を死にもの狂いで思い出し、そこへ死にもの狂いで行き、汗だくになりながらも、その武器を手に取り、その糞ムカつく野郎のドタマか土手っ腹に何発もこと切れるまで食らわせてやらねばならなくなるからな。そりゃ、しんどいぞ。過剰防衛など知ったことか、ヤらないとヤられる、他人の家に勝手に上がり込む輩は十中八九どころか100パーそのたぐいの輩なんだから。私は、そのシークエンスの一部始終を見たのと同時に、キラッと銀色に光る刃も見たのだ、そして、同じことを何度も自分に言い聞かせた、そんなこと、あるわけがない、と。

あるとき、外回りで、会社の車をすっ転がしていたとき、ふと、幅が広め、そうだな、2、3メートルくらいの幅の用水路を隔てた向こうに、ちょっとした畑があり、その隅に黄色いビールケースを逆さに置いて椅子にして、そこに腰かけて、超デカい4リットルの焼酎のペットボトルを傾けて、陽光に照らされ、一人で花見(畑見?)を楽しんでいるふうで、一杯やっているステテコ姿の年配のオヤジが見えた。私はもう少しで吹き出しそうになりながら、通り過ぎたあと、あんなこと、あるか? そんなこと、あるわけがない、と、自分でも変に思うほどの質問を自分に投げかけ、そして、自分で答えた。そのあと、しばらくして、またそこを通る機会があり、見ると、あの例の年配のオヤジともう一人、頬かむりをした年配のオバサンが、二人で畑仕事をしていた。私はなるほど、こないだの一人宴会(?)の光景はありうることかもしれん、と、ひとまず留飲を下げておくことにしたんだ。

とある夜のこと、それほど、遅い時間でもなかったが、私は、ある有名動画サイトで見つけた”松果体を活性化させる”という超強力なのでご注意をと注意書きまでしてあるBGMを聴いていて、なるほど、イイ感じだと思い、ループ再生にして横になった。自然に眠気がきて、眠ったらしいが、どういうわけか、眠っているのに、起きている感じがする。目を開けようとしたが、開かないし、体も動かそうとしても、まったく動かせない。このいま聞こえているBGMのせいかと思い、止めようとしたが、繰り返すが、目が開かないし、体が動かないのだ。そして、それを待っていたかのように、まるで、近くで観察しているかのように、騒がしい複数の人(?)の声が勢い良くわっとする。「やっと寝たか」「どうするんだ、コイツ? このままじゃヤベエぞ、もうかなり、わかりかけてやがる」「黙っておけばいい、いいか、あのことについては、絶対に、なにもしゃべるな、わかったな?」「しかしもう時間がない、我々の活動限界を考えてもみろ」「もちろん、それも計算にいれてある、とにかく、しゃべらなければいい」私はその会話を聴いていて、何か不穏な感じ、不安感や、焦燥感のようなものを感じた。ソワソワして、じっとしていられない感じ。何かわからないが私の何かを誰かがコントロールしようとしているのではないか? 私の知らない何かの目的に向かって、何かを遂行しようとしているのではないか? 私の大切な何かを奪おうとしているのではないか? 私は声をふり絞るように出した。「──お゛い゛、お゛ま゛え゛ら゛!」そいつらはうろたえている様子をわざとらしく演じているふうで、口々に言った。「ヤバい、気づかれた」「寝ていたハズでは?」「この変な能力開発させる音のせいだろ」「どうする?」「適当に応答しておけ、わかりゃしない」「どうした? ションベンなら夢のなかではまずい、起きて、トイレに行くんだ」私は憤慨して言った。「やかましい! ふざけやがって! おまえらの魂胆はすべてお見通しなんだよ!」そいつらのうちの一人(いや、全員か?)が、なあなあした薄ら笑いをしながら言った。「ふん、言ってみろや」「具体的にはわからん、だが、私から何かを奪おうとしているんだろ? でなけりゃ、とにかく、何か良からぬことをおっぱじめやがる気なんだろ?」「だったら、なんだって言うんだ? おまえなど、搾取され、奸計の餌食となってナンボでは? それに、おまえにはもうイイモノを与えてやってる、”足るを知る者は富む”、つまり、足りていることがわからなければ、貧しいままだ、しかし、貧しいことを足りているのだと言いはったところで、結局それは、貧しいままなんだよ、ウフハハハ! わかったら、とっとと、ガキの頃みてえに布団に世界地図ができる前に、起きて、トイレに行くんだよ!」そいつらは、嘲笑をやめない。私はさらに憤慨する。「ち゛く゛し゛ょお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛、お゛ま゛え゛ら゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」そのとき、私の目は運良くパッと開いた。上体を起こし、瞬時に状況把握をし、壁掛け時計の針があれから何分経っていることを示しているか、それだけを意識しようと努力はした、ちゃんと努力はしたんだ。だが私のなかには、誰も居ないのを確認する必要がない自分の部屋のなかに居るのに、どこにも居ないはずのあいつらの気配がまだ間近に強く残っていた。だから、重度の強迫神経症なみの切迫感をともなって、”そんなこと、あるわけがない、しかし、ありうることかもしれん”、そう小声で唱えたあと、コーヒーを淹れる朝の日課を流れ作業のように黙々としているうちに、いつもの感覚(?)に戻っていった。

──思うに、現実とは、現実に対する人間の認識とは、もともとあいまいなものであると仮定した場合、例えば、言葉などで確定した現実は、本当の現実ではない。逆に言えば、たとえそれが、幻覚であっても、本当ではないにせよ、現実なのだ。どっちみち、記憶は、現実に体験したことだけであるとは、言えないらしい。そのたぐいの記憶を、お医者さんとかなら、”おかしな記憶”と呼ぶだろう。だが、”そんなこと、あるわけがない、しかし、ありうることかもしれん”だ──あの川魚たちの死体が言っていたことも、半分が確定したのだから、原初の体験は、たとえそれが、幻覚だったとしても、”おかしな記憶”なんかじゃないのだと、彼らは認めざるを得ないだろう。そうやって、良くも悪くも、これまで、いくつ確定されてきたのか知らないが、それが私の半生だったし、これから先、いくつ確定されてゆくのか、ワクワクが止まらないのが、これからの私の半生だ。概して、心の風邪というものは、この世界の不確実さに対する、ちょっとしたリアクションに過ぎない。

コンビニ帰りに懐かしさに誘われて川面をのぞくと、たくさんの川魚たちの魚影が見える。岩に生えた苔を食んでいるのか、ときどき、キラッと銀色に光る。だから私は、いつもまるで水中のような夢のなかで会っていることを想い、ぼそっとつぶやくのだ。

「──なんだよ、みんな生きてるじゃないか、ウフハハハ!」

ゼネラル

病室に入ると、母さんが無言で、僕をまるで他人を見るような目で見ていた。弟が友達に言っていた。「お兄ちゃん、死んでくれんかな、ほんま」──それに気づいたのはほんのつい最近のことで、周囲の人たちの態度があまりにもおかしいから、気づかないわけがない。母さんが死んでから10年近く経ったし、弟とも疎遠になった。弟だけではない、親戚の人や知人などは全員、疎遠だ。その理由に、今ごろになって気づいたわけだ。まったく、わからなかったわけではない、もう小学生くらいから、周りのみんながおかしいことに気づいていた。どうして、そういうことをされるのか、ずっと、疑問だった。その謎が、四十路なかばで、やっと解けたんだ。

──精神病院に入院していたとき、いつも若い男性看護師とラブラブな雰囲気をかもしていた、まあまあ見られたつらの若い女が、あるとき病室から出るなり、僕を見て言った。「あっ! やっぱり!」僕は何かわからなかったわけではない、でも、そんなはずはないと思った。そのとき僕は心のなかで「あ! あのカワイコちゃんだ!」と思ったのだ。繰り返すが、”思った”だけだ。またあるとき、おなかが異常に膨らんでいる若い女の子がオバサン看護師の人に連れられて、売店にゆくところだったらしい。僕はなるほど、薬の副作用でおなかが膨れてしまったのだなと思ったが同時に「ふん、デブ!」と思ったのだ。何度も言うようだが、”思った”だけなんだ。だが、その女の子は微動だにせず、こちらを見ていた。オバサン看護師の人が早く行こうと促しても、僕が立ち去るまで、その状態をキープしていた。同様に、そんなはずはないと思った。今でも僕の日々の社会生活はこんな変なことばかりが起こっている。毎日毎日ね。ドラッグストアのトイレで用を足していたとき、スーツを着たサラリーマンが入ってきた。僕はよせばいいのに「置き引き?」と、またもや”思った”のだ。だがそのサラリーマンは「クソ腹立つ!」と言い捨てて、ひどく憤慨した様子でドタバタしながら出ていった。僕は例によって、そんなはずはないと思った。こんな調子だから、休日に外出して、どこか喫茶店にでも入って、まったりするなんてことは今ではほとんどない。否、まったくない。日々感じる、”疎外感”に押しつぶされて、何もできない。たとえ、家のなかにいたとしてもだ。いや、僕のその感覚が正しいなら、僕は疎外されているのではなく、僕が疎外しているのだ。

そんなふうにして、ふさぎ込んでいたある日、母屋の母の寝床があった部屋のガラス戸の下、部屋の隅になるが、白い紙きれが落ちているのに気づいた。上がセロテープでとめてある(茶色く変色していた)から、戸に貼ってあったのが落ちたらしいことがわかった。なんのことはない、メモしてあるのは母が管理していた身体障害のあった伯母の銀行口座などのメモだった。しかし、裏返して見ると、とある一文が目に入ってきた。”困難はチャンスに変える” ──どこかで聞いたことがあるようなフレーズではあるが、母が生前に、どういう想いで、メモしたかを、僕は言葉にならない何かによって直感した。のっぴきならないほど、切羽詰まっていたのか、目頭が若干熱くなった。今の僕の状況がその困難では?

とある日の夜、ほんの出来心で、寝床で目をつむったあと、その力を使って、地球から離れて、宇宙へ行ってみた。もちろん、力を抑制するヤクはやらずに。とにかく、人間の意識というものには、距離は関係ないとの、スピリチュアルな記事を週刊誌で読んで知っていたから、そういうことかとやってみたんだ。まず、突き当たり、宇宙の果てに行ってみると、僕の意識はそれ以上外へ行くことができなかった。つまり、宇宙の外へは。なぜかはもちろんわからない。虫カゴに入れられたカブトムシが虫カゴの外へ行けないのと同じことだろう。つまらなさを感じながらも、よく話題になる、アンドロメダ銀河に行ってみた。僕は思わず声をあげそうになった。意識が攪乱されている! くらくらしながら、天の川銀河に戻って、もしかしてと思い、地球外生命体を探した。意識の攪乱が烈しくなる。僕は直感した、何者かが、僕の意識を拒み攻撃していると。自分の体に意識を戻そうと思ったができない。僕は焦る。すると、多くの者を思わせる声がした。正確には、それを声と認識した。「おい、また来やがったぜ」「いつものことだ、捕獲しておけ」「迷惑な奴は元から絶ったほうがいいんじゃないか?」「ほっとけ、どうせ、ここからは出られん」僕はその内容に少し憤慨をおぼえたので、声を出してみた。何度も言うようだが、声と認識できるものを発した。デカめに。「あんたら、なんなんだ!?」全員が大爆笑する。「ふぁふぁ! 威勢だけはいいらしいぞ、ゼノリスの分際で」「まぬけづらさらしやがって」「オレたちに勝てるとでも思ってやがるんだろ、力が弱い奴ってな、必ず、強い奴に向かってゆく、なぜなら、強いことがわからんからだ、つまり、オツムもろとも弱っちいってワケだ、ふぁ!」僕はキレ気味に言った。「なんだよ、あんたら!?」全員の声が一つになって、のたまう。「オレたちは”ゼネラル”、宇宙を統括してる、それはそれはどえれえ存在だ、主の前にひざまずけ、虫ケラめが! ふぁ!」僕は言う。「そうしてやりたいが自由がきかない、まぬけなのはあんたらだろ、自分たちがやってることがわからないんだからな!」また全員が大爆笑する。「ククク、あーははは! さすが期待どおりの弱虫クソ野郎、1回じゃ理解できんようだ、慈悲だ、もう一度下達してやる、おまえは捕獲された、”ゼノリス”なんだよ! 逃げようたって無駄だぜ、オレたちが逃がそうとしない限り、逃げられん、ガキの頃に昆虫採集くらいはしたことあるだろ? 常識だな、だが、おまえの場合は”有罪”だからだ、オレたちに歯向かった、宇宙の秩序を乱すやつは絶対に許さん、ずっとそこで、おとなしくしてろ! ふぁ!」僕は自分の体に意識が戻らないことに、かなりのレベルの焦りを感じ始めた。「どこなんだ、ここは!?」「おまえはそれを知らなくていいし、オレたち以外には誰も知らんところだ、安心しろ、おまえが憎んでいる連中に危害を加えないようにしてるんじゃない、統括管理者であるオレたちに危害が及ばないようにしてる、当たり前だろ、それが”虫カゴ”ってもんよ、ふぁ! しかし、おまえ、かなり歳をくってるな、今ごろになって、”感応”というものがいかなるものかわかり始めたのか、たしか、おまえが生まれた頃には映画になってた、映画になったっつーことは、原作はもっと前に出来上がってる、つくづくだな、おまえも、ふぁ! 死ぬよりもはるかに恐ろしい悪夢のような現実をとくとご堪能あれぃ! ふぁ~ふぁっふぁ!」

──あれから、どれくらいの時間が経過したか、まったくわからなかったが、永遠に近いと思えるほどの、何もない、ただ真っ暗な時間が過ぎ去った(?)。意識があるということは、生きてはいるのだろう。僕は本当にいつも、それに気づくのが遅かった。ふと、あの、母さんが生前にメモしていたフレーズを思い出したんだ。”困難はチャンスに変える” ...何も考えていなかったわけじゃない、思いつかなかっただけだ。「──そうか! 僕が”ゼネラル”になればいい」僕はあの連中に話しかけてみた。「おい、観てるんなら、答えろ、今から、僕がゼネラルになるけど、よろしいか?」あの、多くの者の集合した声がする。「ほざいてろ! おまえには何もできん、オレたちと同じ存在になるのは不可能だ、虫ケラが人間サマと同じ力を得られないのと同じだ、ふぁ!」僕は鼻で笑って言ってやった。「ちがう、虫ケラが、虫ケラに戻る、人間サマが、人間サマに戻る、そのための力を使うだけなんだよ!──」僕は背すじを伸ばして息を吸い、吸ったのより長めにゆっくり息を吐いた。早い話が、呼吸をしたんだ。肩の力が抜け、体の実感が戻ってくる。目を開けると、常夜灯がその役目を終え、あたり全体が明るい感じだったから、僕はそれが、まぎれもなく、”朝”であることを認識した。腹筋を使って、むっくり上体を起こした僕の意識は、あいつらと同じところにあった。しかしそれは、自分の体の統括管理者であることを思い出しただけだ。「ふう」

──変なことばかりが起こる日々の社会生活で疲弊した心を癒すように、夜なかに寝床に横になったあと、意識を宇宙へ飛ばす遊びは今もときどきやってるけど、戻る方法をおぼえたから、もう、大丈夫だ。

紀元三千年紀

“私たちを覚えておいてください、私たちも生き、愛し、そして、笑ったからです” ──この、紀元三千年紀の初頭に公開された映画「シャッター・アイランド」の冒頭で語られるワンフレーズが痛く心に響いたなら、あなたはもう”こちら側”にいる。あくまで、より良い未来があると仮定しての話ではあるが、そのために、私のありったけの良心と善意をもって、どういうことか説明しておこう。

──熊のようなもっさりした黒い毛に覆われた大きめの犬を、小さめのおばさんが散歩させているのが見えた。何者かが「よせ」と静かに言ったが、かまわず、車中から、ふと真横を向いて、そいつを見たんだ。その犬は不思議なことに、口を閉じて、呼吸を止め、じっと、こっちを見ていた。ほかにも信号待ちをしている車はいるのに、数ある車のなかにいる、この私の目とその犬の目はぴったり合ったんだ。しかも、その犬の目は普通の目じゃなかった、白濁したような、青みを帯びた光を発している目だった。”こちら側”にいる証拠は、ほかにもまだたくさんある、もうたくさんだと言わせるくらい、たくさん──あぐらをかいて、ノートパソコンでネットニュースを見ていたとき、視界の隅で何か黒い影がふっと動いたんだ。床にゴキブリでもいるのかと、即座にそっちを見ても、何もいない。ガキの頃に友達に教えてもらった”みじんこピンピン現象”によく似ていると言えなくもないが、明らかに異なっているのは、複数ではなく、単体であること。視界のなかに何かが映り込む現象は、埃のような、変な物体が、ゆっくり動いていて、それを見ようと追えば追うほど逃げてゆくといった別バージョンもあるが、それはあまり関係ない。また他のエビデンス──例えば、前方横の歩道に見られたつらの女子高生二人組がいるなと認識し、車で通り過ぎるとき、犬のときと正反対で、真横を向いて、そっちを見ているわけではないのに、二人がこっちを見ているのがわかることだ。まるで、私の顔の横、側頭部、耳の上のほうにでも、もう一つ目がついているかのように、そのうちの一人が意味深に指をさしているのさえはっきりと見えるのだ。また別のパティーン──夜、日が落ちて閉店1時間前くらいのスーパーに行ったとき、人気がまばらな店内で、どこからともなく、怒号が聞こえてくること。裏で社長が従業員をパワハラまがいに叱責しているのだろうと思いはするが、その声は決まって、私を名指しして、「出禁にしてやるぞ、クソが!」と怒鳴っている。いや、正確には、そうはっきり聴きとれるのではなく、そう感じとっているのだ。車のケースをもう一つ──歩行者の横を通り過ぎたとき、あるいは、対向車と離合するとき、はぁーという、吐息のような声(?)が聞こえること。それはまるで、「またおまえか」と言わんばかりの声音だ。聞こえることに関しては、誰もいないのに、声が聞こえるのは日常茶飯事だったりすること。常に違うフレーズだから、映画中の名セリフならともかく、憶えておくことは不可能だ。誰かが同じフロアにいて、何か悪口か、命令に聞こえた声が、自分に対して言っているのだと認識することも同様である──こういう現象たちは、医者に言わせれば、”幻覚”として処理され、言いかたは諸説あるが、自由が奪われるという意味においては”ブタ箱行き”としか表現しようのない、人権侵害なみの酷い処遇を受けることになる。何も音が聞こえず、何も見えない場所、無限の静寂しかないようなところ──”神域”がこの地球上に、”死後の世界”以外に存在するとしたら、”こちら側”にいる人たちは、全身全霊全力で、そこへ行きたがるはずだ、かのブタ箱にさえ、そんな環境は微塵もないのだから、そして同時に、心の底から、己の不遇な人生に、答えを出したがるはずだ──その人が苦難のすえに、そのいわば”桃源郷”へたどり着いたのは明らかだった、しかも、ともすると、永遠の生命を得たに違いない。宇宙や生命の存在自体の不思議に、まったき答えを導き出すにはまず、人間の意識には、距離という概念が当てはまらないという、SFチックなことなのに、事実であることを理解しておく必要がある。距離、隔たり、壁といったものは、例えて言うなら、校則のようなもので、学校そのものであるとも言える。もっと言えば、無限の可能性があるものを制限し、抑制しているという意味においては、人間社会そのものであるとも言えるのだ。したがって、すべての拘束から解き放たれた領域に足を踏み入れた人々こそが、”こちら側”の人々ということになるワケだ。

その人も、その一人だったのだ。その人は、古代文明が滅亡した、本当の理由に気づいた。この現代においても、さっぱり解明されていない”神域”、”こちら側”、”本当の理由” ──かのエジプトのピラミッドに代表される古代の建築物群の目的がそれらを如実に物語っている。それらは、死者の復活を願ったのではない、永遠の消滅を願った、もしくは、その魂(?)を封印するためだ。フツーに考えて、現代においても、前述したように、やヴぁいやつというのはブタ箱にぶち込んでおく。いつまで、お決まりの役立たずでしかない性善説をぶっこいていれば気が済むのか知らないが、普段の感覚において、それで社会生活をやり過ごしているやつなんざ一人もいないくせに、格好だけはつけたいらしい魂胆が見え見えだ。やヴぁいやつは出てこれないようなところに閉じ込めておく。それがフツーの性悪説による処置であり、死者の復活を願うとかが、性善説による、まったく手ぬるいとしか言いようのない、お人好しの学者連中の解釈であるのは明らかだ。伯父の会社のカネを横領して、とんずらしやがったやつのその後の人生が、どうか不幸に見舞われていますように──これがやヴぁいやつに対するフツーの感想では? ほかの実例としては、自分の思っていることがすべて他人に筒抜けになっている感覚が、単なる幻覚であるというのが、現代医学の見解だ。そして、その状態になったやヴぁいやつはブタ箱にぶち込む。これのどこが性善説と言えるのか知らないが、医学が進歩していなかったであろう古代においても同様の理由で人々が動いていたとすれば、おびただしい数の古代の遺物の目的など、さもありなんで、すぐに判明するというものだ。敵がいつ攻めてくるかわからない状態では安眠できない。たいていの精神疾患は、強い不安感によって引き起こされる。したがって、知識はなかったかもだが、脳の働きが現代よりも鋭かった古代に、現代の精神疾患に該当する人々が一人もいなかったはずがない。そういう人々は、医学が進歩したように見える今現在でさえ、まともな人間ではないという非情なレッテルを貼られる、極論すれば、何もしていないのに”人殺し”呼ばわりされる始末なのだから、病名すら、わからないような古代において、彼彼女らがどういう扱いを受けていたか、想像できないとでも? 何度も言うようで恐縮だが、彼彼女らは、復活しないように閉じ込められ、封印されたのだ。

殺風景極まりない部屋で、目の前のガサツな男が言った。「例えば、水族館とかで、魚を観賞しているときに、ビクっと、変な動きをした魚を見たことはあるか?」その人は答える。「ありますけど、それが何か?」「では、見るといつも吠えていた犬が、ある日突然、おとなしくなったことはあるか?」「それも、ありますけど、なんなんですか?」変な質問をしているのはアンタだろ?と言いたくなったその人は、その自分のした回答さえも、変に思った。何かが伝わっていることは明らかだが、それはなんだ? そいつが嫌がっているそぶりを見せるということは、伝わっているのが”不快な何か”であることは間違いない、物理的な刺激を与えていないにもかかわらず、その”不快な何か”は伝わっている、確実にと、その人は内心思った。もちろん、目の前のガサツな男から、その人にも伝わったのだ、”不快な何か”が。いや、逆かも。「古代に栄えていた文明において、人々は何を使って、意思の疎通をしていたと思う? ええ? 言ってみろ」「知りません、気が遠くなりそうです、だから、なんだというのですか?」その人は正直に答えたことをしくじったと思った。目の前にエラそーにふんぞりかえっていやがる、コイツの思うつぼだと。だから、執拗に、質問に対して、逆に質問することにしたらしい。「さっきからちょいちょいうるせえな、質問に答えさえすればいい、じゃあ、目覚まし時計の話だ、おもてにあるのに、ずっと裏にスイッチがあると思い込んで、イラつきながら、ずっと裏をまさぐっていたら、突然、音が鳴りやんだことは?」「ありますよ、でも、どうしてそういう質問ばかりするんですか?」目の前のガサツな男は、その人がそう言い終わる直前で、右手の拳で、机の上を思い切り叩いて、これ以上ないってくらいの剣幕で、すごみやがった。「黙れ!」その瞬間、その部屋に点灯していた天井の電球がすべて派手に爆発した。小さな窓からの光だけになる。目の前のガサツな男は激昂したのは自分のくせに、ひどく驚いたようだが、一方、その人はほんの少しも肩をすくめることなく、天井も見ずに、何も動じない様子で、ただ静かに、目の前のガサツな男だけを見ていた。そして、言う。「何か、危害を加えたとしたら、あなたがたのほうではありませんか?」「バカクソが! わたしたちではなく、おまえが、危険な奴かどうかを調べているんだ、状況把握もできんのか? 低能」その人の目の前のガサツな男は強気な言葉とは裏腹に動揺を隠せないご様子。「それは明らかにあなたのほうです、俺みたいな奴に会うたびに、三下職員に電球を換えさせている、あなたのほうがリスクをかえりみない危険行為をおこなっているのです。その意味がわからないほうが、あなたの言う、お下品極まりない言葉”低能”に該当する、それは、おわかりいただけますか? つまり、早い話が、危険だと思われる人物を故意に怒らせているから、あなたは低能なのです、危険人物を怒らせたら、どうなるかわからないとでも? 父が怒って、いつものように暴力をふるおうとしたら、母が包丁を向けた、さてはて、どちらが怒り心頭に達していて、もっとも危ない人物と言えるのか、わかりますよね? 女性や子供など、弱く見える人間や、弱い立場の人間を痛めつける行為の果てがどうなるか、わかりますよね? 必ず、しかるべき報いを受けることになる、わかりますよね? そして、あなたがたのような種類の人間は、その理由でしか、他人にやさしくできない、違いますか? 誰が思いついたのか、“気にしたら負け”っていう、伝説的なスラングがあるけど、気にしていることを気にしないようにすることができないのと同様、思っていることや、考えていることを、思わないように、考えないようにすることはできない、その意味では、あなたがたに罪はない、でもせめて、思い続け、考え続けて、答えを探し続けてほしい」目の前のガサツな男は鼻で笑って言った。「ふん、言いたいことはわかってやらんでもない、だが、妙諦がわかったところで、おまえが危険な存在である事実には、なんの変化ももたらさない。おい、ぶち込んどけ、奴と同じ部屋に入れるな、厳重に別々に隔離しておくんだ」二人のごつい部下が「御意」とのたまって、その人を乱暴につかんで連れて行った。

「ア~ヤコ、セックスしよ♪」消灯後の独房のなかで眠る、その人の夢のなかにとある若い男が現れる。申し遅れたが、”その人”とは、”アヤコ”という名前のれっきとした、見られたつらの若い女性だ。アヤコは現れた若い男が同類であることなどすべてを瞬時に悟り、言う。「こないで、俺がやさしいなんてウソだから、俺は他人の死を願っている、ケンイチ、あなたのことも」ケンイチは言った。「それは違うな、キミは人を大量に殺せる強大なチカラを持っているのに、一人も殺していない。憎むべき、アイツさえも。僕みたいなのは、とっくの昔に、殺されてるはずだし。キミは本当は虫も殺せない、すこぶるやさしい娘だ、知ってるよ。大丈夫、心を開いてごらん。心を大きく、開いてごらん、心を大きく、開いてごらん、心を大きく、開いてごらん──」それは、めくるめくような淫夢だった。具体的には、良い子のみんなのために、一言のみにて、割愛しておく──同じ力を持つアヤコとケンイチは、その力を使って、心の底から愛しあったのだ。何度も言うようだが、すべての拘束から解き放たれた領域”神域”に足を踏み入れた人々、我らが”こちら側”の人々にとって、距離、隔たり、壁といったものは、何もないに等しい。その”本当の理由”など、常人に理解できるはずがない。だから、閉じ込め、封印する。科学技術は急速に進歩したものの、肝心の、霊的な進化を遂げているとは、お世辞にも言えたものではない現段階の人類は、彼彼女らを、そうやって、歴史の闇に葬り去ることを是としているのである。

かくして、アヤコにすべてを注いで、力を失ってしまったケンイチを秘密裏に処刑した当局の連中は、アヤコを永久凍土の広がる不毛の地に設けた秘密施設に幽閉し、有事のときに、何かに利用できないかともくろんでいたが、時代の混乱期を経たのち、最終兵器”アーク”の所在が不明であるのと同じく、忘れ去られてしまった。秘密施設を発掘した人々は、管理人である私が遺した古い記述に、アヤコとケンイチの魂が愛しあった日から、ちょうど、十月十日が経ったころに、アヤコが男の子を出産したとの文言を見ることになるだろう。当時、処女懐胎かとささやかれたか、看守にレイプされたのだと一笑にふされたのかは、今となってはどうでもいい話だ。その外界から閉ざされた秘密の大地に住むという、敬虔なる信徒たちのみが、前者の説を信じているのだから、それで十分だ。そして、彼彼女らは、その同じ力を持っていた我々の始祖が、今もどこかで、我々を見守り、微笑んでくださっていると、かたく信じている。

最後の挨拶には、こう記してある──苦しさゆえに誰も書かないようなことを、私が身代わりとなって、あえて書き記した。だが、これらの文章の内容は、きっと、後の世には、ワケのわからない遺物”オーパーツ”でしかない。古代に現実に起こった事実すら、謎なのだから、古代人が見聞きした幻覚は、どんな謎よりも謎になるだろう。

始祖の息子、ここに記す──

いーいーいー

何もないところに知識は生まれないとしたら、畏怖すべき存在が実体をともなって、天からこの地に降り立ち、奇跡を起こし、我々人間にその知識──”生きる道”を示したという古代神話は、この現代においても、再現されうるという、ちょっとした話をしよう。

「いーいーいー」俺が話しかけたら、奴はとにかくいつもそう言ったんだ。いやもとい、言ったっつーか、なんつったらいいんだコレは? まあいい、俺にはそう聞こえた。何を訊いても、それだった。そのとき、俺はまだ小学校低学年くらいで、奴は高学年か中学生くらいだったのかもしれん。なにか、笑い話をしたり、とがめたりしたら、その「いーいーいー」の調子が早くなったり、憂いを帯びた感じになったりしたが、何度も言うようだが、字面ではそう表現するしかない。奴の見た目はまあ、垢ぬけない感じで、”ザ・田舎もん”といった風貌で、頭蓋骨のシルエットや体の姿勢、歩きかたなどがおかしかった。しかも、「いーいーいー」は話しかけたときだけに発しているのではなく、人が近くにいるときは、ずっとだ。フツーに、言葉による”意思の疎通”ってやつはできなかった。俺は子供ながらに、なんて、不憫な奴が居るんだろうと思った。ほんとうだ。だから、なんとかして、俺はあなたのことを友好的に思っているよと伝えたかったが、無駄だった。そういう態度や言葉を投げかけると、奴の「いーいーいー」は、それを拒むような感じになった。笑顔になったなと思っても、ほかに何も言っていないのに、すぐに険しい表情になったりした。俺の思いが伝わったのか、伝わっていないのか、そもそも、言葉を理解できるのかどうかさえ、わからなかった。何かに反応して、「いーいーいー」の声音を変えているとしたら、いったい、何に? ほかの連中が奴に話しかけているのを見たことはないが、奴に話しかけている俺とも、連中は、ほとんど口をきいてくれなかった。だから、余計に、俺は奴と友達になりたかった。自分は奴と同じなんだ、だから奴は、俺と友達になってくれるはずだと思ったに違いない。だが、奴は俺と友達にはなってくれなかった。第一、友達であることを証明するにはどうすればいい? そう思った俺は、田んぼの隅のちょっとした空き地に生えているシロツメクサの葉を丹念に見てまわり、やっと見つけたんだ。”四つ葉のクローバー”を。ご存知かと思うが、このフツーは3枚だが、4枚の葉がついたクローバーは、本にはさんで”押し花”にする人がいるほどの、”幸福の象徴”なんだ。俺がそれを何で知ったかは、我ながら謎なのだが、とにかく、その”四つ葉のクローバー”を摘んで、奴に渡した。言葉では伝わらないから、とにかく、目の前に差し出した。奴はほぼ反射的にソッコーでそれをつかんだが、口の前にもっていき、パクっとやって、むしゃむしゃと食った。俺が、両眉毛を上にあげて、あっけにとられていると、奴はゲップを一発やって、「いーいーいー」とまたやり始めたかと思うとどこかへ行こうとした。言い忘れていたが、奴をじっと引きとめておくのは困難を極める。俺は「ちょっと」と言って、奴の肩をつかんだ。奴はわめくように「いーいーいー」と言って(発して?)、俺の手を振りほどいて、向こうへゆく。奴のうしろ姿を見ながら、何を思ったか、俺は「まてー!」と大声で言いながら、奴を追いかけたんだ。奴は「いーいーいー」を切羽詰まった感じにして、連呼しながら、走り出す。俺ももちろん走って追いかける。奴の足はめっちゃ速かった。俺は捕まえることができないと判断し、立ち止まって、両膝に両手をやって、ぜえぜえやりながら、奴を見ると、奴は、うしろの俺を一瞥したあと、立ち止まり、前を向いて、ゆっくり歩きだした。例の「いーいーいー」も穏やかになる。「おまえ、いいかげんにしろや!」当時の子供だった俺がそんな言葉を口にするはずがない。だが、そのとき、不思議なことに俺の頭のなかに奴の「いーいーいー」じゃない声が聞こえたんだ。「おまえはいーやつだ、ありがとな」

──奴との思い出はそれっきりで、30年以上経った今、思い返すと、それが実際に体験した記憶なのか、妄想の産物なのか、区別がつかない。だが、良いか悪いかで言うなら、誰が何と言おうと、この上なく、”いー思い出”だ。

不可抗力

暗闇のなかでは常に”意志”がすべてだ。”意志”とはつまり、善悪などの違いをはらんでいるとはいえ、宇宙のなかの人間存在そのものを象徴する不可視のチカラであると言っていい。知っているのに、言わないのか、知らないから、言いようがないだけなのか──どっちにしろ、高名な方々がドジをやらかしておられるとしか思えないのは、この世界には言葉にできない何かがあることをはっきりとお示しくださっている点だ。その一つを言葉で表現したものが”不可抗力”だ。人間のチカラではどうすることもできないチカラ。暗闇のなかでは、生き物はなぜか、光に向かってゆく。それが”本来の意志”であり、”不可抗力”そのものなのだ。

私は、その後の人生がどうあれ、子供の頃は、父に大切にされていた。それが如実にわかったのは、歩き始めたばかりの私に大きくて丸くて平べったい餅をしょわせて、歩かせている写真を見たからだ。どこにいったかわからないその写真を見た当時はわからなかったが、今はその意味がわかる。自分の田んぼで収穫したモチ米で、おそらく母に、大きな餅をつくらせ、ビニル紐か何かをそれに結わえ、リュックみたいな感じにして、小さな私の背にしょわせて、父母どちらかわからないが、その歩いている様を、わざわざ、記念撮影している、その意味が。もちろん、力強く人生を歩む人になってほしいとの願いが込められているのだ。

──本当に安らかな死に顔だった。道の真ん中より少し左側で、車にひかれて、体を横たえた小さめのヘビは、こんなにも蔑まれ、疎まれてきたのだから、やっと死ねるんだと思ったのだ。こんな生き物に生まれて、ごめんなさい、死んでお詫びをするから許してくださいね、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、許してくださいね──そう言わんばかりの安らかな死に顔だったんだ。田んぼの脇に倒れていた父を発見した近所の人は、まさにあのヘビと同じ、酒乱暴力で有名だったが、しかし一方で、母によれば、面倒見がとても良かった父の、その安らかな死に顔を見たにちがいない。そして私もありありとそれを見る、何度も何度も繰り返し、まだ幼い私がある日の何気ない食事の席で何かひょうきんなことをやって、母が大笑いした、母子二人のその瞬間を、カメラで撮影した父、どういう想いで撮影したか、何度も何度も繰り返し、ありありとそれを見る。そうしているうちに、やがて私自身が父の息子であり、同じDNAを受け継いでいることに、想いが及ぶ。蔑まれ、疎まれているのは、自分も同じであると──ごめんなさい、こんな生き物に生まれて、ごめんなさい、死んでお詫びをするから許してくださいね、ごめんなさい──具体的な理由は、前述した”不可抗力”のせいとしか言いようがない。自分ではどうすることもできないチカラ。そのチカラのせいで、ほぼ自動的と言っていいほどに、車を運転中に、見た瞬間一瞬で、道の真ん中より少し左側で、車にひかれて、体を横たえた小さめのヘビの安らかな死に顔にたたえられた、すこぶるやさしげな瞳の奥へ入った。抵抗できなかったんだ、車中からなのに、路上にある死体のはっきりそれとわかる、あの瞳を見た瞬間やヴぁいと思ったときには遅すぎた。私の意識は、そこへめがけて、ものすごい勢いで入ってゆく。私はまたかと思わず声をあげた。「おい、よせ!」擬音で表現するなら、”ギュウウウウウウウン!”といった具合で、まわりの景色が、あの超有名な映画「スターウォーズ」なんかでよくある、ワープ(?)のシーンみたいに、一点の目標に向かって凝縮されてゆくといったらいいか、逆に放射状に散ってゆくといったらよいか、とにかく、移動していることがわかった。こうなってしまっては、抵抗などできるわけがない。私にとっては、ごく当たり前の、いつものことだ。道路でよく見る、カエルの死体、ネコやタヌキの死体、この海辺のほうじゃ、カニの死体とかも、繰り返すが、私にとっては、彼彼女らの死体を見たときによく起こる現象の一つなのだ。そして、必ず抵抗は試みる。私はほぼ悲鳴に似た声にならないような声(?)を出していた。「や・め・ろ!」すると突然、移動が止まる。その景色は地上にいるはずなのに、まるで宇宙空間だった。車の運転席でハンドルを握って座っていたはずなのに、着地感などない、浮いている、浮いてはいるが、止まっている、静寂があった。そして、目の前に、青白く、烈しく燃える炎があった。いやもとい、光?──暗闇のなかでは、生き物はなぜか、光に向かってゆく。その光は、いつものように明るく語りかけてくる。「ハッピィバァースデェ~イ! は! 自分で言っちゃった! わあ、やっぱり、プレゼントをもってきてくれた、腐葉土のフレーバーだぁ! くんかくんか、ううぅ~ん! たっはぁ~、たまらん!」私は言った。「もう、いいか?」青白い光は言う。「ひとつ訊いていいか?」「なんだ?」「魂を癒す仕事ってな、しんどいのか?」私は鼻で笑って言った。「んっふ、まあな、なんで、そんなことを訊く?」「いやだって、アンタぁ見るからにしんどそうだぜ?」私はさらに鼻で笑う。「ふん、ほっとけよ、じゃあな」私はうなり声を出さざるを得ず、何かに抵抗するようにして、現世での車の運転に戻った。「ふう」

──次の日、同じ道を通ったとき、やつの死体はぺしゃんこの赤みを帯びたものになっていて、ハエが数匹たかっていた。田舎道では、よくあるパティーンの光景だ。だが、あいつらがその後どうなったかまではまったく知らない。こないだなんか、工事車両みたいな黒いななめの縞模様のある全体的に黄色いトラックが止まって、ヘルメットをかぶった、ごつい人たちが数人おりてきたなと思ったら、手前に、ぺしゃんこになった、ネコの死体があった。ははぁ~ん、なるほど、誰か奇特な人が通報したおかげで、死体処理班のおでましってワケか。私はもちろん、その前に、この前のヘビのときと同じ仕事をした。やつはチュールを死ぬほどペロペロしたかったらしいので、半可通ではあったが、もっていってやった。作業着姿のあの人たちは、あいつらのその後を確実に知っている。あいつらの、現世での、その後なら。そして、酒乱暴力で有名だったが、しかし一方で、母によれば、面倒見がとても良かった父の息子である私が、現世で、その後の人生をいかに過ごしているかなら逐一。──具体的な理由は、前述した”不可抗力”のせいとしか言いようがない。

虹の約束

「言いたくないことを訊かれ、聞きたくないことを言われる、あなたはやさしいから、すぐに意識を奪われる、心が遠くへ行ってしまう、もしも、それが、あなたにとって苦しくて仕方がないなら、その力を使って、雨上がりの丘の向こうにある”虹のたもと”まで来るって、約束して、そこにアタシは居るから、必ず、待ってるから、だから、約束して」そう言うと彼女は、両腕を広げて、うしろ向きに倒れた。僕はうそだろと思いながら、端まで行って、下を見たが、彼女の姿は見えなかった。死体だって? そんなものでも見えたら、僕は逆に安心しただろう。でも、その強烈な胸のもどかしさのおかげで、僕は直感したんだ、彼女はここには居ないんだ、彼女は”虹のたもと”に居るんだって──

雨音がおもしろいとか誰が言ったのか、豪雨災害を経験して以来、僕には、僕を攻撃している音にしか聞こえない。そういう性格だから、他人から、何か、例えば、注意を受けたとしたら、注意された内容よりも、注意されたこと自体に、怒りをおぼえたりして、良からぬ考えを巡らせる。そんな僕にとって鬼門でしかないイヤな梅雨の時期が例年に比べ格段に早く明けて、夏の到来を告げるニイニイゼミが鳴き始めた頃のことだ。踏切の手前で止まったとき、ふと横を向いて、車窓の外に目をやったら、白い器に白い何かがのっていた。僕はそれがなんであるか、すぐにわかった。”盛り塩”だ。たいてい、厄除けのためにやる、奈良・平安時代からあったという日本の古い風習だ。よせばいいのに、僕はまた誰かが盛り塩によって僕を攻撃しているのだと思った。常日頃から、僕はみんなから疎まれているのだという妄想があった。被害妄想とかいうのかな。でもそれは、妄想なんかじゃない、事実なんだ。幼稚園児だった頃、ほんのささいなことで、先生に本気で怒られた。小学生のとき、田舎だから、同級生は少なかったのに、男子は一人残らずみんな、僕と口をきいてくれなかった。いつも、下級生と遊んでいた。中学生のときは友達は一応できたが、何か、よそよそしかった。高校生のときは、その中学のときに友達だと思っていたやつは、みんな僕から離れていった。大学に入っても、社会に出ても同様、さもありなん。みんなが僕を避ける理由はわからなかった、いや、だいたいわかってはいたが、それは”幻想”でしかない。あまり声高に言うと、それこそ、”妄想”として処理されて、確実にブタ箱にぶち込まれることになる。”よらしむべし、しらしむべからず” ──いにしえより続く”言霊信仰”の真相を知っている人がこの世界に存在していたとしても、それを公表する人は皆無だろう。この科学技術が高度に進んでいる、急速な進歩をとげた現代においても、ご賢察のとおり、人類の霊的レベル(?)はそれほど高くはない。わからないことはすべて”幻想”というカテゴリにぶっ込んで、顧みないのだから。例えば、極論すれば、ご存知”宇宙”とかも、僕なんかは「ええっ!? なんで、こんなになっているんだ!?」という具合に、この世界自体が、不思議でたまらない状態になっているとしか思えないのに、とくにそこはツッコミの必要がないらしく、最近ではメタバースとかいって、仮想世界(一種の幻想?)にゆこうとしている。恐竜が、じつは高度な精神世界をもつ存在に進化して、別の宇宙へ転移したのかもとか、人類の古代文明が核戦争によりいったん滅亡したのかもとか、大昔の誰にもわからない事実(?)は、すべて”幻想”ではないか。したがって、あれからかててくわえて駐車場の四隅にも盛り塩がしてあったことと、僕が疎まれているのではないかという被害妄想との関係性を正確に言い表す言葉は、現実に最も近い”幻想”なんだ。幻想は、現実に起こっている現象であっても、現実ではない。そう、かたくなに言いはっている以上、人類は何も進歩しないだろう。

──前置きが長くなったが、僕がとらわれている、その”幻想”は、神、鬼、イット、妖怪、幽霊、最近では、インターネットなどと呼ばれている”何かある存在”としか言いようのないものたちと同じ、たしかに存在する存在だった。「またようる!」「言ってないから、なぁ~んにもね!」僕はそいつ(ら?)の声に答えて言ってやった。そいつ(ら?)の攻撃は止まらない。「いいじゃんかー!」「聞こえてないから、なぁ~んにもね!」「聞こえとるくせに」「聞こえてない!」「いいじゃんかー、聞こえてなくてもー」「したくないことを、どうしろって言うんだ!?」「いいじゃんかー、したくなくてもー、いいじゃんかー、いいじゃんかー、いいじゃんかー、いいじゃんかー、いいじゃんかー、いいじゃんかー、いいじゃんかー」僕はノートパソコンをバンっ!と、壊れるのではないかと思うほど、思い切り閉じて、机につっぷし(つっぷしても、”何かある存在”を目を開けたまま見ている?)、そして、ご近所さんに聞こえないように小声で繰り返し同じフレーズを唱えた。「たのむ、やめてくれ。やめてくれ──たのむ」やつ(ら?)には確実に聞こえている。何も返答がないとしたら、聞こえているのに、聞こえていないふりをしている。誰かが盛り塩をする理由、それはつまり、それでしか解決しようがない現象が実際に起こっていることを示している! ”幻想”というカテゴリに入る、人知を超えた現象が実際に起こっていることを!「──たのむ、やめてくれ。やめてくれ──たのむ、なんでもする、だから──」僕は暗闇のなかにさした一条の光のように、彼女の言葉を思い出す。「言いたくないことを訊かれ、聞きたくないことを言われる、あなたはやさしいから、すぐに意識を奪われる、心が遠くへ行ってしまう、もしも、それが、あなたにとって苦しくて仕方がないなら、その力を使って、雨上がりの丘の向こうにある”虹のたもと”まで来るって、約束して、そこにアタシは居るから、必ず、待ってるから、だから、約束して」

──僕はいつもと同じように自然にそうした。雨上がりの丘の向こうにある”虹のたもと”にわらをもすがる思いで全力で行こうとした。いつも行こうとはするが、行けなかった。一応言っておくが、雨上がりの丘の向こうにある”虹のたもと”とは、フツーは夜空に瞬く星々と同じ、永遠に届かない至高の存在に等しい。しかし、僕の力を使えば、行ける気がした、彼女がその力を使って来てって言ったもの。何回試みたか、飛ぶほどの何回目かで、僕はやっとそこにたどり着いたんだ、彼女が僕を待っている”約束の地”へ──

彼女は言う。「ほらやっぱり、あなたは約束を守ってくれた、また逢えたね」僕は微笑んでいる彼女にわざと意地悪な質問をした。その答えを知っているのは、僕のほうであることを、もちろん、知っていたのに。「ずるいよ、知ってて、僕を困らせたの?」彼女は答える。「そうよ、だって、困らない限り、あなたは何もしようとしないんだもの、ふふ、じゃあ、名前をあげるね」「なまえ?」「そう」「名前だったら、僕ぁ、僕ぁ、あれ? 僕の名前は──なんだっけ?」「あなたの名前は”サン・チャイルド”、まあ、日本語だったら、”太陽の子”ってとこかしら。いい? 何か、心が迷ってしまったり、奪われそうになったときには自分の名前を心のなかで唱えるのよ? 大丈夫、きっと、自分を取り戻すことができる」「そんなことで?」「うん、もう、あなたはアタシに心を奪われている」「そんなことは──」「いいえ、わかってるの、あなたがここまで来たのはアタシに心を奪われたから、そうでしょう? さ、唱えて、自分の名前を」「僕ぁ、僕ぁ、──キミの名前が知りたい」「アタシの名前なんて、どうだっていい、自分の名前を唱えなきゃ、強く、どんな邪念に支配されそうになっても、強く、唱えるの」「キミの名前は邪念じゃない」彼女の声はだんだんなんだか震え声というか、涙声になってきていた。「ダメよ、自分の名前を唱えて、そうしないと、宇宙の法則が乱れてしまう、自分の名前を、”サン・チャイルド”を、唱えなければ、邪念に支配されて、あなたは消えてしまう、サン・チャイルド! あなたが見たビジョンのとおりに唱えて! おねがい!」僕は彼女がそこまで言って、ようやく、それを思い出し、言った。「キミの名前は”ムーン・チャイルド”! ──これで、キミは自分を取り戻せる」

かくして、僕と彼女は、それぞれに、自分を取り戻したあと、虹のたもとにある町で一緒になり、幸せに暮らしている。

これらの物語はフィクションです。
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