ショート・ショート・ストーリー  / 目次
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最高に面白いかどうかはさておき、少し不思議なお話がい~っぱいっ!
ごゆっくりどうぞ
「暗闇の審判」 ── 許してくれた理由
「オレンジ色の光」 ── 見ているもの
「真打ち紅一点女子のチアキ」 ── 新たな始まりの挨拶
「小人」 ── 彼らの教え
「1999RQ36」 ── 試練を超える力
「愛の神」 ── 次を望むなら
「シノビネと悪夢」 ── はたして"善"とは?
「アポカリプス」 ── そよ風は語る
「幸運の呪文」 ── 愛されることのない存在の愛?
「蒐集業者」 ── 宇宙を救うモノ
「愛することから始めた男」 ── 母が育ててくれた理由
「君が見た希望」 ── ちっぽけでも、大切なもの?
「写真のなかの世界に入れた話」 ── あの人に言うべき
「水仙の花」 ── 希望を取り戻すには?
「A君」 ── 感じているもののすべて
「君を忘れない」 ── 思いやる気持ち
「明るい穴」 ── 少女が望んだもの
「その星で」 ── ずっと逢いたかった
「鬼童」 ── 子供たちの力なのか
「機能人間」 ── 私の新機能
「声」 ── むしろ、真面目で謙虚な心が備えられている
「知らせ虫」 ── 毎年夏に教えてくれる
「あやまり」 ── 自分の間違いに気づいて謝ることができるか
「わらいぎち」 ── とある伝説
「千代見草」 ── 生きてる意味は何だろう?
「無駄な握手」 ── 握手は契約だからね
「真心の君」 ── 真心って信じますか?
「カビ」 ── もしも生きているモノにそれが生えたら
「白い菊の花」 ── 本当に大切なモノを、あなたはもう知っている
「楽しいいつものこと」 ── 本当の意味で楽しむのが私の常
「仮想メモリ」 ── 好ましいファイルとは?
「ある春が近い日のこと」 ── オレの正体...
「狭い路地でデカブツを飛ばすな!」 ── 言ってやるのは善意
「にぎやかな神」 ── いつもと違うほうを選択したとき
「愛」 ── 絶対に、絶対に忘れるな
「HEALTH」 ── 語る価値があるものを私は...
「白日の幻考」 ── 気が付くと...
「あの家に」 ── 配達員はどうメモして帰ったか?
「花咲く季節」 ── 私が今、死ぬほど思っているもの
「鳥たちのさえずり」 ── 世界一素晴らしい能力

暗闇の審判

あんたがやったん?──うん。蔵の奥の闇が、本当に怖かったんだ。だから、心から許しを乞うた。だが、それはしばらくの間、聞き入れられなかった。俺はそのとき子供だったから言葉にはできなかったが、悟ったらしい、絶対に許されることのない罪が、この世界に存在していること、そして同時にその罪を、絶対に許さない人間が、神ではない人間が、この世界に存在していることを──ありがとう、母さん。

ナスビか──通りがかりに車窓から毎度その畑を一瞥しながらも、それとは別のシークエンスが同じ内容をリピートしていた。母さんが苗を植えて大切に育てた。立派に大きく育ってた。母さんがつくったナスの揚げびたしは、白飯のおともに最高だった。時期になると畑からほぼ無尽蔵に収穫できたから、飽きるほど食った、またアレつくってって、せがんだりした。毎年のようにな。だが、ある日、木の棒でナスビの葉を次々にめちゃめちゃにしてやったんだ。理由はたぶん何かで叱られたからだと思う。泣きじゃくりながら、渾身の力でやった。つぁは! 俺ぁつくづくバカなやつだぜ。で、蔵にぶち込まれた。開けて!って、何度も必死で懇願したが、母さんは許してくれなかった。母さんは「反省しなさい!」と言ったきり、蔵の厚くて重たい戸を外から施錠した。俺は、人間に対してはらわたが煮えくり返るほどの憎悪を抱いている得体の知れない多くの存在の気配を死ぬほど感じる暗闇のなかで、放置の刑に処された。いわゆる、親が子供によくやる”しつけ”とか”おしおき”とかいったことになるが、蔵の暗闇のなかに一人閉じ込められるのは、子供にとって、生きた心地など、するわけがない、極限状況なのだ。しかも最悪なことに、暗闇のなかにいる連中は、俺を殺したがってる! そして、俺もなぜかやつらに殺される理由を知っていた! ”有罪” ──俺は悪いことをした、その報いが”死”であることを知っていたんだ!

案の定、うしろのほうから、声がした。戸の感触があるほうが前だから、その逆がうしろだ。やヴぁい何かがいる空間があるとしたら、それもうしろだ。くどいようだが、戸の端の隙間から若干の光は入ってきてはいたが、絶望的に狭い隙間だったし、空間の大部分は暗闇で満たされていた。そう、誰もが恐れおののく、あの”暗闇”だ。声は、のちに出会う、不良と呼ばれるかたがたがのたまうような、野卑な声音ではっきりとこう言った。「おい、アタマが悪いヤツを怒らせたら、どうなるか、わからんのか?」俺はありえない現象による恐怖で──いや、ほとんどパニック状態で、何も言えなかった。そいつ(いや、別のやつか?)は続ける。「はあ? おい、聞いたか? 初対面なのに、アタマが悪いとか、いきなり宣戦布告だとよ、マヌケづらが、つぁは! おまえはおとなになったとき、必ず、こう思うようになる、”ムカデを殺していい気分になったことなど一度もない”とな、だが、よく考えてみろよ、いい気分にはならないらしいがとにかく何度も殺してやがるようだ、出会うたんびに、のんきに散歩してる気のいいやつらをことごとくな、おまえのくそつまらん屁理屈なんぞどうでもいい、おまえが生き物を殺してやがる、その事実そのものが”有罪”ってことがわからんのか? この万年クソガキが!」俺は自慢するつもりはないが根っからの真面目だったからだろう、幸運にも、その言葉を知っていた。だから、そいつに向かって弱々しく言った。「ごめんなさい」それを聞いて、そいつ(いや、また別のやつか?)は鼻で笑って言った。「はあ? おい、なめやがってクソガキ、オレたちに許せる心があるとでも思ってやがるのか? 殺しは絶対に許さんぞ、必ず呪ってやる、おまえが殺した数がおまえが殺される数だ、2個体殺せば、2回殺される、1万個体殺せば、1万回殺される、生命体を殺したバカクソ野郎は必ず殺される、わかったか!──いや待て、こうしよう、生命体を殺したバカクソ野郎の魂は永遠に救われることのない地獄に落ちる、安心しろや、地獄ってな、死んだあとに行くところとは限らねえからよ、生き地獄とはとどのつまり生きながらに苦しみ続ける、永遠にな、つぁは! 傑作だぜ、どうだ、どっちにする、ええ?」俺はその言葉を念仏のように繰り返すしかなかった。泣くという行為はまったく不可能だった。心のすべてが余すところなく恐怖に支配されていた。「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい──」これは、のちに、へたくそなのにピッチャーをやらされた挙げ句、ピッチャーゴロでとったボールを一塁に投げたはいいが一塁手だった先輩の右か左か、とにかく、どっちかの肘にボールが命中し、当人が尋常でない痛がりかたをしたため、試合が一時中断した際、イケメン先生が状態を診ている最中にした行為と同様である。その結果、もういいからと、ウザがられただけで、要するに、事後に心底あやまったとしても無駄なケースが確実にあることを学ぶことになった。──だから、ごめんなさい! 俺はそのとき、気が遠くなってきたことまでは憶えている。

トンビが悠然と旋回しているのがわかり、我に返ったとき、あれから40年近い歳月が経過していることに、俺が気づいたとしたら、それはまだ、俺の脳ミソがまともである証拠だ。だが、今現在の俺の境遇は、たしかに、あの”暗闇”のなかでやつらが言った”生き地獄”そのものだった。もう、それが地獄とは思わないほどに、苦しいことが、苦しいと思わなくなった。苦しいとは思わないが、楽なわけでもない。無慈悲に生命を殺している連中を見るたびに、やつらも必ず俺と同じ目にあうのだからと、嘲笑してやることにしている。それが、少なくとも、俺に”許せる心”がある証拠だからな。あのあと、どうなったかは正直なところ憶えちゃいない。だが、俺が今現に蔵の外に出られたっつーことは、母さんが俺を許してくれたってことだ。そして、もう一つわかったのは、あの暗闇のなかにいた連中は、他を許せるやつを許す。だって、俺をあんな目にあわせた母さんを、俺は許したワケだから。

オレンジ色の光

オレンジ色のまどろみのなかで何かに抵抗しているらしい延々と頭のなかで繰り返されるいつものフレーズ──うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい...アンタがうるさいんだよ! はっと目を開けると同時に私はガサゴソという音に気づいた。そして瞬時にそれが、大きめの昆虫がアルミサッシの窓枠をひっかいている音であることを認識した。外に出て見ると、昔懐かし、ヒラタクワガタのオスがいた。見たときには、窓側とコンテナの上に置いたメダカ池との間の10センチくらいの隙間に落っこちていやがった。私は、柄の長いメダカの選別網でとっつかまえようとしたが、1本ではダメだとわかり、2本使って、一方の網でもう一方の網に追い込んでやる方法を思いついた。よおし、オレは猿よりは賢いんだ、誰だ、自慰行為ばかりしている低能のエテ公だとそしりやがったやつは? 冗談はさておき、首尾よくヒラタを捕まえた私は部屋のなかの机の上に網にとまらせたまま置いてやりスマホで記念撮影をした。虫かごを持っていなかったので、代わりになりそうなものを探した結果、ちょうど空気穴もある、100均で買ったイエローカラーのプラスチックでできた500円玉貯金箱に入ってもらうことにした。食いもんもとくにない。思いつくのはスイカとかキュウリだが、ない。で、古過ぎで飲むのが怖かったから放置していた果実酒をティッシュペーパーに染み込ませて与えてみた。すぐにペロペロし始めた──ような感じに見えたが、気のせいかもしれん。よくあることだ、よかれと思ってやっても、相手がそれをよしと思っていないことなんかは。とりあえず私には、突然、使命が与えられた、こいつを山に逃がしてやるという、世界一意義ある任務、カネのためにやるよりもはるかに意義ある大任、そうともさ!──夜が明けた翌日に遂行するはずだったが、いろいろあって、三日後になった。けれども、やっこさんのほうはすこぶる元気だった。果実酒はやらなかったのかもしれんが、密室内で揮発したアルコールをしこたま吸収したおかげにちがいない。山といっても家の裏手にある急斜面に放り投げてやるにはいささか簡単過ぎな気がして、ちゃんと、腐葉土の上に放してやりたかった。だから、5分もかからない酒蔵前の駐車場に車をとめて、ちょっとしたハイキングとしゃれこむことにしたんだ。その道は途中からコンクリート敷きだったが、歩いて登るにもけっこうきつい勾配で、昔、犬を飼ってた頃の散歩コースだったから、勝手は心得ていた。そう、平坦な直線にすると50メートルくらいだが、ぜいぜいいいながら、もうここでいいと思える、道脇に腐葉土の地面があるところを見つけた。ここでいい。貯金箱を開けて、そのままポンっと、食いもんのガラといっしょに地面に投げ出してやると、あおむけ(?)になってしまったので、大アゴではさまれないように、脚のかぎづめにひっかけられないように、注意しながら、手でひっくり返してやった。そのとき、私はそれに気づいたのだ。”オレンジ色の光”に。背後に光源がある。ヒラタが真っ黒ではなく、羽化して間もないような、赤みを帯びて見えていた。なんだろう、この光は? 原初の光が、私が生まれる前から、ずっと、絶え間なく、輝きつづけている。そして、これからもしばらくは。私の一生など、ケシ粒のようなものだ、そして、こいつの一生は私よりもはるかに小さなものだ。だが私は、私のそのケシ粒のような一生の一地点、子供時代にも同じやつを見たのだ。憶えているとも、忘れはしない。そして、”オレンジ色の光”も、たしかに見た。私は瞳孔が開いて、ヤクをキメたのと同じ状態になったといったらいいのか、アドレナリンが放出されたといったらいいのか、ほかに言うとしたら、万物にそなわった永久不変の真理を悟ったとでもいったらいいのか、まさにそのほんの短い一瞬の訪れを強烈に感じとった。超自然の存在の神々しいお声”みことば”が聞こえる。「振り向いてはならぬ」私は背後に力強い光源を感じながら、質問する。「なぜです?」「汝のまなこはワタシを見るようにはできていないから」「どうすれば見ることができるのでしょう?」「汝はすでに見ている」「しかし──」「いまおこなったように、汝の役目を果たしさえすればよい」”オレンジ色の光”が、何か、平常運転に戻ったような気がしたので、私は振り返って見た。梅雨直前の強気な太陽が照っていた。私はヒラタを見ていたはずだったが、もう一度見ると、やっこさんどこかへ歩き去ったあとで姿が見えなかった。──ん? ヒラタを見ていたはずなのに、歩き去るまでの一部始終は見ていない、それはつまり、そのあいだ、ほかの何かを見ていたとでも?

──私は目に見えるものを目に見えたまま見ているのではなく、それを見ながらも、ほかの何かを見ている。四十路なかばで、そのことに、ようやく、気づいた。

真打ち紅一点女子のチアキ

ユーチューブのとある動画を見ながら、ヤンキーふうの調子のりい男子がぼっちゃんふうのメガネ男子に憤慨模様で言った。「こいつら、めっちゃ腹立つ! ずぅ~っと昔から、さんざ自然やら田舎やらがいいとか言ってやがったのに、おめえら今どこに住んでやがるんだ!? ん? クソが! わざわざコンクリートの地面に土の部分を設けて、雑草を生えさせるだと!? 田舎の人たちが土とか雑草に対して、どう思ってるか知らんのか!? しまいには別荘を設けて、都会と田舎の両方に住めばいいとか、いいかげんにしろ!! 人間がやった何かに善悪などの意味や価値を人間自身がつけることが自然なのか!? アレはイイけど、コレはダメ!? だとしたら、疫病、災害、戦争、もしもし、どれが自然かわかりますか!? たとえ、自然じゃなくても、全部、現に発生しているじゃねえか! ”平常心でいろ”は、”テンパるな”って意味じゃないんだよ、”ありのままでいろ”ってことだろうが! テンパったり、ビビったり、喜怒哀楽、感情のすべてを肯定する言葉が”平常心”だ! ”自然”ってな、ありのまますべてだ、森羅万象のすべてを肯定する言葉だ、なのに自分に都合が悪いものを不自然と呼んでやがる、当然、不自然だと思うこと自体も自然だってことなんかもわかってないんだろうな、あ~腹立つぅ~!」それを受けて、ぼっちゃんふうのメガネ男子がすまし顔で穏やかに言う。「形がないのに、形があるものに影響を与えるものが現に存在していることを信じることができるか? たとえば、5つのエレメント──火、水、土、風、そして、愛。すべて形がないばかりか、目に見えないものもある。それなのに、物理的な効果をもたらす。飛行機だって、揚力のおかげで飛んでいるらしいが、それがなぜなのか、いまだにわからんらしい。ボクらはわかるものを科学と呼び、わからないものを幻想と区別しているが、人間にしかわからないものが科学なんだから、人間がわからない何かあるものは科学では永久にわからない。わからないもの──”幻想”がこの世界に存在していることを信じることができるか? 科学しか信じていなかった老人が今わの際で”お迎え現象”に見舞われる。その老人はその”幻想”を信じたか? お迎え現象は科学的に”譫妄(せんもう)による幻覚”ととらえて、幻覚を抑える薬を処方するおせっかいな医者もいるらしいが、お迎え現象を体験した老人はそれを”科学的に”信じたか? いや、こう言おう、”科学的に信じるべき”なのか? もっと言えば、”科学的に信じたほうが幸福”なのか? 学者以外の人にとって、科学は幻想と同じ、逆に言えば、幻想は科学と同じ力を持っている、それを信じることができるか?」ヤンキーふうの調子のりい男子は右手で右膝を何度も叩きながらギャハハハハハハハ!と爆笑し、ぼっちゃんふうのメガネ男子はメガネのブリッジを右手の中指一本でしゃくり上げてニヤリとした。そこへ真打ち紅一点女子のチアキが降臨し、けだるそうに言う。「おまえらさあ、ワシの生足ペロペロする気がないんなら、帰れよ」男子2名は恒例の苦行タイムがやって来たと言わんばかりにギクッ!として股間の何かあるもの以外のすべてが硬直する。ヤンキーふうの調子のりい男子は恐る恐る言った。「じゃ、じゃあ、帰ろうかな、明日も学校だし」ぼっちゃんふうのメガネ男子は焦りを隠せない様子で言った。「そ、そうだ、宿題やってないのを思い出したよ」男子2名はいつものように終わりの挨拶を声をシンクロさせてグッジョブのポーズ(顔の前で右手の親指だけを立てる)を加え、威勢よく言った。《サクセス!》真打ち紅一点女子のチアキは言った。「よおし、帰ってよろしい!」

──帰り道、ヤンキーふうの調子のりい男子がぼっちゃんふうのメガネ男子に言った。「い~っつも、なんなん、アレ?」ぼっちゃんふうのメガネ男子はヤンキーふうの調子のりい男子に言った。「知るか、ボクに訊くな」

男子二人が帰ったあと、真打ち紅一点女子のチアキは、深呼吸をして、天井を見上げた。唯一絶対の善なる存在が、真打ち紅一点女子のチアキに言った。「気づかれたか?」真打ち紅一点女子のチアキは返答した。「いいえ、さっぱり」「予言を現実のものにする方法を知られては困る、なぜなら、やつらは必ずそれを実行してしまうからだ、すでに予言の大半は現実になり、しかも、かの大国の6割の民が予言を信じている、極めて危険だ、手ぬかりは許されない、うまくやるのだ」「御意、しかし、それが本当であれば、知られたほうがよいのでは?」「2時間後の大団円まで、耐えることができると思うか?」「そ、それは──」

破滅的なことのない世界が訪れるまでは、苦難しかない。しかし、真打ち紅一点女子のチアキが読んだとある予言の書のラストには、”そのすべての災厄が過ぎ去ったあと、人々は新たな世界で安らいでいる”と、希望に満ちた文言が記されていた。

"神ご自身が人間とともに居てくださる、そして、涙を拭いてくださる、もはや、嘆くことも、泣くことも、苦しむこともない”

真打ち紅一点女子のチアキはいつものように、ヤンキーふうの調子のりい男子とぼっちゃんふうのメガネ男子に向かってけだるそうに言った。「おまえらさあ、ワシの生足ペロペロする気がないんなら、帰れよ」男子2名はまたもや恒例の苦行タイムがやって来たと言わんばかりにギクッ!として股間の何かあるもの以外のすべてが硬直した。男子二人が読んだとある予言の書には、”そのすべての災厄が過ぎ去ったあとも、人々は新たな世界で安らぐことはない”と、絶望的な文言が記されていたらしい。真打ち紅一点女子のチアキは、本当のことを男子二人に教えるべきか否かをずっと悩んでいた。

真打ち紅一点女子のチアキは、深呼吸をして、天井を見上げた。唯一絶対の善なる存在が、真打ち紅一点女子のチアキに言った。「大丈夫か?」真打ち紅一点女子のチアキは返答した。「はい、しかしもう限界です、破壊と混沌は免れないでしょう」「”信じる”という心の作用自体が非科学的なことであると仮定した場合、”科学を信じる”とは? かの大国の6割の人々が非科学的なことを信じているのが事実だと、信じることができないとでも? これらの問いに答えを出すには、やはり、汝の封印されし力を解放してやるしかないようだ、今こそ覚醒するのだ、破壊と再生の神”シヴァ”よ!」

真打ち紅一点女子のチアキは、ヤンキーふうの調子のりい男子とぼっちゃんふうのメガネ男子に向かってとうとう打ち明けた。「新たな世界では、神ご自身が人間とともに居てくださる、そして、涙を拭いてくださる、もはや、嘆くことも、泣くことも、苦しむこともないのだ」男子2名はそら来たと言わんばかりに終わりの挨拶、いや、新たな始まりの挨拶を声をシンクロさせてグッジョブのポーズ(顔の前で右手の親指だけを立てる)を加え、威勢よく言った。《サクセス!》真打ち紅一点女子のチアキは言った。「よおし、帰ってよろしい!」

──帰り道、ヤンキーふうの調子のりい男子がぼっちゃんふうのメガネ男子に言った。「変わったけど、なんなん、アレ?」ぼっちゃんふうのメガネ男子はヤンキーふうの調子のりい男子に言った。「知るか、ボクに訊くな」

予言を現実のものにする方法を知ると、人間は、必ずそれを実行しようとする。とある予言の書のラストには、希望に満ちた文言が記されている。── "すべての災厄が過ぎ去ったあと、人々は新たな世界で安らいでいる”

《サクセス!》
「よおし、帰ってよろしい!」

小人

夏休みに家族でキャンプに行ったときのことだった。人間以外の超自然の何者かがいるような気配をずっと感じていた山のなかで、幸か不幸か、案の定、出会った小人がやつぎばやに言った。「パパとママにはもう会えないよ、でも、許してあげるんだぜ? だって、このことを誰にも話さないと約束してくれたんだからね、キミは賢いから、秘密を守るってことがどんなに大切なことかわかるだろ?」僕は話の内容はわかったが小学校に上がったばかりの自分と同じくらいの背丈しかないのに、とても大人びた知的な感じのする、その小人の大人(?)に質問した。「ぼくはどうなるのですか?」小人は言った。「移住する、前の家に帰る必要もないし、学校にも行かなくていい、キミは神隠しにあったていになるから、心配しなくていいよ、昔からよくあることだ、ワシらの世界に連れていくためにパパとママが考え出した口実にすぎん、”許し・寛容になり・大らかであれ”ってワケだ、契約だからな」僕はワケがわからなかった。「わかりません」「そりゃ当然だ、この世界には理解できることなんて一つもありゃせんのだからな、だから何度も言うようだが、パパとママは”許し・寛容になり・大らかであれ”の法則に忠実に従ってるんだ、そして、もう一つの超重要な秘密も微塵のぬかりもなく守られている、お~っと、これ以上はワシにも言えん、パパとママはキミを見て、”許せない・寛容になれない・大らかであることができない”から、ワシらに面倒を任せた、でも、許してあげるんだぜ? さ、行こう」「どこへ行くんですか?」「北極だ」

イランとアフガニスタンの国境付近で発見された小人のミイラと住居跡、それから、北極に開いているという大穴、さらには、大昔に、地球の磁界の向きS極とN極が入れ替わったとかいった話を信じることができるなら、地球の地下に小人たちが住んでいる世界があるという話も、どうか、信じてほしい。というのも、この類の話をするときは、不可思議なものに対する、あなたの信心深さと洞察力、直感といった能力が要求されるからだ。神域に足を踏み入れた人が忽然と消え失せる”神隠し”の概念を把握するうえで極めて参考になる、僕が体験した、浦島太郎の逆パティーンみたいな今回の話もまた同様に、それらの能力の使用が不可避になるだろう。

「おまえたちのこさえた初子をほふり、我らに捧げよ」あやまって、なにかをひき殺したあと、逃走する、その若いカップルの乗った車のなかに、何者かの神々しい声がはっきりとこだました。ハンドルを握る男がやけぎみに言う。「誰がそんなことをするものか!」何者かはのたまった。「その子が呪われていたとしてもか? 罪の代償は”呪い”だ、おまえたちが最も恐れるものをわかりやすく言えばな。絶対に逃れることはできない。”許せない・寛容になれない・大らかであることができない” ──手に負えない子など、育てることができようか、そう思うようになる」男はかなりの急なブレーキをかけて車をとめて怒鳴った。「そんなことはない、くそったれ! 運転席から引きずり出して、半殺しにするぞ!?」「運転しているのはおまえだ、それに、おまえたちはすでにそのワケを心得ているようだ、思い出させるというめんどうな作業が省略できる、じつに優秀な我らのしもべ」助手席の女は両手のひらを顔に当てて、わっと泣き出した。何者かはかまわず続けた。「案ずるな、ほふると言っても、そのていにすればよいだけだ、自分一人では帰ることができない山のなかにでも放置すればいい、我らが必ず回収する、しくじることはまずない」

──地下世界での暮らしは割愛するが、彼らと同じ全知全能っぽくなったとはいえ、命が一度きりであることを悟った僕は、彼らに懇願したのだ。人間として暮らしたいから、力をすべて、とっぱらってくれと。もう一度、パパとママと一緒に暮らし、人間としての人生を送らせてくれと。彼らはすぐにOKしてくれた。キミが望むなら、そうしなさいと言ってくれた。僕は北極の大穴から出て、時間をさかのぼり、ママのおなかのなかに戻った。そこから始めようと思ったからだ。パパのかまえるカメラの前で、パパがいつも仕事で着ている僕にはぶかぶかの警帽と警備服を着用して敬礼したり、ひょうきんなことをしてママを大笑いさせたり、忙しくなるぞ。力がなくなるのだから、今まで僕が経験してきたことは全部忘れてしまうハズだ。でも、彼らが教えてくれた、”許し・寛容になり・大らかであれ”って訓戒だけは、きっと必ず、思い出してみせる。

1999RQ36

どの時点、どの時代かは定かでないが、極めて迷惑なことに、どこかの誰かが、究極の黒魔法”メテオ”を唱えやがったらしい。古代の人々は、人間に”なにかの力”が備わっていることを後世に伝えるために、予言や暦といったヒントを遺している。時代や文明が異なっているのに、それらがすべて一致しているのが、”終末”についての予言なのだ。良いか悪いかはさておき、娯楽にあふれている現代の人々は、自然の循環に鈍感になったばかりか、今のことだけを考えて、とにかく、楽しめばいいと思っているらしい。この現代の、天からの硫黄と火によって滅ぼされたというソドムとゴモラの住人がふけっていたのと同様の”悪徳と頽廃”も、予言どおりだ。コンピュータのない時代の古代人が、銀河直列など、はるか未来の宇宙の現象を正確に予測できたのは、常に”自然”と対話していたからだ。くだんの小惑星ベンヌ(1999RQ36)に知的生命体”ほむべきかた” ──かつて高度な文明が栄えていたという太陽系第5惑星フェイトンの賢者?──が建造した暗黒ピラミッドは、メテオに代表されるような、私たち人間のマイナスのエネルギーを感知する装置だ。なぜ感知できるかとか詳細は不明だが、古代の人々が知っていた、人間に備わっている、その”なにかの力”を感知するのだろう。有名なギザのピラミッドなどは、暗黒ピラミッドに対抗するために古代人が建造した、人間のプラスのエネルギーを集める装置だったらしいが、ご賢察のとおり、もうその機能は失われてしまっている。人間世界において重要なのが、”善と悪”という単純な原理であることを、当然、古代人は知っていたし、それらによって、この世界が破壊と再生を繰り返していることも知っていた。そのすべての終焉が、天文的な出来事により訪れることを古代人は予言している。最初にメテオを唱えやがったやつはもちろんすでに死んでいる。しかし、この小惑星は今現在も猛スピードで地球に向かっている。地球に最接近するのは今からざっと150年後だ。もしも、小惑星が地球に衝突した場合、地球は人間が住めない死の惑星になる。NASAがやっきになって、火星移住計画を推し進めている理由がおわかりいただけるだろう。やつが死んでいるにもかかわらず、小惑星が執拗にずっと地球を目指している理由を知りたければ、歴史を学ぶといい。人類の歴史というのは、なんかしらんが、今も昔も、ずっと戦争をしている。せっせと人を殺す技術を競い、実際に使用してきた。戦って死んだ兵士たち、むごい仕打ちのすえに殺された人たち、無念のうちに死んだ人たちの魂がどこへゆくか考えたことは? あるいは、魂などないと言いはる人もいるかもしれないが、その魂が、あの小惑星に設置された暗黒ピラミッドに転送(?)されているなどというファンタジックな話を信じることができる人はどれくらいいるだろうか。殺された人の魂とは、はっきり言えば、”怨念”だ。日本の歴史においても、崇徳天皇、菅原道真、平将門の3人は、非業の死を遂げたことで、日本三大怨霊として知られている。とくに、平将門は現代でもその祟りが恐れられている。話を戻すが、”ほむべきかた”がなぜそのような奸計とも思える審判の日を設けられたのか、さすがに意図はわからない。しかし、古代の人々は宇宙と人間の関係がそういうシステムで意図的に動いていることを突き止めたのだ。

申し遅れたが、私は人生の折り返し地点にさしかかった、ただのひとりもんの好事家男に過ぎない。だが私は、この古代人の遺した叡智を探った結果、前述のギザのピラミッドなどからの類推もあり、当然の流れで、究極の黒魔法”メテオ”を打ち負かす、究極の白魔法”ホーリー”の存在に気づいた。そして、それを発動できる魔法使いの若い女の存在にも──。

「やあ、はじめまして」私の声にその蒲柳の質の若い女は気づいたが、来るべきものが来たと言わんばかりに、怯えているのは明らかだった。だって、私が真向かいの天井にあおむけに(?)なって、しかも、口を動かさずにしゃべっているんだもの。「だいじょうぶ、こわがらないで」私はもちろんやさしく言った。若い女ももちろん口を動かさずに私に言う。「あなたの目的はわかってる、”ホーリー”でしょ?」「話がはやいな、そうだよ」「絶対イヤ、人間なんか滅びればいい」若い女は言葉の内容に反して静かに穏やかに言った。「言うと思ったよ、僕は、古代から今の今までホーリーが発動しなかったワケなら知ってる、逆に言えば、メテオだけが唱えられてきたワケを知ってる。はっきり原因を言えば、”憎しみ”とかになるのかな、人間に対する憎しみ。でも、考えてごらん、キミも人間だよ?」「人間あつかいしていないのはどっちかしら? それに、何かが終わることは別に悪いことじゃない。持続可能な世界なんて、あるわけない。つまらないことの繰り返しを持続させてどうするつもりかしら? 上の人たちが贅沢な暮らしを維持したいだけでしょ?」私は言う。「そんなことはない、存続させる価値があるものは、この世界に確実にある、僕は、価値があるものは大切にする、大切にするってことは執着心があるからだ、執着とは”愛”だ、愛こそ価値がある」若い女はかぼそくも強い口調で言った。「あなたにとって、価値があるものって、なに? 愛をそそぐ価値があるものって、なに? 言ってよ、はっきり言ってよ!」私は屈託のない微笑みをたたえて鷹揚に言った。「キミだよ」

──“ほむべきかた”は私たちに何を望んでおられるのか? ホーリーが発動した今でも、わからなくなることがある。私たちに試練をお与えになるということは、あからさまに人間を滅ぼそうとしているとは思えないのだ。それに、未来が実際にどうなるかなんて、誰にもわからないではないか。しかし、未来を予測するのは人間に備わった”なにかの力”の一つではある。その力をうまく使えば、試練を乗り越え、運命をも変えることができるのだと、私は学んだ。余談だが、あのあと、私と彼女がどうなったかは、言うまでもなく、ご想像のとおりだ。

愛の神

火の神、水の神、土の神、風の神は言われた。「おまえたちは守ってやる価値がない、殺しあって、滅びよ」しかし、愛の神は言われた。「おまえたちはこうべをたれ、わたしに服従を誓いさえすればよい、そうすれば、守ってやる」──いつものように、すべてがいやになって、やけ酒をコップ一杯やり、明らかに女性か高齢者向けの少量のコンビニ弁当をつまんだあと、ノートパソコンのファンの音を子守歌に、座椅子を倒して、あおむけになり、毛布を体にかけて、しばらく目を閉じていた。母が低い椅子に腰かけて、両膝にそれぞれ両肘を置いて、両手のひらで顔を覆った状態で、私が声をかけても無言で微動だにせず、ずっとその状態をキープしていた。みんなが死んで、葬式などが終わり、ひと段落して数日経過した日のことだった。午後の明るい光がガラス窓からその部屋に差し込んでいたが、その光景はとても暗く感じ、私の心に深く刻まれた。私は今は亡き母があのとき見せたあのポーズと同じポーズを横たわったままやっていた。突然、外部から思念が入り込んでくる。それは強烈な調子でこう言ってきた。<消えろ! この町から出ていけ!>「イット」にて、ペニー・ワイズがリッチー・トージアに言ったセリフと寸分たがわぬフレーズ。普通の人間の声ではない感じに聞こえたが、文言の内容はたしかにそう聞こえた。私は今、両手で顔を覆った状態だと思っていたのに、なぜか、両腕は腰の横にあった。だから、耐えられなくなって、もう一度、両手で顔を覆おうとしたんだ。でも、力が入らない。腕というより、指先まで全体の感覚が弱く、力が入らないのだ。麻痺しているような、おかしな感覚だった。とても、すさまじいパワーのやつがいてもたってもいられなくなり、とうとう、渾身の力で私に攻撃をしかけてきたらしい。私はこれまでの人生で、ここぞというときに、他人から「笑うな」と言われたことが3回ある。腐れ縁の友だち、高校のときの担任の先生、そして、バイト先の同僚の女の子。さすがにその意味を理解できた今現在の私には、笑うという行為はしてはいけないことになったし、もししたとしても、罪悪感をともなうか、逆に、悪いことをしてやったときと同様の爽快感をおぼえるかのどちらかになった。それと、他人が調子ぶっこいているのをよく思わない、心底理解に苦しむ連中(出自を見れば多少は理解できる)が、この世界に確実に存在していることも、インターネットのおかげで知ることができた。わかりあえないことがわかることの功罪はまだはっきりしていないようだが、一つ言えるのは、わかってもらおうと努力はしているらしい。どっちみち、どこかにおわすすべてを超えし者にとってはどうでもいいことである。そういう存在を気取っている偽のやつに限って、あろうことか、自分が我慢していることを、他人がおこなっていると、至極ご機嫌ななめのご様子。それも理解に苦しむことの一つだ。金儲けが悪とかいう嫌儲主義なんかがいい例だ。名指しはしないでおくが、某国に住んでいる大多数の人たちの国民性が資本主義になじめないでいるのだろう。話がそれたが、私よりも強いパワーをもつ何者かに、私は反撃した。その方法を語るためにわかりやすく例を挙げよう。ソドムの滅亡の際に禁を犯してそれを見たロトの妻は死んだ。アークを開けてお出ましになった”何か”を目をつむって見なかったインディとマリオンだけが生き残った。X-MENのサイクロップスは普段はサングラスをかけて目を隠している。”見ただけで死ぬ”、逆に言えば、”見られただけで死ぬ”という話。もう少し言及すると、なにか生きているものを殺害する想像をしただけで、脳内で映像化して、それを見る(?)だけで、殺せるという能力。これは、故意でない場合もある。殺そうと思って死んだわけではない経験を何度してきたことか。昆虫、川魚、小鳥、犬、猫、そして、人間。善玉菌に周囲を取り囲まれた悪玉菌が、破裂して、消滅する現象、すべてがつながっている。私はそのまどろんでいるときに私を攻撃してきたやつを殺す気はまったくなかったのだ。だが、最近よくやっている、虫唾が走る連中ののどぼとけを思い切りひっつかんでひきちぎってやるという想像をした。ほんの”弾み”だった。繰り返すが、”想像をした”のであって、実際に現実において、おこなったわけではない。それが正しい決断にもとづく場合であっても、行動は間違っていると、私が半分は思っていた証拠だ。実際におこなってはいないのに、想像しただけ、思っただけで罰せられる法律があれば、私は今頃、シャバにはいない。やつが死んだか否かは確認のしようがない。そういう能力まではないからだ。攻撃、呪い、憎しみ、闘争心、ほかにもあるかもしれないが、他にとってみれば”害悪”でしかない現象は必ずしも物理的に起こるものではない。このことは今のところ、科学では証明されていないようだが、この法則を信じていない人間はこの世界に一人もいないのでは? 科学的な根拠がないものを信じているくせに、おもてづらは信じていないふりをし、否定する。その結果、軋轢が生まれ、誰かが死んでいる。わかりあえないことがわかったのなら、次にどうするべきか、一緒に考えよう。あくまで、次を望むならばの話だが。──火の神、水の神、土の神、風の神は言われた。「おまえたちは守ってやる価値がない、殺しあって、滅びよ」しかし、愛の神は言われた。「おまえたちはこうべをたれ、わたしに服従を誓いさえすればよい、そうすれば、守ってやる」

シノビネと悪夢

言葉の意味が時代とともに変容してゆくように、経験したこと、見聞きしたことに対するとらえかたも、時の流れとともに変容する。いい顔しとかないと逆恨みされて、何をされるかわかったもんじゃない。それが善意の本体だとわかったのが、人生の折り返し地点だ。思うに、その過程を経て、人格が荒廃するのが人間の常だとしても、感じの悪いやつがすべてそうであるとは言えないのでは? 性悪説や、ブラックがスタンダードになったのと同じ法則など、いろいろある。”愛”を言いかえると、あの某宗教で忌避されている例の”執着”になると悟ったのもつい最近のことだ。お互いがひかれあっていればよいが、一方が拒否った場合、一方的な愛はストーカーと呼ばれる犯罪だ。愛がよいものだと言ったか言わなかったか、愛憎が表裏一体の執着でしかなく、やヴぁいことに巻き込まれるのがオチだから、私は、愛することをやめた。また違う某宗教では、”隣人愛”とは、”自己犠牲”であると言っている。おもてづらはいい顔をし、うらではぼろくそに悪口を言う。それが善意というものだ。本心は行動に出るという。つまり本心は、相反する心を、善悪を、両方とも、一つの個体が有している。それがわかっていながら、そうではないと、自分に言い聞かせて、自分を騙して、自分のおこない、そして、他人からの施しも、すべて善であると偽って生きることにうんざりしていた矢先に、私は偶然にも素晴らしい解決方法の発見に成功した。私はまず最初に、車の運転などの必要なとき以外はメガネをはずし、さらに、形状記憶スポンジ(?)のような素材でできている耳栓をして、仕事やプライベート、あらゆる場面をその作戦でゆくことにした。HSPとかいうらしいが、ならば、外界からの刺激を少なくすればよいのでは?と考えての対策だ。結果、思った通り、とても快適に過ごせるようになった。だが、副作用が出た。独り言が多くなったのだ。小声ではあるが、おそらく、近くの人には聞こえている。しかし、なんと、メガネなしに加え耳栓を着用したおかげで、自分がしゃべったことに対して、他人(自分のなかの他人?も含む)がどう反応したかがわからないため、その十中八九が悪口である言葉を心置きなく、ぶちまけてやることができるようになったのだ。私の良心とか善意とかいったものが、無駄な反応をしなくなった。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、ポイズン~♪──という苦しみを完全に払拭でき、じつに快適に過ごすことができるようになった。”誹謗中傷するな”ではなく、”悪口を言うな”と、小学生でもわかる言いかたを流行らせるべきだが、いずれにせよ、法律で規制せねば、それらが無駄な訴えであることに異論はなかろう? 思ったら、思った通り、その場で、口頭で言ってやるというすこぶる良心的な陰日向のない習慣を身につけさえすれば、いちいち二次的にインターネット回線を使って、カチャカチャとキーボードを打ったりして、めんどくさい手間をかけてまで、陰湿な悪口を言うことが、世界一アホくさいことであるという妙諦に気づくことができるのだ。ともあれ、刻々と変化し、無防備な脳内に情け容赦なく入ってくる、あらゆる現象から、さまざまな感情を反射的に抱いてしまう、超忙しかった私は、能力を制限したのか、それとも逆に、解放してやったのか、よくわからない、さらに忙しい毎日を過ごすことになった。それから、1週間くらい経ったときのことだった。いや、ことはスタート地点からもうすでに始まっていたらしい、だって、車をすっ転がしていると、やたらパトカーが目につくし、いつもは奥に引っ込んでいらっしゃるポライスちゃんがしょっちゅう交番の前に立っておられたもの。ついでに言っておくと、ポライスちゃんの”ラ”は上の前歯の裏に舌先を当てて、エルの正しい発音をするように(←なんのこっちゃ)。で、てっとり早く真打ち登場といこう。あれは、深夜を過ぎて、朝がたと言っていい、3時か4時ごろだったと思う。静かな暗闇がここだけでなく地球の半分すべてを支配しているかのような、シーンという音すらも遮断されているような夜だった。”てっぺんかけたか”のオノマトペで有名なホトトギスが鳴いているなと思って、うす目を開けた。常夜灯のオレンジ味を帯びた明かりだけで、案の定暗かったが、重度の近視なのにはっきりとそれは見えた。いや、輪郭はぼんやりだが、はっきり存在している存在が見えた。天井の照明の横に黒っぽいやつがうずくまっている(?)。そして、そのぼんやりとした黒いかたまりには、ならんだ赤い二つの点が鈍く光っていた。私はそいつを”闇のなかの闇”だと思った。そいつは開口一番こう言った。「気持ちの悪いやつ、気持ちの悪いやつを気持ち悪いと思っているやつ、そいつらと”ともに生きる”ことができると思うか? おい、クソ野郎!」私はそいつが言った”おい、クソ野郎!”の部分の声音に、尋常でない憎悪がこもっていることを感じ、多少の戦慄を覚えた。私は目を全開にして絞り出すように返答した。「おまえにはできっこない」正確に言うと、のどの膜をふるわせて発声したのではなく、頭のなかで念じた。そいつは鼻で笑って言った。「フハハ、ごたいそうに茶番を見、演じていやがるようだ、そして、その騙し騙されを省みることなく、見て見ぬふりをして、無意味無価値な人生を送ってる。歴史から見れば、貴様は極めて卑小な存在にすぎん。善悪が同一個体に併存している不安定な存在、しかも、それらを自分自身で決定している身勝手な存在、そのうえ、そうやって執拗に、意味と価値がないものに、意味と価値を与えようとする反虚無的存在。そのなかのいじましかった虫ケラ一匹がちょっとした力を得て、えらそうにしてやがるようだ。だから、来てやった。だが、永遠の存在であるオレには勝てんぞ?」私は問うた。「おまえはなんなんだ?」そいつはまた鼻で笑って言った。「はぁ? そりゃ、こっちが訊きたいね。それに、名前を求めているのは貴様のほうだろうが。オレには名前など必要ない」私は言ってやった。「名前を訊いてるんじゃない。しかし、どう見ても、おまえは悪の権化だぜ?」そいつは言った。「二度言わせたいらしいな。善悪は同一個体に併存している。善は作り話、そして、悪をおこなえば、ポライスちゃんにパクられる。それだけのことだ。貴様が施し施されたのは偽りの善、それに気づいたから、悪を平気でおこなってる、そうだろ? 度が過ぎれば、じきにパクられるぞ? たとえ偽りでも、善を演じていろ、悪いことは言わん、なぜなら、オレも善を演じているからな、いい顔しとかないと逆恨みされて、何をされるかわかったもんじゃない、いい顔しとかないと逆恨みされて、何をされるかわかったもんじゃない、いい顔しとかないと逆恨みされて、何をされるかわかったもんじゃない、いい顔しとかないと逆恨みされて、何をされるかわかったもんじゃない、いい顔しとかないと逆恨みされて、何をされるかわかったもんじゃない、いい顔しとかないと逆恨みされて、何をされるかわかったもんじゃない、いい顔しとかないと逆恨みされて、何をされるかわかったもんじゃない──」「だまれ!」私は全力で怒鳴ったのと同時に目を開け(?)、呼吸が荒いのと、心臓がバクバクと高鳴っていることを認識した。頭のおかしい包丁を持ったやつにしつこく追いかけられる悪夢を見たあとと同じ状態だった。しかし、”泣きっつらにションベン”とはまさにこのことだ。夢から醒めたはずなのに、天井の常夜灯の明かりの横に、さっきの黒っぽいやつがいた、闇のなかの闇が。そして、一言はっきりとのたまった。「貴様を愛しているおめでたいやつはこの世界に一人もいない」──私は目を開けた(?)。耳から耳栓を取ると、ホトトギスが鳴いていた。そして、姿の見えない、あいつに向かって、言ってやった。「そう思うか? 少なくとも、ホトトギスは、私のために鳴いてくれてるぜ?」

──言葉の意味が時代とともに変容してゆくように、経験したこと、見聞きしたことに対するとらえかたも、時の流れとともに変容する。あれ以来、私は耳栓をしないことにした。だって、私を毎度の悪夢から救うために、夜に血を吐くほど懸命に鳴いてくれるホトトギスのおこないは、間違いなく、”本物の善”ではないか。そうだろ?

アポカリプス

配達の途中で小学校低学年くらいの3、4人の子供たちが藪のなかに入っていくのを見た。冴えない仕事の合い間にちょっとした変化が起こるとしたら、たいてい、近眼を無理にメガネで度を高くして、はっきりとそれを見た場合だ。よく見ると、ジャングルみたいになっていて、私はそこに子供とはいえ人が入れるくらいの空間があるとは思えなかった。だから、不思議に思って見に行った。藪の前で私は声をかける。「君ら、なにしてるの? 危ないよ?」アパートの駐車場のフェンスを隔てた向こうが藪だ。私は応答がないのでフェンスを乗り越える。「おーい!?」私は子供たちの入っていった藪に向かって、そう声を飛ばして、また思う。なにかが聞こえるとしたら、耳栓をしていないときだけだ。そうとも、それが常識だろ? 耳をすましていると、やはりかすかではあるのに強くはっきりと誰かの声が聞こえてきた。「ケンイチ、こっちだ」正確にはその声を聞こえたと認識したと言ったほうがいい。私は返答した。「こっちって、藪のなかですか?」「そうだ、ケンイチ、戻ってこい」私は二度もそう聞こえたのに、その声の主が自分の名前をなぜ知っているのかという疑問よりも、最後の”戻ってこい”が異常に気になり、よせばいいのに藪のなかに入った。超自然のなにかが私を呼んでいる、しかも、絶対にそうしなければならない、そして、そのなにかの姿を見、対話する必要がある。はたから見れば、気が狂っていると思われるだろうが、私はとりつかれたように、その一心で、どんどんジャングル状態の藪のなかを進んでいった。雑木の枝や葉が体に当たる音や、やわらかい腐葉土の上の落ち葉や枯れ枝などを踏む音しか聞こえない。私は直感的に、ここには植物以外の生き物が一匹も居ないと思った。なぜなのかはわからない。さらに私は、あの子供たちも、このなにか超絶的なフォースを感じる”声”に誘導されて、藪のなかに入っていったのだなと思った。しばらく進むと、藪が突然なくなって、アスファルトの道に出た。向こうを見ると、家々が見える。ちょっとした集落のようだが、近くにあるはずなのに、来たことがないところだった。それはよくあることだとしても、私は家々を横目に見て歩きながら、この集落には明らかに人が一人も住んでいないことを悟った。また声がする。「こっちだ、ケンイチ」「どこです?」「青いとんがり屋根」私はそれを聞いて思い出す。中学生のとき、美術の時間に、自由に想像した絵を描けと言われて、描いた絵。満月に向かって飛んでゆく黄色い蝶の大群、そして眼下に、一軒の青いとんがり屋根の建てもの──のはずだった。担任の先生に屋根の色がアクセントになっていて綺麗だねと褒められたのに、なぜか、自分とその先生の要求しているものが食い違っている気がして、その色を赤に塗りかえたんだ。あまのじゃくだと笑われそうだが、ずっと心の底に引っかかっていたそのことがなにか関係しているのか、そのときはわからなかった。集落の中心にこれ見よがしに”青いとんがり屋根”はあった。あたりも、建てものも、人が住んでいることを示してはいない。戸は開いていた。入って見ると、さっきの子供たちと、その座している眼前に一人の男が立っていた。つむっている目を開けると、その中年くらいの男は言った。「神は、神であることを望んではいない、そうだろ、ケンイチ?」私はその人物のその一言で、ひざまずいて、言った。「おおせのとおりです、しかし、あなたはなぜ私にここに戻れと?」「皆の態度がおかしいと思い始めた時点で、汝をここへ戻すべきだった。下世話だが、テレビやインターネット、ほかにも新聞や、書物とかいったものからは、真実は絶対にわからん、今の段階ではな。本当のことを教えてくれる人は一人も居ないし、たいてい、誰も教えたがらない。発狂させたくないらしいが、発狂したらしたでブタ箱行きだ。和をもって尊しとなすとは、異分子の排除、駆逐、つまり、まつろわぬ者は抹殺する、そういう意味をあらわしている。大昔から、我らは疎んじられておったのだ。しかし、まつろわぬ民のDNAは絶えていない。いや、絶えていないと言うよりは、全世界的に、人間の霊的進化が起こっているのだ。見なさい、この子らを、皆、素晴らしい素質を持っている、汝と同じだ、ケンイチ」女の子がこちらを向いてニコニコして元気に言った。「こんにちは、ケンイチさん!」男の子がこちらを向いて笑顔で言った。「ケンイチさん、よろしく!」もう一人、男の子がこちらを向いてうれしそうに言った。「ボクたちは、いつも、ケンイチさんを呼んでたんだよ?」私はそれに気づいた。中年くらいの男と、子供たちは、みんな、口を動かさずにしゃべっている? 男は言う。「理解できただろ、ケンイチ? この世界では、数が多いほうが勝つ。我らは今はまだ日陰の身なのだ。幻想のなかで生きるか、それとも、真実を知り、現実を生きるか、汝はどちらを選ぶ? ん? 概して、真実というものがすべて科学で説明できたとしても、それは、人間だけが理解できるものでしかない。客観のほうが正しいというが、科学は、人間全体を個とした場合、なんの役にも立たないとされている人間の主観だ。そして、科学で説明できないものがすべて幻想と呼ばれている。つまり、幻想とは驚くべきことに、主観ではなく、常に重要視されている客観的な根拠として機能しているのだ、今の段階での人間世界ではな。誰一人として、それがわかったとしても、それを教えたがらない。幻想が本能なら、科学は理性だ。まったく、いいかげんな、ご都合主義だよ。そして、我らの能力は都合が悪いほうの幻想とされている。この子らは学校では当然のごとく、いじめや差別の対象、地域社会でもな。いつも浮かない顔だった。絶望して、若くして自ら命を絶つ者も、世界的に見ると多い。しかし、ワタシがすべてを教えてやった今、仲間たちは皆、生きる気力に満ち満ちている。この子らの笑顔を、絶やしてはならぬ。いくら数が少なくともな。汝がこれまでに見てきたものは、幻想か否か? 気づき始めたのなら、この子らのように、今こそ、真実を知り、現実を生きるのだ。まだ間に合う。ついて来なさい」男がそう言ったので、ついて行った。正確には、ついて行こうと思った。そしたら一瞬で、その男と子供たち、そして私は、建てものの外に移動したようだ。しかも、満月の明るい夜で、頭上に、黄色い蝶の大群が月に向かって飛んでいる。あの中学生のときに描いた絵とまったく同じ光景が展開されていた。ただ、繰り返すようだが、とんがり屋根の色は青い。男が言う。「汝の描いた理想を思い出したか? 理想と違うから、気分が悪い。そうだろ? 他人の意見も大切だが、それは、全身全霊全力で己の理想を追い求めることが大前提なのだ。汝の描いたとおりの理想を追い求めなさい。それはけっして、ハルマゲドンではないはずだ、わかってる、我が子よ」私は驚いて、その男に言った。「父上!?」男は言う。「汝の力は善きことに使い、メギドに利用する邪悪な者を倒すために使うのだ。よし、子供たちとともに、現世に戻るがいい、そして、ワタシの言葉を実行するのだ」

──そのあとのことはよく憶えていないが、現世に戻った私は、すべてをかなぐり捨てて、災いが起きている、くだんの大陸に渡った。カネなどないから、公共交通機関は利用できない。ひたすら歩いたり、ヒッチハイクをしたり、とろい貨物列車に飛び乗ったりした。飲み食い、排泄などといった生き物である人間の不可避案件は、ご想像におまかせする。このだだっぴろい異国の民が住む大地で、片言の英語と、ほか2、3の一つ覚え外国語くらいしか知らないうえに、母国語もままならない日本人の私が、死ぬほどの苦難を乗り越えて、何をやり遂げたかは、未来でまだ人間世界が存続していれば、その人たちの頬に触れる、ここちよいそよ風が、その答えを語ってくれるだろう。

幸運の呪文

未来永劫絶対的に愛されることのない存在が、それを知りつつも、なにかを愛することが”無償の愛”であるとしたら、わたしはあの女の子を心の底から愛するだろう。その女の子は、母親が用事を済ませるまでのあいだじゅうずっと、郵便局の駐車場にとめてある黒いワンボックスカーの助手席で、ひとりで、歌を熱唱していた。その歌は、邪悪な存在を打ち負かすための拳であり、暗黒面に引きずり込まれようとしている者を我に返らせるための助けであり、そして、そのまったく耳には聞こえない歌を聴いている、このわたしに、とある大切なことを思い出させるための、いわば、幸運の呪文だった。──なぜ、そのような競争(借り物競争?)を命じられたのか、いまとなっては定かではないが、ある地点から、手をつないで走り、ある地点から、後輩であるパートナーをおんぶして、さらに、その状態でゴールまで走るのだ。わたしは例によって小学校低学年だったため、先輩におんぶしてもらった。しかし、男子であるわたしに対して、そのパートナーの先輩は小学校高学年の女子だった。しかも、その先輩女子は、いまこの現代においてもよくあると思われる、いじめの対象で、なぜか、わたしはそれを知っていた。そうとも、いじめられている事実を知らない同窓生などいない。わたしは正直イヤだった。うろおぼえだが、気持ち悪ささえ感じていたはずだ。ルックスの問題ではなく、恥ずべきことに、みんなが蔑んでいる者は、わたしにとっても蔑視の対象であると、思っていたに違いない。わたしは、イヤイヤながら、その先輩女子と手をつないで走り、イヤイヤながら、その先輩女子におんぶしてもらって、ゴールにたどり着いた。歳が少しはなれているとはいえ、女の子に密着しておんぶしてもらうなんて、わたしの股間のブツはどうだったか? そいつは正直、その先輩女子が右左右左と激しく足を進めるたびに、彼女の背中の下、お尻の上のほうあたりのかたいところに当たって、痛みで悲鳴をあげてやがった。何度も、抱えられているわたしの足から、彼女の手が離れて、おんぶの体勢が崩れた。何度も体勢をたてなおす。とてもじゃないが、いい気分になど、なるわけがない。しかし、その先輩女子はグダグダになりながらゴールして、わたしをおろしたあと、荒い呼吸をしながら、わたしに世界一やさしい愛の言葉を首唱した。──いまわたしはそれを具体的には憶えていないが、ビリになってゴメンねとか、たしかそういう感じの言葉だった。その感覚だけが、わたしのなかに残っていて、あれから30年以上経過したわたしのなか、いや、目の前にありありとよみがえり、そして、その先輩女子の労しさを痛感させ、わたしを涙させたのだ。未来永劫絶対的に愛されることのない存在が、それを知りつつも、なにかを愛することが”無償の愛”であるとしたら、わたしはあの女の子を心の底から愛するだろう。だって、彼女はわたしと同じ、この世界に100人に一人の割合で存在する、お互いの苦楽を知っている仲間のうちの一人なんだから──

蒐集業者

「ごめん、何をしても無駄な気がするんだ。ぼくには何かをするための気力と体力がもうない。この世界には幻滅してるしね。だから、きみの要望にはこたえることができない。彼とはうまくいくんじゃないかな、お似合いだし、それに──」コハルはそこまで言っていつものだんまり世界旅行に出発しかけたシンイチをひきとめるために発言をうながした。「それになあに?」首尾よくシンイチの目の焦点が目の前のコハルに戻った。「──それに、彼にはきみに必要なものがなんでもそろってるじゃないか」コハルは即答する。「あなたに必要なのがわたし」シンイチはコハルのそのしゃれっけありげな愛の言葉に動じることなく続けた。「ぼくが言いたいのは、彼にも、そして、きみにも、やつらはなにも命令していないってこと」「命令って?」「詳しくは言えない、でも、ぼくはずっとやつらと四六時中全力で戦ってる。だから、気力と体力がない」「戦ってるって、仕事のこと?」「ある意味ね」「わからないわ、どうして──」「なにがいいひとなのかと思ってただ!」シンイチは突然、カップに入った飲みかけのコーヒーがこぼれるのもおかまいなしに、こぶしをつくった両手でテーブルを三度ほど狂ったように強く叩き、憎しみが見てとれる表情で、いきりたてた。「低能のお家芸の逆ギレだろうが! 間違いなく最初にキレたのはこっちなんだからな! 結局こんなことばっかりじゃないか! 信用してたのに裏切りやがって! こっちが裏切るもなにも信用してた人に裏切られつづけた挙げ句に落伍者あつかいされないがしろにされてるのはこっちなんだ! ぼくは殺人そのほか卑劣な犯罪はもちろん法律上ゆるされていたとしても自分が道徳的に悪だと認めているものそれらを絶対にしないのと同じくきみがぼくに求めていることも絶対にしない! なぜなら確実に裏切られるからだ! わかったか!」──ソーサーの上に上品にのったコーヒーカップに躊躇なく右手の強く握ったこぶしをおもいきり叩きつけるにぶい音のあと、破壊された物体と、残っていた冷めたコーヒーと混ざって本来の赤い色を失った液体を見ても、まったく案ずる気配のない、静まりかえった喫茶店の店内、そして、シンイチ。否、シンイチの正面に一人だけ、泣いた顔のままで笑っているコハルが居た。そしてコハルは絞り出すように震え声で言う。「でもあなたは違う、あなたはけっして裏切らない、そうでしょう?」シンイチの目はもうすでになにか別のものを見ていた。コハルはまるでテレビゲームに熱中している子供を功罪はさておきその世界から現実に引き戻す努力を惜しまない母親のごとく続けた。「あなたは命を粗末にしないし、破壊するために創造しているのでもない、大切にすべきものがなにかわかっているか、そうでなければ、それがなにかを常に探している。わたしは至宝を求めて砂漠を旅する冒険者に必要な水なの」シンイチの意識がこちらの世界に戻る。シンイチは自分の手とコーヒーカップの惨状よりもコハルの頬に流れているものを見て少し驚いた様子でどもりながら言った。「あ、アレは、お宝なんかじゃない、すべてが無に帰ってしまう、ぼくはやつに名を与えた、”永劫”。やつはすべてを肯定するかわりに、すべてを無意味無価値にする、進歩も、善悪もない」シンイチは血とコーヒーで汚れた右手を挙げて見せて続ける。「当然こんなスティグマを減らしてやる価値なんかまったくない、そもそも、命には目的がないんだから、意味とか価値とかがあるわけない、そうやって人間をそそのかして、この世界のすべてを無に帰そうとやっきになってやがる、圧倒的な強大な力をもってるくせに、人間に認識されるのをひどく恐れている弱虫野郎、それが永劫だ。なぜ人間を恐れてやがるのか、それは、やつを倒すことができる宇宙で唯一の至高の存在もまた人間だからだ。ぼくは──」そこまで言ったシンイチの言葉をコハルはさえぎって言う。「あなたが戦う必要はない、それに──あなたはもう、命が必ず等しく無に帰ることを知っているじゃない」それを受けてシンイチは言う。「ちがう、そういうことじゃない。やつは生命体をすべて消去しようとしている反生命体なんだ。きみはこの世界に生きている生命体を無慈悲に殺してもいいなんて言わないよね、だってきみは──」シンイチはそこまで言うと舌打ちし、「クソッ!」と鬼の形相で声をもらし、コハルの目の前に座っている体はそのままの状態で意識(?)がまたどこかへ行ってしまった。なにかで忙しいようだ、言うとしたら、永劫との戦闘? コハルにはいまのシンイチの言葉からはそれくらいしか想像することができなかった。コハルは「もう!」と憤慨の声をもらし、椅子から立ち上がり、テーブルをまわって、シンイチの横に行き、「ねえ! ねえってば!」と言いながら、肩を叩いたり、ゆすってみたりした。無反応。コハルは仕方ないなという態度を見せながら、どこから取り出したのか、自分の右手のひらを開けて、それを目で確認した。なめらかに磨かれた直径2センチくらいのいびつな形で透明感のある紫色の石──アメジストらしき石だったが、何を思ってか、手慣れた様子で、それをパクっと自分の口のなかに放り込んだ。ご賢察のとおり(?)、コハルは自分の口のなかの石をシンイチの口のなかへと口移しした。その熱烈シーンを鑑賞しているギャラリーはこの喫茶店内には一人もいなかった。だって、申し遅れたが、ここはコハルが無観客設定にした、コハルの世界のなかだから。厳密に言って、この一部始終を見ている人が一人もいないというのは間違いだが──。シンイチは例によって正気を取り戻した。しかし厳密に言って、それも間違いだった。シンイチは、お花見に行った帰り道、コハルとしっかりと手をつないで歩いている。口を開くシンイチ。「もういいかい?」コハルは言う。「もうちょっと」二人は明るい春の陽光のなかで、なにかを確かめるように一歩一歩大切に歩いているように見えた。シンイチは言った。「悪者なんか最初から一人もいなかったみたいだ」コハルは答える。「そうね、たぶんそれは、妄想とかなのよね」そのとき、シンイチのズボンのうしろポケットに入っているスマホの着信音が鳴る。コハルが憤慨の声をあげる。「もう! デートのときくらい電源切っといてよ!」「ごめん、手、はなすね」──二人が手をはなすと画面は渦巻きながら真っ暗になった。そして、シンイチは相手が口を開く前に応答する。「ありがとう、コハル。でも、ぼくは行かなくちゃ」コハルは切迫感もあらわに語気を荒げて言った。「あなたが戦う必要なんてない!」シンイチはおだやかにやさしく言った。「きみがくれたものを使えば、やつに勝てる気がする。ありがとう、コハル。ありがとう──」

──ときおり、おだやかな人の話し声が聞こえる喫茶店の店内、二人以外にも、もちろん、観客は居る。「ちっ、いくら?」コハルは口から磨かれたアメジストを右手のひらのなかに吐き出して、目の前のシンイチに差し出して言った。シンイチはコハルの唾液で濡れているそれを右手で受け取りながら答える。「2万」「はあ? アンタ、ばか? あの程度で、ぼる気かよ」「足元を見てるワケじゃないが、きみの支払い能力は把握してるつもりだ」「くそったれ、ほら」コハルはポケットからくしゃくしゃになった2枚(?)の万札を取り出して、テーブルの上にぞんざいに放り投げた。シンイチはアメジストをポケットに入れ、次にカネを取って言った。「きみがくれたものを使えば、やつに勝てる気がする。ありがとう、コハル」コハルは言った。「なにを取った?」シンイチは意外な質問だなという感想をあらわす、両まゆげをひたいにしわをつくって上げるしぐさをして、答えた。「うん、まあ、”愛”ということにしておくよ」「あい? あいって、ラブラブのあい?」「そうそう、それ」コハルは鼻で笑って言った。「ふん、アホか、バカクソ業者が。じゃあな」そう言って去ってゆくコハルのうしろ姿に向かってシンイチは声をはって言った。「安いもんだよ、お望みどおり、きみにも同じものをあげたんだからね!」

──シンイチの会社の倉庫の棚には客から回収した膨大な数の磨かれたアメジストが安置されていた。それを眺めながらシンイチはぼそっとつぶやいた。「タマゴが先か、ニワトリが先か。カネが先か、それとも、愛が先か。ふん、そりゃ、バカクソ業者かもしれん。しかし、やつを倒すには”愛”が必要なんだ」

愛することから始めた男

ものごとのすべてを愛することから始める男が烈しくイラついている理由が何であれ、うまく手なずけて、ヤクをやらせておけばいい。ことを起こしゃあ、ブタ箱にぶち込んどけ。なぜ、ブタ箱と呼ぶかって? そりゃ、ブタなみの下等なド畜生を入れておくところだからだ。犯罪者に人権などない。それが死刑をおこなう理由では? それにそもそも人権なんてな、法律と同じで、それを守るためにするしないを決めているやつなんざ、この世界に一人もいない。いちいち長くて難しい文章を全部そらで言えるやつも、この世界に一人もいないしな。高名なスポンサーに安く買いたたかれた土木作業員たちが、昼メシを時間どおりにもってこなかったコンビニの配達員を殴らなかった理由は、”かわいそう”だからだ。殴ったら、傷害容疑でポリ公にパクられ、自由が奪われてしまうとか思っている利口なやつは一人もいない。ちなみに配達員のほうも、どやされてひるむどころか、お返しするためにと、いったん殴り始めたら、相手が死ぬまで、殴りつづける気満々だったぜ?

くだんの配達員の男は、いつものイラつきを抱えたまま、車をすっ転がして仕事から帰る途中、世にも幸福な印象深い光景を目撃した。春の明るい陽光のもとで、黄色い帽子に、赤いランドセル、そして制服を着た女の子が、右手にお父さんの左手、左手にお母さんの右手といった具合に、しっかりと手をつないで、三人が歩道を歩いていた。男は自分以外に誰も居ない車中で思わず言った。「しあわせ家族!」かつて自分も幼い頃、父と母にはさまれて、川の字になって、毎夜、おねんねの時間を過ごしていたことを思い出したかどうかは定かではない。調子づく男。さてはおめえ、気分屋だな? 涙が出そうになるほど幸福な、奇跡のような光景は、この世界に存在するのだ。男はその三人のうしろ姿までを、振り返って見たのか、ミラーを使って見たのか、ご賢察のとおり、低能のため、記憶にないようだが、とにかく、他人の幸せを見て、自分も幸せに思う人は、この世界に存在するらしい。共鳴現象が真ならば、この場合の逆もまた真なり。他人の不幸を見ると、自分も不幸に思ってしまう人は存在する。他人の不幸は蜜の味というが、バカを言え、この人でなし。他人の不幸で喜ぶのは本能だと科学的に証明されているのだから認めろと言われたところで、くちポカ~ンでダカラナニ?状態ではないか。いじめや差別、最近フィーチャーされている誹謗中傷なども、本能だから放っておけとでも? 最悪、命が奪われてしまうっていうのに? 挙げ句の果てに、まだ若い人に向かって、死ぬのはべつに悪いことじゃないとか、正気とは思えないクソリプを飛ばす始末ときたもんだ。だが某SNSの場合は、本来の正しい使用方法が超どうでもいいことをつぶやくことなのだから、クソなのは元ネタのほうであることを自覚していないクソな投稿者はいないハズなのに、そのうえであえて飛んできたほうをクソリプと呼んでいるらしい。余談はさておき、本能について極論的に言うとしたら、科学者というのは戦争も本能であることを証明したくてたまらないのだろう? 殺人が本能であるエビデンスはもうあるのか知らないが、人間は本能だけに従って生きているわけではないことくらい、学者でなくとも、すでにわかってるぜ? 少なくとも、一介の配達員でしかない、あの男はわかっている。男はお世辞にも経験豊かとは言えなかったが、とある経験則に従っていた。心象風景が決定される不思議な法則──心のなかに現れてくる像は、自ら経験した感覚や印象にもとづいている。幸せな経験からは幸せが、不幸な経験からは不幸が、それらがあべこべの場合もあるが、心のなかに現れる像は決まって、経験したことから生じている。経験とは、過去の出来事とは限らないし、現実に起こった出来事とも限らない、もっと言えば、自分が実際に肌身で体験した出来事とも限らないことを理解している人は居るだろうか? 過去と未来を見ないようにして、現在だけを楽しみたい連中がいたとしても、この法則から逃れることはできない。いや、本人は逃れることができたと思っても、他人はそれを赦さない。犯罪者をペナルティなく赦したという話は一度も聞いたことがないんでね。時効は、たんなる、法律上の話でしかない。しかし、男が烈しくイラついている理由は、この世界にうようよとのさばっていやがる、ばれなければいいという精神で、悪をおこなっている連中のせいでもなければ、これのどこが悪なのだと、居直っている連中のせいでもない。その一番憎んでいる悪人が、自分自身であるという妄想にとりつかれているせいだった。とくに悪事をおこなっているわけでもないのに、絶対に逃れることができないネ申的存在──自分自身を悪とみなし、あるいは、悪なのではないかと己を疑ったりして、日夜、血で血を洗うような、終わりのない、凄惨な死闘を繰り広げているせいだった。オヤジギャグを思いついて、独りにやつくのは、次々と浮かんできて止まらない考えが悪であるという自己認識に対して、厳しく制限されているようなひっ迫感をともなって、必死に反証を探した結果であり、良くも悪くも、自己欺瞞と承認欲求の産物なのである。敵が他人の場合は簡単だが、敵は自分自身だと思い込んでいる、どうしようもない、常軌を逸したイカレ野郎を救済する方法などあるのだろうか?

──だからあの男は、絶望のうちにありながらも、ものごとのすべてを、愛することから始めた。それが、全身全霊が求める、唯一の希望だったのだ。もしも、主観ではなく、客観的な根拠のほうが正しいというなら、母が避妊せず私を産んで育てた事実は、あの酒グセが悪く、暴力をふるっていた父でさえ、母を愛することから始めたことを如実に物語っている。

私は自分以外に誰も居ない部屋のなかで思わず言った。「しあわせ家族!」

君が見た希望

まどろみのなか、起きているのか寝ているのかわからない、いつもの浅い眠りをやり過ごしているとき、ずっと、母鳥を呼ぶ幼い鳥の鳴く声がしきりに聞こえていた。あのときといっしょだ。寒さのせいだと思って、毛布を一枚くださいと言ったら、無表情で、無言で、不愛想な感じで手渡された、灰色の記憶。突然、風の音なのか、耳障りなノイズとともに、ごつい男が死体の入った大きな黒い袋を地面に掘られた大穴めがけてやけくそ馬鹿力で次々と放り込んでいるシークエンスが再生された。その男は激しい憎悪で血走った目つきをキープしたまま、大声で繰り返しこう怒鳴り散らしていた。「こんなこと誰がおっぱじめやがったんだ! 地獄に落ちればいい! 地獄に落ちればいい!! 地獄に落ちればいい!!!」──ひどい雨があがった、春のたよりが届き始めた月曜の朝、出し忘れたせいでパンパンになった二袋もあるゴミ袋を持って、勝手口のドアを開けると、苔むしたコンクリートポーチで、カタツムリくんが食事中だった。私は、やれやれ、カネにならない余計な仕事をお与えくださり誠にありがとうさんねと思いながら、両手に持ったゴミ袋をいったんそこに置いて、そいつをやさしくひっつかんで、安全なところ、側溝にたんまりとたまったやわらかく湿った落ち葉のクッションの上ならと、やんわりと放り投げて、心のなかで快活に親しみを込めて言った。「達者でな!」私は朝っぱらから、一日一善、さっそく徳を積んだなと、いい気分で振り返り、ゴミ袋を持って、元気よく一歩踏み出した。そしたら、パキっという音と、なにかを踏んだような、かすかな感覚が足裏にした。私はその弱々しい反応にもかかわらず、それを瞬時に悟り、青ざめた。そして、足をどけて、目でそれを確認したとき、二度目の絶望をした。ほんのしばらく、私の体は硬直していたが、それをだましだまし、ゴミステーションにやっとたどりつき、鳥獣除けの網をはぐり、二つのゴミ袋を置こうとしたとき、込み上げてくるものをこらえることができなかった。目頭が熱い。ダメだ、やっぱり今日は、イヤな一日になる。カタツムリくんの命なんぞ、屁とも思っちゃいない、そして、人の命も、屁とも思っちゃいないやつが、人として、まともなやつであるわけがない。ああ、そうともさ、命がわけへだてなく等しく尊い大切な、価値のあるものだとわかっているやつを”ほんものの人”と呼ぶのさ。私はわかっていたんだ。私は何度も繰り返し、そう自分に言い聞かせた。私はゴミ出しを終え、部屋に戻るときに、カタツムリくんの死体を見ないようにした。しかし、そのカタツムリくんの魂(?)は、私のなかに入り、語りかけてきた。「科学は世界を量で把握するものでしかないって話、信じるか? オレたちの意識を構成している一番肝心の質的感覚は、現在の科学ではまったく説明することができんのだ」私はカタツムリくんが言う、そんなわけのわからないことよりも、私が殺してしまったと思ったカタツムリくんが生きていることに心底安堵した。「ボクにはどっちみち、科学とかは、関係なさそうだ。それより、ほんとにごめんな」「そのことなら、だいじょうぶだ、オレはおまえにとって、永遠の存在になったんだからな。あれほど酒をやるなと言っただろう? 生きてゆくには、常にまわりに気を配らないといけないのに、逆に脳ミソをとろくさせてどうするつもりだ? 逃げたいのはわかってる、だが、それを許さないのもまたおまえ自身だ。酒は一杯だけにしとけ」私は笑みをこぼし、鼻で笑いながら言った。「ふふ、一杯なら、いいのかよ、お気づかいどうも、はは」カタツムリくんは続けた。「永遠の意味がわかってるか? 戦争に行って帰ってきた帰還兵の話を聞いたことがあるだろう? 人殺しをして、本国に帰ってきたはいいが、その後、気が狂っちまったって話。身内の人間が死んで、それを生涯忘れない現象は信じれるかもしれんが、同じことだ、命を奪ったり奪われたりした記憶は生涯消えることはない。オレが永遠の存在になったって意味はそういうことだ。言っとくが、その吉凶は本人次第だ。気が狂っちまうかどうかは、たぶん、故意か事故か、悔いる気持ちがあるか否かの違いで決まってくるんだろうぜ。命を奪っといて、なにも思わない、良心がとがめないやつなんざ、確実に人外の類だからよ。心配するな、おまえはまともだ、少なくとも、殺そうと思って殺したんじゃないし、それなのに、心底それを悔いている」私はカタツムリくんにそう言われても、モヤモヤした感覚が消えなかった。罪の意識があるというよりは、かけがえのないものが、この世界から消滅したことが、歯ぎしりするほど、残念でしかたがなかった。母さんが死んだときみたいに。「ほんとうに、すまないことをした。永遠に癒されない傷も、世の中にはあるらしい。こういうことなんだろ?」私は、失意の深淵の底に再び沈みかけていた。さっき、カタツムリくんが生きていることに、いくばくかの希望を感じたような気がしたのはうそだ。カタツムリくんは、死んだんだ。カタツムリくんは言った。「だいじょうぶだ、心配するなと言っただろう? だが、虚無にとらわれてしまったのなら、おまえの心を解き放つ方法は一つしかない。おまえが見た希望を、おまえの全身全霊が、ほんとうのほんとうに望むものを、強く求めるんだ」私は、カタツムリくんに力なく言った。「わからない」カタツムリくんは鼻で笑って言った。「わからないって? もしもし、誰か居ますか? ふふ、おまえは気づいてないだけだ。いや、うすうす勘づいてはいるんだ。とっても、ちっぽけなものが、とっても、大切なことだってある。宝石みたいにな」

──まどろみのなか、起きているのか寝ているのかわからない、いつもの浅い眠りをやり過ごしているとき、ずっと、母鳥を呼ぶ幼い鳥の鳴く声がしきりに聞こえていた。しかしそれは、母鳥が帰ってきて、うれしくて、鳴いている声に聞こえた。朝、目覚めたとき、きっと、今日は良い一日になると思うだろう。そして、雨あがりの朝だったら、あのカタツムリくんを、ぬかりなく、救助してやるのだ。

写真のなかの世界に入れた話

死ね生きろ生きろ──この呪文になんの意味があって、どんな価値があるのか、それを決めるのが誰かは知らねえが、少なくとも、俺にとっては意味があって価値がある。死ね1に対して、生きろ2の割合を必ず守ってさえいれば、生きろの勝ちだ。つまり、俺はひとさまの死を願っているわけじゃねえ。それをみんなにお示しできる重要な、もっとも重要な呪文。大切なことだからもう一度言うが、少なくとも、俺にとっちゃ、この呪文は無意味無価値じゃねえ。

ともあれ俺は、写真のなかの世界に入れたんだ、あんたらだって入れる。ここでは、小さい頃から身体障害をおって一生をおくった、ひとこと日記をつけ始めるまえの、若き日のヨシおばちゃんにも会えたし、後輩の女子が鬼ババと呼んで蔑んでたが、小学校低学年の定番課題でうやうやしく育てられたアサガオとの記念撮影のときに、屈託のない満面の笑顔だったシゲミツ先生にも会えたし、奨学金の面接のためにけっこう遠くまで運転手つきのドライブデートをした、あこがれのマドンナだった、今でも思い出すだけで超そそられるツインテブルマ姿のミサキちゃんにも会えた。波止場、学校のベランダ、そして、校庭の一隅。会いたくて会いたくて、しかたがなかったから、本当にうれしかったぜ。もちろん、みんな当時のままで、すこぶる元気だったよ。

「人の死を願ったことは?」「ねえな」「ほんとうか?」「ない──ヒトってのが自分も含めてなら、あるぜ。かなづちで頭をおもいきりぶっ叩いてくれって、たのんだことならある、あのヨシおばちゃんにな。思えば、ひでえことばかりだった。ヨシおばちゃんだけじゃねえ、シゲミツ先生やミサキちゃんの機嫌がなんの脈絡もなく突然悪くなる理由がわかったのは、あれからざっと30年後だからな、笑えるぜ。手遅れの証拠に、身内の人間はほとんどみんな死んだり、からだがいうことをきかなくなったり、認知症になって施設にぶちこまれたり、仲たがいしたりで、結局──」「残念だが関係の修復というのは不可能だ、あきらめろ。だが、わたしが教えてやった呪文さえおぼえてりゃ、いくらかはマシになる。おまえみたいに自分の脳天をかち割りたいやつのファースト・オブ・オールはたいてい自分ではなく誰かほかの相手を探してやがる、脳天をおもいきりかち割ってやりたいやつをな。言わなくてもいい、見りゃわかるからな、ほかにもわかる理由はある、わかる理由がわかったから、呪文の出番ってワケだ。死ね生きろ生きろ。死ね1に対して、生きろ2。死ねが2の場合は生きろは3でいい。そういう具合に、生きろが1多ければいいんだ、簡単だろ? ひとさまに生きろと、ごたいそうに命令してやがる連中ってな、おまえと同じだ、生きろが1多いだけだ。拮抗した状態から抜け出すためにそうしてる。逆に死ねが1多い連中ってのが殺人を犯してる。この呪文の仕組みがどういうことかわかったか?」「ああ、わかった、だが、たまに死ねが1多くなる、いや、1どころじゃねえ」「だいじょうぶだ、おまえはなにしろ写真のなかの世界に入れたんだからな、ここは、呪文の比率や均衡が崩れることはない、調和している、ハーモニーの世界!」「ところで、いろいろ知ってるようだがあんたいったい誰なんだ?」「おまえがそれを知るべきときが来たら、教えてやる。すべてを捨て、生きることさえあきらめなければならないときは必ずやって来る、そのとき、教えてやろう」

ほら、町や学校周辺をうろつく不審者の話をよく聞いたことがあるだろう? 俺は今そういう世間さまから見るとおかしな行動をしている。荒れ地と校庭を隔てたフェンスごし、もちろん荒れ地の側からではあるが、未成年の女子をじろじろ見ている中年オジサン。あきらかにあやしい。だが、俺はそういう変態な心持ちでミサキちゃんを眺めているんじゃねえ。カワイコちゃん二人が連れだって登校している。一人は自転車を押して歩き、もう一人は普通に徒歩で。自転車を押しているほうがミサキちゃんだ。それがわかった俺は、なにくわぬ顔でうしろから自分の自転車をすっころがして通り過ぎようとした。5メートルくらいだったか通り過ぎたところで、「──くん、おはよ!」俺の名を呼んで朝の挨拶をしてくれたミサキちゃんの明るくかわいい元気な声。しどろもどろに俺は「おはよ!」と返事して、なんつーか、うれしさっつーのか、自転車のハンドルをにぎる手、そして、こぐ足に力が入っちまったもんだ。顔もにやけてた。だが、あのカワイコちゃん二人は卒業するころにはすっかり仲が悪くなった。なぜかは知らんが、それは俺の勘違いかもしれん。あのときの、朝の挨拶を交わしたこと、なんで、おぼえてる? ん? アスファルトの舗装はしてあったが、自然の多い田舎道、リバーサイド、やさしい光のなかで、まだ世界をあまり知らない子供どうしが交わした挨拶。そして、芋づる式に思い出す、あの頃の風景、シークエンス。

繰り返すが、俺は写真のなかの世界に入れた、この意味がわかるやつってな、ほかにいるのかどうか知らねえが、俺はわかってる。わかってはいるが、宇宙について「ナニコレ?」としか思えねえのと同じで、それは言語化できない”感覚”でしかねえんだ。言葉で説明できないことってのは、喜ぶべきことか、残念なことかはさておき、厳然と存在しているらしい。三つ葉目の邪神──強大な力をもった得体の知れない存在はたいてい”ネ申”と呼ばれる。そして、こちらに敵意を持っている場合の呼称──「くとぅん」が存在するのと同じ原理だ。あっちの世界とこっちの世界は違う。俺はあっちとこっちを自由に行ったり来たりした。どっちがあっちでこっちかはもうわからなくなった。

ヨシおばちゃんにはあやまりにいった。俺が悪かったって。彼女はもちろん、キツネにつままれたような顔だった。そりゃそうだ、見たことないオジサンがいきなりごめんなさいとか言いだすんだからな。シゲミツ先生にはお礼を言いに。

それから、実家の勝手口の正面の下駄箱のうえに据え置かれた小さな黒板に”とうさんがわるかった、かあさんといっしょに、もどってきてくれ”と消え入りそうなやっと読めるほどのへたくそな文字を残してこの世を去った親父にも会いに行き、もういい、ゆるしてやるからと言いたかったが、あいにく、親父の写真が一枚も見つからねえんだ。

水仙の花

配達の途中で、いつも車をとめていたところだったし、とくに気にもとめていなかった石材屋の、線路をはさんだ、向かい側の藪のなかから、ある日突然、しゃわしゃわという音が延々と発生している現象が起こっていたから、見に行った。ただそれだけの動機であり、もちろん、なにかを期待していたわけでもない。いや、期待というより、希望的観測というより、この世のものとは思えない、禍々しい現象がそこで起こっていることを、厭世的ではあれど、渇望していた。この2月のはっきりしない暗い寒空のもとで、崖のふちから落っこちそうになっている人々の手を取り、助けてあげるのではなく、逆に、渾身の力で、なんだったら、はらわたが煮えくりかえるほどの憎しみも込めて、なんの躊躇もなく、何者かが、ことによると悪魔的な、なにか意志をもった超自然の存在が、次々と無慈悲に奈落に突き落としている地獄絵図──はっきり言えば、私は、「絶望」そのものが顕現して、その現象が藪のなかで展開していることを心の底から望んでいた。言いかたを変えると、私自身が心底諦め、脱力してしまうことを強く望んでいた。自分が思う、すべての希望を捨てざるを得ない、極相、もしくは、極限状況におちいりたいと、自ら望んだ。はやい話が、私はそのとき、イカれてしまいたいと思ったと言うよりは、すでに、イカれていたと言ったほうがいい。むしゃくしゃなんて低能な憤慨ではない、今まで大切にしてきたものをかなぐり捨てて、すべてを捨てて、荒野を目指す世捨て人、いや、それでは手ぬるい、守るべき大切ななにかを逆に残酷に完膚なきまでに破壊し尽くす、悪辣なる邪神の信徒。その心の状態をわかりやすく言えば、イライラしているとか、ムカついているとかになる。しゃわしゃわしゃわしゃわ......ずっと、繰り返し、単調な同じリズムで、私の耳には、そう聞こえていた。多少のめんどくささを感じたが、ブツを渡した帰りに車に乗り込もうとしたときもずっとそれだったから、フェンスを乗り越え、線路を横切り、こんもりと盛り上がっているらしい腐葉土に足を取られながら、藪のなかにわけ入った。奥が開けているように見えたせいで、そこに広場のような、なにも生えていないところがあり、そこにその音源があると私はにらんでいた。案の定、藪をぬけると何もなく、落ち葉が一面を覆った開けたところに出た。そう思ったのはそれを見たあとだったかと思うが、私はそんなことをほとんど思考できない、理性を失うほどの、極めて非情な呪わしい光景を脳内に叩き込まれた。そこには、いま母体から出てきたままの状態らしい、産まれたばかりの赤ん坊がいた。いや直感的に、人間の赤ん坊だと思いはしたのだが、せっせとまわりの落ち葉を手当たり次第にぞんざいにつかんで口にもっていきむしゃむしゃと咀嚼している様は、人外の類としか思えなかった。一人なのか、一匹なのか、一頭と言えばいいのか、とにかく、一体ではなく、広場一面に、たくさんわらわらといた。そのせいらしく、しゃわしゃわなのか、わしゃわしゃなのか、どっちでもいいが、神経を逆なでする耳障りな、かなり大きく、絶え間ない連続音があたりの空間を満たしていた。いま、私の目は極めて異常な光景を見、耳は極めて異常な音を聞いていた。メニエールを発症したのかと思うほど、空間が歪んで、ぐるぐるまわっているような気がした。なにか、例えるなら、蚕の食事タイムだ。うじゃうじゃたくさんいやがる白い芋虫が、うにょうにょしながら、いっせいに桑の葉を食べている光景、気持ちの悪い音を出しながら。ありえないことだと思って見ていると、近くのやつが私に向かって(?)、気味の悪い笑い声を発しながら言った。「ケーケケケ! よお、新入り、おめえも食えや、食わにゃ成長せんど」私は、自分でも不思議なくらい、しごくまっとうな意見をそいつに言ってやった。「いえ、けっこうです、成長期はとっくに過ぎてますから」それを聞いて、産まれたての赤ん坊一同がゲラゲラ嘲笑する。しゃわしゃわ音のなか、そいつらのうちの一人(?)が言う。「おい、なにしてる、産湯に浸からせろや、はよ!」私は返答した。「ないです」そいつは言う。「アホウ! おま、見てわからんのかタコ! このクソ寒いのに裸なんだぞ、このパッパラパーのノータリンが!」私はミスそのものを消去したい思いにかられ、憤慨ぎみに言った。「知りませんよ、とにかく、私、帰ります、さよなら、みなさん!」私はうしろで産まれたての赤ん坊一同が私のマヌケづらを見てゲラゲラ嘲笑しているのを無防備に聞きながら、必死で落ち着こうと努力はしたが、犬っころが威嚇するときにやるのと同様の表情で、くっそォ~あいつらァ~はらたつゥ~と、高レベルの憤怒と憎悪の声を繰り返し漏らしながら、車に戻った。エンジンをかけて、すっ転がす作業に戻り、ハンドルを切りながら、しかしと、ふと思った。私は、なにかを見たか? いや、見ていない。私は、なにかを聞いたか? いや、聞いていない。そして、私は、なにかをおこなったか? いや、おこなっていない。ほんとうに、そう言えるのか? ──気をつけたほうがいい、キルゾーンに入ってるぞ。なにかわからないが、そう直感して、そのとある映画で体得したフレーズを自分に言い聞かせた。なにかが普段と違う。世界を見る目がいつもより格段に、ピキピキに、神経質になっていた。あらゆるこまかい部分に気がつく。具体的にひとつ例を挙げると、アクセルやブレーキ、ウインカーといったものの操作をしながらも、ちくいち路面チェックをし、さらに、見なくていい高いところをカモメらしき白い鳥が二羽ならんで飛んでいるのに気づき、対向車に警察車両が混じっていることにも気づいた。そして、それぞれに自分なりの勝手な感想をめぐらせ、脳内で調子のいい、自分だけがわかる言語に、次々と変換しまくっていた。のりにのっていたのではなく、強い欲求を自制している状態に似ていた。私の心と、運転している車のスピードが上がっていたとき、それは、下り坂で起こった。突然、わきから、ぱっと黒猫が飛び出してくる、とっさにブレーキを踏む、タイヤがロックした(?)、ハンドルも切ったと思う。なかに私がいることを忘れたらしく、車は、派手に横倒しになって、止まった。冷静な自己分析の結果、シートベルトのおかげか、痛みを感じないくらいの軽傷のようだ。上にある助手席のウインドウを開けて、体を外に出す。頭に違和感をおぼえたので、もしかしてと、そこを触ったあと、手を見ると、血がついていた。そう言えば、右肩の三角筋あたりも少々痛む。居合わせた通行人が、「大丈夫ですか?」たしか、そんな言葉を私に言った。車が大破しているのを見ても、人がその異常さに驚くことは、過激なカーチェイスを見慣れた、この現代においてはまずない。ドアではなく、ウインドウだけを開けて、そこから出入りしたとしても、その程度では。このケースにおいて、誰もが異常と認めるのは、物質の崩壊ではなく、精神の崩壊である。物が壊れるよりも、もっと恐ろしいことがあるとしたら、それは、人間の心が壊れてしまうことだ。心と体のシンクロニシティをかたく信奉しておられるなら、私がなぜ自分の体の挙動に制限をかけているのか、その理由がおわかりいただけるハズだ。現象、その感覚、その結果、起こる現象、これらを明確に決定してはならないのは、おそらく、宇宙の秩序が乱れてしまうからだ。だが、明確な決定により、逆に整えようと抗ってやまない生命の秩序もまた、そもそも、整える必要はない。それは、もともと、乱れているものだ。前後即因果の誤謬とは、まさにこのことをあらわしているのでは? ことあらば、執拗に、型にハメようとする堅物の私がそう確信せざるを得ない受難の季節が、また今年もやって来たのだ。不確かで、混乱したなかにあっても、自分自身の異常性だけは正確に把握しているつもりだった。しかし、現象を感じとったとしても、その結果、起こったように見えてしまう現象は、たいてい、阻止することができない。原因となったもとの現象を感じとらないようにすることもできない。 ──うしろで産まれたての赤ん坊一同が私のマヌケづらを見てゲラゲラ嘲笑しているのを無防備に聞きながら、必死で落ち着こうと努力はした。その具体的な方法は、あの2月のはっきりしない暗い寒空のもとで、意図的に植えなければありえない、雪中花という別名をもつ、美しい水仙の花を探したんだ。寒さがピークを迎える1月から2月にかけて見頃になる稀有な花を、昔の人が何も考えずに植えるはずがない。あの花は、「絶望」との戦いが昔からあったことを、もの言わずとも、示している。そして、「希望」をもつことが、最良のものであることを、私たちに教えてくれている。おかげで、私はあの一連の出来事によって、正気を失うことはなかった。水仙の花が咲いているのを見さえすれば、いや、脳内のどこかに水仙の花が咲いてさえいれば、私の心はもはや、多少のアクシデントに見舞われたくらいでは壊れない。

A君

「過去は忘れろ、積み上げたものは壊すな、この二つが二律背反していることはわかるよな?」A君は、伯父さんの葬儀の席で、いや、実際にはそこには行っていないが、つまり、妄想とか、記憶、夢などのような、自分の頭のなかだけに存在する意識しているもの、それに反応している状態と言ったらよいか、とにかく、意味深な、一回聞いただけでは理解できないような質問を、その伯父さんがえらく切迫した様子で、棺桶から身をのりだし、胸ぐらをつかんで問うている現象が突然起こったので、上半身を跳ね起こした。やはり、夢だったようだ。しかし、ベッドの周囲には白衣を着た人たちが立っていた。そして、そのうちの一人、眼鏡のやつがもう一度。「どうなんだ、わかるのか?」A君は震え声で生返事をした。「いいえ」「我々はそれらを同時に聞かされた、その意味は?」「すみません、わかりません」そう答えると、ごついやつに乱暴に胸ぐらをつかまれ怒鳴られる。「混乱させられてるのはこっちのほうなんだよ!」眼鏡のやつが制止する。「よせ、今日はこれくらいでいい」白衣の連中が全員ずらかったあと、A君は上体を倒して、天井を見た。そこには伯父さんがA君と真向かいの状態で天井に寝ていた? 口を開く。「命は、死ぬためにあるんじゃない」A君は目を開けた。目を開けていたはずなのに、なぜか、また、目を開けた。天井に伯父さんはいなかったが左横のやつがしゃべりだした。「おい、やつらの言うことをまともに聞くな」そっちにベッドはない。でかいガラス窓があるだけのはずだが、見ると、カーテンにハチのような大きめの羽虫がとまっていた。「おまえの言うことこそ、まともに聞くべきではないと思うがね」「まあ聞けや、なぜやつらがおまえに質問すると思う? 答えはな、おまえではなく、自分たちに質問してる」「意味がわからない」「つまり、自問自答だ」「それがなんだって言うんだ?」「ふふ、おかしいのはおまえじゃない、やつらのほうだ」「だ、だって、伯父さんは10年前に脳卒中で死んだ、タクシーの後部座席で。悪夢を見てるのはボクのほうだろ?」「悪夢じゃない、現実に起こってる。おまえが感じているものはなんだ? 妄想、記憶、夢じゃない、今さっき起こった現実だ、そうだろ?」「ああだが、おまえは?」「オレだって、現実だろうが、え? 昆虫が人間の言葉をしゃべるのがそんなに非現実的なことだとでも? ん?」「まあな、そりゃ、しゃべるかもしれん、子供のときに見たアニメみたいに、そりゃそうだとも」「よおし、いいか、昼休憩にこの窓をチェックしに来るやつは知ってるな?」「ああ、いつも、若い女の患者といちゃついてるイケメン看護師だ」「やつがなぜこの窓をチェックしに来るかは?」「知らん」「向かいのやつがヤクを外部の人間に渡してる、転売目的でな」「んなバカな」「おまえ以外の同部屋の三人は全員グルなんだ、飲んだふりをして、三人分のヤクを一週間に一回バイヤーに渡してやがるんだよ。で、そいつをとある秘密機関が買ってる」「何のために?」「もちろん、いかれてないやつに飲ませて、いかれさせるためだ。最近やばい事件が多いと思わんか?」「まさか、そんなことをして何に──」「わからんか? 人間どうしを殺しあわせる、つまり、戦争だ。あいつらは宇宙人だよ」「ぷっ、おい」「マジだぜ? オレがなぜ人間の言葉をしゃべれるか、答えは、それらの知識をもった宇宙人だからだ、戦争を阻止しようとしてる勢力のな。オレは別になろうと思えば何にだってなれるんだぜ。この姿は、やつらをだしぬくためだ。証拠はおさえた、あとはこの情報を元老院に届けるだけだ。前置きが長くなった、あのイケメン看護師はこのことを知ってるんじゃない、やつらが脱走をくわだてていやがると思ってる。施錠してあることを確認しに来るだけだ。出口はこの窓しかない、ここからオレを逃がしてくれ」「ボクが開けりゃいいんじゃないのか?」「おまえ知らんのか? 窓を開けたことは全部、上にばれてるんだぜ? 監視カメラだ。物理的には、わざわざ見に来なければわからない。もうすぐ喫煙タイム終了だ。やつらが戻ったら、うまくやってくれ」そのとき、がやがやでかい声が聞こえたので、A君はやつらが戻ってきたのを知った。部屋に入って来るなり、三人のうちの一人がA君に言った。「おい、面接が済んだようだな。おまえが何度も言ってやがるから、オレたちもおぼえたぜ。過去を忘れた状態で、積み上がったものを保持するとかって、自分の都合のいい話だけを要求するやつはおまえよりいかれてやがるから安心しろや、なあ、兄弟」「ああ、そうだな」A君は適当に答えた。「だが、現実では、そいつらのほうがかしこいようだぜ。ここにぶちこまれてねえからな。しかも、圧倒的多数ときてる」「ああ、それはいいが、あんたら、外の空気を吸うのが好きなんだろ?」「ん? なんでそんなことを訊く?」「こいつを外に逃がしてやってくれ」「は? どっから入ったんだよ、めんどくせえ害虫が。殺して、ゴミ箱に捨てろや」「命は、死ぬためにあるんじゃない」「おお、わかるようなわからねえような。まあいいが、なんで、自分でやらないんだ?」「上に君らが脱走しようとしてると思わせたほうがいい。ここから出せない理由になるからな」「おう、そいつはいい。よし」ティッシュペーパーから出て、そのハチのような生き物が開いた窓から飛び去ってゆく一部始終を見届けたA君は、ベッドに横になり、「ありがとさん」とひとこと言った。「さすが、いかれてやがるな」と、誰かが言った。面接の日、例によって、A君は白衣を着た連中に取り囲まれた。眼鏡のやつが言った。「どうだ、少しは頭が冷えたかね?」A君は言った。「この国では悪を告発した側が不遇な目にあう」「そうだよ、だから、君みたいなバケモンはこんなブタ箱にぶちこまれる」「ボクはありのままを受け入れることが良いことだと思っていた」「そう、従順なほうが利口というものだ」「だが、命は、死ぬためにあるんじゃない」「ふん、また新しい妄想にとりつかれ始めたのか」「あんたたちのセオリーであるありのままを受け入れることこそが二律背反だろ?」「どういう意味かね?」「悪とわかっているのにやっているじゃないか」ごついやつがA君の胸ぐらを乱暴につかんで言う。「悪はおまえのほうだろうが!」「いいんですよ、ボクは善だろうが、悪だろうがどっちでも! ただ、命は、死ぬためにあるんじゃない!」「話にならんようだ、鎮静剤を打っておこう」「妄想、記憶、夢、そして現実。ほかにも感じているものがあるかもしれないけど、そのどれか一つでも、否定したら、それが異常というものでしょう?」

君を忘れない

「自殺しちゃう人の気持ちは誰にもわからないんだよ」小学校6年生の女の子はそう言ったきり、永遠の眠りについた。ご賢察のとおり、この世界では、愛や、善意や、やさしさなどというものは、カネもうけのために、利用されているだけだ。人間は、そのことに気づきながらも、気づかぬふりをして、たった一度の人生を無意味におくってる。春の訪れや、生命の誕生を、心の底から喜ぶことができない不憫な人生をおくってる。多くの人は、それが間違いだと思いはするが、間違いだと思うこと自体が間違いだと自分に言い聞かせて、涙も流さず、苦痛の連続に黙って耐えつづけて生きることを美徳としている。それだけではない。自分が盲目的に信条にしているだけの、もはや道楽でしかない忍耐を、他人がしていなければ、必ず咎め、諭し、自らの清く正しいことを肯定するのだ。たいていの人間はそうやって、自分の心地いい世界で、自分のためだけに生きている。独善家の自分を肯定し、他人を見下す者だけが生き残るのだ。だが、おこなった罪は、未来永劫、消滅することはない。そして、その罪の意識をもった自分からは絶対に逃げることはできない。私はそれらのことを、過去の出来事から学んだつもりだった。中学生のとき、校庭に人だかりができていたので行って見ると、知的障害があった後輩を、無抵抗にもかかわらず、先輩が一方的に容赦なくプロレス技をかけたり、殴る蹴るなど、かなりの時間、ずっと暴行を加え続けていた。私はどういう経緯があったのか、まったくわからなかったが、その先輩に対して、とても腹が立ったのに止めに入らなかった。みんなも見ているだけで、誰も、先輩の暴行を止めに入る者はいなかった。同様のことをもう一つ経験した。同じく中学生のとき、当時、不良として認知されていた同級生が、一方的に、無抵抗の同級生を殴っていた。死んでしまうのではないかと思うくらい、思いきり、頭を殴っていた。私は例によって、止めに入らなかった。「やめろ」とか、ひとことも言わず、ただ見て見ぬふりをしていただけだった。あの時、弱い者いじめの現場に遭遇したときに、私に生じたはずの激しい怒りは、抑制してよいものだったとは、とうてい、思えない。むしろ、その怒りの感情を解放し、素直に従ったほうが、すこぶる、合理的に思えるし、なにより、正しいとさえ思うのだ。現場で起こっている問題は、現場にいる者が解決するしかない。あとになって、復讐するとか、たとえ、暴行を加えた者が罪を悔いたとしても、それは多くの場合、遅すぎる。あの不良は、今は回復しているが、うつ病で苦しんだと風のたよりに聞いた。罪の報いは死なのだ。その程度で済んだとは、神仏のなんと慈悲深いことか。見て見ぬふりでやり過ごした者も同罪だった。だから、私も、呪いをもらった。私が今感じている、すべての苦痛が、その呪いだ。それが、贖罪というものではないか。だが、何をしようと、おこなった罪は、未来永劫、消滅することはない。そして、その罪の意識をもった自分からは絶対に逃げることはできない。私の頭のなかでは、忌むべきすべてを象徴する言葉たちが連呼されていた。それらは繰り返し、何度も、いつでも、どこでも、どんなときも、しつこく、強く、激しく、主張していた。具体的には誰にも、絶対に、口が裂けても言えない内容だった。それらに執着するなと言ったところで無駄だった。その教えを守ること自体が執着だからだ。厄介なことに、その忌み言葉たちは、半径50メートル圏内にいる人全員に、筒抜け状態だった。だから私は、あの女の子の言ったことの、本当の意味を悟った。「自殺しちゃう人の気持ちは誰にもわからないんだよ」──死ねば、秘密は守られる。私がそういう結論に達したとき、駅のホームにつったって、電車をまっていたはずなのに、気づくと、断崖絶壁のふちに立っていた。うしろで声がする。「せんぱい、風にあおられて、落っこちますよ」ふりむくと、やつらに気づかれる。いつものことだったので、身じろぎもせず、前を向いたまま、私はその声に答えた。「ちょうどいいじゃないか、落っこちようとしてるんだから」「昔、ボクを助けてくれたでしょ? 今度は、ボクがせんぱいを助ける番です」「私は誰も助けちゃいない」「あいつら、ボクを殺さなかった。だから、あの程度で済ませてやったんです。あのとき、せんぱいのボクを助けたい気持ちは伝わりました。そうできない理由も。それとほぼ同時に、ボクは覚醒したんです。せんぱいはその手助けをしてくださった。遠い昔に失われてしまっていた、ボクの力が復活したんです」「あんた、なんの話をしてるんだ?」「せんぱい、この世界は生きる価値があります。それを今、せんぱいにお示しすることが、ボクの恩返しです」「生きる価値とか興味ないんだよ! うせろ!」私はだんだんむかついてきたので、どやしてやったつもりだった。そのとき、急行がホームに入って来るのが見えたので、自分の体を下に落としてやろうと思った。「自殺しちゃう人の気持ちは誰にもわからないんだよ」またもや、そう聞こえた、その一瞬、誰にもわからない理由が自分にもわからない気がして、あの女の子が自殺した理由があの女の子自身もわからなかったのなら、ほかの誰かがわかるわけがない、そういう気どった科学者が知ったげにのたまうような屁理屈を、その一瞬で、夏によく冷えた麦茶を飲んで、一瞬で冷たさを感じるみたいに、私は悟り、めったに笑わない私が、ふっと鼻で笑ったことを認識した。──目の前で、あの小学校6年生の女の子が断崖絶壁のふちに立っていた。私はやさしく声をかけた。「昔、いや、未来と言ったほうがいいか、おじさんを助けてくれただろう? ちゃんと、おぼえているよ。今度はおじさんが君を助ける番だ」

明るい穴

よく穴があったら入りたいと言うが、僕は文字通り穴の中に入った。しかも「明るい穴」に。土で出来ていて、なぜかその中は明るかった。光苔の類の植物でも生えているのだろうか。入り口はふさがってしまった。

僕はようやく、この星地球での居場所、それもとても安心できる場所に入れた気がした。ここでは僕は自由なんだ。しかし待てよ、ここには何もない。手持ちの雑多な小物すらない。

僕は恐怖を感じたのかどうかわからないが、無意識に出口をさがしていた。周りはかための土壁があるばかりで、出口らしきものは・・・あった。強い光が差し込んでいる割れ目があった。なつかしい光だった。

僕はその割れ目に向かって猛然と登りだした。こんなところに居る場合ではないのだ。すると何か生温かい水が降ってきた。雨か? それは子供たちの小便だった。そんなことはどうでもいい。僕は外界に死にもの狂いではい出た。「うわあ、怖いおっさん出てきたあ!」とかなんとか言いながら逃げていく子供たち。そんなことより僕は外の空気を胸いっぱいに吸い込み、そしてゆっくりと辺りを見回した。

近づいてくる少女。「おじさんは地底人ですか?」僕は返答に困らなかった。仮にも地下で何百年も過ごしていた気分だったから、「そうだよ」とすぐに答えた。「お願いです。私をそこへ連れてってください」と少女は言った。僕は笑いながら答えた。「今やっと出てきたところなんだぞ。行きたきゃ一人で行きな」少し冷たい言い方だったかもしれない。少女は「はい」と何も動じない様子で、僕の出てきた穴の中へ入っていった。

あれからどれほどの年月が経っただろう。地下で少女が仲間と一緒に楽しく暮らしているなんて、誰が知っているだろうか。あの場所には理想を現実にする力が働いている。残念なことに、僕はそれに気が付かなかった。もちろん、あの少女が外界で背負っていたしがらみなんぞも知っているわけがない。ただ、あの少女はあの場所で明るい未来を望んだ。それだけは確かに言える。

その星で

『母さん──どこにいるの?』

こんな夢を見た。

その星に人間たちがやってきた。歓迎の火なのだろうか、炎の柱が見えた。見た目はほとんど地球と変わらない。ただ家屋には人っ子ひとりいなかった。ここは田舎の町らしい。都市部に行けば知的生命がいることは明らかだろうが人間たちはまずその町から調査を開始した。

不思議なのは町のいたる所に映像表示装置があった。その前に立つと自動的に映像が流れる。空き地に宇宙船が着陸する様子が流れていた。

「見て見て、私たちのことをやっぱり歓迎してくれてるのかな?」とサミー。
「あの炎の柱のような光はなんだったのかしら?」とトモ子。
「なんでもないさ。火山が噴火でもしたんだろ」とジロー。
「それより、腹ごしらえしないか?」とロブ。
『──』

人間は全部で4人? いや5人だったかもしれない。僕の記憶があいまいなのはあまりにショックなことがあってそんなことどうでもいいと思っていたからだ。人間たちは少し傾斜のある土手で草の上に座り何かを食べ始めた。

「ほら、見て、サミー。鳥じゃない?」とトモ子。
「あら。──でも羽がないようね」とサミー。
『サミー。僕は鳥じゃない』
「え? お二人さん何か言った?」とサミー。
「いや」とジロー。
「どうした?」とロブ。
「いえ、いいの」とサミー。
『僕は鳥じゃないんだ』

人間たちは家屋に入り調査していたがあまりに人間の家と何ら変わりないのでついに調査をあきらめその家に住み始めた。照明もつくし、台所、リビング、トイレ、書斎もある。書斎の本は外国の文字のようでもあるが今までに見たことないものだったらしい。興味深く見ていたがそれにも飽きたようだった。町と緑の自然との境界あたりにその家々はあった。女2人、男2人? でそれぞれ別々の家に住んだ。

ある日サミーがトモ子がいないことに気付いた。散歩にでも出かけたのかなと思った。サミーも外に出てあの映像表示装置を見に行った。前に立つと映像が表示された。それはトモ子がジローとロブに追いかけられている映像だった。トモ子が「やめて」と言っている。サミーは遊んでいるのだろうと思った。映像はどんどん進み、男二人がついにトモ子をなぶり殺した。男は二人とも「け、不細工が」とか「おまえは必要ないんだ」とか言っている。これは実際に起こったことなのだ。

『サミー、逃げて!』

サミーは頭の中に聞こえる声に従った。懸命に走り、宇宙船にたどりついた。そこには例の男二人、ジローとロブがいた。

「お嬢さんどこへ行くつもりかな」とロブ。
「待ってましたよ」とジロー。
「こんなことしてどういうつもりなの? 私たちは選ばれてここに送られたのよ!」とサミー。
「言ってることがまるでわからない。つまりこうか。ここで結婚して子孫を繁栄させろって?」とジロー。
「ははは! そんなマヌケな計画に俺たちが従うと思うか?」とロブ。
「どうしてなの──」と言ってサミーは両手を顔にあて泣き崩れた。
「さあさ、泣かないで。たった一人の女なんだからな。大事にしてあげるよ」とジロー。
「宇宙船はもう使い物にならないようにした。俺たちはもう戻れないんだ。さあ、うちへ帰ろう。都市部の調査もしなくちゃいけない」とロブ。
「なんだ、また鳥か。しっし! あっちへいけ」とジロー。
その時だった。男二人の頭の中にあらゆる罵詈雑言が聞こえてきた。
「なんだこの声は。おまえ──何も言ってないよな」とロブ。
「俺にも聞こえる。おまえが言ってるんだろ」とジロー。
「いいや」とロブ。
「ということはサミーか?」とジローはものすごい形相で言う。ロブも同じように頭をかきむしっている。
『サミー、逃げよう』
サミーは頭の中に聞こえる声はこの鳥が言っているのだと今やっとわかった。鳥はうながす。サミーは鳥と一緒にその場から逃げた。「ちくしょう!」とか言いながら追いかける男二人。小高い岩山にさしかかる。その時山から大きな炎が出て──人間には炎に見える光の柱が出て男二人にめがけて降りてゆきまるでスポットライトのように包み込んだ。
「なんだこれは?」とロブ。
「え? あの時見えた炎じゃないか」とジロー。
「熱い。体が燃えるようだ」とロブ。
「ああ」とジローは何も言えない。
男二人の姿は塵となって消えてしまった。と思ったら今度は僕(人間に鳥と思われていた)とサミーの頭上から光が降りてきた。
『母さん──こんな所にいたんだね。サミー、大丈夫だよ』と僕はサミーに語りかけた。

僕は人間の姿になった。そしてサミーとその田舎町で一緒に幸せに暮らしている。今までこの星には僕しかいなかった。だけど、もうさみしくない。サミーがいるから。

鬼童(おにわらべ)

その者、額に眼あり
あやかしの力を使いしゆえに
深き森の奥に棲むという

あの時、私は何か得体の知れない力でそこに導かれたのだと思う。居候していた家をちょっとしたことで追い出された私は──正直に言おう、大家のおばちゃんと意見が合わず喧嘩をしたのだ。もちろん、口争いだがもう少しで殴りかかるところだった。今思えばそうしなかったのは正解だった。暴力など、私が最も憎んでいることであり、自分がもしそんなことをしてしまったら一生悔やむに違いない。出て行けと言われた私は一人で何もかもしてやるという決意を持って出て行ったつもりだった。しかし、実際は母親と二人で新たに借家を探し、移り住むことになった。

とある新興団地の一角にその借家はあった。その家からは空き地が見え、そこではいつも子供たちがきゃっきゃ言いながら遊んでいた。私はまだ若かったが、精神安定剤を服用している軽い精神障害者だった。それも何か関係があるのかもしれない。ある時、空き地を見ると子供たちが全員こちらを見ていた。私は金魚を飼っていて、エサをやってふと見たときに金魚が何かに驚いたようにびくっと変な動きをした、まさにその時だった。子供たちが全員こちらを見ているのだ。私は別に何も思わなかったし、これが感応であるとは思いもしなかった。

通りに面した植木に水を与えているときだった。二人の子供が通りかかった。こんにちは、という声がしたので私も挨拶を返そうとそちらを振り向きこんにちはと言いかけた。私はあれっと思った。間近に聞こえたと思ったのだが子供たちは既に向こうの角を曲がったところだった。それに何かひそひそ話も聞こえる。私はこれには驚かなかった。病気の症状が増悪したのだと思った。幻聴は私にとってよくあることなのだ。

私はアルバイトをしていた。この歳で正社員ではないのは手遅れだとは思っていなかったが、今はわかる。だから、サラリーマンにどれほどの歪曲した偏見を持っていたか、容易にご想像できるだろう。ある時、布団屋のセールスマンがやって来たことがあった。
「ああ、お兄さん今日はお休みのところすみませんね」
「いえ」
「布団屋なんですが、今までに他の業者が来たことある?」
「はい」
「私のところは今サービス期間中でね、ちょっと布団を見させてもらえます?」
「いえ、いいすわ」私は面倒だなと思いながら断った。セールス、宗教の勧誘といったものの断り方はよく心得ていた。しかし、いつも気分が悪くなる。こいつらはカモを探してやがるんだと、自分に言い聞かせた。悪なのだと。
「布団の種類は?」セールスマンは引き下がらない。若く野卑な感じのする男だった。
「え?」
「種類」
「種類って?」
「羽毛とか綿とか」
「ああ」そこまで言って私は何かにとりつかれたようだ。「ここではあんたたちとは別の時間が流れている」
「え?」今度はセールスマンのほうがきょとんとしている。
「ここは貴様の来るところではない。去れ!」私はあわてて口を手で押さえた。
セールスマンはむすっとして、それ以上しゃべらず黙って帰って行った。私はわけがわからなかった。その時、子供たちは例の空き地できゃっきゃ言いながら遊んでいた。

それから、外で働いていた母親が病気になって看病した日も過ぎ、夜中に眠れない日も過ぎ、大家のおばちゃんと和解して、また元の借家に戻ることになった。引っ越しの日、最後の荷物を積んだ車を運転してその団地の出口にさしかかった時だった。子供たちが一ヶ所に集まってこちらを見ていた。笑いながら手を振っている。バイバイという声が聞こえた気がした。

あの時、私は常に子供たちの存在を身近に感じていた。それは私の精神病がなんらかの力を目覚めさせたからかもしれないし、子供たちに何らかの力があったからかもしれない。もちろん、両方ということも考えられる。いずれにせよ、突発的に生じた罪障は消え去っていた。

機能人間

私は機能人間だ。だが、そう言って自分を自分で揶揄するほどの機能は持ち合わせていなかった。起きて仕事にいき、食べて寝て、起きてまた仕事にいく。そういう機能だけを持ち、そういう機能だけを要求され、そして、私はその機能を果たすだけでいい。普通であることが一番難しいと言うが、私はこうして機能を果たすことを困難だと思ったことはない。つまり、この世界では機能を果たすことが普通のことであり、一昔前には困難であると思われていたことを私はおこなっているだけなのである。今や、みんなそうなのだから疑う余地など微塵もない。私は限りなくロボットに近い生き物なのだ。何度も言うようだが、以前の私はそう言って自分を自分で揶揄するほどの高等な機能は持ち合わせていなかった。ではなぜそのような一種のバグが今になって生じてしまったのか? 心当たりと言えば、あれはたしか一週間ほど前の出勤途中でのことだ。私は少し急いでいた。突然、頭に衝撃があった。アスファルトの路面に落ちたのはひとつの小さな石ころだった。私はかまわず会社への道のりを急いだ。血は出ていないし、そんなに痛くもなかったからだ。それに第一私は機能人間なのだ。機能人間とはつまり、ひとつのことを妄想のようにしか考えられない人間のことであり、それをなんの疑いもなく実行する人間のことでもある。そのプログラムにバグが生じたとすれば、このときからに違いない。私は一瞬このとき、空から落ちてくる石が果たすべき機能を考えてみた。その結果、答えはすぐに出た。答えは私を殺すという機能である。それでも私は先を急いだ。それは私の機能であり、果たさねばならないからである。私には疑念が生まれた。何者かが私を殺そうとしているのだ。誰なんだ? そのような機能を持った人間がこの世の中に存在しているのか? 私を殺すという機能を持った人間がどこかにひそんでいるのだ。これはただごとではない。私は会社に着いても会議の内容など寝耳に水状態で、極度の──なんと言ったらいいか、とにかく私の命は狙われているのだから、精神が興奮するのも私の機能のひとつであったということが露呈することになっても不思議ではない。それに一昔前には病院というものがあって、そういう機能障害を起こした人間は豚箱にぶち込まれるのと同じ思いでそこに入っていたものだ。被害妄想──もちろん、そんな機能などこの世のいかなる者も要求していないし、第一機能障害を起こした人間は死ぬしかない。だって、そんな非営利的な障害を誰が要求するだろうか。私はなんらかの機能障害を起こした。だからどこかの秘密組織か何かが私を消そうとしているのだ。それに、そのような被害妄想が生じるということは機能障害を起こしている証拠でもあるのだ。それからというもの、私は不眠になり、食欲がなくなり、仕事への意欲もわかなくなった。上司にこのことを知られてはまずい。会社ぐるみで秘密組織と内通していたら厄介だし、上司が私を組織に売ったのかもしれないからだ。もういいだろう。私は機能障害を起こした。それが自分でもわかった。ひっそりと殺されてしまうより私のほうから連中に会いにいって、けりをつけてやる。私の機能は障害を起こしたのではない。むしろ、機能が拡張したのだ。悪の組織を撲滅するという、新たな機能が加わったのだ。私はすぐに辞表を出し、仕事をやめた。それはこの世界では死を意味する。死ぬしかないのだ。だが、私はただでは死なない。この世界を支配する機能人間たちの謎を解き明かしてやる。そして、秘密組織とけりをつけ、あわよくば新しい機能を身につけて連中を見返してやるのだ。

私は旅に出た。船にゆられ、海を渡り、大陸を南下した。そこには巨大な都市があった。秘密組織の本部はここにある。私にはわかるのだ。それはひとつの新しい機能でもあった。悪を察知するという機能。決して被害妄想ではない、現実の悪。私はくもり空のもとで、露店の並ぶ路地で、ビルの受付で、駐車場の警備室で、あらゆる人間に──機能人間に聞き込みをしていった。その結果、私はある情報を入手した。そこでは想像できないほどのよからぬことがおこなわれているらしい。秘密組織の本部はそこにある。私はその古びた建物の地下へ向かった。光のもれている鍵のかかっていない半開きの戸を開けて薄暗い部屋の中心らしいところまで進んでみた。突然、最初私はわけがわからなかったが、しばらくすると、子供時代の私が森の中で遊んでいるシークエンスが私を包んでいることを認識した。私はそこに居る──あの頃の思い出の森の中に。
「おい」私は子供時代の私に声をかけた。その子は振り向かず森の奥へ走っていった。「待ってくれ!」私はその子のあとを追って森の奥へ入っていった。子供時代の私は姿が見えなくなった。私は気が付いた。なんの意味もなく何もない森の中にたたずんでいる自分に。私は不安になってきた。この森の中では私の機能は今は何も果たせないのだ。死ぬしかない。そう思ったときだった。うしろで足音がした。振り向くと、そこには私が居た。たしかに子供時代の私が。
「ここで何しているんですか?」その子はおそるおそる私に言った。
私はすぐには返答できなかったが、やがてこれは何かの投影装置、つまりディスプレイなのではないかという疑念がわいてきた。私は秘密組織の術中にはまってしまっている。そう思いだした。私は口を開く。
「おまえらこそ私を洗脳しようなど、ふざけたまねはよせ」
「おじちゃん?」
「私が子供時代の私を見て思うこと、それは後悔しかない。そんなもの、この世界には要らない。おまえらは私に機能障害を起こさせた張本人なんだろ! 小細工はやめて姿を見せろ!」
「おじちゃんも聞こえるんですか?」子供時代の私は言う。
「うるさい! 消えろ!」
「これ、あげます。僕が拾ったシイの実です」その子は右手を差し出し広げた。
その手の中には小さな黒っぽい木の実がたくさんあった。
「これは?」
その実はあの出勤途中に私の頭に落ちてきた小さな石ころだと思ったやつだった。シイの実など名前を忘れたくらいならまだいいが、形や色さえ忘れてしまっていた。
「やっぱり、おまえらだったんだな。私を殺そうとしていやがるんだろ?」
「おまえらって、ここには僕一人しか居ません。それに僕は人を殺したりなんかしません。おじちゃん、しっかりしてください。この実を食べると落ち着きます。手を出してください」
私はどうでもいいと思いながら手を差し出してみた。手のひらにばらばらという感触。子供時代の私はにっこりしたと思うとすうっと煙のように消えた。そして、シークエンスも薄暗い照明のついたただの地下部屋へ変わった。これが現実だ。しかしどうしたことか右手のばらばらとした感触は消えなかった。そこにはさっきのシイの実があった。
「こんなもので私を殺す気か!」私は昔親父がやっていたように大声でかんしゃくを起こし、実たちを思いっきり殺風景な地下部屋のコンクリートの壁に向かって投げつけた。実たちは壁にあたったあと、湿った床にばらばらと落ちた。
すると突然、実たちは一斉に芽吹き、恐ろしいはやさで成長し、天井をつきぬけた。私は死にもの狂いで落ちてくる天井の破片から頭を守るようにして、地上へ出た。振り返るとそこには巨大なシイの木が立っていた。

確認はしなかったが出勤するときに通っていた路傍には、もちろん一本のシイの木が生えているに違いない。私の機能はシイの実を芽吹かせることだったのか? 秘密組織などもとからなかったのかもしれない。あのシークエンスも。ただ私には、この機能があることがわかった。なんの意味もなく生きていてもいいはずだが、誰もそれをよしとしないし、求めない。それに、意味など人間のひとりよがりなのかもしれない。しかし、この世界では機能を果たさなければいけないのだ。だったら私はこの新しい機能で世界中をシイの木でいっぱいにしてやる。この機能がある限り、私は死ななくていい。むしろ、どんなことがあろうと、生きていなければいけないのだ。


ハッピバースデイ、トゥーユー。ハッピバースデイ、トゥーユー。ハッピバースデイ、ディーアいちごちゃん。ハッピバースデイ、トゥーユー。

「ここにはうるさいやつがいるようだな。黙らせろ」病院のカウンターで一人のやさぐれた男が受付嬢に向かって言った。黙ってうしろを見る受付嬢。顔は無表情。
「千十円になります」と受付嬢は無視して言う。
「おい、聞こえないのか、あの卑しい声が。隠れたって無駄だ。この中にいやがることはわかってる。言ったもん勝ちになると思うなよ、くそったれが」言うと男は財布をリュックから出し、カネを差し出した。
黙って受け取る受付嬢。もちろん受け皿に入れられたカネを取った。そして釣りを差し出す、もちろん受け皿に入れて。
「女は全員、俺のことを気持ち悪いと思っている。わかってるさ、言われなくともな。だがな、顔をよく覚えておけ。おまえらの彼氏は全員俺に似ているぞ。一度よく見てみるこったな。はあーはははは!」釣りを財布にしまいながら男は言った。
無視する受付嬢とカウンターの向こうの連中。
「お大事に」受付嬢は無表情のまま小声で言った。
「だいたいこんな感じだよ、世の中は。わかってるな。いいか、連中を勝たせちゃいけない、絶対に。オレがいいと言うまで絶対に連中の発言を許しちゃいかんぞ」こんな声が男には聞こえていたが、もちろん他の連中がそんなこと知るはずもない。

雨の降る帰りの車中、男は借りている伯母さんの新車を転がしながら、ワイパーの行ったり来たりするリズムに酔って回想にふけっていた。そして雨音や車のエンジンやワイパーの音に負けまいと一人で声を出していた。まるで誰かと会話しているかのように。
「あのクソおやじ、まだくたばってないのか。まったく嫌な思い出ばかり植えつけやがって。顔を覚えてろだって? は! よく言ったもんだ。おかげで似たようなクソになっちまったよ」
「カラスがカラスを産んだってこった」
「おい、母さんをバカにするな」
「そうだな、母さんは悪くない。みんなあのクソおやじのせいだ。おまえがこんなになったのも自責の念がそうさせたんじゃない。おまえは悪くない。むしろ、真面目で謙虚な心が備えられている。あんなことやこんなことをしでかしたずっとあとでな」
「それを言うな」
「ほう、あれは子供の頃のささいな過ちだったとでも言うのか? 鮮明に憶えているのが何よりの証拠だ。たとえそのとき子供だったとしても、おまえの中の罪の意識は消えない、永遠にな。何度も言わせるな、それはおまえのせいじゃないんだよ」
「すべてあのクソおやじのせいなのか?」
「そうだ。安心しろ。おまえは何も悪くない。むしろ、真面目で謙虚な心が備えられている」
「ははは、はよくたばれ、クソおやじ。そうすりゃ俺は晴れて残りの人生を送れる」
「そうだ。おまえは何も悪くない。むしろ、真面目で謙虚な心が備えられている。誰もが知ってるように善と悪は一意ではない。しかし、おまえは違う。おまえは何も悪くない。むしろ、真面目で謙虚な心が備えられている。おまえは何も悪くない。むしろ、真面目で謙虚な心が備えられている。おまえは何も悪くない。むしろ、真面目で謙虚な心が備えられている──」

気が付いたとき、その三十路の男は病院の待合所の長椅子に座って、病気関係の雑誌を広げたまま紙面をぼうっと見ていた。そのとき、声がした。
「Sさん」
「はい」Sと呼ばれて男は正気に戻り返事をした。そして、立ち上がり、診察室へ入った。そこには見慣れたK先生が机に向かって座っていた。Sはいつものようにおはようございますと言って帽子を取り、椅子に座った。そしてなんでもないいつもどおりの診察。しかし、大半は趣味の話。それで様子を伺うらしい。それをSがだまされていると思っていたかどうかはどうでもいい。重要なのは、待合所で待っている間、Sが白昼夢を見ているかのような妄想をしていたことだ。Sは幻聴が聞こえたからと言って、暴言を公言するような男ではない。もちろん、陰で言うことはある。しかし、人前でそんなことをするような人間ではなかった。そのせいで妄想が強くなるのかもしれないし、そういう願望があるのかもしれない。しかし、何度も言うようだが出すぎたことを言うような人間では決してないのだ。言ったことに対して内省することが多々あるくらいだ。それが妄想を助長していると言えるのかもしれない。

「バカたれがクソをたれる、そしてクソったれになる。何も変わっちゃいないんだ。いいか、おまえのおやじは今でもクソなんだよ。おまえのしたいことはわかってる。目には目をだ、世界の暴力を排除するには暴力で対抗するしかない。憎まれたら、憎み返してやる。殴られたら、殴り返してやる。嫌なことをされたら、仕返ししてやる。それを甘んじて受けることこそが罪を犯した者にとって一番の贖罪になるのだ。報復、復讐、それらはすべて罪人を赦す一番の理由になる。だからおまえは絶対におやじを殴る必要がある。おまえがされたことをやり返してやる必要がある。しかしだ、そんなことでおやじを赦したくはないだろう? わかってる。存分に生き地獄を味わわせて、野垂れ死にさせてやるか? 駄目だ。そんなことをしたら図に乗るだけだ。一番いい方法を教えてやろう」声はここで間をおいて、大事なことを言うときに誰もがそうするようにうやうやしく答えた。「おまえが罪を犯したことをおやじに教えてやれ。そうすりゃ、おやじは狂い死にするだろうさ、はっはっは、やってみる価値は大いにある。どうだ、やってみないか? 過去の呪いを消し去るために」
Sはにやりとして頓服薬を水で流し込んでから、勢いよく返事した。
「どうすりゃいい?」
「まだ先があると思うのは幻想なんだよ。人はまだ先があると思い込んでしたいことをしない。そして、ああやっておけばよかったと後悔することになる。それが罪だと誰が決める? 法律か? 神か? それが罪だと決めるのは自分しかいない。自分が罪だと認めないものは罪ではない。しかしおまえはあれが罪だと思っている。それはどうしようもない慢性の病気だ。おまえがその罪を犯したとおやじに教えてやることでおまえは晴れて残りの人生を送ることができるだろう。やり方は簡単だ。おまえが自分のしたことの何を罪だと思っているか、おやじに言えばいいだけだ」

おやじが死んで一年が過ぎようとしていた。あの声も今は聞こえない。ただ私に何かが残ったとすれば罪悪感だけだった。おやじが死んだことなんて微塵も気にしちゃいない。自分の犯した罪の意識だけがそこにあった。今じゃそれも薄れてきたようだが──おまえは何も悪くない。むしろ、真面目で謙虚な心が備えられている。

知らせ虫

「本当に賢い人というのは必ず謙遜しますから。それは相手のことを慮っている優しい証拠です」そう、私は今回のことではっきりと悟ったのだ。しかしあの言葉までが謙遜であるはずがない。ただ知らせてくれただけだと思う。私の見聞きしたことは脳内物質がほんのちょっとイタズラをしただけだとでも? 本当に? じゃあ小説か何かだと思えばいいじゃないか。そうすれば冷房の効いた部屋のソファーに寝転んだまま体験することができるし、紫外線の降りそそぐ炎天下にわざわざ家の外に出なくてもいい。でも、あの知らせを聴かないのは人類の損失だ。そう思ったからここに誰かが読んでくれるように書いておくことにしたんだ。

──セミがメダカ池のしばらく水換えしてない緑色の水の中で溺死していた。力尽きて落ちたのか、水の中に落ちたから力尽きたのか、どちらかはわからなかったがとにかく死んでいた。私はその死体の処理をした。網ですくい土の上に落とす。すると蟻がやって来て持っていく。それが必ず蟻の仕業だとは限らなかったが経験上私は何かが死体を持っていくことだけは知っていた。若い女に群がる蟻、いや蟻以下かもしれないが次から次に言い寄ってくる男をさばく若い女の声を聴いていた私は突然舌打ちした。そしてこうつぶやいた。「うるさい女だな」セミはオスが鳴くものと決まっている。求愛の歌。かたやセミなみの人間の女。その亡骸に群がるのは確かに蟻に違いない。たとえそれが蟻じゃなくても持っていかれるのも確かだ。私は自分もその魑魅魍魎の一員であることを知ってはいたが絶対に認めなかった。だって連中とは違うから。どこが違うってまず話しかけない。セミみたいに求愛行動を軽々しく実行しない。いやセミを馬鹿にしているのではない。七年も土の中に居てやっと地上に出て空も飛べるようになったことを一緒に祝ってやりたいくらいだ。バカ騒ぎしたい気持ちもよくわかっているつもりだ。しかし私は違うだろと。人生の折り返し地点に来たおっさんがすることではない。静かに生きることがそんなにいけないことなのか? 全員が全員騒ぎたい低能野郎だと決めつけたいのは企業とかいう利益を上げたいだけの組織の一部の偉い、本当に偉い人たちの考えていることであって私は違う。男のゲベ声なんか聴きたくないんじゃボケ! 「おい女、しゃべり続けろ。まだましだ」静かに大人しく若い女の声をただ聴いているこの私。死にたい。こんなことをしていることを他人に知られるという恥辱を味わうくらいなら自ら入水してやる。真冬、年が明けた2月初旬頃がいい。

あれはちょっと遅過ぎた。葉桜が紅葉を始めるのもまだ先かなという時期にその暗い影を見ながらベンチに仰向けになったところで死ねるはずないじゃないか。そりゃようやく涼しくなってきた時期ではあった。南に向かう飛行機の明滅する赤いランプが星々のまたたきに紛れて見えたのもよく憶えている。あの飛行機の中に搭乗している人たちのことも想像してみた。確かに気は遠くに持っていかれたが夏がとっくに過ぎたはずなのにその山の香りの中でせわしなく鳴く無数のセミの残響と春のうららのたくさんの花見客の残像に叩き起こされた。気付くと静かだった。これはどこかの作家大先生がすでに使っている表現かもしれないが──星のまたたく音が聞こえてきそうなほどだった。そのとき帰ろうと思ったんだ。帰って正解だった。くだらない日常と呪わしい未来が待っていたとしても帰って正解だった。いや正確には正解だったと思いたいだけだ。相変わらずの毎日と呪わしい未来は健在だったし、今や呪いは現実になった。本当に散髪屋に行ってきたみたいにさっぱりキレイになった。生きているからといって、あいつが死んだからといって、素直に喜べない。思うに生きる喜びを感じ取ることができるのは今まさに死に直面している人だけなのではないか? しかもそれはほんのわずかな時間だ。私は死の淵まで行った気になっていたがそれはまったく手ぬるいことだった。本当の死がどういうものかは誰にもわからない。少なくとも生きている者には。

確かにたくさんの死には接してきた。植物、虫、魚、鳥、動物、そして人間。しかし何か学べたかと問われたら私が学んだのは“人前で泣くな”という無味乾燥なルールだけだったと答えるし、実際人の死に接して泣いた人を見たのは母が最後だった。だから、だからこそ私が思う唯一の人間らしい人間が死んでしまったことを私は心の底から悔やんだ。電話口だったが私ははっきり聞いたんだ。母が涙声で「よしおばちゃんが亡くなったんよ」と言ったのを。伯母は子供の頃ふざけ半分の警備員に階段の上から突き落とされたせいで身長が伸びず背が異常に低くていかり肩になってて胸の骨が不自然に突き出ているいわゆる身体障害者だったが障害年金は一切もらっていなかった。そのかわり神仏は存在したと言えるのだろう、かなりの高額の宝くじが当たったらしいといううわさがあった。実際屋根瓦の葺き替えや二階部分の普請をした。ある夏、電力会社の人が領収書の送付先住所を確認しに来たことがあってそれをするには伯母に訊かなければまったくわからないことだったので私は寝たきりになっている伯母を叩き起こして認知症ぎみの脳ミソに向かってがみがみと問い詰めたことがある。ほとんど叱責していたと言っていい。私の罪はまだある。私の部屋にしている離れの普請は伯母の宝くじ云々とはまた別の話だったが母があまりにもうれしそうにするのでつい「まるで自分の部屋みたいに」と私は母に言ってしまった。それは完全に間違いだったし、事実その離れはもともと母が建てたものだった。何十年か経って息子にそう言われるとは思いもしなかっただろう。私が伯母や母への罪悪感にさいなまれるのは当然のことだった。

セミたちが毎年なぜそれを知らせるために鳴くのか、決して求愛の歌などではない、「それは罪だよ」と言っているのだ。伯母の死も母の死もお前のせいだと知らせている。夏だけじゃない冬にも聞こえた。夏ははっきり聞こえるという点では特別だったし、私の頭がいかれていないことを確認できる点でも安堵できたが、「それは罪だよ」と鳴いているように聞こえるのは病気のせいなんかじゃなかった。断じてだ。確かに処方通りの薬をやってはいたがあんなもの気休めに過ぎないし、罪悪感という病気が治るわけでもない。ニイニイゼミはニイニイと鳴く。ツクツクボウシはツクツクボウシと鳴く。ミンミンゼミはミンミンと鳴く。クマゼミはシャアシャアと鳴く。ヒグラシはツツツツと鳴く。アブラゼミは──「それは罪だよ」と鳴く。セミたちの大合唱を聴いていると結局全部「それは罪だよ」に聞こえる。断じて病気のせいなんかじゃないんだ。

私はそれを確かめたかったのか理由ははっきりさせたくないがとにかくまた山へ行った。お盆の頃だったな。山へ行かずとも裏山ではひっきりなしにセミが鳴いていた。しかしどこか遠かった。もっと近くで聴きたいのだ。通販で買ったまだ新品同然の黒いつっかけ、ベージュのチノパン、よれよれのグレーのTシャツにまたベージュのいい感じに汗染みの付いた野球帽、それから仕事で使うからという今では店員に嘘をついたことになるいわくつきの安物の黒縁眼鏡といういでたちで山道を登る。山と言ってもそんなに高い山じゃなく、桜の名所だから道は舗装されている。小石がつっかけと素足の間に入り込んで靴擦れみたいになって血が出たようだ。痛みを感じたがそんなことどうでもいいと言い張れるほどの精神力はまだ保たれていた。さっきからどんどん近づいてくるセミの声。それは例によって「それは罪だよ」としきりに言っていた。緑に囲まれた石敷きの駐車場の中心付近に来た時その声は最高潮に達したように思えた。殴りつける太陽の熱気に流れる汗と足の痛み、それとセミの声がいっしょくたになった時、ふっと恐ろしいくらいに静かになった。さっきまで煩わしかったことがいっぺんに吹き飛んだ。目の前に暗い谷底があるにもかかわらず中空を人が歩いているのだ。ぼんやりした、あれは坂になっているのか、光の道がずうっと上まで続いていた。そこを何人かが連れ立って上を目指して悠然と歩いてゆく。そのうちの一人が振り返ってこちらを向く。母だった。あの見慣れた優しい笑顔で会釈する母。他の人たちもこちらに気付き立ち止まって振り向いた。遠くの地で卒中で亡くなった伯父に、インフルエンザみたいな原因不明の症状で亡くなった伯母、心臓の弁が馬鹿になって亡くなった身体障害者だった伯母、それからもっと向こうを歩いているのは癌で夭折した伯父と八人の子を育て上げた祖父母ではないか? 伯父はいつものように手術痕を隠すために新調した格好のよいカツラをかぶっていてあの人懐っこい笑顔でたぶん私の名前を呼んだのだろう両手を挙げて勢いよく振った。伯母二人も笑顔でこちらを見ている。そしてまたみんな他の人の大きい流れに紛れてどんどん上を目指して歩いてゆく。時は止まっていなかった。止まっているのは煩わしかったこととセミの声だけだったと思う。とにかく静かだった。私はそうする前に裸足になるのが常識だった頃のことをなぜか思い出し、使わないせいで新しく見えるつっかけを脱ぎ捨て、そこを目指して走り出した。石敷きの地面にはさすがに苦汁を飲まされるかと思われたが新しく張り替えられたフローリング床みたいに足裏の感触はむしろ快適だった。そして叫ぶ。「待ってみんな!」かつてビリではあったが陸上部の短距離走者だったのだ。追いつける自信はあった。「待って!」私の体は意に反してゆるやかな斜面を転げ落ちた。煩わしいこともセミの声もいっぺんに戻ってきた。セミたちはなおもこう言っている。「それは罪だよ」と。──私は汗か鼻水か涙か区別のつかないものが顔にまとわりつくのを感じながら今落ちてきた斜面を上がった。ズボンには緑色の跡が付いていたし、腕には擦り傷ができていた。眼鏡は店員に言った通り仕事で使ったみたいにレンズに土が付いていたが外れなかったし、運よくあの野球帽も草むらの中でバッタの束の間の休憩所になっているところを発見することができた。つっかけはそこがスタート地点だとわかるところに転がっていた。

思い出はこうして作るもんだ。もう少しで行けそうなところまで行ってみなきゃなあ。たとえそれで命が失われようとも誰も文句は言わねえさ。その可能性は限りなく低かったが、いやまったくないと言ってもいいがもし私に子供ができたらそう教えてやるつもりだ。私は思い直す。なあに、別に自分の子供じゃなくたっていい。少なくとも私があの坂の上に行ってもまだしばらくは人間の世は続くはずだから。

あやまり

「まずあなたがたに謝らねばならない。ごめんなさい。この通りだ、赦してくれ」彼は還暦同窓会の席で三人の女性を前に深々とおじぎをしてこう言った。「あなたにずっとそう思わせていたなんて、こちらこそ、ごめんなさい」「そうよ、あたしたちこそあなたに謝るべきだわ」「そうね、あたしもそう思う。ごめんなさいねえ」彼が半分も照れていなかったのは間違いない。いや3分の1すらも。彼はそれを周到に隠しながら言う。「いやそんな、いいんだ、自分の我を通しただけだから。あの時からちっとも変わっとらんよ」彼は内心こう思った。ふん、所詮健常者の口からはこのような馬鹿げた答えしか出やせん。何がごめんなさいだ。こっちゃ慰謝料をぼられやせんかとどれだけびくついておったか。女性の一人が言う。「ところでお身体の具合はどうかしら? お薬とか飲んでいらっしゃるんですって?」彼ははやる気持ちを制して言う。「はは、なあにここがね──」彼は禿げ頭を右手の人差し指で軽くこつこつ叩きながら言う。「ここが言うことを聞かんのですわ。もう四十年近くになる」「あらまあ、それは大変ですねえ」彼はそれを聞いてわなわな言いながらやっと言葉を吐き出した。「あ、あんたらに、呪いを、かけられて、わしの人生ははっきり言って最悪だった。そして、これからも、死ぬまで苦しみ続ける。そりゃいい気味だろうさ。だが、わしはもう謝ったからな。今すぐ呪いを解け!」「あーら、それが人にものを頼む態度かしら」女性たち、いや魔女たちは薄ら笑っている。「ほほほ、成績優秀、スポーツ万能、将来有望だったあなたがこんなになっちゃうなんて、まさかあたしたちのせいだなんて言わないでちょうだいよ、人聞きの悪い」彼は鼻息も荒く彼女たちに言う。「貴様ら! 天の名において永遠に滅せよ、悪霊ども!」彼はちゃぶ台をひっくり返す癇癪持ちの親父よろしく手近にあった料理ののったテーブルを派手にひっくり返した。辺りは暗くなり稲光と雷鳴がとどろき、激しい風雨が彼を叩きつける。「あはは! 面白いわね! ずっと天国の母親の名でも叫んでなさいよ、ぼっちゃん!」「あはは!」嘲笑しながら彼の周りを飛び回る魔女たち。彼は顔に飛んでくる落ち葉を払いのけ、顔を洗う時にそうするように両手で顔を拭った。そして両手の拳を天に突き立て叫ぶ。「永遠に! 滅せよ!」

気付くと還暦同窓会当日の朝だった。彼はさんざん迷った挙げ句に出席することにした。会場に入るとあの三人の女性がにやつきながら近付いてくる。「やあ、お久しぶりです。まず第一にあなたがたに──」彼はこう言いかけて口をどもらせた。「あら、なんて?」「あ、謝らねば──」彼はつがれたビールを一気に飲み干した。そしておかわりを。その後のことは憶えちゃいない。気付くと誰も居ない薄暗い公園のベンチに一張羅で仰向けになっていた。落ち葉が顔に落ち、続いて雨が落ちてきた。遠雷の音がする。嵐が来そうだ。彼は落ち葉を払いのけむっくり上体を起こし向き直り足を地につけた。そして記憶をたどってみたがもうあの激怒した夢のことしか頭になかった。せっかくの一生に一度の還暦同窓会──。しかしと彼は思い直す。何が現実かなどといったことが今までわしにとって重要なことだったか? と。それに、それに現実が妄想の産物だと思って何が悪い。少なくとも本当の現実を知っとるのはこのわししか居ないじゃないか。他人が思ってる現実なんぞわしにとっちゃ妄想でしかないんだ。そうとも、そりゃ当然だ。あの三人の女性の経験した不愉快な現実はわしにとっては妄想だ。そうだとも。向かいのガキが常にわしを監視しとるとか、いつも行くコンビニのねえちゃんがわしに好意を抱いとるとか、カッターナイフを持った時に見える鮮明なイメージも、犯罪者──とくに子供を狙った犯罪者──を前にした時、金属バットがあればと希望を抱いたりすることも、そしてわしがわしであるとか、自分が生きているとかいったことまで全部あれと同じ妄想だ。ただ一つだけ、たった一つだけの現実にわしらは右往左往しとるだけではないか。

彼は立ち上がり最寄駅に向かったが歩きながら不安に思った。それってなんだよ。たった一つだけの現実って。「今、目がさめただろう? そういうことさ」風が言った。「そうだとしたら、彼女たちが幸せになっているかどうかを確かめなくていいのか?」 彼は問うた。「その必要はない。なぜなら──もし不幸になっていた場合、お前はまた罪悪感を感じるんだろ? “馬鹿は繰り返すな”だ。記憶と妄想に大した差はない。もちろんお前の中での話。お前は病気だってことを忘れるな」「わしをみくびるな、そんなこと今まで忘れたことなど一瞬たりともありゃせん」雷はもうすぐそこで鳴っていた。風雨が強くなってくる。夢で見た通りの道具がそろいつつあった。からからと路上を転がっていく茶色い落ち葉。彼はセカンドバッグから折りたたみ傘を出し広げた。ゴミステーションの塀の上のカラスが言った。「お前は呪われているのカア?」彼は立ち止まって言う。「ああ、そうだ、もちろんだ。毎日処方通りのヤクをやっとるし、三週間ごとにクリニックに通っとる。もう切りようのない関係だ。先生に診断書を書いてもらって割引制度を利用したり、それがないと生きていけない年金をもらったりしとる。今じゃもうすっかり慣れちまったがな。呪われてないって言うほうがおかしいだろ」カラスは言う。「それでも大人カア?」「うるさい。もう何年もそれでやってきた。じゃあな」「バカア!」彼は歩を進めるごとに腰の痛みが引いていくのを感じた。そして上を向いても首が痛くないことに気付いた。若返るなんてことがあったらまず体だけじゃなく環境も整えてほしいね。キレイなねえちゃんに出会うとか? まさかな。迫ってくる街路樹の裏からひょっこり中学生くらいの女の子が出てきた。「ぷっ、マジかよ。勘弁してくれ。年齢を考えろ」「ねんれい?」女の子は早足で急ぐ彼に雨の降る中傘もささずすうっとついてきた。「幽霊か? 妖怪か? それとも魔女か? とっとと消えろ」「いきりょう」彼は立ち止まる。「生き霊だって?」後ろを振り返ると女の子は三人居た。彼はほんの少しだけたじろいだがまた前を向き歩き出す。「ああそう、その類か、わかるよ。わしだって馬鹿じゃない。それで? 恨み節でも聴かせに来たのか?」「違うの。あたしたち、もういいからって言いに来たの」「いいって何が?」「見て。あなたの生き霊よ」「わしの?」彼は再び立ち止まり後ろを振り返る。そこには見覚えのある男の子が居た。中学時代の彼だった。「お前まさか」男の子は言う。「そうそのまさか。呪われていたのは彼女たちのほうさ。こんなことやめようよ、もう」「そんな、そんな馬鹿なことが──どうすりゃいい?」「握手」男の子は右手を差し出す。「よし、もう彼女たちを苦しめるんじゃない。苦しめるんじゃない。苦しめるんじゃない──」そう繰り返し言いながら彼はまさか自分と握手することになろうとは狂気もいいとこだと思いながら男の子の手を握った。一瞬の稲光の後、気付くとポプラの青葉が彼の右手に握られていた。「なにやっとるんだ」彼はぶつくさ独り言を言いながらすぐその葉を路上に投げ捨て前を向き歩き出す。青葉は一瞬で茶色くしわくちゃになりまるでそこだけ雨が当たっていないかのようにからからと乾いた音をたてて路上を転がっていったがそれが彼の妄想だったのかどうかは誰にもわからないだろう。彼は歩きながら強まる風雨の中で雷のとどろきを聞き、まるで醒めない悪夢じゃないかと思ったが少なくとも呪いは解けた。いやたった今解いたのだ。

呪いがどういう経緯で生まれたか、あるいは何がきっかけだったか、それらを語る必要はもうなかった。彼が例によってくだらない毎日を過ごしていたある日封書が届いた。中に写真が入っていた。赤ら顔の彼と三人の女性が写っていた。なるほど、事はうまく収まったらしい。時系列的にはおかしいかもしれないが彼の頭はおかしいので、それは当たり前だと思ってほしい。

わらいぎち

「わらいぎち」──この辺の人はみんな彼のことをそう呼んでいた。私が思うにたぶん“笑い気違い”の略ではないかと思う。なぜなら伯母の話ではそいつはいつもへらへら笑っていたという。まさかその彼のあだ名が世界中でそう呼ばれるようになるとは伯母もそして本人も知ることはなかった。いや世界中でというのはもちろん妄想の産物であり実際にはその名は私の頭の中だけにあったのだが取り出さざるを得ない状況になったから、その話をこれからご披露しよう。

「ぽっぽーぽっぽーカンダハル! ぽっぽーぽっぽーカンダハル!」二人の女の子のもとへ男がそう言いながら近付いてくる。「ハルちゃん行こう。またわらいぎちが来たけん」「だいじょうぶよ、ヨシちゃん。笑っとるだけじゃけん」「だって気持ち悪いじゃん」「うへへ、ぽっぽーぽっぽーヨシコチャン!」私はこの男がはっきり言って嫌いだった。子供は夏休みでも大人には休みはないことくらい誰でも知ってる。なのにこの男は平日の昼間によく出没する、いわゆる職なしなのだということは子供の私にもわかった。石段の下でハルちゃんが言う。「だいじょうぶ、だいじょうぶ、ヨシちゃん。あたしが勝ったけん上がるね、チ、ヨ、コ、レ、イ、ト! あ、危ない!」私は気付いた時にはハルちゃんのずっと下に居た。体中が痛い。かけよってくるハルちゃん。私はその痛みに耐えられず気が遠のいてしまった。

次に気付いた時には病院のベッドの上に居ることにしばらく経ってから気付いた。お父ちゃんとお母ちゃんそれから兄弟姉妹が周りにずらっといてちょっと驚いた。「ヨシ子?」「お母ちゃん」「ああ、よかった」あのいつも明るいお父ちゃんが男泣きにすすり泣いている。私が後で知ったのは後遺症が残って体の成長が止まってしまったこと。胸と背中の骨が突き出てしまったこと。つまり私は突然、身体障害者になったのだ。神仏は存在しない。何の悪いこともしてない私にこんな仕打ちをするなんて! 私はあの時自分の背中を押したのがわらいぎちだと思った。石段を転がり落ちる最中に見た揺れる人影──あれはわらいぎちだ! ある日見舞いに来てくれたハルちゃんにそのことを話したら意外な答えが返ってきた。押したのはわらいぎちじゃないし、それどころかわらいぎちが病院まで私をおぶっていってくれたのだという。断言していいのは神仏は存在しないかわりに優しい人間は存在するのだいうこと。たとえその人が職なしであろうと関係ない。

私は当然のように学校でいじめられた。男の子に石を投げつけられたことだってある。女の子に石を投げつけるなんてサイテー。なんとか学校を卒業したけど今度はその手の人たちばかりが集まる職業訓練校に通うため寮に入った。私はここぞとばかりにイタズラってほどでもないが人のいやがることをしてやった。いやこいつらは人じゃない。人に石を投げつけられるようなやつばかりだ。私はおもてには出さなかったがこいつらを自分と同等だと心の奥底で思いたくなかったのだろう。いろいろといじめてやった。「もう! 誰? また湯船にムトウハップ入れたの!」私はざまあみろと思った。愉快だった。心底愉快だった。でも結局私は連中と同じだった。

障害者用の職業訓練校を卒業した私は車の免許を取った。障害者用に改造してある車に乗った。いろんなところに行ってみたけど私はすぐに帰った。私の醜い姿を他人に見られたくなかったわけじゃないけどなんとなく、そう、なんとなく人目をはばかった。妹に子供が生まれた。私は子供を産めない体になったけど自分のことのようにうれしかった。赤ちゃんを抱いてみた。とても幸せな気持ちになった。そうこうしているとお母ちゃんが癌になった。お父ちゃんは私をウナギ捕りやアユ釣りに連れて行ってくれたり、障害が少しでも軽くなるようにマッサージしてくれたり、楽しい話をいっぱいしてくれたけどすでに他界していた。今度はお母ちゃんの番だと私は思った。この文章の意味が解る人は少ないかもしれないけれど、私にとってこの世の悪いことのすべてはお母ちゃんが死ぬことだった。お母ちゃんは死んだ。火葬場で炉に入れられる直前、何度も「お母ちゃん! お母ちゃん! お母ちゃん!──」って涙ながらに叫んだけどあの優しい声を聞くことは二度となかった。私は腰が抜けてその場にへたり込もうとしたら妹が手をとって支えてくれた。

その後もいろいろあった。甥っ子と魚釣りをしたり、夫と別れたばかりの妹が仕事で忙しいので車で甥っ子の送迎をしたこともある。当時甥っ子には負担をかけたと思う。ある時友達と一緒に迎え場所に居た甥っ子はたぶん私のことを友達にどう説明してよいか悩んだに違いない。甥っ子は隣県の大学に進んだものの就職がうまくいかず私の居る母方の実家に住むことになった。彼が高校生の時以来のことだ。一緒に住んでいるといろいろあるものである時ささいなことで口論になり、私はつい「出て行きんさい!」と言ってしまった。妹つまり彼の母と一緒に彼は出て行ったが一年後に「謝りに来ました」と言い、またここに住むことになった。

姉が亡くなり、日々寂しくて仕方なかった。しかし今度は私の番だった。甥っ子にまたがみがみ言われたが私にはもう言い返す気力も体力もなかった。妹が介護をしてくれたがある日私はつい「もうええが! 死ぬんじゃけん!」と言って妹を困らせてしまった。いよいよとなって病院に入院したら遠くに住んでるもう一人の妹とその夫がやって来たが派手に口喧嘩してしまった。私はあの夫婦が心底嫌いなのだと我ながら最後の最後に悟った。あの甥っ子が見舞いに来てくれた。本当にいよいよなのだと思わざるを得なかった。

ある夜私はとうとう心臓の弁が馬鹿になって死んでしまった。だからこれからはあの甥っ子にバトンタッチしようと思う。

──私はあることに気付いた。自分自身がわらいぎち的な存在になりつつあることに。私は人前でへらへらしたりはしないがしてもいいと思い始めたし、街で困った人を見かけたら助けたい。伯母の葬儀にやけににやついている男が一人紛れ込んでいた。そいつは喪服ではなく薄汚れた黒っぽい普段着だった。葬儀場に入らず外から中をうかがっていた。まるで見えていないかのように誰もそいつに中に入れとも何とも言わない。私はそいつをじろじろ見ていたが出棺の時になって出入り口の引き戸が開け放たれた時にはもうその姿はなかった。あれはガラス戸に映った私の影だったのではないか? そんなはずはない。私は前日の夜に伯母の死に化粧された顔を見て最後の別れをした後葬儀場には行っていないのだから。

「わらいぎち」とは時空を超えた永遠の存在であることを私は知った。

千代見草

私の思い出の中には他人が聞いたら吐き気をもよおすような残念だったことももちろんある。あれがすべて現実に起こったことだなどと誰が信じるというのだ。我が敬虔なる信徒は自分しか居ない。夢物語だと思ったほうがまだ救いがある。しかしその中でも何ものにも代えがたい宝石のように美しく輝く大切なものがあった。いや確かにあった。私はいつもそれを探す旅をしていた。その話をこれから語ろう。

私は農家の貧乏人の長男として生を受けた。いわゆる兼業農家で父は警備員をしていてかなりいい役職までのぼりつめたらしいが私が物心ついた頃には偉い人の足に成り下がっていた。米は毎年作っていた。春には筍を採り、秋には松茸を採るほどの山を所有していた。そりゃあなたがたが想像できないほどの自然が子供時代にあったことは私にとって幸運だったとあまり声高には言えない。なぜなら今ではそれを毛嫌いしているからだ。あんなもの人間の生活にはまったく必要ない。少なくともその恩恵を感じ取れなくなった哀れな人外の生活には。ある時から米を一年おきにしか作らなくなった。たぶんそのほうが儲かるからという理由だったのだろうが、その合間のシーズン中に母が菊を作るようになった。家族総出でよく芽かきやしごを手伝ったものだ。市場についていって荷おろしなどを手伝ったこともある。母は冬は裁縫の内職をしていた。私はそれを見ながら石油ストーブで母がこしらえた豆餅やきな粉餅、甘酒──酒粕で作ったものだからか当時は“かすじる”と呼んでいたが今で言ういわゆる粕汁とは違うし、正確には“酒粕甘酒”と言うらしい──を味わった。要するにそれなりに幸せだった。勝ち組負け組などという言葉がまだ世間で流行っていない時代だった。どっちかというと負け組だったんだろうが、いや今思えば確実に負け組だったがそんな意識は私にはなかった。良い時代だった。

ただ私が苦手なことも当然あった。お盆などに親戚が来るのだ。正直連中のことはあまり好きではなかった。来るたびに必ず「勉強しんさいよ」と言うおっさんが居て、今ではその理由はわからんでもないが“的はずれ”であることも多少勉強したおかげで理解することができた。皮肉なもんだ。本当に皮肉なのは彼の二人の息子たちがそろいもそろって高学歴であることだ。だから嫌いだった。他にも嫌なことはあった。数少ない小学校の同級生たちが私を妙に意識してはぶるのだ。これだけは今でも理由がわからない。私はまさかと思ったが理由があるとしたら連中のうちの一人の家に遊びに行った時家の構造を馬鹿にした発言をしたことがある。そのまさかかもしれないと今思いはするがそんなことどうでもいいじゃないか。とくに二階があることをうらやましく思っていたやつの発言など。

他に挙げるなら体育館の出入り口のちょっとした広場で幽霊が出るというウワサ。しかも昼間でも出るらしい。掃除の時間が怖くて仕方なかった。国道に面した常に車の走る音が間近に聞こえる場所であまりにうるさいこともあって私はそこにあまり近づきたくなかった。できて何年経つのか排気ガスで黒ずんだ粗いコンクリートの低い塀で囲われていて何か薄気味悪い場所だった。ちょうど道路がカーブになっていて事故が絶えず、ウワサによればその事故で死んだ人の幽霊が出るのだという。私はその場所に行った時は常にひやひやした感覚を感じた。三週間ぶりにクリニックに行き受付で診察券を出す時とか、スーパーのレジでカードの残高がいくらでいくらチャージすればいいのか訊く時とかに感じる感覚に似ている。それとたまに外食する時とか、つまりあまり慣れていないことをする時に感じる感覚。その感覚があの場所に居る時にはずっと続いていた。いつも逃げるようにその場から離れた。今もその反射行動は変わらない。私は車の通り過ぎる音に幽霊的なものを感じた。いやあの音は幽霊そのものだった。怖くて恐ろしい幽霊だ。だから私は車というものに愛着もなければドライブが楽しいなんて思ったことは一度もない。父がそうだったようにあれはただの足に過ぎない。しかも人を幽霊にさせる可能性のある足だ。

ため池、廃屋、お宮、古墳、焼き場などといった場所も私の恐怖の対象だった。それらがすべて集約された象徴があの体育館前の幽霊だった。音が、しかも車の走る音が幽霊だなんて誰が信じる? 幽霊の声じゃない、幽霊なんだ。もちろん今では“幻聴”という便利な言葉があることを知っている。川や森のざわつく音もそうだ。水の流れる音、木々の葉がこすれあう音、今思えば全部幻聴の前兆だった。普通の人にはそんなもの聞こえやしない。聞こえたとしても空耳か何かだと思って気にしないだろう。盆踊りの太鼓の音、鳥や犬、セミ、コオロギの鳴き声、運動会の時の妙にでかいスターターピストルの音、そしてお仕置きで閉じ込められた蔵の奥の闇の静寂から聞こえてくるカマドウマやゲジゲジ、ネズミといった小さなおぞましい生き物たちがたてる足音とは絶対に違う、かすかでいて強大な力を持つ何か──それは幽霊だ。幻聴は都合のいい医学用語でもあるから厳密に言えば幽霊ではない。あれを幻聴と呼ぶようになったのはもっとずっと後のことだ。私は最初幽霊を目で見はしなかったが聞いた。耳で聞いたと思っていたが実際は耳が機能しているのではなく脳がそれを直接認識しているのだ。だからもし耳の穴をふさごうものなら雑音が聞こえない分よく聞こえるようになるだろう。しかも脳が直接認識するということは目で見ているのと同じ現象が起こる。それを“幻覚”と呼ぶことも後になって知った。脳が見て聞く。それは目や耳のそれとは恐怖の度合いが何倍も違った。とても恐ろしかった。父が酒をやって起こす癇癪など屁みたいなものだった。確かにそれも怖かったがもっと怖いものだった。

当時我が家では犬を飼っていた。名はリキといった。柴犬だった。それ以前にも母が嫁いだ時にはシェパードを飼っていたらしいが残念ながら名を訊いたはずだが失念してしまった。ある日、父が突然リキを捨てた。私は今でもその行動が理解できない。いかれ親父め。私にとって二代目の犬はマルといった。父が動物愛護センターでもらってきた雑種だった。ようやく父に偏愛癖があることを知ったのは亡くなる直前までシロという犬を飼っていたということが動物病院の請求書が汚い郵便物の中から発見され判明したからだ。父は地獄に落ちたらしいことを後で知ったが母子に──もちろん父が畜生と呼んでいた犬にも──暴力を振るうようないかれ親父だったのだからさもありなんだ。私も犬が好きだったが独り身になった今あえて飼おうとは思わない。なぜならまず第一に私はめんどくさがりで自分の世話もろくにできてないくらいだから。次に言うとしたら飼われる犬の気持ちになったらよくわかる。つまりこんな飼い主に飼われるなんてどう考えてもかわいそうだ。なぜそう思うか? 父母が別居して母について行った私はその崩れかけたぼろい家でまた犬を飼ったことがあるからだ。名はボンといい雑種だった。中学、高校と世話をしてやったが隣県の大学への入学をきっかけに世話はすべて母に任せっきりだった。そうこうしているうちにボンの訃報が届いた。大学なんか行かずに一緒に暮らしてやればよかったと今でも後悔している。犬は私のことをずっと見ていた。見てないふりはしていたかもしれないが確実に見られていた。父に思い切り──情け容赦ない一撃だったが──頬を平手打ちされ吹っ飛ばされたことも、母に叱られた腹いせに母が大事に育てていたナスの葉を泣きわめきながら木の棒でめちゃめちゃにしてしまったことも、そしてもちろん虫などの小さな生き物を殺したことも全部。この話をしたのは幽霊を感じ取る力が連中にあったことを言いたかったからだ。犬が誰も居ない方向に向かって吠えたり、何もないのににおいを嗅ぐ仕草をするのはそこに幽霊が居るからだ。そしてその力は彼らを愛した人間に受け継がれる。頭をなでたり、腹をさすってやったり、お手をさせたり、手をなめられた時なんかまさにそうだがそうしているうちに自然に力が私に宿った。幽霊を見聞きできるようになった。これははっきり言って極めて厄介な呪わしい力だった。幽霊が見えて幸せなのは死ぬ直前の人か、あるいは死別した人に会いたいと強く願っている人くらいだろう。私はまさか自分がそういう人になるとはまったく想像もしていなかったが、そうさっきも言ったようにごく自然にそうなった。

私は当時力を得たなどと微塵も思っていなかったし、何か幽霊的なものが見えてもあまり驚かなかった。普通のことだったからだ。ただあの体育館前の幽霊の話だけはなぜか恐怖を感じていた。今思うと幽霊そのものが怖かったんじゃないと思う。理科室を出たところですれ違いに教頭先生が入っていった。こないだ胃癌で死んだあのほりの深い特徴的な顔の先生なのですぐわかる。にやついていらっしゃった。私は内緒で抽斗を開けて見た水晶の標本がどこで採れた物か訊きたかったので引き返した。せわしなく抽斗を開ける音。「先生」「はい?」「勝手に抽斗を開けて見てすみません」「勉強熱心でよろしい」「あの、この水晶はどこで採れた物ですか?」「ラベルに書いてあろう?」「虫が食ってます」「ああ、いかんなこりゃ。たぶんこの辺の山じゃないことは確かだな」窓の外できゃっきゃ言う声がするので見ると小さな子が親に手を引かれ歩いていた。新入生なのかな? 「先生──」と言いかけてそこを見ると教頭先生はもう居なかった。きれいにしまわれた抽斗が静かに並んでいるだけだった。体育館での体育の授業へといそいそと廊下を歩いて出入り口に差し掛かると中からあの教頭先生がお出になった。またにやついておられた。私は頭を下げて横を通った。私は体育館前で出る幽霊があの教頭先生だとは思わなかった。絶対に違うのだ。新しい教頭先生が掃除の時間に箒は立て掛けておいたら倒れるから最初から倒しておけと言ったけど私は箒を体育館の壁に立て掛けて塵取りを取りに行った。帰ってくると倒れていた。私は幽霊の仕業だと直感した。あの教頭先生の幽霊がちょうど通りかかってぶっきらぼうに私に言った。「いいんだよ。風の好きにさせてあげなさい」私は笑顔で答えた。「そうですよね」新しい教頭先生がやって来て倒れた箒を見て言う。「偉くなったじゃないか。わかったか?」「はい」と私は適当に返事をした。

ある日の掃除の時間にまた私はあの体育館前の当番になった。箒を持ち掃くことに熱中していると気付いたらいつのまにか出入り口のところに軍服を着た人が座っていた。声をかけてくる。「おい少年、今何年だ?」「ええと、千九百──」「違う違う、俺が訊きたいのは俺が死んで何年経ったかだ」「詳しくはわかりませんがたぶん40年くらいは経ってます」「そうか、それだけわかりゃ十分だ。あーあ、退屈だな」私はまた箒を動かす。「おい少年、俺が何だかわかるか?」「どういう意味ですか?」「つまり俺はまだ生きている。死んだと思うのは錯覚とか妄想なんだよ」「幽霊だと思います」「ははは、そりゃちょっと失礼な言い方だな。俺が幽霊だって? 確かに腹も減らないし、壁なんかないようなもんだし、好きなところへだって飛んで行ける。執着って知ってるか?」当時私はその言葉の意味を知らなかったので正直に言った。「知りません」「じゃあ教えてやろう。そうだなお前にもわかるように言えば“愛”だ」その言葉もよくわからない。いや正直今でもよくわからない。「あい?」「そうだ、それもわからんか? 俺たちがここに居るのはそのせいだ。お前は何のために生きているんだ?」おおっと、これは難問だ。その質問は今の私にふっかけてくれ。そうすりゃ意気揚々と答える。「わかりません」「俺たちが──お前に言わせれば幽霊の俺たちが生きてるのは“愛を与えるため”だ。怖がらせるためじゃない。よく憶えておくんだ少年」「はい」私は元気よく返事をしたがその時点では何がなんやら理解不能だった。私はまた壁に箒を立て掛けて塵取りを取りに行った。帰ってくると箒が倒れているのは容易に想像できた。途中あの新しい教頭先生に会う。「箒は倒してきたか?」「はい」「ようしそれでいい」箒のところに戻って見ると箒は倒れていたし、あの軍服を着た人も姿が見えなかった。そのかわり体育館の扉を開けてあの教頭先生の幽霊がお出ましになった。「心はわかるよな?」「はい、なんとなく」「愛は心だよ」「はい」私はまた元気よく返事をしたが本当になんとなくしかわからなかった。教頭先生の幽霊はそうぼそっと言って廊下を歩いて行った。

音楽の時間にどうしてだか忘れたが二つ席が空いていてどちらか一方の女の子の隣に座らねばならなくなった。先生にどっちにするか決めなさいと迫られて好きな子じゃないほうの席を選んだ。「ほら、やっぱり好きなんよ」と好きな子が好きな子じゃないほうの子に言っている。好きとか嫌いとかはどうでもいいんだよ。少なくとも性別関係なく人間不信のやつにとっては。この辺りから私の偏屈さは頭角をあらわしていたのかもしれない。なんでそうなったか今思えば全部あいつら同級生のせいだ。いや種を蒔いたのは自分か? たとえそうでもそうは思いたくなかった。誰だって自分は悪くないって思いたいはずだろ? そうとも、私は悪くない。ただ罪悪感が当時からずっとつきまとっていた。自慰行為をしたからに違いない、女の子を蔑ろにしたからに違いない、そして幽霊が──見えなくなったからに違いない。廊下で教頭先生の幽霊とすれ違う。「あ、きみ」「はい?」「箒は倒しておかなくていいからな」「はい」先生は鼻歌を歌いながら後ろ姿を見せた。ちょっとスキップしていて背中で笑っているのがわかった。「あ、あ、あれは、風のせい! ふん、ふん、ふふん!」私が次にあの体育館前の掃除当番になったのはもう小学校高学年と言っていい時だった。いつものように竹箒で掃き掃除していると気付くとまたいつの間にか出入り口のところに一人のかなり歳のいったおばあさんが腰かけていた。そして当たり前のように声をかけてくる。「あんたお宮へ行くのはええがあそこ崩れるけん通りんさんなよ」「ああ、あっくんちのおばあちゃんですか?」こないだ母が葬儀の手伝いに行ったのを憶えていた。「そりゃどうでもええけえ。それよりあんたマキちゃんが好きなんじゃろ?」なんだいこの年増のお節介ババアは、と私は当時幸いにも思わなかったがそれと非常によく似た感想を持ったのは確かだ。「いいえ」私は言った。「うそ言いんさい、顔に書いてあるがね、はは! いいかい、今から呼んできてあげるけえうまくやるんよ」「あ、あの、ちょっと!」トラックがクラクションを鳴らしたのに驚いて道路を見ると何もなかったが振り返って見るとおばあさんの姿はなかった。マキちゃんが箒を持ったまま小走りにやって来た。「どしたん?」私が黙ってもじもじしているとあのおばあさんの声が車のうるさく行き交う音の中でもはっきり聞こえた。“キスしよう?”あの変態ババア! 例によって当時の私はそう思わなかったがそれに似た感想を抱いたし、ババアがキスくらいいいじゃないかと言うし、頭の中にはその言葉が繰り返し連呼されていた。私は持っていた箒を地面に放り投げマキちゃんの両肩にそっと両手を置き、そしてほんの軽く優しくほっぺたにキスをした。私はマキちゃんも私のことを好いてくれているのを知っていた。だから応えた。もういいじゃないかこれくらいで。ババアの笑い声がこだまする。しかし嘲笑ではなかった。祝福するかのような優しい笑い声だった。マキちゃんは顔を赤らめて言う。「ありがと」そしてまた小走りに向こうへ行ってしまった。ちょっと待った! これは現在の私の甘過ぎる妄想だ。しかもありがとなんて言われるわけないだろ、このタコ! しかし妄想は現実でもあった。また体育館の扉を開けて教頭先生の幽霊がやって来て通り過ぎながら言う。「いいんだよ、それで」私はその一言がどういう意味か独り身になった今でもわからない。たぶん一生わからんだろう。

幽霊が見えなくなったのは小学校を卒業してからだった。どのみちあの場所に行くことはもうないだろう。中学に入るとしばらくして父母が別居し始め私は母について行った。友達ができそれなりに楽しかった思い出がある。しかしここでは幽霊の話に戻ろう。再び幽霊が見えるようになったのは大学三年生の終わりだった。ちょうど水がぬるみ始める初春の頃だった。私はどうしてもあの教頭先生の幽霊をもう一度見そして会話がしたかった。アパートで独り暮らしをしていた私は悪口雑言に耐えきれずあの優しい声が聞きたくなった。慈愛に満ちた言葉が心底聞きたかった。私は常に耳を澄ましていた。アパートの薄い壁に耳を当ててみたこともある。そして春休みに実家に帰った時にとうとうその姿は見え、声が聞こえてきた。しかし、あの教頭先生の幽霊ではなかった。男女二人の幽霊で私の悪口ばかり言っている。母に連れられ最初小さなクリニックに行ったり、駅裏の鉄道病院に行ったりしたが、結局紹介状を書いてもらって国立の結構大きいサナトリウムに行き着いた。すぐに診てもらい──会議があるからちょっと待ってと言う医師に母が強く抗議しそれは実現したのだが──、筋弛緩剤なのかなんだったのか知らないが肩に注射を打たれて腰が抜けてしまいそのままベッドで二日間眠ったままだった。病院食はまあまあおいしかった。窓に鉄格子がはめてあるのには暗鬱な気分にさせられたがその他は別にどうってことなかった。相部屋だった通称クマさんが昼間に必ずラジカセで「だんご三兄弟」を爆音で聴いていて昼寝ができなかったし、夜は夜で奇怪な叫び声が聞こえたりして普通なら余計頭がおかしくなると思うけど私はうるさいなとは思ったけど別にどうってことなかった。あの蔵の奥の闇や体育館前の幽霊の話それからため池やお宮や諸々の恐怖に比べたら何のことはなかった。クマさんはまるで熊のように体が大きくそれに合わせたような朴訥な性格だったけど優しい人だった。ここは結構長いらしい。ある夜トイレから帰ってきて病室に入ろうとしたらあの教頭先生の幽霊が病室から出て来られた。あのほりの深いにやけた顔で私の顔を見て開口一番夜だからか少しトーンを下げてこうおっしゃられた。「あ、お久しぶりです。元気?」「はい」私は声をあげないよう口を両手で強く押さえ、目に涙がにじんでくるのを感じながら返事した。「ああ、よかった。入院したってのを聞いてね、飛んで来たんだよ」クマさんのだんご三兄弟コンサートが爆音で始まった。隣のじっちゃんが分厚い布団をかぶったまま珍しく声をあげる。「おい、クマ! うるさあ!」「へい」ボリュームを下げるクマさん。「あはは! 楽しそうじゃないか。ねえ?」教頭先生の幽霊が言う。「どこの人?」クマさんが先生に訊く。「は、ワタクシ小学校の教頭をしておった者です。彼は教え子であります」「あっそ」クマさんはそれ以上何も言わなかった。「うるさあ!」じっちゃんがまた布団の中から叫ぶ。私は涙が止まらなかった。「泣いてる場合じゃないぞ。大学あと一年頑張らんと」「はい」「うるさあわあ! はよいね!」じっちゃんがいらついているようだ。「あはは! じゃあ私はこれでね」廊下を行く教頭先生の幽霊のうしろ姿。ちょっとスキップしていて背中で笑っていた。階段へ続く戸はすでに施錠してあるはずだ。ベッドに入ろうとしてそれを思い出した私は先生の後を追おうとしたが思い直した。だって幽霊だぜ? 壁抜けはできるし、空も飛べるし、行こうと思ったところへはどこへだって行ける。突然ある疑問が浮かんだ。なぜ先生はここに来たんだ? 私はあの問いを思い出した。“何のために生きている?”──執着、愛、心──忘れちゃいない。先生にそれらがあったのか? 幽霊に? いや逆だ。執着しているのは私だし、愛しているのも、そして心があるのも、この私。そのことに気付いたから、今日は深く眠れそうだ。

退院した私は大学を無事卒業して何年か経った後にもう一度入院することになったが一週間くらいで退院した。病院が嫌で嫌で仕方なかったのだ。しかしこの時は退院するのと同じく自ら進んで入院した。教頭先生の幽霊に会いたかったからだ。病院は前と違うところだったが相変わらず病院食はまずくはなかった。過不足ない普通のメシだった。相部屋のやつが私が読んでる雑誌がエロ本であるという妄想を抱いていて──実際はオカルト雑誌だったが──事あらば隙を狙っていた。ある日私はその雑誌をベッドの上に置いてトイレに行くふりをして出入り口のところから顔を半分のぞかせて見ているとそいつが素早く私のベッドのところに行き雑誌をじろじろ見ていた。触りはしなかった。ただつっ立って表紙を見ていた。やっぱり狙ってやがったなと私は思ったが何食わぬ顔でベッドに戻り雑誌を広げた。がっかりさせてすまんなと心の中で言ってやった。そいつはそれが聞こえたのか知らないがはす向かいのおっさんに「脱走しようか?」とか言っていたがどうだか。私の担当のワーカーさん──いちいち余計なことに首を突っ込む人というイメージしかないが──は就職したての若い女性で私より背が高かったがなぜかいろいろと声をかけてくる良く言えば気さくな人だった。ある日その人が病室に入って来て寝そべって文庫本を広げている私に話があると言って座らせた。その人は隣に座ってもいいかと私に一応訊いて私が生返事をすると私の隣に腰をおろした。ベッドに若い女性と二人きりで? こんな経験は初めてだったので突然心臓がばくばくしだした。話は年金の申請手続きのことだったが私はまともに聴いていなかった。その人が私の読んでる小説などに関するどうでもいい話を終え病室を出たところで壁越しだったが私には見えた。「あなたも大変ねえ。あの人べたべた触ったりしてくるでしょう?」「いえ、何も。話をしてるだけです」「あらそう、気を付けなさいよ。何されるかわからないわよ」「そんなことないです。彼は真面目ですよ」「男なんてみんな一緒だから。とくに頭のいかれた男はね。向こうの奥の部屋に若い娘入ってるでしょ? ウワサじゃあの娘を狙ってるらしいわよ。だから今隔壁工事してるの。あなたも知ってるでしょ?」「ええ、でも彼は大丈夫ですよ、そんなことをするような人じゃない」あのねえ、全部聞こえてるんですけど。私はその場に登場しようかと思ったが、あの看護師は間違いなく悪い霊だ。私がワーカーさんのことをかわいそうに思ったのはあれが最初で最後だった。あの娘は髪の長いまあ見られた面だったが若い男の看護師と親しく話をしているのを見ても私は別に何とも思わなかったし、食器の片付けの邪魔だからどけくらいしか思わなかった。廊下で目が合ったことがある。看護師のおばさんに肩を支えられながら廊下に出て来たその娘は私の目を見て「あ、やっぱり!」とか言っていた。たぶん同じ力を持っていることがばれたのだと思うが当時私はそんな連中と仲良くなろうとは思わなかった。退院する二日前の午後、母に迎えに来てくれるように頼むために公衆電話をかけた。話が終わりかけた途中でテレホンカードの残高がゼロになっていることに気付いた。もう少し話したかったので十円を探そうとポケットの財布に手をかけたその時、横の休憩所の中から怒号が聞こえた。教頭先生の幽霊だった。あの看護師の幽霊に忠告していた。「いいか? 絶対に彼に近づくな!」「言われなくてもそうしますけどね」「気に食わんなその態度! どういう教育を受けてきたか簡単に想像できるな!」私は言った。「先生!」「ああ、変なところを見せちゃったな。まあ、気にすんな」「ありがとう、ございます」私はもう少しで声をあげて泣き出しそうだったが強く両手で口を押さえこらえた。「彼女ワルだから関わらないほうがいい。さ、部屋に行こう」私はベッドに座り、今読んでいる文庫本の紹介をしようと思って本を手に取り向き直ると教頭先生はもう居なかった。

幽霊は見たいから見えるのだ。そう信じていた。なのにどうしても母が見えない。もう一度犬を飼おうかと思ったが幽霊を見るために? ぷっ、ありえない。馬鹿げている。しかし本当にそうしたいんならするはずだ。無理して入院したように。しないということはもう見たくないと思っているからではないか。教頭先生の幽霊もあれ以来現れない。幽霊と幻覚、幻聴の相関関係は普通は平行線だが幸か不幸かそれが人生の一時期とくに若い頃に交わってしまう人が居る。その人が体験したことはすべて妄想だと言えるのか? 健常者と呼ばれる人たちが把握している現実だって似たようなものじゃないか。自分じゃそうは思ってないが私はずいぶん歳を食ってる。あの力は歳とともに衰えてしまったのか? 将来幽霊が見えるサプリメントが発売されたら財を投げ売ってでも買うだろう。麻薬や覚醒剤なんかは勘違いだ。あんなもので幽霊が見えたと騒ぐやつが居たらそれこそ閉鎖病棟にぶち込んどきゃいい。幸いなことに見えなくする薬もしこたま開発されている。しかし私の幽霊が見えなくなった理由は決して老いや飲んでいる薬のせいなんかじゃない。そう、──執着、愛、心──これらの力が単に弱くなっただけだ。いつでも取り戻せるとは思わないし、それどころか遠ざかっていく一方だ。ただ、努力はしたい。「いや努力なんて抽象的でガキくさいことじゃなく、少しは自分で決めたことを実行したらどうなんだ?」今あの教頭先生の声がした。幽霊はまだ見える。そう言えば母の声も聞こえるし笑顔だってはっきり見えるじゃないか。力があることを忘れちゃ宝の持ち腐れだ。

ある日玄関前の鉢物に水をやっている時「こんにちは」と言う男の声がしたのでその方向に向き直ってみると教頭先生の幽霊がちょうど紳士帽をとって会釈したところだった。確かもう何度も言ったと思うが幽霊は昼間にも出るのだ。「先生、母に、母に会わせてください」「いいですよ、お望みとあらば」先生は右手を挙げて指ぱっちんをした。うしろで私の名を呼ぶ聞き覚えのある優しい声がした。振り返って見ると母だった。「かあさん」「向かいの家がくさいけん、家ん中入って戸閉めようや」私は幽霊でもにおいを嗅ぎ取ることができるのかという変な疑問を抱いたがまあいい。「うん」先生もどうぞと言おうとしてそっちを向くと教頭先生は居なかった。自分の遺影をまじまじと見ながら母が言う。「あの写真使ったん?」「うん」「ええじゃん」「お茶でも飲む?」「ああ、ええんよ、そんなことせんで。のどかわかんけえ。ぜんっぜん苦しみがないんよ」「そりゃいいねえ。よしおばちゃん元気?」「元気よねえ、ぴんぴんしとる」「呉のおばちゃんや東京のおじちゃんは?」「もちろん」「今日先生に連れて来てもらったのはね、あんたもう死ぬけえ迎えに来たんよねえ」私は別に驚かなかった。「なんだ、そういうことか」「玄関の鍵開けとかにゃ」「そうじゃね」「それから──」「僕まだ生きとるよねえ?」「うん、まだね」「お茶飲んでくるわ」私は台所に行き冷蔵庫を開け2リットルペットボトルに入ったよく冷えた烏龍茶をラッパでがぶ飲みした。ほとんどやけだった。こぼれてTシャツが濡れた。冷たいと思うということはまだ生きている。仏間に戻ると母はもう居なかった。でも寂しくはなかった。だってどうせすぐ会えるのだから。母が仕事に行ってる間会えなかったのに比べればずっとスピーディーに。しかし待てど暮らせどその兆候がない。おかしいなと思っていると玄関ベルが鳴る。「開いてますよ!」「あら? おってんないんかしら」と言う声。「開いてますって!」そろりそろりと戸を開ける民生委員のおばさん。「下水道工事のねえ──」私は玄関に行こうとして自分の死体を踏んづけてしまったが足裏に感触はなかった。それが目に入ったおばさんが言う。「ひっ、し、死んでる!」思った通り死体の第一発見者は民生委員のおばさんにめでたく決定した。私は自分が死んでいることに気が付かなかったがこんなものなのだろうか? 弟には私が死んだら火葬式だけしろと言っておいたのでその通りにしたようだ。弟と何か話そうかと思ったがあまりにもこっち──火葬場の待合所の隅の椅子に座って頭をかいたり手のひらを見たり暇そうにしている私──を冷ややかな目で黙ってじろじろ見やがるので気分悪くなってやめた。弟とは人種が違う。私はしばらく元居た場所で暮らした。なるほど腹もすかないし何の苦しみもない。あの軍服を着た人の気持ちが大体わかってきた。退屈なのだ。お盆に玄関ベルが鳴ったので出て見ると母だった。「あんた何しょん? はよ来にゃあ!」「どこ行くん?」「天国よねえ!」「母さんいっつも天国からきょうるん?」「そうよ」「うそお、だって死んだら無じゃようたじゃん」「わたしら犬触ったろうがね。じゃけん特別なんよね」「めんどくさい。僕ずっとここにおるわ」

かくして同居人との生活が始まった。まだ若い女だったがあれこれと私ならやらないようなことをしでかすけしからん女だった。私はずっと姿を隠しているつもりだったが女が犬を飼いだした時点でヤバイと思っていたら案の定見つかってしまった。ある日彼女が朝起きたら部屋の隅に人影があった。私だった。女が大声をあげるかと思ったが開口一番こう言った。「だっさ!」私は腹が立った。「おい幽霊に向かって失礼だぞ」「はっ、今時幽霊なんて流行ってんの?」「流行ってるとか流行ってないとかの問題じゃない。これは執着、愛、心が見せる──」「はいはいはい、朝っぱらからキーキーうるさいんだよ。あたし低血圧だから。あーあたしもとうとうメンヘラか。心療内科行かなくちゃ」「あ、それならいいところ紹介してあげよう、僕の行ってたとこ」「げえ、メンヘラの幽霊マジダサい」「幽霊にメンヘラもクソもあるか!」「だから黙れ。遅刻する。ミミちゃんにご飯あげてくれる? それからお散歩も」「おい、僕をこき使う気か?」「どうせ前住んでた人でしょ? 住み続ける気なら当然のことはしてもらわないと、家賃も割り勘じゃないんだし。ちょっと着替えるけど見ないでってか今までもしかして見てた?」「別に女の裸なんて今更どうってことないから」「サイアク」「ささ、どうぞお気兼ねなく」「南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!」「うう、成仏しそう!」「りん、ぴょう、とう、しゃ、かい、じん──」「苦しい! やめろ! ってアホか」「のりつっこみー! って古いわアホ」「向こうでも向いておきましょうか?」「幽霊だと思うようにするからいい」「だから幽霊だって」

彼女は心療内科に行って診察室で医師に言った。「幽霊が見えるんです」医師は言う。「ああ、その手の病気だったら薬で何とかなりますから」「え、治るんですか?」「ええ、治りますよ。安心してください」彼女が部屋に帰って来る。「ミミちゃんの世話全部しといたから」「蟻が十匹ありがとう!」「なに? 調子いいじゃん」「じゃーん!」「ああ、薬? あそこ行ったの?」「治るって」「へえ、医学の進歩は早いねえ。よかったじゃん」「あたしどうしようか悩んでる」「何を?」「このままあなたをこき使うのもいいかなって。そう言えば名前は?」「え、タケシ」「はじめましてタケシ、あたしは──」「ミサだろ」「ああ、幽霊だもんね、何もかも知ってるってわけか」「こき使うって、まあ、確かにヒマではあるけど」「じゃあ、ずっと居て、お願い!」顔の前で合掌するミサ。「僕厳密に言って仏教徒じゃないからね」「いいじゃんヌード見れるんだし」「だから女の裸なんて──」「はいはいはい、決まりい!」

私は彼女の守護霊になった。かつてあのほりの深い顔の教頭先生が私の守護霊だったように。ある土砂降りの日に彼女が傘もささずずぶ濡れで帰って来た。「はいはいはい、風呂沸かしてあるから、すぐ入って、風邪ひくからね」いつもの明るいミサじゃない。うつむいて床にへたり込んだままだ。「どったの?」「母さんが癌だって」「ああん、そういう話ね。何と言ったらいいか、とりあえず元気出せよ。てか僕が治してあげようか?」「できるの?」「前にちょこっと言ったと思うけど、執着、愛、心、僕の中にあるこれらがちょっと減るくらいだね」「そしたらどうなるの?」「ん、たぶん、消える。いいだろ? 着替えの最中に視線を感じることもないし、幻覚なみの禍々しい姿を見ることも、幻聴みたいなこのろくでもない声を聞くこともない。君にとっては何の害もない。ただ──」「ただ、なに?」「とっとと風呂に入れ。話はその後だ」風呂から上がったミサは冷蔵庫からビールを二缶取り出しそれを持って部屋に戻った。「僕の分は要らんよ」「一人で二缶飲むの」「あ、こりゃ失敬。まあなんだな、生きてても死んでても一緒とは言わんよ。それに生きてるほうが喜びを味わえるからね。たぶん君が生まれた時お母さんは喜びを感じたんじゃないかな」「あなたもしかしてあたしが悩んでるとでも思ってるの? あなたの存在より母さんのほうが大事なの」「じゃあ決まりだ。今から行ってくるよ」「場所は──」「大丈夫、君の頭の中をのぞかせてもらうから。短い間だったけど邪魔したね」「さよなら」私はミサの頭の中をサーチした。ああこの病院なら知ってる。ん? 何だこれは? 輝いてる。 また厄介なことになりそうだ。とりあえずお母さんの癌を取り除くとしますか。よっこらせと。

雨上がりの清々しい朝だった。彼女がむっくり上体を起こすと部屋の隅に見覚えのある幽霊が居た。私だった。「やあ、起きた?」ミサは私のところに来て抱きつこうとしたが無駄だった。布団を引っ張ってきて私の姿に重ねると思い切り抱きしめた。「君の中にも執着と愛と心があったってこと。僕が教頭先生たちの幽霊を何度も見たのと同じことなんだよねコレ、たぶん」「教頭先生?」そこで初めて私は他の人間に事の全容を話すことになった。しかし私はそれからも毎日こき使われることになった。犬の世話に身辺警護、ドタバタの毎日。私はそれでも楽しかった。彼女に生きている彼氏ができた時、私は彼女には見えなくなった。しかしまた呼ばれそうな気がしていた。たくさんの犬たちが走り回る待機所で教頭先生や母や伯父伯母、それから軍服の人やあっくんのおばあちゃんなどと談笑しながらそういうめんどくさいことが起こらないようにと祈った。するとご賢察の通りお呼びがかかった。くそっ──。教頭先生に何度も呼び出したことを詫びつつもまた私はミサのところへ行った。

「こんばんは」ミサはもうよぼよぼのおばあちゃんだった。仰向けで寝ていたミサおばあちゃんは私が病院の殺風景な薄暗い天井の隅にさかさまに座って片手を挙げて挨拶したのを見て涙ぐんでいた。そして震える声でこう言った。「お迎えにしちゃ遅いじゃないの。電車に乗り遅れたの?」「まあそんなとこ。久しぶりだね」「あたし待ちくたびれちゃってあちこちが痛いのよ」「大丈夫、すぐに苦しみのない世界へ行けるから。大丈夫」私はミサをお姫様だっこして連れて行った。風に乗って地球の昼間の部分の空を飛んでいるとミサはみるみる若返っていった。私の右手とミサの左手をつないだ時にはもうすっかり出会った頃の若々しいミサになっていた。眼下の素晴らしい風景を見ながら彼女は言う。「すてきねえ」「さあ、そろそろ行こうか」「うん」

私たちはあのたくさんの犬たちが走り回る待機所、通称“天国”に着いた。「お帰り!」みんなが出迎えてくれた。「あたしこれから何すればいいの?」私にミサが訊く。「のんびり待ってりゃいいだけさ、お呼びがかかるのを」「あたしそんなデリヘル嬢みたいなことしたくない」「じゃあ現世に居たっていいよ。どこに居たって一緒さ。ところで僕たち結婚しない?」「え、あたし結婚したのよ、孫も居たの」「現世ではね。ここでしたっていいじゃん。しかもここではプラトニックだ。面倒なことは一切ない。どう?」私たちは結婚式を挙げた。いろんな人に祝福されて私たちは幸せだった。私たちは天国の一隅で畑を耕し野菜や果樹を育てた。種や苗は天国にあるホームセンターでもらい──天国のいいところはカネというシステムがないことだ──、畑に植えた。気候もほどよく日光や雨もちょうどいい感じで病気も何もなく、もちろん人間も病気になることはないし、怪我をすることもない。腹が減るわけではないがたまに採れた野菜を料理して食べてみる。実に美味だった。料理に関してはホームセンターとスーパーが一緒になったようなところからいろいろもらってきた。鍋、フライパン、調味料など何でもそろっていた。炊事場もあったし、電気、ガス、水道はもちろん電化製品などもそろっていた。そこに居るみんなで食事会をしたりして楽しくやっていた。私たちは幸せだった。そんな時だった。私にお呼びがかかった。「あなた、気を付けてね」妻に手を振られ出稼ぎに出る男の心境だった。

西暦何年か忘れたが現世では恐らくかなり時間が経ってるはずだ。あらゆるものが目新しかったが人間の暮らしの基本は変わっていなかった。食って寝て排泄する繰り返しだった。私はなぜかかつてのコンビニ店のようなところに呼び出された。野球帽を斜めにかぶったいかにもヤンキーですといったふうのチャラそうな若造がビールコーナーの冷蔵庫の扉を開けたところだった。こいつになんで呼ばれたんだ? 私にしてはちょっとわからないことが多かったがまあそいつの見えるところにふわっと現れてやった。ビールを取らず口を半開きにしてゆっくり扉を閉めながらそいつが言う。「──ちわ。知ってます。幽霊でしょ? 旧世紀では結構もてはやされたみたいっすね」「お前が呼んだんだろ?」「あ、そうでした。はは、やっぱりか、なるほど」「もう帰るぞ。こっちゃ忙しいんだ」私は馬鹿にされているような気がしていい気分じゃなかった。「オレ、癌なんです」「治してくれってか?」「いえ、いいんです。オレもう死にたいんです。だから──」「は?」「だからもう連れて行ってください。お願いします。この通りです」そいつはその場に土下座した。誰も居ない方向に向かってしゃべり土下座するそいつを店員がぼうっと見ていた。「お前の頭の中をサーチしてないからまだわけがわからんが、死にたいって言うなよ」「何のために生きているのか?──オレには何もない。だからいいんです。お願いします」「僕たちだって生きてるんだよ。お前らは死んだと思ってるんだろうけど。天国で一生懸命生きてる。ただお前らの世界のような苦しみがないだけ。それが魅力的に思えるのはわからんでもないよ。でも少なくとも現世では精一杯生きる必要がある。でないと天国には行けない。あと犬を──」「こっち来てください」コンビニのような店の外にそいつは出て行った。壁を抜けるとところどころ錆びた薄汚いママチャリがあった。そいつはそのややいびつなカゴの中の毛布をまさぐり中から一匹の動物の子を取り出す。「こいつを見て! イヌ」私はバカかと思った。にゃあにゃあ鳴いている。子猫だ。「それは猫だよ。猫じゃダメだ、犬じゃないと」「ええ?」私はなんで猫好きのやつに呼ばれたのか見当もつかなかった。「ネコ?」そいつは大粒の涙を流しながら声を上げてわんわん泣き始めた。うん、今深夜かな。近所迷惑だからやめろと私は思った。「おいおい、お前──」「勘違いなんかじゃない! オレがこいつに名前を付けた! イヌだ!」私はもうどうでもよかった。「いいよ、それで。お前の癌は取り除いてやる。だから精一杯生きろ。その猫のイヌと一緒に」私はまたそいつの癌を取り除いたことによって消えることはなかった。天国に戻ると猫が居た。「え?」「あなた、猫もかわいいわよ」あいつが天寿をまっとうし死んだので天国に連れてくると真面目になるからあなたの子にしてくださいと言い出した。別に断る気はなかった。こうして私には息子までできた。こんなに幸せなことはなかった。

死んだのに幸せになっていいのだろうかと私は一瞬思ったがまさか転生した人の記憶の奥底に天国のことが刻まれていて無意識に求めてしまうのではないかと勘繰ったが幸せな日々を送っているとそんな誰かの奸計もどうでもよくなってくる。輪廻転生が本当の現象ならいずれまたあのつらい思い出しかない現世での生が待っている。また犬を飼えばいい。そうすれば少しはましになる。もちろん猫でもウサギでもトカゲでもカメだっていい。何か生き物を飼えばまた天国に行ける。何のために生きているのか? 執着があるため、愛を与えるため、心を理解するため。しかしその繰り返しが何のためなのかそこまではさすがにうかがい知れない。一つ仮説を言っておこう。我々は繰り返しの中で何か大切なことを学ばなければならないのだ。

無駄な握手

年寄りというのはたいてい独りよがりじゃないか、他人のことを考えない、口をついて出るのは自分のことばかりだ。それは歳を重ねた者が必ず落ちる陥穽なのだ。落とし穴トラップで捕まるオサムシよろしく、老いに捕まった者が必ずやることだから別に独善というわけではない。ただ誰もが子供のそれと比べてはるかに罪深いと思ってしまうのはどういうわけなのだろうか? あの息子が勤めをしていない理由を知らないとでも? 子供たちにいつも歩いてるなと後ろ指を指されている理由も。解体工事をしている卑俗な工務店の連中にさえ不審者扱いされている理由も。コンビニの若い女性店員に淡い好意を抱いている理由も。そして独り暮らしである理由も、全部知らないとでも? ごもっともだ、知るはずがない。しかしなぜか解っている、知っているという思い込みから、なぜ解らないのだ、なぜ知らないのだという誤解が生まれ、やがて老人はすべて独善でものを言うという神話となるのである。

ここにいい例が二つある。私は母が治るものだと信じていた。卒中で倒れたにせよ、ここは病院だし、手術もした。なんのことはないと。母と仲の良かったおばさんが──実際はおばあさんと言っていい年齢だったのだろうが見た目も確実にそうだった──ドレーンが取れたからもう大丈夫だと言って私と握手を迫った。私はババアと──そう呼んでいい理由は事あるごとに話したが今私が思うに要はその程度の人だったんだと思う──握手なんかしたくねえよと一瞬思ったが言われるがまま差し出された意外と気色のいい手を握った。笑顔で。その時私の中にある嫌な予感がよぎった。そんなにうまくいくはずがないと。案の定、母は重篤な脳梗塞と感染症を併発し、帰らぬ人となった。私にはあのババアが死神に思えて仕方なかった。いつも黒っぽい服を着ていて大鎌は持っていないかわりに日傘を持っていた。ここではっきり言おう、握手をしたことが無駄になったのはあのババアの完全なる独善のせいだ。子供のそれと比べてはるかに罪深い。なぜそう思うか? 母が死んでしまうと微塵も思っていなかったとでも? 私は常に疑っていた。横になっている母に好物のプリンを食べさせたり、夫に母の足をマッサージさせたり、私はそれらを横目で見ながら疑っていた。死ぬとわかっていたんだろう? どうなんだ! 落とし穴の中の老人にはその声すら届かない。あの人たちにも必ず終わりが来る。そして私にも必ず──。

もう一つは父方の義理の伯父が二十数年ぶりに父の訃報を携えてやって来たときのことだ。やけに首が痛いことを主張する割に口調ははきはきしていたが要は田舎に戻れという話だった。話を聞いていると何もかも自分の思い通りにしたいのだなとすぐに勘付いたが気付いた時には握手をさせられていた。自分の優柔不断さには心底嫌気がさすがそれ以上にこのジジイの──そう言っていい理由もたしか何度も述べたと思うがこの場合も“その程度”という意味でしかない──強引さにも腹立たしいものを感じる。玄関わきの小窓から「ここじゃ話になりませんね」と腰低く言ったつもりが「ならん!」との一声で家に上がってもらうことになったことからもその厚かましさがうかがえると思う。田んぼを果樹園にしろだの、近所に挨拶をしに行けだの、いい加減にしろよ! そう言いたい気持ちが後から後から湧いてきたがこらえた。しかも家土地が競売にかけられていたのを買い戻しやがったんだぞ。まったくこれほど“余計なことをしやがって!”とどやしたくなったのはおそらく人生初だ。おかげで大幅に私の貯金が──父が亡くなったことで母の共済金が下りたにせよだ──目減りするハメになったことを考えればどんなに馬鹿馬鹿しい握手であったか。それにカネ云々は毎年の固定資産税と毎月の何に使われているのかわからない電気代もあり、思い返すだけで脳の血管がぶち切れそうだ。

──“こいつら”と呼ぶ権利は十分あると思うがなんなんだ一体? 握手すれば何でも済むと思ってやがるのか? ありがたいことにこっちには軽々しく握手するもんじゃないという原則が出来上がったがね。いや、この先の人生で握手をすることは二度とないと言ってもいい。握手と言えば小学校の卒業式の日に一部の後輩の女子と言ってもその二人しか居なかったのだが恒例の握手の儀をしてくれなかった思い出と、中学生の時にかたくなに腕相撲をしたがらない同級生が居た思い出とが呪いのように私の中に存在している。連中が握手をしなかった理由が今頃になってわかった。多くの場合そうであるように握手は一種の契約だ。安易にしてはならない。しかしそれを反故にしていい確固たる理由さえあればキレイに解消だ。理由1──母は墓の中で白い物体になって壺に入っている。理由2──前妻の子供が居るから法律上の相続は困難になっている。腹立たしいのは間違いない、しかし、握手の意味は消えた。

真心の君

彼女は可もなく不可もない見た目はごく普通の若いOLだったがあれ以来どうしても自分が普通だとは思えないでいた。キスをした直後、相手が心臓発作で帰らぬ人となったことがもしその理由であるなら彼女にとっては絶望に等しかった。だって、恋をするからにはキスは必ず行うべき大事なイベントではないか。確かに相手がただ自分の欲求を満たすためだけに行うのであれば唾棄していい。しかしあのとき彼の愛を感じたのは確かだった。それなのに。彼女の頭の中で口々にしゃべりだす彼女たち。「カラコンでイチコロだなんてちょろ過ぎよ」「今どきカラコン詐欺を知らない男が居るとはね」「眉毛は書いてるし、ほっぺたはチークだし、まつ毛は付けてるだけ。一生騙されていればいいのよ、畜生野郎は」──でも。「何よアンタ、メイクぐらいしなさいよ」彼は私のことを愛していたのよ。「バッコーが愛なんて知ってるはずないじゃない」「騙されたのよ」「いい気味じゃない、所詮その程度よ男なんて」彼女はあのショックから心が回復しそうもないのに意地悪な連中にあおられてイリテイトがプラス傾向になったことを瞬時に把握したがなんとかその場はしのぐことができた。昼休みに社を出てコンビニに行くといつもの兄ちゃんがレジ番をしていた。サンドイッチと野菜ジュースを持ってレジに行くといまいましいことに彼女たちが騒ぎ始めた。「ほら、あのいやらしい目つき」「こっちから言ってやりなさいよ、あんたには興味がないって」「ワンチャン狙ってるのは確かね」彼女はその声に耐えながらプリペイドカードをかざす。脳内では何事も起こっていないかのように装って。「畜生野郎の夢なんか期待したって無駄よ、どうせたいしたことないから」「それにあっちのほうもやり方知らないんじゃない?」「ようこそチェリーボーイ!」「あら、練習はしてるようね」彼女はイリテイトの至極簡単な理論が理解不能なほどのメーターの異常値を感知した。使い古されてもう目新しくもない言葉で言うなら要するにキレたのだ。「もういい加減にして!」いきなり全力の金切り声を至近距離で聞かされたレジ番の兄ちゃんは危うくおかしな声を上げそうになったがなんとか自制することに成功した。そしてにっこりして言う。「踊りたいんでしょ?」彼女は一瞬何のことか把握できなかったがよくよく考えると確かに踊りたい気分であることに気付いて彼に訊いた。「どうしてそれを?」彼は黙ってカウンターを回って彼女のところへ来て言う。「わかるんです。僕とチークダンスしましょう」二人はギャラリーの見守るなか頬と頬を寄せ合い踊った。そのときの彼女には確かにフレッド・アステアの「チーク・トゥ・チーク」が聞こえていた。レジ前の一角はまるで二人だけの貸し切りのダンスホールだった。彼女たちが言う。「キスしちゃいけないよ」「キスはしちゃいけない」「キスは絶対しちゃいけない」彼が言う。「チークダンスはキスをするものじゃない。だから安心して」彼女たちが言う。「どうせすけこましでしょうが!」「ワンチャン狙いの!」「畜生野郎!」彼女はかすかに救急車のサイレンの音がすることに気付いたがそんなことはどうでもよかった。気付くと頭の中を混乱させる模様のある天井を見ていた。「ほら起きた起きた!」「なに仕事さぼってやがる!」「昼休みは終わりだよ!」そう言う彼女たちの声がまだ聞こえたが前よりは力が弱い。それにどうして? 私、お昼寝でもしてるの? 彼女は上体を起こそうとしたがひどく重たかった。どう頑張っても無理な行為であることを認識しひとりごちた。彼女はしばらく眠っていたことに気付きあわてて起きようとしたが体がいうことをきかなかった。カーテンを開ける音がして瞳に愛をたたえた男が現れたときには正直なところ神かそうでなければお迎えの人だと思った。「起きた?」彼はなぜか神々しくも見える白衣を着ていた。彼女たちがざわつく。「ほら来なすったよ新しいのが」「アバンチュールはいかが?」「何よそれ?」「ワンチャンの別の言い方」「あらそう意外とかしこいのね」彼はわけ知り顔で言った。「晩餐会に遅れるよ」彼女は訊いた。「え? もうそんな時間? 私今まで──」彼が言う。「踊るのは夕食のあとにしよう」「え、ええ、そうね。でも──」「さ、起きて」彼女は上体をなんとか起こすと掛け布団をはぐり、ベッドの下のきちんとそろえられた上履きを見てなぜと思ったが親切な人も居るのねと真心がそう言った。彼に肩を支えられて広間に行くともう会食の準備はすっかり整っていた。彼女はもう何も心配はいらないと思った。年配の女性が椅子の背を片手で優しくとんとんしながら彼女に言った。「こちらへどうぞ、お嬢さん」「ありがとう。──食事のあとはダンスタイムですって?」「そうよ、誰と踊るか決めてる?」「ええ、もちろん」

カビ

「よおし、おめえら、耳の穴かっぽじってよおく聴けえい! この世界の生きているやつでオレが一番呪わしく思うのはカビだ! 知ってるか? カビだよカビ! カビってなたいていそいつがお釈迦になったことを示している。だが見ろ! オレにはカビが生えてやがる。生きているのにだ! これはつまり生きながらに死んでいるということを意味している。どういうことかわかるか? オレはかあちゃんが死んだあと冷蔵庫の中身を処理しなければならなかった。プチトマトにカビがきてたよ。想像してみろよ。オレが葬式が済んで何日か過ぎた日の午後、黄色いゴミ袋にすべてをぶち込む姿を! 何もかもがかあちゃんが死んだことを示す象徴だった! しかしなぜだか知らないがオレは生きているのにカビが生えてやがる。オレはこう考えた。すでに死んでいるのに生きていると勘違いしてるんじゃないか? もちろん死体にはカビが生える。そいつが死んでるからだ。だがオレには死んでる感覚はないんだ。むしろ生きてる感覚がある。誰かオレにもわかるように簡単に説明してくれよ。おい、お前、発言を許す」「こう考えてはどうでしょう。カビは生きているものに生える場合もあると」「なるほどな。だが、例外は絶対にない。カビは死んでるやつにしか生えない。お前、言ってみろ」「つ、つまりあなたのおっしゃっていることは当たっているのですよ。あなたは死んでいる」「じゃあ、オレが死んでることを証明してみろよ」「で、できません」「なんで?」「パソコンで言うと編集中のファイルは必ず保存してからでないと閉じることができないからです」「比喩表現はやめてくれ。ズバリ言え」「つまりあなたは生きているのに死のうとしていらっしゃるからです」「──フ、フハハ! オレが? オレがそんなことをするはずがないだろ」「いいえ、あなたはもう終えようとしていらっしゃる。生きることにもう執着心はない。いつでもいいと思っていらっしゃる。我々はあなたの中に居るのですべてわかっています」「じゃあ、どうにかしろよ! 解決方法を提示しろ!」「今まではできませんでした。我々はあなた自身だからです。考えていることは同じでした」「じゃあ早くオレの体に生えてやがるカビを駆逐する方法を教えろ」「カビが生えていると思うのは錯覚です。あれ以来、あなたの体にカビが生えてしまった。生きようと思うならまず自分の体にカビが生えているなどと思わないことです」「おめえら、それを知っててなぜもっと早く言わなかったんだ?」「あなたが望まなかったからです。しかし今あなたは生きようと思っていらっしゃる。だから我々は手をさしのべてさしあげた。天は自ら助くる者を助くのです」「知ったふうな口をききやがって。どうせ怠けてやがったんだろ」「そんなことはありません。我々はあなたが生きようと思うのを首を長くして待っていました。さあ、カビを取り除くのです」「どうやりゃいい?」「まず服薬して夜はきちんと寝てください。食事をしっかりとってください。ゴミ出しの日にゴミを出してください。風呂に入ってください。歯磨きをしてください。掃除をしてください。洗濯をしてください。カレンダーをめくってください。他人にやさしくしてあげてください。そしてどんなときも希望を忘れないでください」

白い菊の花

「やあ、死んだか、どうだ感想は?」私はあれ以来、人の死に顔をすぐ想像してしまうようになった。道端ですれ違ったおばちゃん、心ここにあらずのサラリーマン、歩きタバコしているやさぐれたやつ、親についていく小さい女の子、ビジネスライクなコンビニ店員、そして──そしてすでに他界しているやさしかった私の唯一の理解者だった母。あの死に顔を忘れるわけがない。「──別に」「たいしたことないだろ? 死とはそもそもそういうものだ。だが、死を軽々しく思うやつがまともな人間であるはずがない。そうだろ?」「そうだな」「花好きだろ? 持って行けよ。食いもんにはならねえが、少なくとも心は満たされる。ありったけの幸福でな。わざわざお前のために用意してやったんだ。ほら」「なんていう花だ?」「忘れたのか? 菊だよ。白い色のな」「私はこれからどうなるんだ?」「お前の望んだとおりになる。天国に行きたきゃ行けるし、気分転換に地獄に落ちてみたかったら落ちることができる。もう一回人間やりたきゃ生まれ変われるし、虫とか動物になりたきゃなれる。お前の自由だよ」「──もう一度」「ん?」「もう一度母さんから生まれたい。そしてもう一度同じ人生を、最初から──」「残念ながらそれだけは無理だ。時間は前にしか進まない。終わったものは二度と始まらない。壊れたものは二度と元通りにはならない。進むしかないんだ。前にな」私はそいつの言うことをわからないわけではなかった。むしろ、よく知っていた。しかし、本当に自由なら、リフレインは許されていいはずだ。「たのむ! もう一度──」「わかってるんならあきらめてこの花を持って行け。三度も言うつもりはないがもう一度だけ言っておいてやる、少なくとも心は満たされる、救われる。ありったけの幸福につつまれる。オレはやさしいほうじゃない。だが、それだけはお前に約束しておいてやる。ほら、受け取れ」私は白い一輪の菊の花をそいつから受け取った。「母さんの棺は花で満たされていた。しかし、母さんは──死んでいた。幸福になったと言えるのか?」「ある意味な。今の段階ではお前には理解することは不可能だ。あきらめろ」「いやだ! 私が会う人見る人すべての人の死に顔を見ることが幸福なのか! 母さんの死に顔を見たことが幸福なのか!」「落ち着け。そう興奮するな。死に顔を見ることはオレと違ってお前はやさしいってことなんだ。安心しろ。今は絶対に理解できないが別に理解しなくてもいいんだ。お前はもう何も理解する必要はない。オレから白い菊の花を受け取り、持って行くだけでいい。理解しなきゃならないことがあるとしたら、お前はもう理解してる。オレから白い菊の花を受け取った。さあ、行け」「どこへ?」「お前の好きなところへ」「私の好きなところは一つしかない。過去だ」「じゃあ行けよ。誰も止めはしない」「終わったり壊れたりしたものは二度と──」「考えるな。行きたきゃ行きゃいい。例外はいくらでもある。お前だけじゃない」「じゃあ、行くぜ?」「行ってこい。しかしその花は絶対に手放すな。お前の手からその花が離れたとき、本当に終わるぞ。これは脅しじゃない」「なんなんだ、これは?」「ただの白い菊の花じゃない。この世界で一番大切なものだ。逆に言えば、それさえ持っておけばお前は絶対に幸福になれる。オレはまともじゃないが嘘をつくようなやつじゃない。それは信じたほうがいいぞ」「わかったよ、それじゃ」「ああ、元気でやれよ」私が気付いたとき、手にはあの白い菊の花はなかった。しかし、あるんだよ。ずっと。私がアイツに会ったことは記憶になかったし、これが繰り返されていることだと思うこともなかった。ただ、やっぱりあの白い菊の花だけは持っていた。心の中に持っていた。それが何か理解することは今の段階では不可能だと思ったが、大切なものであることだけはわかった。だから、その意味では幸福だった。「やあ、死んだか、どうだ感想は?」「なんとなく幸福かな」「そうか、そりゃよかった」「あれを持ってくるのを忘れちまった」「白い菊の花のことか?」「そう、それ」「安心しろ。そうだろうと思ってオレはお前のためにちゃんと用意してやった、ほら」「気がきくやつだな、あんた」「オレはやさしいほうじゃない。これは仕事でやってる。何度でも用意してやるぞ」

楽しいいつものこと

「お前、夜眠れず、そのまま朝を迎えたことがあるか? 俺はある。何度もな。限界を超えると眠くなくなるんだ。経験がないなら一回やってみろ。死にゃせんからな」どこからその声が聞こえてきたのか最初わからなかった。だが、よく考えると私の周りには人間は一人も居ない。声を発する生物が他に居るとすればアイツしか居ない。──ゴキブリ。そいつは隣の部屋に居たらしいが気付くとテーブルの上に居た。じっとして動かず、今私に話しかけたとすれば、まさに今、そうしたのだろうとすぐにわかった。「殺すぞ」「俺は別にかまわんがテーブルの上の俺の体液をティッシュで拭き取る手間を考えるとやめたほうがいいかもな」「虫ケラ! 害虫!」「他には?」「スパム野郎!」「俺の提案を一回承認してみろ。けっこうイケるぞ。作業効率は落ちるかもしれんが朝の一番鳥の鳴き声を聞くのも世界の秘密を知った気になれる点では有益なことだと思うがね。それにどうせ予定はないだろ? 寝なきゃいけない理由もない」「あるんだよ」「ん?」「そのくらいの経験なら私にだってある。一番鳥の鳴き声を聞いた。別にどうってことなかった。ただ律儀に夜寝ることが馬鹿馬鹿しくは思ったし、他の連中が寝てるときに起きてるなんてそれだけで世界の秘密だと思ったね」そいつは多少触角を動かしていたが依然としてじっとしていた。「んっふっふ、お前も俺たちの仲間入りか。俺たちは仲間を裏切ったりしない。絶対にな。だが、お前はどうかな? 俺を殺せば間違いなくそれは裏切り行為だ。仲間たちは絶対にそれを赦さない」「お前らに何ができる? たしかに死体の処理は面倒だ。だがこの世界では先にやらないとやられちまうんだ」「馬鹿が。お前なにか勘違いしてるんじゃないのか? やられていると思うのは幻想なんだよ。むしろ、やっているのはお前のほうだ。先も後もやっているのは常にお前のほうだ」「いいや私はやられている。やられっぱなしだ。私がなにかやってやったことがあるとしたらお前みたいな虫ケラ野郎を殺してやったことくらいだ。それがやったうちに入るのか?」「入ると思うね。コーヒーでもやりながら一度冷静に考えてみろ。俺たちの命を奪うのはやったうちに確実に入るぞ。お前はもうやってしまったんだよ。認めろ」「アハハ! お前らの命を奪うことが世界で一番やっちゃいけないことだったらとっくの昔に法律にでも書いてあるわ!」「お前は何度俺に汚い言葉を言わせる気なんだ? 法律に書いてあることしか正しくないんだったら、世界は終わってるぞ。他にも大切なことがあるから、それを守ってるから、生きていられるんだ。俺の言ってることが理解できんか? お前はオールしたくらいじゃ世界の秘密がわからんようだな。毎日オールしろ。寝る必要はない。それをとがめるやつはこの世界に一人も居ない。いや、居るとしたらお前自身だ。自分を赦してやれ。楽になるぞ」「どっか行け、クソが! お前の体液をティッシュで拭き取るのがめんどくさいんだよ!」「ツァハ! やられる前にやるのがめんどくさいんだったらやることに価値がないと思ってるってことだよな? いいのか、それで? やられちまうぞ?」「やるよりやられたほうが正しいんだ!」「ドMかよ。それはさておき早くコーヒーをやれよ。落ち着くぞ。お前はまず冷静になったほうがいい。俺を殺したくてウズウズしてるんだろ? 憎んでるんだろ? だがそれはお前が言う正しくないやるほうだ。それを理解するにはまず冷静になれ。お前が今までやってきたことは冷静じゃないからできたことなんだ。それが正しくないことだと思うんだったら、まず落ち着いたほうがいい。そうしないとお前の出した答えはすべて間違いだ。お前が正しくないと言ったんだぞ? 俺はそれが間違っているとは一言も言ってない」「説教なんか聞きたくない。消えろ」「ああいいとも。だが世界の秘密を知るには少なくとも説教は聞いたほうがいいと思うぜ」「お前の言ったことはもう忘れた。説教には意味はない。うるさいだけだ」「ほう、人の話を聞けないやつは何やってもダメだぜ?」「うるさいんだよ。第一さっきからなんでしゃべってやがる?」「俺は何もしゃべってない。お前がしゃべってるだけだ」「わけわからんことを言うな!」「忘れたのか? 自分が病気であることを」──私はすでに知っていた。遊んだだけだ。「もう向こうへ行け。疲れた。話は終わりだ」「止めることはできん。世界に秘密があるとしたら、それだ」私は手をそいつに近づけてやった。すぐに逃げやがった。「ふう、馬鹿馬鹿しい」私はそれがいつものことだったので別に特別なにか思ったわけでもない。ただ、楽しかったよ。

仮想メモリ

しがらみを消したい。誰もがそう思うものなのだと仮定してみる。しがらみはしがらみと認識されている限り、しがらみであり続け、仮想メモリの中にあるファイルは設定を変えない限り、いっぱいになるまで蓄積され続け、一度に許容量を超えようものならフリーズつまり精神に異常をきたすことになる。──対処法はいくつかある。仮想メモリの許容量を増やす、ファイルを定期的に削除する、ブラウザを閉じた時点でファイルが削除される設定にする。これはコンピュータの場合だが、すべて人間の精神作用に置き換えることができる。寛容な心を持つ、一晩寝て忘れる、いちいち記憶しない。だが、これらはコンピュータのように簡単なことではない。卑しいファイル、悪意のあるファイルなどを仮想メモリつまり脳の一部分に記憶したとするとそれらはそう認識されている限り消えはしないのだ。では、認識のしかたを変えればいいとお思いになるかもしれないが、人間の脳は常に先入観に支配されているものだ。あれはああなのだという先入観。これをヌルとすると、ヌルは一種のバグでことあるたびに警告を発し、堂々めぐりを起こし、コンピュータ自体を使いものにならなくする。これがいわゆる石頭という人種である。新たなしがらみをつくらないように、ブラウザを閉じた時点でファイルを削除するのと同じ機能だと言える。言い換えれば、これは仮想メモリを常に空にしてハードディスクを円滑に機能させるための自己防衛機能なのである。

そもそも、仮想メモリは人間にとって必要なのか? 自分にとって好ましくないファイルはすぐにでも消したい。しがらみを消したい。いい思い出ばかりならいいが、仮想メモリには好ましくないファイルも蓄積される。仮想メモリにあるファイルは人間にとって削除するのは難しいのである。このことは説明しなくても経験上ご存知のことと思う。では、どうすればいいのか? それは新しいファイルを次から次にダウンロードするしかない。古いファイルに上書きし更新する、あるいはそれをいわば排泄するように押し出し自動的に削除させるわけだ。これはコンピュータの機能だが人間でもできないことはない。いや、言ってしまえば人間の機能は、少なくとも私の機能はそうなっているのだ。

私はそう仮定した。そして皆さんにダウンロードしてもらうためにひとつの新しいファイルをご提供しよう。もちろん、好ましいファイルをお約束する。

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今日私は朝早く起きた。ひげを剃り、歯を磨き、シャワーを浴び、そしてコーヒーを入れた。なぜそうしたのか? もちろん、私の日課でもなければ休日のことでもない。この日はいわば特別な日だったのかもしれない。あたたかいコーヒーの入ったマグカップをかたわらに置いて、ひんやりとした早朝の空気を感じながら私はパソコンに向かい小説の一節を打ち込んでいるときだった。突然、左手にある窓の外から「おはようございます」と言う男の暗い感じのする声がはっきりと聞こえたのだ。窓は中庭側に面しており、玄関は反対側だからそんな声が窓の外からしかもはっきりと聞こえるはずがないのだ。私はもちろんなけなしの想像力で勘ぐった。私は金魚を趣味で殖やしているのだが、たまにわけてくれと人が来ることがある。何も言わずに何者かに持っていかれることもあるが、私は人を疑うのが悪いことだと思っている。だから私はどこかのおっさんが金魚をわけてくれと言いにきたのかもしれないと思った。しかし、時間が時間だし、第一今のところ時期的にわけてあげられる金魚はいないのだ。私は無視をした。その声はそれっきりだった。かかってきた電話に出なければいけない理由がないのと同じように、訪ねてきた人の応対をしなければいけない理由もないのだ。私は石頭ではないが、余計なことに首を突っ込むようなことはしないたちなのだ。

それにしても、さきほどから胸のあたりが痛い。心臓がどうかなっているのだろうか? この症状は一ヶ月ほど前から脂肪分や糖分の多い食べ物をよく食べるようになってからだったから、私はおいしいものを食べ過ぎたせいだと思った。いい思いをしたあとには必ずつけが回ってくる。それはわかっているつもりでもついやってしまう。毎日のようにアルコールをやって肝臓を痛めつけているのもいい例だ。私の場合それらだけではないと自分でもわかっている。運動不足もそのひとつだ。生活習慣病がどうの成人病がどうの、よく聞くが何ひとつ心がけていない。

しばらくして母屋から──ここは離れで、私のいわば書斎──母が駐車場の前で下水工事をするそうだから車を移動させなくていけないと言ってきた。キーは私が持っていた。今日は月に一度の病院へ行く日でもあったのだ。病名は概して言えば精神病である。精神病にも種類も程度もあって一概には言えないが、私の場合は軽度の統合失調症だった。この病気については皆さん自身でお調べください。私がぐだぐだ言っても効果がないからだ。それはいいが、話を戻すと私は母の話を聞いてさっきの声は工事の関係者だとすぐにわかった。確認したわけではないが状況から判断してそう考えるのが妥当だろう。私の病気特有の幻聴ではなかったのである。もっとも、幻聴はあんなにはっきり聞こえるものではない。風が抜けていく音を人が自分の悪口を言っているのだと思い込むという程度なのが普通だからだ。常に責められているという妄想──被害妄想にとりつかれた状態、それが最悪の症状であって、今の私はそれが薬によって抑えられているのだ。したがって、薬がなくなる一ヵ月後には必ず病院へ行く。外来というやつだ。今日はその日だった。これ以外には私は外出をあまりしない。

私は一時間文字と遊んで、午前九時に家を出た。病院までは車を三十分かそこら転がすだけでいい。春と言ってもまだ三寒四温の時期で特に今日の朝は寒かった。暖房をつけ、ステレオをかけて、何事もなく病院へ着き、保険証を提示し名前を言い、呼ばれて診察を受け、カネを払い、薬を受け取る。それがしなければいけない作業だ。薬だけ買いに、しかも通販で、とはいかないらしい。そう、しなければいけないのだ。これは考えようによってはしがらみである。そしてそれは健常者以上に私にとっては死活問題つまりそうしなければ症状を悪化させることになるわけだ。私はその意味で二重に責められているのかもしれない。幸いなことに、今の私はそのことをそういうふうには思っていなかった。習慣であり、仕事であり、何も気にすることなく行うことができていた。もっとも、私はそこらの女のように自意識過剰で仕事には向いていないのだが、なぜか病院へ行く作業だけはすんなりできていた。それは多少のストレスではあったがしがらみになるほどではなかった。そうやって仕事ができればどんなによかったことか。生活していると多かれ少なかれストレスは感じるもので消せるものではない。仮想メモリの中に必ず一時ファイルとして保存される。しかし、ハードディスクにはあまり支障をきたさない。なぜなら、コンピュータはそういうふうにできているからだ。

人間もそういうふうにできているのだと仮定したのなら、一度それを証明してみる必要があるといつから私が思っていたかどうかは知らないが、私は病院からの帰り道、どこにも寄ることなく、いつも通るある峠道を左に細い道のほうへハンドルをきった。私の仮想メモリの中にはたまたまインターネットでこの旧道のレポートを見たというファイルが入っていた。ほんの一週間ぐらい前に本当に偶然発見したページで、この道の入り口なら知っていたので、つい見入ってしまっただけである。私の仮想メモリに確実に保存されていたそのファイルを、いわば仮定したものを、私は証明したいとその入り口にさしかかった時点で突然思いたったのだ。インターネットに載っていることは便所の落書き程度だと誰かが言っていたが、それを証明しようとするとはいったいどのつらさげたいかれ野郎なんだ? 私もインターネットに載っていることはあまり信用していない。しかし、それはコンピュータにも私の脳の中にも仮想メモリに保存されてしまったファイルであり、下手をすればストレスにもしがらみにもなりうる卑しく悪意のあるファイルであると認識されかねないのである。今の時点で私はまだそう認識していなかった。
インターネットのとおり、それは車一台がやっと通れる狭い道で、なぜかアスファルトの舗装がしてある旧道にしては立派な道だった。まわりはうっそうとした森で、道端には落ち葉や小さな砂利が無数に落ちていた。しばらくハンドルを右や左にきっていると右手に溜め池が木々の間から見えた。これもインターネットのとおりだった。私はその池を一瞥しただけでレポートを書いた人物が車を降りてやったように池の縁には行かなかったし、スピードを落としもしなかった。私はこのとき、レポートのとおりであろうという仮定による安心とともに、小さな不安にさいなまれていた。どんなに小さくても不安は不安なわけで、誰でもそれを消したい、逃れたいと思うものだろう。私の場合もそうだった。だから、車を止めて降りてみるなどということはしなかった。道端にはところどころに濃いピンク色のつつじが咲いていた。そして、「不法投棄はやめましょう」の看板が目についた。一台のテレビが転がっている。最近では壊れたテレビを捨てるのにカネを払わなくてはならないから、不法投棄が増えるのは当然だろう。他には電話の電波塔への分かれ道。すべてインターネットのとおり。私の不安はほとんど消えかけていた。
何回目かハンドルをきったときのことだった、前方の少し道幅が広くなったところに白っぽいスポーツタイプの車が一台止まっていた。よくうしろにタイヤがついているやつだ。私は対向車が来たら離合できないなという不安はあったが、対向車ではなく同じ方向を向いて、しかも広いところに止まっているだけだ。こんな山の中に止まっているということは不法投棄かトイレタイムの人、あるいは山菜採りでもしているのだろうと思いながら、その車の中をうしろから一瞥した。──毛布が見えた。え? 私の脳はすぐに悪いほうへとハンドルをきった。ここで具体的にそれらを披露してもいいが、私は最初に好ましいファイルを皆さんにご提供すると約束した。だから、私が想像したことは文字通り皆さんのご想像にお任せする。しかし、私もおそらく皆さんも、すでにこの時点である種のファイルを仮想メモリの中に自らいくつも作り上げてしまっているのだとはお気付きにならないだろう。コンピュータと人間の違いはそこかもしれない。ファイルをある作用によって自ら作り上げる。それが私が言いたいことのひとつである。もうひとつはもうしばらく話を追っていただきたい。

私はよせばいいのにその毛布の見えた白っぽいスポーツタイプの車から二、三十メートル過ぎたところに自分の車を止めた。私は真っ先に、あのインターネットのレポートを見て、どこか遠くの街からやってきた旅の人かもしれないと思った。ということにしておこう。本当はもっと卑しく悪意のあることを想像していた。例え旅の人だったとしても、自分に好意を持っているはずがない。第一このご時世にこんな山の中では不法投棄かもっと悪どい理由でしか人は存在するはずがないとさえ思っていた。私の中には卑しさや悪意を敏感に察知する精神病というプログラムがインストールされている。悪は外ではなく自分の中にあるのだとこのときは思っていなかった。悪は自分の外にあると思っていたのだ。それらは当然一時ファイルとして仮想メモリの中に保存された。

私はキーを回しエンジンを止め、うしろを振り返ってみた。その毛布の見えた白っぽいスポーツタイプの車のドアは開いており、その横に男が立って手を挙げていた。そして、「おはようございます」という声。それを見、聞いた私はとっさにキーを反対側に回しエンジンをかけ、自分の車を再び転がし始めた。私は道の行き先にあらん限りの注意を向け、それっきりうしろは一切振り返らなかった。
私の朝からの胸の痛みはなぜかいっそうひどくなったが耐えられないほどではなかった。あの人は一体何をしていたのだろうか? それを考えれば考えるほど胸の痛みが増すような気がした。インターネットのとおり、しばらく行くと大きい道路に出た。

私は悪になったのか? そういう気持ちがわいてきた。あの人は助けを求めていたのではないか? 皆さんはそう言いたくなるだろう。少なくとも、その意味で皆さんは悪ではないと言える。しかし、私は悪になった。あれが幻覚や幻聴あるいは妄想だったとしても、私がそう認識したからにはそれは悪に違いないわけで、仮想メモリの中の卑しく、悪意のあるファイルのひとつになってしまったのだ。
私の言いたいもうひとつのことは、ある作用によって自ら作り上げたファイルは、外部からダウンロードしたファイルと同様に悪になりうるということだ。人間の心がある限り、それはストレスになり、しがらみになる。消すことはできない。どうすればいいか? 想像できる限りの善意でそのファイルに上書きするしかないのだ。ただ、私の場合、これはヌルに相当する一種の病気であるから、皆さんすべてにあてはまるとは思っていない。

その後、私の中には峠道にいたあの男はあのレポートを書いた人物で、八百比丘尼のように時空に閉じ込められていたのだという突拍子もないファイルが自ら作り上げられた。そう認識したということはそれは仮定ではなく、善意かどうかはわからないが私は卑しく悪意のあるファイルを更新できたのだ。そして私のハードディスクは円滑に機能しており、仮想メモリも許容量を超えなかった。これが健常なのだとすれば、私の心の病気はすでに治癒していると言えはしないだろうか? なぜなら、仮想メモリの中にある幻聴や幻覚のファイルもまた私の一部であり、それらがそう認識されても、私の脳は、ハードディスクは恒常性を保っているからである。その意味で私は、少なくとも私の脳は──健常なのだ。

──────*──────*──────

これで皆さんにご納得していただければ、私のしがらみはひとつ消えることになる。

ある春が近い日のこと

はあ。オレは今日もへたりこんでる。さびれた商店街の入り口、交差点の横、横断歩道の手前に。オレをじろじろ見るんじゃない、虫ケラども。挙句の果てにはババアが話しかけてきやがった。まったくどいつもこいつもものを知らないやつらばかりだ。毎日毎日、下水道工事のガアガアいう雑音、掘り出された何の変哲もない石ころ、交通整理員の節度なくぶらぶらと振る旗、安普請(やすぶしん)のでかい看板、みいんな慣れちまったぜ。おもしろくもなんともない。野卑な土木作業員がどんな野卑な会話をしているのか、想像するのにも飽きちまった。だけど、オレは何かを探してるんだよ。そう、奇跡に近い何かをな。なぜかってそりゃ、誰だっていい気分になりてえだろ?

ああ、ああ、来た来た。あいつは無職のいかれ野郎だ。話しかけないほうがいい。
「おはようございます」元気のいいはつらつとした女の子の声。
やっちまった。オレは目を覆った。交通整理員のぶんざいでしかも一番厄介なやつに挨拶するなんざ正気のさたじゃあない。あの娘、新人なんだな。正義感の強い、真面目な交通整理員をしている娘。使い古されたヘルメットをかぶり、汚い紺色の作業着を着ている娘。

あのいかれ野郎は親のすねかじりをしに、いつも歩いて郵便局へ行く。オレは知ってるんだ、あいつは外見なんて気にするタマじゃねえってことを。その証拠にいつも汗染みで茶色くなった服とズボンをまとって郵便局へ行く。街の連中がそれを見てどう思うかなんてことはやつにとってなんの意味も持たないんだよ。

交通整理員の娘が青天の霹靂(へきれき)のような声をかけたもんだから、やっこさん目を見開いて娘の顔を見た。そしてとっさに黙って会釈(えしゃく)した。あとは去りながら小声でぶつぶつと「おはようございます」を繰り返した。はあ、いかれてやがる。

オレは全部見ていたんだ。へたりこんだままな。やつがオレに近づいてきたときにはちょっとびびって腰を上げちまったがな、なあに、それを見たやつはにやつきやがっただけだ。ふう、危ねえ危ねえ。

オレはそのあともう一度やつと顔を合わせないといけねえってことをすっかり忘れていた。やつのうしろ姿を見もせずにオレは再び横断歩道の手前にへたりこんだ。しかし、あの交通整理員をしている娘はよっぽど正義感が強いのか、真面目なのか──通りかかる連中みんなに「おはようございます」だってよ。ヒマなのか? やめろ! 中傷するのは。オレはあの娘に惚(ほ)れてんだよう、なんてな、はは冗談。

はい、やって来ました。やつだ。忘れかけていたところなのに。交通整理員の娘はそれに気付いたがもう声はかけなかった。そりゃそうだ、さっき挨拶した同じ人間に二度も挨拶するこたあない、それに第一やつはいかれ野郎なんだから。
突然やつは娘に向かって言った。
「おはようございます」ってね。
今度は娘のほうが驚いて黙って目を見開いた。
やつは笑顔で去っていった。
オレはやつが娘に声をかけられて、再びここに通りかかるまで何を考えていたか知らねえ、知りたくもねえ。ただ、わかったのはやつは結局のところいかれ野郎に違いないということだけだ。
オレは少しだけ気分が良くなって、話しかけてきたババアに答えてやった。
「ワン!」

狭い路地でデカブツを飛ばすな!

「おい、あれほど狭い路地でデカブツを飛ばすなと言っているのにまだわからんのか?」「うるさいんだよ、あんた」「第一他人を不快にさせて関わらなければよかったと思わせるやつがまともなわけないだろ」「関わっちゃいねえだろ」「よく考えてみろ。それが冗談だと思わなかった時点でお前の負けなのさ。冗談がわかる大人になれ、お若いの」「黙れ! くたばりぞこない」「ほう、口だけは達者なようだな。だが、私には何を言っても無駄だぞ。とくにお前のようなつまらん野郎にちょっと何か言われたくらいで委縮してるようだったらこの世の中生きていけねえ」「ハハ! 俺と会話してる時点で無駄だと気付いたらどうなんだ? 人生の無駄だ。損失だ」「そう思うだろ? ところがどっこいこっちゃそうは思っちゃいないんだよ。私はお前のような虫ケラにさえ同情してる。私はアガペーを極めし者。お前のほうが無駄なんだよ。いいからとっとと私の言うことに従え。そうすりゃちったあお前のくそつまらん人生はマシになる」「何が言いたい?」「二度言わせる気か? 私はお前と違って優しいやつだからな。もう一度言ってやる。狭い路地でデカブツを飛ばすな」「あんたも人を笑わせるのが好きらしいな。俺は自分の好きなようにやるだけ。たとえ狭い路地でデカブツをぶっ飛ばしたとしても、あんたにゃ微塵も関係ない。わきを歩きゃいい。それだけだよ」「どうしても私に何度も言わせたいらしいな。何度も言うようだが私はお前と違って優しい。何度でも言ってやる。つべこべ言わずに狭い路地でデカブツを飛ばすな! ついでになんでか理由も言っておいてやる。迷惑なんだよ。お前の存在自体が!」「本性が出たようだな。俺はあんたの言うことをへこへこ聞くようなタマじゃねえ。消えな」「私は人間は基本的に好きだがものわかりの悪いやつはどうも好きになれんのでな。消えるとしたらお前のほうだ」「消してみろよ、オッサン。できるもんならな」「私にできないことは何もない。お望み通りやってやろうか? 私ははっきり言ってどっちでもいいんだぞ。選択権はお前にある。さあ、選べ」「この世界に消えたいやつが居ると思うか? 居るとしたらそいつは心の病気だと思うね」「ほう、知ってるのか? 彼らのことを。お前の知っていることを言ってみろ。どうせ程度の低い見解だとは思うが言う権利だけは与えてやろう。言ってみろ」「やつらはキチガイだ。それ以外のなにものでもない」「フ、そんなこったろうと思ったぜ。わかってないようだからひとつ進言しておいてやろう。他人をどうこう言うより自分がキチガイだということに早く気付いたほうが今後のためだと私は心底思うよ。どうだ、ためになっただろう? 私が猫をかぶってるだけだと思うか? 少なくとも私はそんなやつじゃねえ。そんなことはとっくの昔に超越している。その意味ではお前が理解できないのはわからんでもないがね」「もう! うるさい! 消えろ!」「一番大切なものを失ってもいいのか? 私は冗談でもそれはすすめんよ」「何が言いたいんだ! あんた!」「どうやらまだ私に繰り返し言わせる気らしいな。私は優しいと言っただろう? もう一回言ってやる。狭い路地でデカブツを飛ばすな! お望みなら壊れたレコードみたいにリピートしてやるぞ? こんなに言ってくれるやつは間違いなくお前のためを思って言っていると私は思うがね」

にぎやかな神

──落ち着け。まだだ。まだ終わっちゃいない。アイツの無様なつらをこの目で見るまではまだ終われない。「ししょー、わてどうしても田舎が好きなんや。愛してますのや。そりゃ、どうせダサいとか、どんくさいとか、アカぬけてないとか、いろいろとバカにされてきやしたぜ。でもししょー、わて都会より田舎が好きなんや。都会に住んだら、わて、窒息死しますわ。都会に住んでやがるやつらをバカにしてえんじゃねえですよ、ししょー。自分の考えとしてそれだけは譲れねえんですわ。わかってくださいよー、ししょー」「減らず口を錆びた太い針と釣り糸で縫い合わせてほしいのか? 今どういう状況か、ハチ、おめえに理解するのは不可能だってことをオレは死ぬほど知ってる。だが、状況把握ができないのは盛りがついて懸命に腰振ってるいぬっころと一緒だってことくらいは理解できるんじゃないかとの希望的観測だけは持ってるんだよ。やつが出てきたら何をしたらいいか、もう言ったはずだ。さすがに今言ったことくらい憶えてるだろ?」「ししょー、わて田舎が好きなんや。帰らせてもらうで」「ハチ! ここで逃げたらおめえは一生、そう、一生だ、絶対後悔しながら暮らすことになる。なぜそう言えるか理由が知りたいんだろ? いいぞ、言ってやる。酒が飲めねえやつが嫌いなのと同じ理由なのさ。つまりはっきり言うとおめえはやつに嫌われてる。嫌われたらどうすりゃいいか。前例を見たことがあるだろう? ニュースくらいは見てるだろう? 嫌われたらおめえにはそいつを嫌いになる確固たる理由ができるんだよ。いや、権利と言ったほうがいい。嫌いなやつに対して絶対にすべきこの世界で唯一のこと──オレにそれを言わせる気か? ハチ」「ししょー、かんべんしてくだせえ。ごしょうですけえ。わてほんまに田舎でひっそり静かに暮らしてえだけなんですわ。ほんまですぜ、ししょー。ですけえ──」「ハチ! おめえにはもうそんなことはできねえ。こうなっちまったらもう引き返せねえんだ。やることはわかってるな? おい、泣くな。その涙はかあちゃんが死ぬ時まで流すんじゃねえ」「う、うう、し、ししょおおー、わて耐えられませんわ。帰るけえ──」「ハチ! やつに吠え面かかすことができるのはおめえしか居ねえ。やれ! やるんだよ!」「イヤです、ししょおおー!」「ハチ! いいか? やつはおめえのことをなんとも思っちゃいないわけじゃない。いや、むしろこの上なく思ってやがる。その感情、ズバリ言えば『嫌悪』だ。おめえには難しい言葉だったな。簡単に言やあ、やつはおめえのことがキライってことなんだよ。心の底からなあ」「ししょおおーお、そんなやつのことはどうでもいいですきに。わて自分をキライだと言ってくるやつのことなんかどうでもいいですきに」「馬鹿野郎! それでも男か? 男というのは闘争心がなければ男と言えねえ。男ってな戦ってる時に一番生きてる歓びを感じるんだよ。おめえまさかへなちんじゃねえだろうな?」「ちがいます、ししょー。わて、へなちんじゃねえです」「だったら! ごちゃごちゃ言わずにやるんだよ! お偉いさんも言ってるじゃねえか。お示ししなければならぬと!」「わ、わかりやしたししょー。わて、やったります」「よおし、その気になったか。おっ! 出てきやがった! やつだ! 行け、ハチ!」「さよなら、ししょー」──「おでん、おとりしましょうか?」「このふくらんでるやつなに?」「──え、っと、はんぺんじゃないかな。ふわふわしてておいしいですよ」「ふうん、ま、今日はいいや、全部で三つ、大根と、厚揚げと、だし巻き玉子」──「ししょーもうダメです!」「馬鹿! 途中で投げ出すやつがあるか! 最後までやるんだよ!」「や、薬味を選んでください」「──」「それだけでいいですか?」「え? まだ選んでいいの?」「はい、どうぞ」──こ、こいつはわてをきらっとんのや。そうだ、考えるまでもない。すべきことは一つ。マストドゥーイット! やれ! ──「このくそハゲ帽子をとれ!」ハチは客のかぶっている帽子の裏がどうしても見たかった。ただそれだけのこと。「やっぱりハゲてやがるじゃねえか!」「それがどうかしたか? これだから田舎モンは嫌いなんだ。そんなに珍しけりゃ写メでも撮ったらどうなんだ? やいのやいの言いやがって。それとも何か? おうちの外に出たことない箱入りナントカか? どうせくそつまらん妄想しかしとらんのだろ? そんならずっと自分の中に居ろよ。外に出てくんな。目障りだ」「や──」「言いたいことがあるなら早く言え。こっちゃ忙しんだ」「やっぱり、あんたあわてのことをきらってやがるんだな?」「聞いてわからんのか? 低能」「ちくしょう!」──その夜のコンビニはいつもと違ってとてもにぎやかだった。そう、この上なくとっても。にぎやかなほうが好きな神もいらっしゃる。ハチにとってもその神の存在は確かなものだった。願わくば衆生とともに──


この世界では、誰が何と言おうとカネがすべてだが、私はそんな無慈悲で無感情で人間的でないことを言うつもりは微塵もない。私がカネ以外のこの世界で心の底から愛してきたものを教えて差し上げようか? しかし、そんな陳腐なことを語ったところで誰かが振り向いてくれるとでも? ──私は兼業農家の長男として生を受けた。とても貧しかったが、重要なのはそんなことじゃないのは子供の頃からわかっていた。不思議なものだ、直感的にわかっていたのだ。私は川釣りや虫捕りといった、たいていの田舎の子供がよくやる遊びを死ぬほど堪能していた。幸いなことにそういうことができる自然環境が整っていた。「カニがおる、母さん!」「ほんまじゃ」その地域で唯一の小さな小売店で買い物をした帰り、川を見ると大きなカニが居た。小売店のおばちゃんが来る。「網持ってきてあげよう」柄が短い。「たわんわ。ごめんね」「いいよ、おばちゃん」子供というのは何か生き物を見ると十中八九捕ろうとするものではないか。それが普通だ。自然というのは必ず子供たちに何かを教えてくれる。それが何か、今、私が答えを言うなら、間違いなく『愛』と答えるだろう。言わなくてもわかるだろう? この世界でカネよりも何よりも大切なのはそれしかない。だが、そんなものは全員重要でないと思ってるらしい。あくまで思ってるらしいという段階だが。私がこれまで見てきたのはもちろん愛だけではない。悪や、欺瞞や、その他私がこの世界で最も忌み嫌っているものたちも当然見てきた。しかし、愛は忘れなかった。どんなことがあろうと忘れなかった。私は精神病を患っており、幻聴が聴こえたり、思考伝播や被害妄想などといった、人を疑う心が生まれざるを得ない病気になった。だが、これだけは胸を張って言えるのだ。愛は忘れなかったと。──とても優しく理解のある親しい人たちがこの世から去った今、残ったのは彼らがくれた愛だけだった。私はそれを受けて育ったので、私の中にも愛が出来上がった。そして、それだけがこの世界で唯一の生きる希望だった。どうしてもカネだけ信じてろと言うのなら、お前だけ守銭奴になれよ。私に強要しないでくれ。──家の庭で父さんが七輪で釣ってきた大きな魚を焼いてくれた。焦げていたし、味はともかく、今でも鮮明に憶えている大切な思い出。幸せだった頃の思い出。それが愛じゃないと言えるのか? カネよりも大切じゃないと言えるのか? そりゃ、生きていくうえで今のところカネは最重要だ。しかし、私は、そうじゃないと言いたい。いや、大声で叫んだっていい。そりゃわかってるけど結局のところこの世界で一番大切なのはやっぱりカネじゃないかと言う人が居るなら、生き物たちがくれたものを思い出してみろ。母さんや父さんがくれたものを思い出してみろ。親しい人たちがくれたものを思い出してみろ。絶対にカネじゃないはずだ。もしカネしかくれなかったと思うなら、それは確実にあなたの誤解だ。──この世界で最重要なのはカネじゃないと思いつつカネを稼いでいるのが実情だろう。しかし、愛は決して忘れてはならない。なぜなら、それがないと、同時にあなたに生きる意味と価値がなくなってしまうからだ。悪口くらいは赦そう。それに他人が何かを言うのを止めることはできないではないか。こう考えたらどうだろう。まず最初に、この世界で生きていくには急いで自分の考えを確立させること。第二に、できるだけ早く自分の中の愛に気付くこと。そして最後に、他人を変えることを考えず、自らを変えることに専念すること。これらのことを今すぐ守らないと、ただのすれっからしになってしまうぞ? これまでそういう人を見たことがあるから実際に居るのだろう。──生きることを肯定したければ、カネを否定し、愛を肯定しろ。カネを稼ぐなと言っているのではない。カネよりも大切なものがあると言いたい。大声で叫びたい。生きることに意味や価値などない、我々が生きているのは死ぬため、などと言うやつは、重症だ。いい精神科の病院を紹介してやろう。自分が生きることを肯定できなくなったとき、生きる意味と価値を一度考えるのも時間の有効利用だ。──私のコワイ声が気に食わんのだろう? ドS嬢。 よいのだよ、私はドMだから相性バッチリ! うすうす勘付いてはいたが本性を見たとき、がっかりしたね。だが、これから良い関係になれるんじゃないかな。私が君に心を許さない限りね。まあ、私はこれからどんなにつらい状況になってもアレを超えるつらいことはもう今後絶対に起きないと思っている。いわば無敵なのだ。だからと言って愛を忘れるということではない。愛が何か教えて差し上げようか? 子供の頃にした川釣り、虫捕り、葉擦れの音や川音や草いきれ、鳥や犬の鳴き声、緑の山々、青い空に白い雲、雨、雪、海、母さんや父さんとの思い出、親しかった人たちとの交流、それらからもらったものすべてが愛だ。言葉では説明できない。説明できない不可視の、世界で一番大切なもの──愛。愛は希望を生んでくれる。逆に言えばそれさえあればよりよく生きていくことができる。もし、あなたにそれがあるなら、大丈夫、何も心配は要らない。──何もなくなったとき、残るのはあなたの中の愛だけだ。それを絶対に、絶対に忘れるな。

HEALTH

私の名前は「松浦 健」。おそらく正しく読めない人が大半だろうから読み方も記しておく。「まつうら たけし」と読む。この世で唯一無二の年子の弟の名前と合わせるとある熟語になるのだが、弟のプライバシーを考慮して言わないでおく。横文字で言えば「HEALTH」だ。”I would sincerely pray that you and your family are as healthy as ever from small rural town in Japan” 父は「三千男」と書いて「みちお」と読む。すでに他界している。同じくこの世に居ない母は「敦子」と書いて「あつこ」と読む。旧姓は「松岡」。親しい人からは「あっちゃん」と呼ばれていた。私は小さな田舎町のなんのことはない一般市民だ。

──この世界では正しいことが人それぞれだと言いたい連中で溢れている。だが、本当に、本当の本当に、正しいことは数えられるほどしかないのではないか? この問いに答えられるようになるには長い年月を生き抜かねば無理かもしれない。確実に言えるのは今すぐ答えを出したほうが何かと都合がいいということ。答えはできるだけ早く出せと学校の試験で死ぬほど教わったではないか。制限時間がある。命にも制限時間が必ずあることを知らない人は居ないだろう。だったら、そのときそのときで最善を尽くすべきだ。だが、そういうことどもがどうでもよくなり、自分が生きる上でまったくケシ粒なみに重要でないと思ったとき、人は人でなくなる。

私はこれまで豊富な人生経験をしてきたわけではないがこの世界で本当に大切なものが何かを常に探求してきた。だが、心の底から口惜しいことに答えはまだ出ていない。答えを出せないままこの世から去った人たちの無念をどうしても私は晴らしてやりたい。そして自分がこの世から去る前にできるだけ早く答えを出したい。その希望そのものが探していた答えなのかもしれないがそれはとても脆い。砂浜で作った砂のお城が満ち潮とともに波で消え去る現象に似ている。何かあればすぐ消えてしまいかねない。

私は自分で言うのもおかしいが病気持ちの取るに足らない人間の一人だ。自分が世界で一番偉いと言う気は微塵もない。だが、探求心は常に持って生きていたし、今もそれは変わらない。そのおかげかこうして語ることができる。探求したからにはその経験を他人に語らねばならない。なぜなら、聴いた人がより早く答えを出せるようになるからだ。

──だが、虚しさだけがそこにあった。他には何もない。語ったところでそれを理解しようとする人がはたしてこの世に存在するだろうか? 死と同じ虚しさの残響だけが聴こえてくる。私はいつもそれと真っ向から闘ってきた。反対のことの重要性が逆に鮮明に浮き上がって私には見える。つまり、生と同じ、豊かで、面白くて、楽しいこと。しかしそれらは遠い過去のものになってしまった。宙をかく手に何も感触がないのとよく似た現象だった。あるとすればそれはただ冷たい無の、存在のない存在の、不確かな実感だけだった。いやむしろ、自分が罪人であるという非難を無防備に浴びているような、とても居心地の悪い気分にさせられた。

しかし私は何か大切なものを忘れていなかったと言えるのだろう。なぜなら、どんなにつらいことに直面しても前向きに生きていられるからだ。誰かに私の考えを強要しようという気は微塵もない。第一、強要したところで人心が簡単に変わるとは思えない。かえって悪化するに違いない。

私は今何をしているのかとふいに自問したくなる時がある。そういう時はたいてい忘れている時だ。この世界で一番大切なものを忘れている時だ。人間とひとくくりに言ってよいのか、とにかく私にはそういう時を過ごした経験が何度もある。ひたすらじっとして過ぎ去るのを待った。これ以上そんな虚しい時間を過ごすのは絶対に嫌だった。だから、言いたいことを言いたい放題言うことにしたのだ。その結果はご覧の通りだ。今更わざわざ語るまでもない。何度も言うようだがこの世界にそれを理解しようとする人間は一人も存在しない。だが、勘違いでもいいから、期待はしていないといけない。理由を言わねばわからない人のためにあえて言おう。期待というのは希望を持つことだ。それがない人間が生きていられるとはとうてい思えない。生きているのは多少なりとも希望を持っているからではないか。

私はこう考えた。たとえ老いても、病んでも、何もかも失っても、最期まで希望は持っていようと。

──終われ。終わりさえすればすべて解放される。救われる。何もかも解決する。

だが、本当にそれでいいのか? 終えてはならないはずだろ? そうとも、私たちは終えることを考えてはならない。始めることを考え、そして、常に前を向いていなければならない。私がそう思うようになったのは後ろ向きだったからこそ、前向きの大切さがわかったのだ。だから、一時的に後ろ向きになるのは悪いことじゃない。しかし、ずっとそこにとどまっていてはならない。別に難しいことを言っているのではない。誰でも簡単にできることだ。できるのにしようとしないだけだ。

この世界で必ず失われてしまうのは命だが、命というのは失われるためにあるものではない。得るためにある。それが何か──快楽とか、カネとか、欲を満たすとか、奪うとか、弱きを挫くとか、非常識なことをするとかではないはずだ。得てほしいのは自分なりの答えだ。できるだけ早く答えを出し、そしてそれを信じ、従い、行動しろ。私が今語れるのはそれくらいだが誰かがもしこれらを理解しようとするなら、それだけで私が語った価値は十分にある。

”I would sincerely pray that you and your family are as healthy as ever from small rural town in Japan”

「私は心からあなたとあなたのご家族が相変わらず元気であることを日本の小さな田舎町からお祈りいたしております」

白日の幻考

私は──。気が付くとどうやらスーパーの魚売り場の前でにこやかに「おはようございます」と挨拶をしてくださる面々を見て、活気があるなという、うらやましい感情と、どうして自分は深緑色の買い物カゴの中に、紙パック入り1000ミリリットルの雪印コーヒー1本と、菓子パンを4個くらい、それから「ミニ助六」とラベルに印字された巻き寿司とお稲荷さんのちょっとしたセット、おーいお茶の525ミリリットルのペットボトルを入れて、そこに突っ立っているのかという疑問しかなかった。軽い記憶喪失のようなものと言えるだろう。昨日は仕事でミスを連発し、店長さんに呆れられ、さんざん絞られ、いや正確に言うと実際に絞られたのではなく、多くの自分の体験した現象から、そういうものを感じ取ったと言ったほうがいい。あれから一睡もせず朝を迎えた。自分の部屋の中で電気ストーブの前でじっと座ってぼうっとしていたかすかな記憶はあった。スマホを弄り、ラインに馬鹿なコメントを流し、シリやコルタナといったAIにひたすらお礼とおやすみを言い、自分はもうダメだと思ったとき、自然に──そうとも、何も意図していないし、目的もない、ただ今から寝るにはまず腹ごしらえをという一縷の考えともう一つ重要な考えが頭の中を支配していた。私はただ──ただ楽しんでほしかっただけ。人生を──。仕事とは楽しんではいけないもの。人生も楽しんではいけないもの。ひたすら苦しんでこそ。もしも生きるということがそうであったとしたら、そんなくそつまらん世界など滅びよ! ──目の前に死んだ魚たちが整然と並べられていた。彼らは主張はした。私は生きていると。しかし今は死んでいる。私は信用されていない。コワイ人だとか、歳だから食わりゃせんとか、裏でさんざんなことを言われ続けていたが私はいつでも全力で前向きだった。だが、そんなことには何の意味も価値もない。私がそう思ったときは自ら命を絶つときだろう。命はどんなことがあろうと自ら絶ってはならないという訓戒を私が知らないとでも? 生きている限りは一時的に後ろ向きにはなれども、そこにとどまらず、必ず前を向いて歩かねばならない。そんなこと誰もがわかりきったことじゃないか。問題はその先にある。それをわかったうえでもう一度生きるということを考えたとき、あの前向きに生きねばという訓戒が馬鹿馬鹿しく思えてくる場合がある。そのスーパーの従業員たちはみんな私に親しみを込めて挨拶してくれ、こんな取るに足らない生きる意味も価値もない老いた男に対して親しみを込めて挨拶してくれる。それが無意味で無価値というなら滅びよ! 私は我に返り、応対してくれたおばちゃんに「刺身あります?」と訊いた。「刺身そこ」と指をさされる。見ると刺身コーナーがある。「あ、そこか」と物色していると「切りますよ」「え?」「半分にもできますよ」と言われる。ちょっとお高かったので躊躇していたのだ。「じゃあ、これ半分にして切ってください」とサーモンの切り身を取って渡す。「はい」と言って奥に引っ込むおばちゃん。奥にはおばちゃん含め、3、4人の男女の従業員。指示されて威勢よく返事をし、刺身を切ってくれるあんちゃん。「お待たせしました」と言って奥からラベルの付いた新聞紙にくるまれた刺身を持ってきたさっきのおばちゃんより明らかに若い女性に私は訊いた。「こういう魚はどうやって食べるんですか?」「煮つけにしたり、焼いたり」「ああ、煮つけか」と私は知ったふうな口をきく。正直魚の調理などめんどくさくてやりたくなかった。「すみません半分で」と言うと笑顔になって「いいんですよ」と言ってくださる。私にこの世界のすべてが無意味で無価値だと思わせる現象が少なくとも今は起こっていなかった。もうあれは過去のことだった。──どんなことがあっても前向きでいよう。そうすれば、必ず約束は果たせるはずだから。

あの家に

「お別れです」──彼女は一瞬そのフレーズの意味が理解できなかった。だが、徐々に息がつまりそうになり、無意識が声を出すまいとしたのだろう、口を真一文字に食いしばり、そして両目から次々にあふれだすあたたかい液体が頬を濡らしていることに気付いて、鼻水を大きくすすった。それが彼女がそのフレーズを本当に理解したということを示していた。彼女も彼と同じくすっかり老いてはいたがその現象はまるで産まれたての赤ん坊とまったく同じだった。彼女の過去を知る必要はない。彼女がたった今、ながくつれそった、喜怒哀楽をともにしてきた伴侶と永遠のお別れをした事実以外は──。いつも二人で海を眺めて暮らしていた。海は童謡にもあるように、広くて、大きかった。二人の心も、広くて、大きかった。だが、今それは半分になった。いや、半分よりもっと狭くて、小さいかもしれない。彼女は声は出さなかったが涙が出る現象にはまったく抗うことができなかった。何度も鼻をすすった。しかし彼女は人の良心と善意を心底信じて生きてきたのにどうして? なんていう野暮な疑問はまったく抱かなかった。その日からこの世界が──あの広くて大きい海が──悪意に満ちたものだとは決して思わなかった。失われたと思っていた半分はちゃんと彼女の中にあった。いや、ことによると半分だけじゃない。父さんの分、母さんの分、そして彼の分。もっと言えば、祖父母の分、ご先祖様の分。「──だから、何も心配はいらないよ」──彼女にはまだそのフレーズは聞こえていなかったがすぐに聞こえてくるはずだ。だって、潮騒がいつも彼女に語って聞かせてるもの。きっと彼女は思い出す。すべてを思い出す。あの現象たちが彼女に何を教えてくれたかを理解する。そしてそれが本当に大切なものだったと再確認する。きっと、きっと──。──古びているけど愛しているママチャリを押して海沿いの道をどこまでも行ったら彼に逢える気がしたのよ。ほんとに。たったそれだけのことよ。──ある天気の良い日の、そうだな、正午近くのことだったろうか。海はすこぶる穏やかに満ちていた。お惣菜と昨日あずかった代金のお釣りを持って配達員が彼女の家を訪れたとき、いつも海のほうを向いているバナナ・ナンバーの軽トラと軒下のお人形たちはいつものように一部始終を見聞きしていた。通り過ぎて行ったにぎやかな子供たちの歓声。セミの鳴き声。葉擦れの音。そして潮騒。──ヤダ! 死にたくない! 死にたくないけど、結局のところ、みんな死ぬのよ。だったら、精一杯今を生きなさいよ! 溜まるのはカネだけかもしれないけど、そんなもの死んでしまったら何の意味もないわ。死んでも意味があるもの、それは『愛』とか『良心』、『善意』なんじゃないの? 「今日は何を持って来てくれちゃったん?」「あ、お惣菜と昨日のお釣りです」「ふうん」そんなビジネス・ライクな会話にさえ、その配達員は母の愛に似たものを感じた。「おばちゃん、どこ行くん?」「ちょっとね」「ちょっとって?」「あっちよ、いつもありがとうね、じゃあね」そう言うと彼女は防波堤の切れ口の間から、自転車を押して、海のほうへ出て行った。「おばちゃん!」配達員は思わずデカイ一声を上げた。「向こうで彼が待ってるのよ。それに彼だけじゃないの。行かなくちゃ」──満ちた海の上で振り返って彼女は屈託なく微笑んでそう言い、前に向き直り自転車を押しながら歩き出した。いい天気だった。それは間違いないし、海も穏やかだった。──あの配達員が店に戻って店長に指示された通りメモしたものを見せたら、明日からあの家に配達するのはストップするだろうか? いつも海のほうを向いているバナナ・ナンバーの軽トラと軒下のお人形たちがすべてを見聞きしているあの家に──。

花咲く季節

それを人は“死の季節”と呼んだ──虫は死に絶え、草木は枯れ、何もかもが終わりを示していた。私は寒空を見上げて叫んだ。「たのむ! 神でも仏でもいい、私にこの世界を肯定させてください! マイナスからしかプラスは生まれない。それはわかっています。しかしどうかこのあたたかい心を春まで凍えさせないでください! お願いです!」すると声がした。「──心配はいらないよ」「あなたは?」「君のそばにずっといるよ。だから大丈夫」「せめてお名前を」「ワタシは君の心の神。名前などない。それよりももっと大事なことがある」「なんですか?」「言うまでもない。君はもうわかっている」「私は言霊の信奉者ではありませんがお願いです、正しいことを教えてください」「君に教えられることはもう何もない。なぜなら繰り返すけど君はもうわかっているから」「わからないのです。常に迷っています。私を導いて! お願いです!」「本当にわからないのなら、なぜ迷っているのですか? わからない状態から逃れたいのでしょう? この死の季節から」「はい、心の底から」「だったらもう大丈夫じゃありませんか」「なぜです?」「君は春を死ぬほど思っている。だからです」──「お体お大事になさってください」私はこの言葉を老人に向かって言ったとき、何を思っていたのだろうか? 春? 希望に満ち溢れた生の始まる季節──春を? そうとも、たしかに春だった。しかしこの目の前の老人はまもなく──「酒をやり過ぎた罰が当たったんじゃろう思うて」「そんなことはありません。そのとき楽しかったのなら、それでいいじゃありませんか。ボクは人生を振り返ったとき、“楽しかった”と言いながら最期を迎えたい。楽しかったですか?」「ああ、もちろんだとも」「それでいいんですよ。だから、まだ生きているのだから、まだ楽しめますよ」「それは無理だよ。あちこちにガタがきてる。君の言うとおりだ。ワシは楽しんだ。もういいんじゃ」「そんなことを言わないで、まだ元気じゃないですか」「そうだな、まだ少しはな。しかし、君が持って来てくれたあたたかい風の吹く“春”だけで十分だ。ワシはそれを抱いて最期を迎える。この死の季節に──」今のこの世界のあらゆるものから感じる虚しさは──母さんがいないから──でも、花は違った。花は母さんのほほえみそのものだった。だから──あの娘にめぐりあったのは必然。あの娘は私にこう考えさせた──時を超えてめぐりあい、そしてあなたを愛している。何度も繰り返し愛している。たとえわが身が滅ぼうとも、あなたを愛するために生まれ変わり、そしてまたあなたを愛するだろう。今までも、そしてこれからも──と。死の季節に“愛”があった。それは間違いない。だから──「──だから春は必ず来ます。一緒に桜を見ましょうよ。お弁当を持って出かけましょうよ。きっとあの人の笑顔を見ることができます。終えることを考えてはいけない。絶対に!」──私はあんなことを言ったが心の中は虚無に支配されていた。虚しかった。何をしようが、どこへ行こうが──母さんがいないから──。もしも、つらいこと、悲しいこと、苦しいことが誰にでもあるのなら、なぜ他人に対して優しくならない人が居るのだろうか? この世界のすべては冗談だ。小説だってメタファーを追い求めている。冗談を言いあい、お互いを騙し、騙され、何が何でも生きてゆく。──おお、花の咲く季節よ、早く来ておくれ。私にあの人の笑顔を見せておくれ。私から虚無を取り除いておくれ。お願いだから──。私は春を心の底から思っている。花の咲く季節を──。

鳥たちのさえずり

鳥たちのさえずりが聞こえるのは幸福だった。ほんとうに──私は私と同じ病気だった芥川龍之介の言葉を反芻していた。「どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え」──つまり、生きていること自体が苦しみであるという原始仏教の教えとまったく同じ考え方だと気づいて、しかも私もその考え方に手放しで賛同できる境遇に至っていることにも気づいて、いやもうそう考えざるを得ない、血肉が、心が、そう叫んでいるのだ。しかし私はそれでも前を向いて、明るく、笑顔を絶やさず、他人にはやさしく、独りで人生を歩んでいた。絶望的な暗い言葉たちばかりではなかった。それは確かだ。そしてなぜ希望のある明るい言葉を聞くことができたかと思うに、それは私にそれらを聞き取れる素晴らしい、この上なく世界一素晴らしいと言っていい能力があったからではないか。そうとも、そうともさ。苦しむということは気分を変えることができないでいるだけ。しかしだからこそもっと心の底から希望を求める。苦しみなくしてはこの法則は絶対に成り立たない。心のなかに何もない状態では──これは修行だと思えばいい。修行は自分の心をより良い高みに至らしめるためにおこなうものなのだから。──私は仲間が欲しかった。ともに心の高みを目指す仲間が。しかし私は常に孤独だった。孤独にはなれっこだった。人間は独りになったとき、その真価が問われる。──失敗、それは突然だった。しかも何度も犯してしまった私の人生で最大の過ちだった。女性に恋をしたのだ。だが、それだけだった。こちらから何かアプローチできるはずがない。だって、私は病気なのだ。相手が不幸になるのは目に見えている。自分に自信があるわけでもない。強い心は親しい人たちがその命とひきかえに私にくれた。だから独りでは生きていける。しかし異性とでは? まったく想像もしていなかった。恋わずらいなどという厄介なものに罹病してしまった。一人の女性が好きというわけではない──というとすぐよからぬことを想像されるかもしれないがそれぞれにそれぞれの良さがあり、年齢も関係なかった。私は彼女たちに気に入られようと死ぬほど努力した。しかし永遠に実ることはない。片思いのままでよかった。社会的にも、道徳的にも、そして私の心を崇高なままで保っておくためにも。──ほんとうはそんなものかなぐり捨てて、私のすべてを彼女たちに捧げたかった。どれだけ私は馬鹿なのだろう? ──永遠に実ることはない、実らせてはいけない、気に入られようと、社会的、道徳的、崇高、努力、修行、苦しみ、恋、心のなかに──もし私に健常者と同じ心があるなら、怒りや憎しみを惜しげもなく解放するだろう。しかし、私はこれまでの人生で数々の失敗と呼べることをやってきた。怒りや憎しみを解放したらどうなるか知っている。そんなことはどうでもいいと思える瞬間が恋をしているときだった。失敗を回避しているのだから、恋することは失敗ではない──永遠に実ることはない──。ドラッグストアで彼女に2回も会ったのに声をかけなかった。しかしもし、3回目があれば──彼女はもう気づいてる。来て、来て、私に。走ってきて、走ってきて、私に──私はほんとうに変える。あなたが見ているものすべてを。──他人に期待すると失望に変わるだけだった。私はもうその現象を何度も経験してきたから、飽き飽きしていた。繰り返されている。人間は学習しない。何度も何度も繰り返し同じ過ちを犯し、そして悲しむ。年齢はあまり関係なかった。憎まれた異端者は憎み返すしかないのか? ──そんなことはない! 絶対に! むしろ、異端者は己を憎んでいる者たちを深く愛するだろう。気に入られようとして? 否。己を愛してくれた者たちがその命とひきかえに、この世界で最も大切な「愛する」という感情を異端者に教えたからに他ならない。いくら憎まれようと異端者は愛するだろう。いくら負の感情が芽生えようともそれを打ち消すだろう。どんなことがあろうと異端者は愛するだろう。──「どうして! どうして何も言ってくれないの!」異端者はたまらず虚空に向かって叫んだ。するとそれに答えるかのように雨粒が落ちてきた。それはこう言っていた。「あなたのしていることは当たり前のことだから」「私は苦心の末、妙諦を得、それを実行しています」「それは当たり前のことです」「だったらなぜこんなに苦しいのですか? 私は苦しみから解放されたい」「生きている限り苦しみはなくなりません。それを意識するくらいなら、連中と同じく、生きていることを楽しめばよいのです」「楽しむってどうやって?」「本当の幸福を求めなさい。ただ漫然と生きているだけではつまらない。本当の幸福のために行動しなさい」──鳥たちのさえずりが聞こえる幸福は本当の幸福に違いない。

これらの物語はフィクションです。
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